(昨日のつづき)
昨日は、占い師の古澤鳳悦氏のお導きで筆名を改名したお話を書きました。そしたら、大反響です、と思いきや、反応ゼロでした(笑)。
所詮、皆様にとっては、どーでも良い話でしたね。失礼しました~。しかし、これにめげずに、昨日の続きを書かさせてください(笑)。
占いは、ネット社会になると、無料で、ある程度ですが、鑑定してくれるサイトが増えました。そこで、私も昨日、自分で命名した筆名「高田謹之祐」が、ネットの無料「姓名鑑定」でどんな鑑定をしてくれるのか気になり、やってみました。
そしたら、何と何と、あるサイトでは、「凶」だとか「大凶」だとか、実にボロクソなのです。えっ? 何で? 古澤師によれば、この筆名だと、字の画数が、天格=15、人格=23、地格=32、外格=24、総格=47となり、「史上最高」「天下無敵」「非の打ち所がない最高峰の名前」になるはずでした。本当に、えっ? 何でえ? です。
そこで、その意地悪サイトを詳しく読んでみたら、例えば、「謹」の画数は、古澤師の場合「18」なのですが、このサイトでは「17」としているのです。また、「祐」にしても、古澤師は「10」画なのですが、件のサイトでは「9」にしているのです。うーむ、確かに、現代人から見ても、謹は17画で、祐は9画になります。でも、この画数にすると、確かに「凶」や「大凶」の相が出現してしまうのです。
困った、困った。そこで、古澤師に聞いてみました。すると、早速、こんな答えが返ってきました。
画数についてですが、小生が使っている「熊﨑式」というのは、姓名判断で最も権威のある流派で、一般的なのですが、漢字は「康煕字典」をベースに画数を決めています。さんずいは、3画ではなく、「水」で4画、くさかんむりも3画ではなく、艸で6画、りっしんべんも3画ではなく、「心」で4画、しめすへんは4画ではなく、「示」で5画というように数えます。従って、「祐」はしめすへん5画に右が5画、つまり10画となります。
「之」(これゆき)は4画と数えます。「謹」のごんべんは7画で、つくりの上はくさかんむりではなく、「++」なのでつくりだけで11画、つまりトータル18画が正解です。どの流派を信じるかは本人が決めることですが、私はこの康煕字典による画数が最も正確であると思います。
「謹之祐」はユニークでとてもいい名前だと思います。
そうですか、そういうことだったのですか! 「康煕字典」でしたら、最も権威があり、信頼できますね。「謹之祐」も古澤鳳悦師からのお褒めに与ることができましたので、今後、この筆名を使わさせて頂くことにしました。
謹之祐は「きんのすけ」と読みますが、調べてみたら、「謹」は「謹んで」という意味になり、「祐」は天祐や神祐の祐で、「神仏の助け」という意味になります。つまり、謹之祐は、偶然にも「謹んで、天からの助けをお受けします」という意味になるではありませんか! 英語で言えば、to accept heaven’s help respectfully. となるでしょうか。画数も良ければ、意味も良い、となると、こいつは夏から縁起がいい、てなことになりますね~(笑)。
私の話で終わってしまうと、物議を醸してしまいますので、今読んでいる浜田義一郎著「大田南畝」(吉川弘文館)の話に転換します。この本には、面白い筆名(狂名)が沢山出てくるのです。例えば、南畝の親友になった歌舞伎役者の五代目市川團十郎は、「花道つらね」と名乗り、多くの狂歌をつくりました。團十郎だけでなく、他の人気役者も狂歌づくりが流行となり、瀬川菊之丞は「まがきのきせ綿」、松本幸四郎は「高麗洒落人」(幸四郎の屋号「高麗屋」から取り、「こうらいのしゃれひと」と呼んだことしょう)、中村仲蔵は「かき根の外成」、芳沢あやめは「あやめの真久良」という筆名で歌会に参加しました。
戯作者・浮世絵師の恋川春町(駿河小島藩士倉橋格=いたる)は「酒上不埒(さけのうえのふらち)」、吉原の妓楼「大文字屋」の村田市兵衛は、「加保茶(かぼちゃ)元成」(酒井抱一の弟子で浮世絵師としても活躍。酒井抱一も狂歌名・尻焼猿人を持つ)、国学者・石川雅望は「宿屋飯盛」の狂名で狂歌をつくりましたが、それぞれ、洒落っ気たっぷりで遊び心が効いております。他に、大飯食人(おおめしのくらんど)、土師掻安(はじのかきやす)、野戸川伎(のどのかわき)などとふざけた名前もあります。そうそう、謎の絵師・写楽の版元として名を残した蔦屋重三郎(1750~97年)の狂名は「蔦唐丸」(つたのからまる)です。ペギー葉山が歌った「学生時代」(1964年)の「蔦のからまるチャペルで…」を200年も先行していたとは!(笑)。
皆さんも江戸の文人に倣って、遊び心を発揮して、独自の筆名をお持ちになったら如何でしょうか?