政界の黒幕と義仲寺との接点とは?=「裏社会の顔役」(大洋図書)を読んで

 この雑誌、タイトルもおどろおどろしいですし、買うのも憚られるものですが、迷うことなく買ってしまいました。「手元不如意」ではなく、地元の健康キャンペーンに応募したら1000円の図書券が当たり、「何にしようか」と書店に行ったら、すぐにこの雑誌が目に入ったからでした。

 ちょうど1000円でした。

地元市健康マイレージで、1000円分の図書カードが当選しました。今年は運が良いです(笑)。

 内容は、この雑誌の表紙に書いてある通りです。

・日本を動かしたヤクザ 山口組最強軍団柳川組「柳川次郎」、伝説のヤクザ ボンノこと「菅谷政雄」

・愚連隊が夜の街を制した●万年東一●加納貢●安藤昇●花形敬

・黒幕が国家を操った●児玉誉士夫●笹川良一●頭山満●四元義隆●田中清玄●西山広喜●三浦義一

・一人一殺「井上日召」と血盟団事件

・米国に悪魔の頭脳を売った731部隊長 石井四郎中将

 などです。

 驚いたことに、この中の「満洲帝国を闇で支配『阿片王』里見甫」の章を書いているのが、皆様御存知の80歳のノンフィクション作家斎藤充功氏でした。頑張っておられますね。

 また、「日本を動かした10人の黒幕」で頭山満などを執筆した田中健之氏は、どうやら玄洋社初代社長平岡浩太郎の曾孫に当たる方のようです。

 正直言いますと、この本に登場している「黒幕」の皆様は、私にとってほとんど「旧知の間柄」(笑)で、あまり「新事実」はありませんでしたし、2020年1月21日付の渓流斎ブログ「日本の闇を牛耳った昭和の怪物120人=児玉誉士夫、笹川良一、小佐野賢治、田中角栄ら」で取り上げた別冊宝島編集部編「昭和の怪物 日本の闇を牛耳った120人の生きざま」(宝島社、2019年12月25日初版)の方が、どちらかと言えば、うまくまとまっていたと思います。この雑誌は、全体的な感想ですが、黒幕の人たちを少し持ち上げ過ぎていると思いました。

 とはいえ、歴史は、学者さんが得意な「正史」だけ学んでいては物事の本質を理解することはできません。「稗史」とか「外史」とか言われる読み物にも目を通し、勝者ではなく、敗者から見た歴史や失敗談の方が、結構、日常生活や人生において役立つものです。

 敗戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)のG2(参謀第2部)に食い込み、吉田茂から佐藤栄作に至るまで影響力を行使し、日本橋室町の三井ビルに事務所を構えていたことから「室町将軍」と恐れられたフィクサー三浦義一は、「55年体制」と後に言われた保守合同の際に巨額の資金を提供したといいます。

 その三浦義一のお墓に、かつて京洛先生に誘われてお参りしたことがあります。滋賀県大津市にある義仲寺です。名前の通り、木曽義仲の菩提寺です。戦後、荒廃していたこの寺を「日本浪漫派」の保田與重郎とともに再興したのが、この三浦義一だったからでした。本当に狭い境内に、木曾義仲と三浦義一と保田与重郎のほかに松尾芭蕉のお墓までありました。

 何と言っても、私自身、最近、鎌倉幕府の歴史に関してのめり込んで、関連書を読んでいるので、「そう言えばそうだった」と思い出したわけです。木曾義仲は一時、京都まで攻めあがって平氏を追放して「臨時政府」までつくりますが、後白河法皇らと反目し、法皇から「義仲追討」の院宣まで発布されます。これを受けた源頼朝は範頼・義経を京都に派遣し、木曾義仲は粟津の戦いで敗れて討ち死にします。その首は京都の六条河原で晒されましたが、巴御前が引き取って、この大津の地に葬ったといわれます。

 そんな、戦後になって、誰も見向きもしなくなって荒廃してしまった義仲寺を保田與重郎や三浦義一がなぜ再興しようとしたのか詳しくは存じ上げませんけど、彼らの歴史観といいますか、男気は立派だったと思います。

日本の闇を牛耳った昭和の怪物120人=児玉誉士夫、笹川良一、小佐野賢治、田中角栄ら

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

東京の調布先生に久しぶりにお会いしたら、「貴方も好きですねえ。真面目に仏教思想を勉強していたかと思ったら、最近またアンダーグラウンド関係に熱中していますね」と言われてしまいました。調布先生もしっかりと渓流斎ブログをお読みになっているんですね(笑)。

 アンダーグラウンド関係にのめり込むきっかけの一つが、何を隠そう、調布先生の影響でした。もう時効ですから明かしますが、もう四半世紀以上も昔のこと。当時会社があった東京・内幸町界隈にどでかい東武財閥系の富国生命ビルがあり、その地下は飲食街になっていて、よくランチに行っておりました。ある日、調布先生が、わざわざ弊社にお見えになり、昼時なので、その富国生命ビルにランチに行くことになりました。

 そこの1階には、入居しているテナントの会社のプレートがあり、調布先生は「この方を御存知ですか?」とニヤニヤしながら御下問するではありませんか。そこには「日本政治文化研究所 西山広喜」と書かれていました。当時の私はまだ紅顔の美青年ですから、世間のことは何も知りません。後で、その方は、その筋では知らない人はいない右翼活動家で総会屋の大物だということを知りました。

 その後、調布先生から、いきなり「滋賀県の大津に行きましょう」と言われ、連れて行かれたのが、義仲寺です。名前から分かる通り、源平時代の武将・木曽義仲の墓所でした。しかし、昭和初期には荒廃して壊滅寸前だったといいます。戦後、この寺の復興整備に尽力した著名人の墓もありました。一人は、「日本浪漫派」の文芸評論家保田与重郎(1910~81)。この人は私も知っています。しかし、調布先生が私に教えたかったのがもう一人の方でした。三浦義一(1898~1971)。大分県出身。戦前は虎屋事件、益田男爵事件などを起こし、戦後直後は、政財界の最大の黒幕と恐れられ、日本橋室町の三井ビルに事務所を構え、大物政治家や財界人が足繁く通ったことから、「室町将軍」の異名を取った人だというのです。

 私もナイーブでしたから、知るわけありませんよね。当時は、インターネット情報も充実していませんし、「知る人ぞ知る」人物に関する人名事典すら書籍として発行されていなかったので、その筋の情報は、一部の関係者の間で口コミで広がるぐらいでした。

 しかし、今は違います。ガセネタも多いですが、ネット情報があふれ、本もいっぱい出ています。前置きが随分長くなりましたが、21世紀の令和時代となり、昭和時代も歴史となった今、いい本が出ました。これもまた、調布先生が教えてくれた、というおまけ付きです(笑)。

 別冊宝島編集部編「昭和の怪物 日本の闇を牛耳った120人の生きざま」(宝島社、2019年12月25日初版)です。恐らく、色んなライターが別々に書いているようで、それぞれに出来不出来があり、明らかな間違いや校正ミスもありますが、全体的によくまとまっています。見開きページに一人、顔写真と経歴付きですから、小事典としても使えます。

 裏世界を何も知らなかった頃から30年近く経ち、あれから、普通の人よりもかなり多くのその筋の本を読み(笑)、重要人物からもお話を聴くなどかなりの情報を獲得しましたから、私もさすがにその方面には異様に詳しくなり、情報の目利きができるようになりました。

  この本の「日本の闇を牛耳った昭和の怪物120人 」をどういう基準で編集部が選んだのか、よく分かりませんが、欠かせない人物なのに落ちている人がいることが散見されます。例えば、フィクサー田中清玄(1906~93)、北星会会長岡村吾一(1907~2000)、 情報誌「現代産業情報」発行人石原俊介(1942~2013) はマストでしょう。山段芳春(1930~99)を取り上げるなら、「京都三山」の高山登久太郎(1928~2003)らも取り上げなければいけませんね。バブル期のリゾート王・高橋治則(1945~2005)や末野謙一氏、北浜の天才相場師・尾上縫(1930~2014)らも欲しいですが、彼らは別に黒幕でも何でもないですけどね(苦笑)。

 この本には、先程の三浦義一と西山広喜(1923~2005)はもちろんのこと、児玉誉士夫(1911~84)、笹川良一(1899~1995)、小佐野賢治(1917~86)、岸信介(1896~1987)、田中角栄(1918~93)ら、この手の本では必ず出てくる人物は漏れなく登場しますが、番外編として、玄洋社の頭山満(1855~1944)と杉山茂丸(1864~1935)や黒龍会の内田良平(1874~1937)らも取り上げているのが良い点です。また、私自身が取材経験のない弱点でである(笑)総会屋系の木島力也(1926~93)、芳賀龍臥(1929~2004)、小川薫(1937~2009)、正木龍樹(1941~2016)、小池隆一氏(1943~)らの略歴で、彼らの師弟関係も分かり勉強になりました。

 【後記】

 「昭和の120人」のせいなのか、1926年(大正15年、昭和元年)生まれが異様に多かったですね。安藤昇、渡辺恒雄、氏家斎一郎、木島力也、五味武、根本陸夫といった面々です。ちなみに、同年生まれには、梶山静六、森英恵、多胡輝、菅井きん、山岡久乃、佐田啓二、マリリン・モンロー、仏のジスカールデスタン、キューバのカストロ、中国の江沢民、米コルトレーン、チャック・ベリーら多彩な人を輩出しております。

日美と幻冬舎

存在が意識を規定する

昨日は、関西広域を活動拠点にされている京洛先生から、「政界の黒幕」と言われた大谷貴義(1905〜91)のことをご教授受けました。

そこで、私なりに調べてみますと、驚くべき事実が判明しました。

大谷氏は、昭和の初期から活動されていて、政財界を始め裏社会の方々にも精通されていたようです。ざっと見ただけでも、元首相の田中角栄、昭和の最大のフィクサー児玉誉士夫、国際興業の小佐野賢治、山口組三代目田岡一雄組長、東声会の町井久之会長らロッキード事件などでも登場した錚々たる歴史的人物です。

しかも、作家吉川英治夫妻と福田赳夫夫妻を媒酌人に長女享子(1957年度ミスユニバース日本代表)が裏千家宗家の三男巳津彦と結婚したため、茶道界にも縁戚があります。

政財界だけでなく、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川、メリー喜多川きょうだいを駆け出しの頃にお世話をしたことがあるらしく、芸能界にも通じることになります。

「日本の宝石王」と呼ばれた大谷氏は1956年6月に日本美術宝飾倶楽部を設立し、62年に社名を日美と変更して、宝飾卸業から不動産業、清掃業に至るまで、幅広く多角経営に乗り出します。

今は東京は西新橋に本社を構えているようですが、日美の公式ホームページを見て驚きましたね。あのプリンスホテルの清掃業を請け負っているだけでなく、意外にも出版界の風雲児見城徹社長が率いる幻冬舎ビルの清掃業まで請け負っているのです。

日美は現在、大谷貴義の三代目の方が継いでおられるようですが、幻冬舎とも接点があるとは、凄い偶然ですね。

(歴史的人物ら一部敬称略)

座談会 大谷貴義物語

関西広域を活動拠点にしている京洛先生から昨晩電話がありまして、急に「渓流斎さんや、『新潮45』の今月号は読まれましたか?面白いこと書いてありますよ」と仰るではありませんか。

「いやあ、読んでませんよ。何かありましたか?」

「いや、バブルを特集しているんですが、あれからもう30年経ちましたから歴史になりましたね。若い人は知らないでしょう」

「歴史ですかぁ…。もう許永中とか言っても若い人は誰も知らないでしょうね」

「でも、多くの人は許永中は知ってても、その親分の大谷貴義(1905〜91)を知ってる人は少ないでしょう」

「えっ?大谷?宗教関係の方ですか?」

「ハハハ、まさか。最後の黒幕と言われた人で政財界の大物に食い込み、福田赳夫首相の黒幕として暗躍していたことは、当時の新聞記者なら誰でも知ってましたよ」

「えっ?知らないですねえ…」

「これだから、渓流斎さんは駄目なんですよ。大谷貴義を知らなければ潜りですよ。探訪記者なんぞと自称する資格なしですよ(笑)。大谷貴義は、『日本の宝石王』と呼ばれた実業家です。代々木上原に1000坪の大豪邸を構え、許永中は、彼の運転手兼ボディガードとして働き、政財界の裏を一から学んだわけですよ」

「芸能界のドンと言われているバーニングの周防さんも、若い頃は浜田幸一議員や歌手北島三郎の運転手を務めるなど長い下積み生活を送って、政財界や裏社会を見てきたことは有名ですからね」

「ああたは、すぐそういうことを言いますね(笑)。でも、世間の人は全く分かってませんが、『下足番』が一番世の中の仕組みを分かっているのですよ。文字通り、料亭の下足番です。政財界の大物が出入りしますから、その人の顔と序列と地位を熟知していなければなりません。勿論彼らのボディガードもです。靴を間違えようものなら、首が飛びますよ。木下藤吉郎だって、信長の下足番から出発して大出世を遂げたわけでしょ?」

「なあるほどね。大谷貴義さんも若い頃は相当苦労したんでしょうね。よく福田赳夫首相に食い込みましたね」

「まあ、しかしながら、黒幕ですからね。息子の福田康夫は親父の秘書もやってましたから、清和会の中でそういう人間関係を見てきたわけです。だから、彼は二世議員で首相にまで上り詰めてもクールだったでしょ? 色んな汚い、嫌な面を沢山見てきたからなんでしょう。だから、最後に中国新聞の記者に向かって『わたしとあなたとは違うんですよ』と突然キレて、世間から見ると唐変木に聞こえるような名台詞を吐いて、首相を辞めるわけです。

若い頃にたくさんのドロドロしたことを見過ぎたせいで、醒めた人間になったのではないでしょうか」

「なるほど。そういうことでしたか…」

(創作につき、一部敬称略)