江藤淳を再評価したい=「閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」を読んで

 山本武利一橋大学・早稲田大学名誉教授が書かれた「検閲官 発見されたGHQ名簿」(新潮新書)の中で、江藤淳著「閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(文藝春秋、1989年8月15日初版)がよく出てきて、自分自身は未読だったため、今さらながらでしたが探し求めて、やっと読了しました。なかなかの労作でした。この一冊を以って江藤淳(1932~99年)の代表作とする識者はいないのですが、私は代表作にしてもいいと思いました。

 何と言っても、今ではかなりGHQによる検閲の研究は進んでおりますが、江藤淳がこの本を上梓するまで、秘密のヴェールに包まれ、占領軍による検閲の実態を知る人はほとんどいなかったからです。著者もあとがきでこう記しています。

 敢えて言えばこの本は、この世の中に類書というものの存在しない本である。日本はもとよりアメリカにも、米占領軍が日本で実施した秘匿された検閲の全貌を、一次史料によって跡付けようと試みた研究は、知見の及ぶ限り今日まで一つも発表されていないからである。

 本書は、著者が1979年から80年にかけて9カ月間、米ワシントンの国立公文書館などに籠って、米占領軍が日本占領中に行った新聞、雑誌等の検閲の実態を調査し、雑誌「諸君!」に断続的に発表したものをまとめたもので、米国における検閲の歴史から、日本で実行した検閲の事案まで事細かく、微に入り細に入り詳述されています。

 全てを網羅することは出来ないので、私が不勉強で知らなかったことを少しだけ特筆したいと思います。

 ・ルーズベルト大統領から直接、検閲局長官に任命され、日本の検閲のプランを作って実行し、その総責任者だったバイロン・プライスは、AP通信専務取締役・編集局長だったこと。(肩書こそ立派ですが、「新聞記者あがり」が検閲のトップだったという事実は、同じように取材と原稿執筆を経験した同業記者として、苦々しい思いを感じました。)

 ・昭和16年12月19日に成立した日本の言論出版集会結社等臨時取締法は、戦後GHQ指令によって廃止を命じられたため、自由を抑圧した悪法の世評が定着しているが、罰則は最高刑懲役1年に過ぎない。これに対して、米国の第一次戦時大権法第303項が規定している検閲違反者に対する罰則は、最高刑罰金1万ドルまたは禁錮10年、あるいはその双方である。江藤淳も「罰則を比較するなら、米国は日本よりはるかに峻厳な戦時立法を行っていたと言わなければならない」と怒りを込めて(?)記述しています。

 こういった自国の検閲の歴史を持つ米国が、占領国の検閲をするわけですから、苛烈を極めたと言っても過言ではありません。

 ◇「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の断行

 それだけではなく、占領軍は、日本の軍部が如何に国民をだまして、戦争を遂行して犠牲を強いてきたかということを強調するために、「ウォー・ギルト(戦犯)・インフォメーション・プログラム」を断行します。その最たるものが、GHQのCI&E(民間情報教育局)がつくった「太平洋戦争史」と題する連載企画で、ほとんどあらゆる日本の日刊紙に連載させます。その一環として、GHQは、1945年12月15日付の「指令」で、「大東亜戦争」という呼称を禁止し、公文書では「太平洋戦争」の名称を使用するように命じます。このほか、「八紘一宇」など国家神道、軍国主義、過激な国家主義を連想させる用語の使用まで禁止します。

 よく知られているように、占領軍に歯向かう思想に通じるような「仇討ち」はもってのほかで、「忠臣蔵」などの上演、上映が禁じられました。

 このような検閲は、敗戦国だから甘んじて受け入れなければならなかったかもしれませんが、同じ敗戦国であるドイツはここまで酷くなかったことを著者は実証しています。

 実際の検閲例や組織など詳しいことを知りたい人は是非、本書を手に取ってください。

 ところで、私の世代は、このような米占領軍であるGHQが指導したプログラムの影響を色濃く反映された「戦後民主主義教育」を受けてきました。そのせいなのか、保守派論客だった江藤淳は、戦後民主主義に反動する右翼の巨魁という怖いイメージが少なからずあったことは否めません。

 しかし、私自身は、もう30年も昔に、彼が日本文藝家協会の会長を務めていた頃、2年近く、何人かの文藝記者と一緒に毎月のように懇談して、江藤淳の人間的側面に触れた経験があります。一言でいえば、真摯で誠実な人柄で、年少だろうが、人の話をよく聞いてくれる方でした。私は初めてお会いした時は拍子抜けしたことを覚えています。

 これはその後の話ですが、江藤淳(本名江頭敦夫)は、私が卒業した東京の海城学園の創設者である古賀喜三郎(海軍少佐)の曾孫に当たる人で、文藝家協会会長の後は、同学園の理事も務めました。事前に知っていたら、その話もできたのになあと残念に思いました。

 人間を右翼とか左翼とかイデオロギーで判断してはいけませんね。国際的な文学賞を受賞しながら、文化勲章を辞退した著名作家は「反日左翼」とか言われたりします。それは的外れの言い過ぎだと思いますが、もう30年も昔、この大作家とは何度も取材でお世話になったことがありました。ただ、自分の家族の売り出しには積極的なものの、短い随筆にせよ、作品発表に関してはメディアを選別したりするので、色んな意味でがっかりしたことを覚えています。勿論、作家としては当然の権利なのですが、偉大な思想家のイメージが崩れ、違和感を覚えました。

 今から振り返ると、江藤淳は生前、あれだけ孤軍奮闘したというのに、最晩年に不幸に見舞われ、気の毒な最期を遂げてしまいました。今年で没後22年にもなりますか…。若い人はもう知らないかもしれません。30年前に毎月のようにお会いした時は、70代の老人に見えましたが、実際は50代後半で、亡くなった時も66歳と、随分若かったことに今さらながら驚かされます。(早熟の秀才でした)

 私は、アメリカ仕込みの戦後民主主義教育を受けてきたせいで、正直に言えば、かつては少なからぬ反対意見を抱いていましたが、江藤淳を改めて再評価して、彼の著作を読んでいきたいと思っています。

【後記】

 「『新聞記者あがり』バイロン・プライスが検閲のトップだったという事実は、苦々しい思いを感じました」と書きましたが、再考すると、「新聞記者あがり」が、検閲担当に一番相応しいと思い直しました。前言を撤回するようで節操がないですが、メディアは、放送禁止用語や差別用語に敏感です。読者から訴えられないように言葉遣いに細心の注意を払って自主規制し、校正には念には念を入れます。この「自主規制」と「校正」を「検閲」に置き換えれば、そっくりそのまま通用するわけです。

永井荷風は抵抗して太宰治は屈服していたとは…

 昨日は、東京・早稲田大学で開催された第26回諜報研究会(NPO法人インテリジェンス研究所主催)に「学徒」として参加して来ました。非常に面白い、興味深い話がたくさんあり、充実した時間を過ごすことができました。

 改築された早稲田大学3号館(政経学部)は、室内もトイレも高級ホテルのような清潔感あふれた立派な会場です。「学問の自由」を掲げ、誰にでも門戸が開放され、私のような怪しい(?)人間でも自由に立ち入りできるわけですから、関係者の皆さんにはいつも感謝しています。

 さて、今回は2人が登壇されました。(話が長くなりますので、内容はかなりカットします)

 お一人は、インテリジェンス研究所特別研究員で毎日新聞オピニオングループ部長委員の岸俊光氏で、演題は「内閣調査室を巡る対日工作:序論」でした。岸氏は、現役の新聞記者ながら大学院に通って博士号まで取得されました。羨ましい限りです。

 内閣総理大臣官房調査室は1952年4月に新設されますが、その活動内容については秘密のヴェールに包まれ、「通史」はなく、現在でも情報公開法に則って、情報公開を請求しても、内閣府からは「不存在」といわれるようです。

 第2次大戦後、1945年9月2日から52年4月28日までの約7年間、日本はGHQによって占領下に置かれました。その間に、東西冷戦があり、中華人民共和国の成立(1949年)、朝鮮戦争(1950~53年)などがあり、そんな中に内調が新設されという時代背景があります。ということは、米軍による影響があったことが容易に推測できます。

 講演では、吉田茂から松本清張まで、色んな方の名前が出てきましたが、私は2人の方に注目しました。

 一人は志垣民郎という方で、内調新設の時のメンバーの一人で現在96歳。岸氏は彼にインタビューを重ね、今夏にも彼の回想録を出版するそうです。志垣氏は「告発する」というより、かなり信念を持った方で、中国の影響で日本を共産化してはいけないという反共思想の持ち主だったようです。

 もう一人は、吉原公一郎という人で、ジャーナリストで現在90歳ぐらい。「週刊スリラー」1960年5月13日号で、内調による中ソ戦略地図などを暴露し、飛鳥田一雄代議士の国会質問のネタを提供したりしたといわれます。内調関係者から極秘資料を入手し、「中央公論」1960年12月号に衝撃作「内閣調査室を調査する」という論文を発表します。岸氏はもちろん、吉原氏とも何回も面談を重ねております。

 私は、本筋よりもエピソードの方に興味を持つ人間でして(笑)、この中央公論には、あの深沢七郎の「風流夢譚」も掲載されていたといいますから、時代の空気が分かります。(「風流夢譚事件」については、こちらをクリックしてみてください)

 もう一つ、吉原氏が当時、編集記者・デスクを務めていた「週刊スリラー」は、森脇文庫から出版されていたもので、社主はあの森脇将光でした。金融業者で吹原産業事件などを起こし、石川達三の小説「金環蝕」のモデルになった人です。この小説は映画化され、モデルの森脇を宇野重吉が見事に演じてました。

 吉原氏が入手した極秘資料は段ボール箱3箱分ぐらいありますが、そのうちの1割しか活用されていないようです。今後の解明が期待されています。


次に登壇したのは、インテリジェンス研究所理事長の山本武利氏で、演題は「永井荷風のGHQへの妥協ー占領期検閲資料からの検証」でした。

 これが実に面白かったです。

 日本占領軍GHQは、1949年11月まで、新聞や出版物などに厳しい検閲をかけます。反米思想が高まり、占領に支障をきたすことを防ぐためです。ですから、堅い思想や哲学や軍国主義などを取り締まるのなら分かりますが、山本氏によると、GHQが特に神経を尖らせたのは、「フラタニゼーション(交歓)」描写だったというのです。例えば、米兵と日本人娼婦との交歓などを小説や随筆に書こうものなら、即座に「削除」「書き換え」です。(写真となると、真っ先にやられます)

 「濹東奇譚」などで知られる永井荷風は、風俗描写と権威や権力に対する批判精神こそが真骨頂で、多くの読者を獲得してきました。終戦時66歳の老作家は、当初、GHQに抵抗します。そのやり方は、「削除」された部分は、そのまま書き換えたり、加筆したりしないのです。削除された部分は、空白にするわけにはいきませんから、そのまま、文章を詰めます。そうなると、文章が飛び、繋がりがなくなり、文章にならなくなってしまいます。

 特に、荷風の決め手である最後のオチである「風刺」が削除されては、読む価値さえなくなります。そうなると、本が売れなくなります。戦後の強烈なインフレで資産価値が暴落し、次第に荷風も生活に困るようになり、妥協し、譲歩した文章を書かざるを得なくなります。が、同時に戦前のような名作は書けなくなるのです。

 これらは、山本武利氏が、「プランゲ文庫」のデータベースを事細かく渉猟して、「発見」したものでした。このほか、武者小路実篤や太宰治は逆に、検閲された箇所を丁寧に同じ行数で「書き換えて」いる箇所を見つけたそうです。

 ショックですね。特に、太宰治は、私が高校生時代に熱中して全集の作品と書簡を全て読破した作家でしたから、GHQに屈服していたなんて、知りませんでした。山本氏が発見したのは、プランゲ文庫所蔵の「薄明」(新紀元社、1946年、145ページ)でしたが、他に名作「トカトントン」なども書き直しを行っていたようです。

Alhambra, Espagne

 講演会が終わった後の、懇親会にも参加しました。

 諜報研究会に参加するような人は、大変失礼ながら得体の知れない変わった方が多い感じで、誰も名前も職業も明かしません(笑)。

 それでも、ある60歳前後と思しき男性が、コップ3杯のビールで開放的になったのか、色んな話をしてくれました。

 「米中貿易戦争なんて、茶番劇ですよ。戦争になるわけがありませんよ。第一、トランプ大統領のトランプ・タワーの1階に入居しているのが、中国最大の中国商工銀行のニューヨーク支店ですからね。入居したのは、リーマン・ショックの直後だったから、トランプは『有難う、中国、サンキュー・チャイナ』と何度も叫んだんですよ。そんな中国と貿易戦争するわけない。第一、今、中国人が投機で買ったカリフォルニア州やワシントン州の土地を売っているので、土地価格が下落している。ダウ株だって、中国人が買って支えていることは、ウォール街関係者なら皆知ってますよ」

 へー、なるほど。よくご存知ですね。

 「ファーウエイ事件だってねえ。創業者は人民解放軍出身だっていったって、3番目の妻の娘は21歳で、今、米ハーバード大学に留学しているんですよ。しかも、専攻はコンピューターサイエンス!(笑)。そして、超美人。自由気ままに世界中旅行もしています」

 へー、随分詳しいんですねえ。何でそこまでご存知なんですか?

 「彼女がインスタグラムに投稿しているからですよ。ホラ(とスマホを取り出して)、これは、どうも、プロのカメラマンが撮ったものばかりです。モデルさんか女優さんみたいでしょ?腹違いの姉(ファーウエイ副社長)が捕まったというのに、バンクーバーにも行ってるし、このパリのホテルは、エッフェル塔が見える〇〇ホテルのバルコニー付きだから、一泊30万円はくだらない。そして、これこれ、見てください。米マイクロソフトにまで行ってる写真がありますよ。本気で米中貿易戦争をするつもりなら、ファーウエイの娘をマイクロソフトなんかに招待しますかねえ。でも、何で、今の日本のメディアは上辺だけ報じて、本質を報道しないですかねえ?」

 あらまあ、私も得体の知れない変わった人間ですから、相手に名前も職業も明かしませんでしたが、そう言われてもねえ。。。今や、ネット時代では、普通の人でも、諜報に興味がある人なら、誰でも、マスコミ人以上に色んな情報に接することができる時代なんですね。

 何と言いますか、メディアにいる端くれとして、インスタグラムもやらず、不勉強でした。でも、もう「インスタ映え」するような歳じゃありませんからね(苦笑)。

「知ってはいけない」と言われても・・・

 またまた遅ればせながら、2017年8月20日に初版が出た矢部宏治著「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」(講談社現代新書)を読みましたが、内容に関しては嫌になってしまいましたね。勿論、著者を中傷しているわけではなく、よくぞここまで調べ上げたものだと感服しています。恐らく各方面からの抑圧や脅迫もあったでしょうから、彼の勇気には頭が下がります。

 「はじめに」に書いてありましたが、著者の矢部氏には「また陰謀論か」「妄想もいいかげんにしろ」「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」などと批判が寄せられるそうです。彼はあまりいい気持ちはしないとはいうものの、腹が立たないというのです。むしろ、「これが自分の妄想ならどんなに幸せだろう」といいます。

 確かに、この本にはどんな教科書にも参考書にも書かれていない戦後史の中の裏面史といいますか、日本人の誰も知らないような米軍との密約が懇切丁寧に描かれています。(多少、「言葉遣い」が扇情的ですが…)

Akihabara

 これでも私自身はゾルゲ事件などに関心があったため、ここ15年ぐらいは、戦後史に関する書物も色々と目を通してきましたから、ここに書かれた密約については、全く知らなかったわけではなく、椅子から転げ落ちるほど衝撃があったわけでもありませんが、どうしてそんな密約ができたのかといったその経緯や背景について細かく説明してくれるので、大いに勉強になりました。

 特記したいのは、沖縄だけでなく、首都東京も含めて、日本全土の制空権は米軍にあり、戦後70年以上経った21世紀になっても、今でも日本は「占領状態」が続いているという事実です。 東京のど真ん中である六本木と南麻布にも非常に重要な米軍基地があり、勿論、そこは治外法権で、日本の法律が及ばない警察捜査権も裁判権もありません。六本木の六本木ヘリポート (またの名を麻布米軍ヘリ基地、赤坂プレスセンターとも) は、一昨年、トランプ大統領が来日した際、安倍首相とゴルフをした埼玉県の霞ヶ関カンツリー倶楽部から専用ヘリでここまで降り立ったことから注目されましたね。

南麻布には、日本の将来が決定される憲法より上に存在する「日米合同委員会」が開催される ニューサンノー米軍センターがあります。

都内の米軍基地は、東京都の公式ホームページでも公開されておりました。

Akihabara

 「本当は憲法より大切な『日米地位協定入門』」「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか」などの著書もある矢部氏は、どうも「反米極左主義者」のレッテルを貼られているようですが、左翼の理論的主柱である丸山真男さえ批判しております。

 日本国憲法について矢部氏は、「その草案を書いたのは、百パーセント、占領軍(GHQ)であり、日本人の書いた条文はない」として上で、特に、憲法9条のルーツを辿ります。

それによると、まず、まだ太平洋戦争が始まっていない1941年8月14日の時点で、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相が会談して、まもなく米国が対日戦に参戦することを前提に二カ国協定を結びます。(これが(1)大西洋憲章です。)

 翌42年1月1日、米英はこの大西洋憲章に基づき、ソ連と中国を含めた26カ国の巨大軍事協定を成立させ、第2次大戦を戦う体制を整えます。その参加国が「連合国」(United Nation)と呼ばれ、その協定が(2)連合国共同宣言です。

連合国の勝利が確実となった44年10月、米、英、ソ、中の4カ国で、国連憲章の原案となる(3)ダンバートン・オークス提案をつくります。

 最後に、欧州戦線がほぼ終わりに近づいた45年4月から6月にかけて、(3)の条文をもとに、米サンフランシスコで50カ国で会議を開き、(4)国連憲章をつくります。これが戦後の国際連合(United Nations)になるわけですから、私はいつも思うのですが、国連というのは誤訳で、「連合国」、もしくは「第2次世界大戦勝者連合」が正しいですね。

Akihabara

 さて、憲法9条のルーツである大西洋憲章第8項には、「戦争放棄」と「武装解除」が書かれています。つまり、平和を希求する日本人が戦争放棄したわけでも、武装解除したわけでもなく、勝者の連合国軍が、二度と歯向かうことがないように敵の武装を解除して、戦争を放棄させたというのが事実なのです。そんな重要なルーツを丸山真男は分かっていない、と矢部氏は批判するわけです。

 ただし、この「戦争放棄」も「武装解除」も1950年に勃発した朝鮮戦争で方向転換されます。米軍は日本に自衛隊を創設させ、再軍備させます。しかも、今でも密約で取り決められているのですが、いざ、有事の際は、日本の自衛隊も米軍司令官の指揮下に入るというのです。私も知らなかったのですが、これが「指揮権密約」と呼ばれるもので、当時の吉田茂首相が1952年7月23日(クラーク大将)と54年2月8日(ハル大将)の2回、米軍司令官と会い、この密約を結んでいたというのです。

まあ、この本にはこのように、対米従属主義と治外法権と米国の植民地状態のことばかり書かれているわけですから、よほどのマゾヒストでない限り、日本人として面白いわけがないですね。右翼も左翼も関係がないのです。

 それにしても、世界史的に見ても、例を見ない奇妙な占領状態です。しかし、「日本は米軍の『核の傘』で守られているから、『思いやり予算』で米軍の駐留費用を負担するのは当然」だと思っている人も多いことでしょう。ということは、このような占領状態に甘んじているのも、そして、その状態を選んでいるのも、結局、日本国民ということになりますね。