「新富町」散歩=「新富 煉瓦亭」から鉄砲洲稲荷神社まで

 テレビの影響力はおっとろしい(笑)。

 土曜日にテレビ東京系の番組「アド街ック天国」で「新富町」の特集をやっておりました。新富町は会社から近いので、「シメシメ、月曜日のランチはそこ、かしこにしよう」と心に決めて出掛けたところ、お目当ての寿司店は予想通り、長蛇の列(昼休みの時間に間に合わない!)。もう一軒、「こだわり」のフレンチ店に行ってみたら、いっぱいの人たちが食事をしているのが外から見えましたが、12時45分だというのに、もう「closed(営業終了)」の看板。「こりゃ駄目だあ」

鮨 ishijima 新富店

 仕方がないので、新富町ならよく行く「新富 煉瓦亭」で、Bランチ(ポークカツとクリームコロッケ)1150円を食しました。「仕方ない」なんて言っちゃ怒られますねえ(笑)。このお店も番組では、堂々の「第10位」にランクされていました。銀座の老舗店「煉瓦亭」から暖簾分けされた店だとは知っていましたが、やはり味は確かです。しかも、銀座店と比べると500円ぐらい安い。(ただし、銀座店の「元祖ポークカツレツ」は2000円也です。)

 カウンターの目の前にいるマスターがテレビに出ていたので、「テレビ、見ましたよ」と声を掛けましたが、「べらんめえ、こちとら江戸っ子だあ」とも言わず、無言で頷いただけでした。照れていたのかもしれません。

新富町・仏料理「ニコラ・シュヴロリエ」

 新富町は明治になって、守田勘弥が座頭を勤める歌舞伎の芝居小屋「新富座」が出来ました。関東大震災で焼失し、今は京橋税務署になっていて、署前には「新富座跡」の看板があります。ですから、もともとこの辺りは新富町と言っていたとばかり思っていたのですが、江戸時代は「大富町」と呼ばれ、武家地だったといいます。

 それが、明治になって築地の外国人居留者を目当てに新島原遊郭が置かれ、この新島原の「新」を取って、新富町になったといいます。

鉄砲洲稲荷神社(東京都中央区湊)

 いやいやそんなんで驚いていてはいけません。この辺りの鎮守様として鉄砲洲稲荷神社がありますが、創建は平安時代初期の841年にまで遡ることができるといいます。この辺りは埋め立てが進んだ土地であり、その度に社(やしろ)は移転され、室町時代は「八丁堀神社」と称されたことがあり、江戸時代あたりから「鉄砲洲稲荷神社」になったようです。

 歌川広重の浮世絵にも描かれています。名所江戸百景の「鉄砲洲稲荷橋湊神社」です。

 5月初めの「例大祭」では三年に一度、御神輿の渡御があり、東銀座の歌舞伎座辺りまでも回るようです。(歌舞伎座に分祠された鉄砲洲稲荷神社があるため)

入船「焼鳥 さくら家」

 新富町といえば、昼休みに、これまで新富座があった京橋税務署辺りまでしか足を延ばしたことがありませんでしたが、今回初めて、「入船」とか「湊」まで、奥深く足を踏み入れました。

 最近、新富町が雑誌などでも取り上げられ、ブームになっているようですが、その取り上げ方が「奥銀座」とか、「裏銀座」。番組に出てきた地元の人が「何?奥銀座だと?新富町は、新富町じゃねえか。誰が付けたんだ!冗談言っちゃいけねえ!」と吠えていました。

 どうやら、新富町を「奥銀座」と呼ぶのは避けた方がいいかもしれませんね(笑)。最近、個性のあるシャレたお店が結構増えてきましたし、かつての花街でしたから、高級料亭やミシュランの星付き寿司店も多いようです(地元の芸者さんがお一人だけ残っていらっしゃるとか)。

 番組では入船の「さくら家」(番組では第7位にランクイン)という老舗の焼き鳥屋さん(1917年創業)のことを「手頃な価格で美味しい」と紹介していましたので、行ってみましたが、ランチはなく、営業は夕方からでした。今晩も多分、テレビの影響で超満員になるのでしょうね。

 ほとぼりが醒めた頃に行きますかあ。