バーソロミュー・ディアスが見つかった?


 今年はブラジル移民100周年だそうですね。百年前の日本は、日露戦争(1904-05年)後の長引く不況で失業者が街に溢れ、その一方で、ブラジルでは奴隷解放などで一気に市場が開かれ、労働力が不足したという背景があるようです。(石川達三は、ブラジルでの農場体験を小説にした「蒼氓」で第一回芥川賞を受賞しています。)


 


 ブラジルがポルトガルの植民地になったのは1500年4月のことです。ペドロ・アルバレス・カブラル(1460?-1526年)がリスボンからの航海成功によって成し遂げられました。


 


 


 面白い記事が載っていました。アフリカ南部のナミビア沖で、金貨数千枚や象牙50本以上、それに銅製の大砲6門などを積んだ沈没船が見つかったのですが、それは、バーソロミュー・ディアスの船の可能性が高いという記事です。


 


 バーソロミュー・ディアス(1450?-1500年)なんて、世界史を勉強した人にとっては懐かしい名前ですね。インド航海路を発見したバスコ・ダ・ガマ(1469?-1524年)の先輩格に当たるポルトガル人の探険家で、アフリカ南端の喜望峰を「発見」した人として歴史に名を残していますが、どうやら、このディアスは1500年、カブラルと一緒にブラジルを目指して航海に出たのですが、途中、この喜望峰あたりで遭難したというのです。


 


 ブラジルがポルトガル領になる8年前が、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」した年なので、時は大航海時代。日本は室町時代で、明とチマチマと朝貢貿易をしていた頃です。1500年は特筆すべき歴史的事件はありませんが、1497年に蓮如が石山本願寺を創建し、その2年後に亡くなっています。


 


 


 ポルトガル人は「南蛮人」として、1543年に日本にもやってきて種子島に鉄砲を伝えたりしますから、世界中でブイブイ言わせていた時期です。アメリカさんはまだ、生まれたばかりの赤ん坊どころか、まだ、影も形もない頃です。


 


 16世紀末にはオランダやイギリスなどの信教国が台頭しますから、ポルトガルの天下は、百年そこそこでした。ブラジルに移民した貧乏国日本も百年経って、逆転して、世界第二位の経済大国となり、今ではブラジル人が日本に出稼ぎに来る時代になりました。我々は、いつの時代でも、世界史の流れの中に生きていることを実感します。

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