昨日の閲覧数は、どういうわけか、2074ページビュー(PV)アクセスもありました。普段は、300とか500とか、そんなもんなんですが、どうしちゃったんでしょうか?ー昨日のテーマは、万人受けしそうなものではなかったのですから、どなたかが、このサイトで遊んでネットサーフィンでもしてくださったのでしょうか?
この分ですと、今月か来月には区切りの良い50万PVアクセスに到達しそうです。御礼申し上げます、としか言いようがありません。
と、感謝しておきながら、人の心は移ろいやすいものです、と、私はこの頃、しみじみ感じております。男でも女でも、関係なく、人間は心変わりするものです。それが、何か?
心変わりをされた方が問題なのです。自分は何か悪いことをしたのではないか、と自分自身を責め続けます。これまで親しくしていれば尚更です。しかし、幾ら考えても自分の非を見つけることができません。となると、人の心は移ろいやすい、という結論に達するしかありません。人は幾ら、罵詈讒謗で強権を発動されても、心まで支配することはできません。せめて、面従腹背で、相手は嫌々付き合っているだけです。それでは面白くないでしょう?
となると、人の心は移ろいやすい、と諦念して新たな一歩に踏み出すべきではないでしょうか。。。
本日、皆さまにお伝えしたいことは、これだけなのですが、今読んでいる佐藤賢一著「日蓮」(新潮社)によると、日蓮聖人は誰に頼まれたわけでもなく、艱難辛苦と法難を何度も何度も受けながら、まさに国難とも言うべき蒙古襲来の他国侵逼(しんぴつ)を「予言」するなど、毎日毎日、天下国家と民衆の安寧のことばかり考えていたようです。
それに比べて、渓流斎ごとき煩悩凡夫は実に小さい、小さい。何? 人の心は移ろいやすいだと?ー何を、いつも、ブログで御託と世迷言を並べているのか…我ながら、不憫に思います。
しかし、真面目に誠実に生きたい。残された人生で、自分が出来ることは何か、この世に生まれてきて、一体、自分の使命は何なのか、を考える毎日です。