常識

「やらなければならない」という義務感があると、どうもやる気が起きない。苦しい。

それなのに、自分から進んで「やりたい」と思ってやると楽しい。人も喜ぶ。だから人は、ボランティアに精を出す。

これはどうしたものなのでしょうか。

「真面目に生きなければならない」「仕事をしなければならない」ーこれも苦しい。

逆転の発想をしてみると、
「別に真面目に生きなくてもいい」「仕事をしなくてもいい。遊んでいい」

しかし、すかさず、内なる声が聞こえてきます。
「不真面目に生きていたら、親兄弟や子供に迷惑が掛かる。先生にも叱られる」
「遊んでばかりいては、食べてはいけない」
これは常識です。

だから、人間は悩むのです。

それなら、こうしたらどうでしょうか。
「やらなければならないという義務感を心の中から消し去る」
「やらなければならないこと、そのもの自体がないのだと自分を説得する」
「やらなければならないことは、そもそも、義務感という感情が錯覚させているだけで、その錯覚さえ、取り外せば、苦痛がなくなる」
「やりたいと思ったことだけやる。つまり、やりたいにしろ、やりたくないにしろ、何であれ、これこそが自分のやりたいことだと自ら言い聞かせ、たぶらかせる」

うーん。字余り…ではなくて、「言葉足らず」ですか?

反論をお待ちしております。

自信

自信とは、文字通り自分を信じること。傲慢であったり、過剰であったりしては周囲に迷惑を掛けるだけですが、日々生活する上でこれ程大切なものは他にないでしょう。

生きていく自信、仕事をやり遂げる自信、困難に立ち向かう自信…。こういう時は自分を信じることしか他に解決方法はありません。いや、実は別に解決することなど何もないのですが…。

自分を信じること。自分を信じて、信じ切ること。こうして初めて何かを見い出したり、何かを成し遂げたりすることがあるはずです。

自信がつけば、自分がやりたいことを実現させることができます。自分のなりたいものにもなれます。

魂の浄化

修行者:心配、不安、恐れといった感情をプラスのエネルギーに転化することはできるのでしょうか?

先師:心配、不安、恐れといった感情を感じ切ることです。とことん心配してこれ以上心配してもしょうがないというところまで心配するのです。とことん不安になって、これ以上、不安になることができないというぐらい不安になることです。とことん恐れ、これ以上、恐れることがないというぐらい恐れることです。大事なのは、そういったネガティブな感情を100%感じ切るということです。その時、初めてマイナスエネルギーは上昇してプラスに転じます。マイナスからゼロのレベルに達した時、人は初めて「心の平安」を取り戻すことができるのです。そのゼロの状態を「真我」とも言います。若い頃は、有頂天になる時と落ち込む時とで、プラスとマイナスの揺れ幅が大きいのですが、修行によって、その振幅差が小さくなり、ついに、「心の平安」の「真我」に到達します。修行とは、とことん味わい尽くすということです。どん底に突き落とされて、初めて人は光明を見出すものです。それは、「諦観」と呼ばれるか、「悟り」と呼ばれるか、人それぞれでしょう。いずれにせよ、我々はそれらの行為を「魂の浄化」と呼びます。

悲しみのどん底にいる人たちへ

「物事の成り行きに対して、汝の心を煩わせてはいけない。事の成り行きは、あなたが悩もうと何をしようと、関係なく進行するのだ。人生に起こる何事についてであれ、驚くということは何と滑稽でおかしなことであろう」

マルクス・アウレリウス(121-180)ローマ皇帝。五賢帝のうちの5代目(在位161-180)。ストア学派の哲学者でもあり、戦陣の中で「自省録」を執筆。ゲルマン諸国と戦い、ウイーンで病死。

【納得】この言葉を友人から教えられた時、まさに目から鱗が落ちるような感慨に襲われた。サラリーマン生活を経験した人なら誰でも一度は考えたことがあるだろう。「俺がいなければこの会社はもたない」「私がいなければ、仕事は進まない」と。しかし、何てことはない。代わりの人間などざらにいる。自分がいなくても会社はなくならないし、仕事だってテキパキと進む。別に、才能だけがすべての芸能、スポーツ界でもいい。いなくなれば、そのポジションを他の誰かが狙うまでだ。社長でも学会のボスでもヤクザの世界でも同じこと。
しかし、この箴言は「悩んでも仕方がない」と謂わんがための言葉では決してない。仏教的諦観でもないし、キリスト教的宿命論でもない。何と言っても、何不自由のない地上の最高権力者ともいえるローマ皇帝から発せられたという事実が興味深い。人生に対する思惟力と洞察力が生半可ではない。

この言葉を今、悲しみのどん底にいる人たちへ贈りたい。

煉獄

今日は、往復10時間掛けて、中部地方に住む友人のお見舞いに日帰りで行ってきました。途中、名古屋で「愛知万博」の看板が溢れており、時間的余裕があればちょっと立ち寄ることができたのでしたが、まさしく、トンボ帰りでした。

友人とは30年来の付き合いですが、去る2月末に、あの長嶋さんと同じような病魔に襲われ、本人曰く、10日間も意識不明の昏睡状態が続いたそうです。まさに九死に一生を得た感じですから、その間、幻覚症状というか、いわゆる臨死体験をしたようです。

彼によると、それは煉獄の苦しみだったそうです。煉獄とはダンテの「神曲」に出てくる、あの煉獄です。地獄ですね。まるで、芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」のような世界だったそうです。若い頃から現在までの自分が走馬灯のように現れ、良心の呵責というか、「自分は一体これまで何をやってきたのか」「人に役立つことをしてきたのか」「傲慢に自分の独りよがりで生きてきただけではないか」…といった様々な呵責に苛まれたそうです。

それでも、「意識不明」の間、家族や医者、看護婦の会話が聞こえてきたそうです。「今日はもう山場だな」とか「危ない状態だ」といった声が聞こえ、自分の体が焼かれそうになるのを必死で抵抗して逃げまくったそうです。そのおかげで、この世に戻ってきたわけです。

それはそれは「死ぬほど怖かった」そうです。「もう2度と経験したくない」と、彼はそれ以上語ることを止めてしまいました。
この話を聞いて、先日見たキアヌ・リーブス主演の映画「コンスタンティン」を思い出してしまいました。見た方はもうお分かりですね。煉獄がリアルに描かれていましたね。

幻覚症状は、ネガティブなものばかりだったので、彼は「これから、明るく前向きに生きるよ」と自分に誓っていました。
彼は今、普通の人以上の努力でリハビリに励んだおかげで、驚異的な、いや奇跡的な回復力を見せています。それが本当に嬉しかった。「往復10時間かけた甲斐があった」と、今日は本当に充実した1日を過ごすことが出来ました。

リアルな生活とは

北海道から久しぶりに関東地方に里帰りしています。「保護観察」の身ではないのですが、個人情報保護法の関係で、お伝えできるのはここまでです。

帰ってみて驚くのはまず情報量の多さですね。電車や駅、その周辺は広告で溢れています。でも北海道の自然に囲まれて暮らしていると、どれも何かそらぞらしいですね。例えば、かわいくて、美しい若い女性モデルかタレントが、南国の海岸や、スキー場やリゾート地をバックに、ニッコリ微笑んで商品を持っているポスターがあったとしても、昔は「おー」と、少しはそそられたでしょうが、今は、何か、生活感がない、というか、リアルじゃない、というか、うそ臭いというか、何か空々しく感じてしまうのです。

何かうまい表現はできないのですが、都会の生活だけしか知らず、優越感を感じていた人間の自信が根底から覆された感じなのです。なくてはならないと感じていた情報のほとんどが必要のないものだったと納得させられた、というべきかもしれません。

満天の星の驚くのほどの数の多さとその輝き。天使が現れるのではないかと思われるほどの雲間から漏れる太陽の縞光。眼前に広がる壮大な牧場と穀倉地帯…。どれも、都会では絶対に味わえません。

もともと性格が天邪鬼なので、早く北海道に戻りたいと思ってしまいました。

オンネトー

全くの我流で、ブログに「画像」添付という無謀な冒険をしています。多分やり方は間違っているでしょう。写真の大きさをもっと大きくしたいのですが、どうしたらいいのか、よくわかりません。

どなたか、ブログに詳しい方、画像の挿入の仕方を教えてください。また序でに、写真の大きさの変え方も。

この写真は、昨秋、阿寒湖近くのオンネトーに一人寂しく紅葉を見に行った時の1枚です。私が写したので、著作権は私にあります。
「そこんとこ、よろしく」ー。永ちゃんでした。

でも、「そこんとこ」って、一体どこなんでしょうね?

昨日の「T牧場」について殆ど問い合わせがなかったので、正体をばらしてしまいます。「剣山(つるぎさん)どさんこ牧場」と言います。経営者は川原弘之さん。敷地は100haではなくて、120haでした。この広さがどれくらいか。分からない人にご説明すると、山あり谷あり小川ありの難所を馬でゆっくりトレッキングすれば、4~5時間は掛かる広さです。

ここでは、宿泊もできるようです。部屋数4、1泊2食で4000円。5月22日には流鏑馬大会もあります。帯広空港から送迎で片道40分で、2000円です。タクシーを使えば、6500円くらいかかるので金額は良心的だと思います。あ、ここの宣伝になってしまいましたね。

昨日、この牧場には、2人の若い人がいました。宿泊者なのか会員さんなのかお手伝いさんなのか、よくわかりませんでしたが、川原さんが、この二人に噛んで含んで話した「人生訓」が忘れませんでした。2人の若い人は、小野寺君という、将来牧場経営を夢見ている30歳の青年。もう一人は斎藤さんという、馬が好きで好きで堪らないといった感じの20歳代の女性。

御主人の川原さんは、牧場主になりたいという小野寺君に言いました。
「私は来年で70歳になるが、若い時は、牧場主になりたかったがお金がなかった。そんなこと当たり前なんです。道の職員をしていたけど、55歳で早期退職してやっと100万円で土地を買って、夢をかなえた。この辺りは、気候条件が過酷で離農する農家が多く、私が言い値で土地を買うと、『私の土地を買ってくれ』という農家が相次いで訪れてきた。生憎、その時、お金がなかったが、『お金は後でいい。借用書さえ書いてくれれば…』。ということで、次々と土地が増えていった。志があれば、必ず何とかなるものなんです。まずは志を持つことです。私の場合は、25歳で牧場主になる志を立てた。例えば、小野寺君、牧場主になりたかったら、まず、この人という牧場主に弟子入りして、その人の右腕になることです。牧場主から『こいつなら任せて大丈夫だ』という信頼を獲得すれば、後は独立できます。社長になる人は志が違います。私は若い人によく言うのです。『もし社長になりたかったら、毎日、3人の人に葉書を出しなさい』と。社長は一人で仕事はできません。周りの社員に仕事をしてもらって、自分は神輿の上にのっているようなものです。そのためには、一人でも多くの応援団を増やすことです」

トレッキングに初挑戦

北海道芽室町にある「T牧場」は、知る人ぞ知る国内有数の牧場で、敷地100ha、馬の数100頭。雄大な自然環境に恵まれて、馬たちはほぼ放し飼いの状態でした。

そこで、私は無謀にも生まれて初めてトレッキングに挑戦しました。値段は2時間以上6000円という安さ。ほかの牧場なら、人間の手で曳かれた平地の牧場の中、1周400mくらい、わずか5分程度で2000円も3000円も取る。東京近郊なら1時間で数万円取られるから、相場と比べてあまりにも安さにその道に詳しい人は驚くことでしょう。

しかし、残念ながら、ほとんど御主人のK氏の趣味みたいなものなので、トレッキングのできる人は1ヶ月に数人しかいない。つまり、よほどコネがあるか、よほどご主人がご機嫌がいい時に限るのです。

私の場合は、Hさんの紹介でその幸運に浴することができました。
長くなりそうなので、途中をカットすると、御主人のKさんは焦げ茶色の「バーディー」、Hさんは、どさんこの「テンリュウ」、私はアラブの「コータロー」でした。「コータロー」と「バーディー」は同じ群れ仲間なので仲がよかったのですが、「テンリュウ」は違う群れ出身なので、最初は蹴りあいの喧嘩をして大変でした。しかも、25歳になる「バーディー」は初めてのトレッキング。私も初めてのトレッキングなのに、Kさんはお構いなしに山超え、谷超えの連続です。バーディーは、川を渡ったことがないらしく、途中で1歩も進もうとしません。そりゃあ無理な話ですよね。途中、放し飼いの馬が逃げないように、電圧線が張っている狭い小道がありました。電圧線に少しでも触れると、馬は驚いて飛び上がります。クリストファー・リーブの事件もありますし、私も、馬に振り落とされないように必死でした。

結局、3時間半のトレッキングが終わった頃は、奥歯ガタガタ、膝頭は笑っていました。それでも、その爽快感ったらありませんでした。私の乗ったコータローは、本当に従順でした。途中で大好物の熊笹の小道を通った時、まさしく道草を食って気分転換をしていましたが、重かったでしょう。ご苦労様。下の写真はコータロー号です。

八卦

時事通信社が発行する「世界週報」という雑誌は、国際情報誌ですが、ここにユニークなコラムが昨秋から毎週掲載されています。「ドクター観幾の占い学入門」というコーナーです。

占い?と馬鹿にするなかれ。これが実に奥が深く、示唆に富み、日本人の文化、慣習、言語、風習に溶け込んでいるか、唖然としてしまうほど詳述されているのです。いずれ、単行本化されると思うのですが、毎週、色んな話題を取り上げているので、お暇な方は立ち読みでもしてください。

膨大なことが書かれているので、一つだけ取り上げると、相撲で行司が「ハッケヨイ、残った、残った」と言いますが、この「ハッケヨイ」って何だと思いますか?これが、「八卦良い」ということだったのです。行司さんが、勝負の行方を占っていたんですね。

八卦というのは、「太極」という宇宙が「ビッグバン」で「陰」と「陽」の「両義」に分裂し、この両義が「陽陽」「陽陰」「陰陽」「陰陰」の4つに分裂し、さらにこの「四象」が「陽陽陽」「陽陽陰」…の順列組み合わせで8つの「卦」に分裂します。これを「八卦」(はっけ、もしくは、はっか)と呼びます。

この八卦を組み合わせて、64通りにそれぞれ意味を持たせて易を占います。これが「易経」です。易経は、古代中国の周の時代に考案されたもので、またの名を周易とも呼ばれます。中国の有名な高位高官の超難関任官試験「科挙」では「四書五経」が必須科目でしたが、『四書』は「論語」「孟子」「大学」「中庸」、『五経』は「易」「書」「詩」「礼」の5種の経典のことです。そう、五経の中の第一の科目として「易経」を学んでいたわけですね。

「易経」で古代の中国皇帝は、自然現象、人間関係、方位、徳目などを占っていたのですが、むしろ政治学、宇宙哲学・倫理として学んでいたのです。皇帝を補佐する高位高官の必須科目になるわけです。

今日はこの辺で止めておきます。