渓流斎は女性講師を贔屓にしている?=「一日一善」の話

 今日は、というより、今日も、とりとめのない雑文の羅列になってしまいますが、御了承の程、宜しく御願い致します。

 私は、頼まれもしないのに、好き勝手にセミナーや講演会の「感想文」をこの渓流斎ブログに掲載したりしておりますが、自分で言うのも何なんですが、感謝されたり、お褒めに預かったりしております。しかし、その一方で、「いかがなものか」と批判される方もかなりいらっしゃる、と最近、ディープスロートから報告があり、「えっ?何で?」と思ってしまったのです。

 批判される方の一つが、「渓流斎は女性講師の場合、好意的に扱っている」というものでした。あれっ?バレたかあ……んなわけないでしょ! たまたま、そう思われたなら仕方がないのですが、特に意識していたわけではありません。それは、「騎士道精神」に則ったものです、と御理解くだされ。

 でも、批判される方も、長い文章を随分熱心に読んでくださるんですね。こちらこそ感謝申し上げます。

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 さて、昨日の夜中、パッと目が覚めて、「いずれ死んだら無になるのだよ」との「お告げ」がありました。「人間、過去の体験と思い出しか残らない」と思い知らされて、我ながら無間地獄に堕ちてしまったようで、ゾッとしてしまいました。

  となると、私は真面目ですから、少しでも他人様の人助けになるような善行を積むしかないと思いました。

 「一日一善」となると、笹川良一さん(今の若い人は知らないかも?)のスローガンになってしまいますが、一日、何か陰徳を積むことが大切だと再認識したわけです。つまり、「何か良いことがないかなあ」と、毎日、受け身に生きるのではなく、「今日は何か良いことをしよう」と能動的に生きるということです。

 我ながら良い事を思いついたと思ったのですが、現実世界では真逆のことが起きています。昨年12月には大阪市北区の心療内科で放火殺人事件がありましたが、何で何人もの多くの人を救ってきた立派な精神科医が殺されなければならないのでしょうか。そして、先日は、今度は埼玉県ふじみ野市で、善意の訪問医が猟銃で殺害されるという痛ましい事件が発生しました。

 「恩を仇で返す」ような取り返しがつかない悲惨な、身勝手な事件が最近多いように感じます。「神も仏もいないものか」と天を呪いたくなります。

 そういえば、こちらが良かれ、と思ったことでも、相手にとっては不愉快で、余計なお世話だということもあったりします。

 お年寄りが重い荷物を持って階段を上がろうとすれば、私も年寄りですが、「お持ちしましょうか」と声を掛けたくなりますが、これまた、泥棒に間違えられたくないという気持ちも同時多発的に発生したりします。

 ということで、時と場所に寄ることでしょうが、「一日一善」に関しては、お節介にならないよう、日ごろの心掛けだけは準備万端にしておこうと思っています。

【追記】2022.2.2

 昨日の夜中、「いずれ死んだら無になるのだよ」との「お告げ」があった旨、書きましたが、本日、大阪にお住まいの佐伯さんの御令嬢から、彼女の御尊父、つまり佐伯さんの訃報が届きました。あのお告げは佐伯さんだったのか?

 年賀状の返信がなかったので、どうされたのかと思っていましたが、昨年5月に既に亡くなられていて、自分の不明を恥じました。

 佐伯さんはもう30年以上昔ですが、大阪の産経新聞のスポーツ記者で、私も現場でよくお会いして情報交換したものでした。7年前にご令室に先立たれ、相当苦労されているという噂を聞いてましたが、こんなに早く旅立たれてしまうとは、私も思わず落涙してしまいました。

 佐伯さんのご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。