檀家制度を廃止した曹洞宗・見性院

 東京の今の気温は32度。それは許せるとしても、湿度が63%。外を歩くと汗が止まらず、とろけてしまいそうです。

◇こんな暑さでオリンピック?

こんな暑さの中、ちょうど来年の今頃、東京オリムピックなんかやるんですかねえ?富裕層向けに635万円の五輪チケットが8月下旬から売り出されるそうですが、ご苦労さまのことです。

 第一、不労所得で欲太りしたIOC貴族と、チャンス到来を喜ぶアディダス、ナイキといった多国籍スポーツメーカーの殿上人は、日本がどれだけ暑くて湿気が多いのか、知る由もありません。知っているとしても、所詮、自分たちが走ったり、投げたり、蹴ったりするわけでもなく、単なる興行として商売(ビジネス)をするだけですから、高額スポンサーとして冷房の良く効いた貴賓席にいらっしゃることでしょう。古代ローマ帝国の貴族たちがコロッセオで剣闘士が闘うのを高みの見物するような気分なんでしょうか。

 日本のメディアは新聞もテレビもラジオも、みんな五輪スポンサーですから、一言も批判しません。いや、グルですね。

 ◇皆さんのクリックのおかげでドメイン代が出ました

 こんなに暑いので、ここ数日間、暑気払いが続いてます。一昨日は、この《渓流斎日乗》ブログの技術面でお世話になっているIT会社のM社長と東京・池袋の焼き鳥店「雲吉」で一献傾けました。(皆様がこのブログの宣伝バナーをクリックしてくださったおかげで、ドメイン代等は賄うことができるようでした!)

 「雲吉」は、M社長の奥さんの妹の旦那さんが経営している店で、味が良いのかもう20年以上続いているそうです。飲食業界というのは傍から見ているよりかなり厳しく、経済誌「ダイヤモンド」をいつぞや読んでいたら、新規開店した飲食店の9割が3年以内につぶれてしまうと書いてありましたね。

 場所は、池袋駅東口から歩いて10分ぐらいでしょうか(3分とか書いてましたが、人混みで歩けません)。もう40年以上も昔の話ですが、池袋をフラフラしていましたが、新栄堂書店がつぶれ、キンカ堂(地下食堂)がつぶれ、すっかり変わってしまい、全く別の街になってしまい、道に迷いました。「雲吉」の近くに西武本社が所沢から池袋に移転してきたおかげで、安定したお客さんが来るようになったようです。まあまあの価格なのですか、客層の質は高いです(Mさん、宣伝しておきましたよ=笑)。

 M社長は仕事で仏教界というか、葬儀社界というか、墓石界というか、そういった業界に通じていて、裏話もたくさんありました。

高野山奥之院 島津家供養塔

 今回、裏話ではなく、現代の仏教界の改革者として、多くのメディアにも登場している僧侶として、埼玉県熊谷市にある曹洞宗見性院の橋本英樹住職の話を初めて聞きました。

 見性院は江戸時代から400年以上続く寺ですが、何と2012年に檀家制度を廃止してしまったというのです。400軒近くあった檀家とはいったん白紙に戻して、「随縁会」という会員組織にし、名称も檀家から「信徒」に変更し、葬儀代、戒名代、布施等すべて「ガラス張り」にして「明朗会計」にしたというのです。

橋本氏は駒沢大学大学院を修了し、曹洞宗の大本山永平寺で修行し、25歳で見性院の副住職になった時の月収がわずか10万円だったといいます。それが、42歳で父の跡を継いで住職となって「改革」に乗り出したところ、今では経営規模は4倍に増えたといいます。

 もちろん、宗派や国籍等に拘らず、遺骨を郵送で受け付ける「お坊さん便」を始めるなど急激な改革から、旧檀家の中から反発する声も多く、曹洞宗総本山の総持寺に訴える旧檀家もいるそうです。

 それでも橋本住職はひるみません。M社長も「僕は闘う宗教家を応援してます。檀家とか言っても、どうせナアナアでやっていただけで、仏教なんて本当に信じてないでしょう。葬儀は金が掛かります。散骨したって、かなりの金額を取られますよ。その点、3万円でお骨を郵送パックで受け付けるなんて、現代的なあまりにも現代的なですよ」と擁護するのです。

 考えてみれば、昔はよっぽどの貴族か皇族か大名か守護地頭か武士か名主か大商人でなければ、お墓なんか持てなかったものでした。無名の庶民は野垂れ死にして、犬か鳥に食われていたことでしょう。庶民が墓を持てるようになるのは明治以降かと思ったら、M氏は「いえいえ、明治は廃仏毀釈もあったし、戦後からですよ」と言うではありませんか。

 21世紀になり、日本人の信仰心が薄れ、仏教も「葬式仏教」と批判され、そもそも、従来の「家」の観念も廃れ、女房も子どもも「お父さんの墓だけには入りたくない」と言い、結婚しない男女も増えて、墓守をしてくれる子孫もなく、そういう時代になると、宗教も変わっていかざるを得なくなりました。

 でも、自分の骨が3万円でパック郵送されて、誰とも会ったことも見たこともない縁も所縁もない人と同じ骨と交じり合って共同墓地に詰め込まれることを想像すると、何とも味気ない、背中の辺りがこそばゆい感じがしてきますね。

「ホラホラ、これが僕の骨…」(中原中也)の詩が頭にリフレインしてきました。