確かな情報を見極める感性を多くの人と協調していきたい=新型コロナ禍で

 緊急事態宣言が25日にも全国で解除されようとしているのに、私の自宅には、いまだに一律給付金10万円もアベノマスクも届きません。安倍内閣の支持率が急降下するはずです。23日の毎日新聞の世論調査では、安倍内閣の支持率が27%と「危険水域」の30%を切りました。末期的です。

 今回の新型コロナウイルス禍は、全世界で、大量の失業者を生み、貧富の格差拡大にさらに拍車をかけることになりました。

 私は現在、かろうじて会社使用人という給与生活者を選択したお蔭で、今回ギリギリ路頭を彷徨うことなく生きていけています。会社を辞めたいと思ったことは100回ぐらいありますが(笑)、もしあの時、フリーランスの道を選んでいたら今ごろ大変だったろうなあ、と実感しています。例えば、15年ぐらい昔に通訳案内士の試験に合格し、フリーでやって行こうかと思ったら、幸か不幸か、はとバスなど既成の職場は既に古株様に独占され、潜り込む隙間もなく、15年前はそれほど外国人観光客も押し寄せることがなく需要も少なかったので、アルバイトならともかく、「職業」にできなかったので諦めたのでした。

 今でも、ある通訳団体に会費だけ払って参加していますが、会員メールでは、「持続化給付金」の話ばかりです。来日外国人が4月は昨年同月比99%以上減少したぐらいですから、通訳ガイドの仕事なんかあるわけありません。はっきり言って失業です。そこで、ある会員さんが、個人事業主として、持続化給付金を申請したら、給付まで最低2週間は覚悟していたのに、わずか10日で100万円振り込まれていた、というのです。大喜びです。

 一般市民への給付金10万円はまだなのに、へーと思いましたけんどね。

  今回のコロナ禍について、世界の識者の所見を知りたいと思い、色々と当たっています。3月末に日経に掲載された「サピエンス全史」で知られる歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏の「コロナ後の世界に警告 全体主義的監視か 市民の権利か」や4月に読売新聞に掲載された人類生態学者のジャレド・ダイアモンド氏の「危機を認める誠実さ必要」などもよかったですが、23日付朝日新聞に出ていた歴史家・人口学者のエマニュエル・トッド氏のインタビュー「『戦争』でなく『失敗』」もかなり含蓄があるものでした。

 トッド氏は「ソ連邦崩壊」を予言した学者として一躍有名になりましたが、哲学者サルトルの大親友ポール・ニザンの孫ですから、哲学的知性を受け継いでいます。(私も好きなニザンの「アデン アラビア」の冒頭「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」=師・篠田浩一郎先生訳=を学生時代に読んだ時、かなりショックを受けたことを今でも鮮明に覚えています)

 トッド氏のインタビューのお応えは、哲学者のようなかなり抽象的な言辞も出てくるので、私自身の誤読か、勝手な思い込みの解釈に過ぎないかもしれませんが、トッド氏は、過去に起きたペストやスペイン風邪などの疫病の流行と今回のコロナと比較するのはナンセンスだとまで言ってます。

 14世紀のペストの大流行では農奴が急減し、教会の権威が失墜し、中世から近代国家の礎ができるきっかけになりました。あのルネサンスも「ペスト後」の時代です。ペストは、歴史的大変革をもたらしたわけです。

 しかし、今回の新型コロナでは、新自由主義経済や金融グローバリズムでは人間の生命を守らないことを改めて認識できただけで、それは既に新型コロナが蔓延する前から分かったことで、大変革がもたらされたわけではない。しかも、コロナによる死者は高齢者に集中し、若者は比較的軽症だったため、社会構造を決定付ける人口動態に新しい変化をもたらすことはない(つまり、若者が大量に戦死する戦争とは比較にならない。だから第1次世界大戦は今でも語られるが、同時期のスペイン風邪は忘れ去られてしまった。スペイン風邪では全世界で数千万~1億人が亡くなり、戦死者より遥かに多かったにも関わらず…)。

 そして、犠牲者は医療に恵まれない貧困層が多く、富裕層は人口の少ない田舎の別荘に避難して感染から免れることができる(トッド氏もベストセラー作家ですから、パリを離れ、ブルターニュの別宅に避難しているとか)。医療システムをはじめ、社会保障や公衆衛生を脆弱にする政府の横暴を市民らが見て見ぬふりをしてきたツケが回ってきた。だから、新型コロナは、マクロン仏大統領が言うような「戦争」ではなく、「失敗」だ。それに、コロナ対策ではEUの存在感はなく、国ごとに事情が違うわけだから、ドイツ・メルケル首相が強烈なリーダーシップを執ったように国家単位で、国際協調をすれば良いだけだ。

 まあ、以上は私自身がトッド氏の話から了解したか、誤読したかの事項ですが、トッド氏が、今回の新型コロナと過去のペストやスペイン風邪と比較するのはナンセンスで、人口動態的にも一種の自然淘汰が激化されただけだという捉え方には新鮮な驚きがありました。私なんか、特に100年前のスペイン風邪の教訓から学ばなければならないと思っていましたからね。

 それでは、これから我々はどうしたらいいのか?

 まあ、私のような貧者は感染したら一発で終わりですから、罹らないように細心の注意を払うしかありませんね。お上に「気を緩めるな」と言われる前に、自分の身は自分で守るしかありません。マスク、うがい、手洗い、三密忌避しか、方法はありませんけど。

 緊急事態宣言が解除されても、恐らく、「第2波」「第3波」はやってくるでしょうから、覚悟しなければなりません。

 情報収集のアンテナは伸ばしますが、デマやガセネタや詐欺情報だけには気を付けたいと思っています。渓流斎ブログも、皆さまに何らかのお役に立てればと思っています。コメント大歓迎です。大いに間違いを指摘してもらい、多くの人と協調していきたいと思っています。(古い記事に関しては、その当時の時点の情報に基づいて書いただけで、後世から最新情報による御指摘は、心もとないですが…)

国家間の協調とは、個人のレベルで言えば、自律した人と人同士が助け合う、ということだと思います。

青年よ、検察庁を目指せ!

 青雲の志を抱く若者よ、検察庁を目指さないか?

 何しろ、賭博罪に当たる賭けマージャンをやっても、違法駐輪をやっても、高等検察庁の検事長になれば、逮捕されることなく、懲戒免職されることなく退職金も満額の7000万円、ばっちり貰えますからね。口入(くにゅう)と言っても分からないか、差配師、手配師、これも駄目?では、人材派遣会社なら分かる?まあ、要するに人買い人足回しあがりの政治屋と昵懇になって政界に顔を利かせれば、政府が保障してくれます。

 そりゃあ、検察庁に入るのは少し大変かもしれない。でも、東大法学部に入って、国家公務員総合職の試験に合格さえすれば何とかなります。1日16時間、いや、君だったら8時間も勉強すれば必ず合格できますよ。

 実は、勉強って、とっても楽しいものなんだよ。「実録 日本汚職史」(ちくま文庫)を書いた室伏哲郎先生もこう教えてくれます。

 三面記事を派手に賑わせる強盗、殺人、かっぱらい、あるいはつまみ食いなどという下層階級の犯罪は厳しく取り締まりを受けるが、中高所得層のホワイトカラー犯罪は厳格な摘発訴追を免れている ーいわゆる資本主義社会における階級司法の弊害である。

 でしょ?弊害じゃないんです。検察官になれば、やりたい放題なんです。賭けマージャンをしようが、違法駐輪しようが、起訴するのは貴方ですからね。どんどん、下層階級のチンピラやコソ泥は捕まえて点数を稼ぎましょう。勿論、エスタブリッシュメントの貴方は、貴方自身で不起訴にできます。

 もう一つ、楽しいお勉強。「東京地検特捜部」(角川文庫)を書いた山本祐司先生も、検察と政界の癒着を見事に暴いてくれてるではありませんか。君たちの曾祖父の世代かもしれませんが、1968年に発覚した汚職の「日通事件」のことです。

新橋の高級料亭「花蝶」

 この一連の事件の中で、「花蝶事件」というのがありました。これは、日通事件の渦中の1968年4月19日に、新橋の高級料亭「花蝶」で井本台吉・最高検検事総長と自民党の福田赳夫幹事長(後の首相)と、300万円の収賄容疑の自民党・池田正之輔衆院議員の3人が会食していた事件です。同年9月になって「赤旗」と「財界展望」が、料亭「花蝶」の領収書のコピーを添えてスクープしました。井本台吉検事総長は、池田代議士の逮捕には強硬に反対した人物でした。何か裏がありそうですが、後に「この会食は日通事件とは関係がない。検事総長に就任したときに池田氏が祝いの宴を開いてくれたので、そのお返しとして一席設けただけだ」と弁明しています。 「思想検事」だった井本検事総長と大蔵省出身の福田幹事長は、ともに群馬県出身で第一高等学校~東京帝国大学法学部の同級生という間柄でした。

 ね?こういう繋がりを歴史的事実として知ると、勉強ほど楽しいものはないでしょ?

 黒川検事長の賭けマージャンが発覚しなければ、黒川氏は7月にもトップの検事総長に上り詰め、そのお祝いに公職選挙法違反の疑いで今にも起訴されそうな自民党の河井克行・案里夫妻議員が、料亭「花蝶」で検事総長就任の祝宴を開いたら、さぞかし面白いことでしょうね。「桜」前夜祭での公職選挙法違反の疑いがある安倍晋三首相も参加するかもしれません。検事総長になった黒川氏は、もちろん、井本検事総長の顰みに倣って政治家の逮捕は強硬に反対していたことでしょう(接続法過去未来推量形)。

 あ、そうそう、退職金7000万円の話ですが、君たちが、高検検事長や検事総長になっているであろう40年後、50年後は3億円ぐらいになっているはずです。どうせ、庶民どもが汗水たらして働いて貢いだ税金ですからね。それに、退職しても、その後、天下りで引く手あまたです。ヤメ検弁護士になれば厖大なコンサルタント料金で、まだまだ荒稼ぎできます。ね?楽しく勉強しさえすればいいだけなんだもん。賭博をしたり、宝くじを当てようとしたりするより手堅いじゃない?

 青年よ、検察庁を目指せ!

【追記】

 過去に書いた記事と一部重複しています。それだけ、世の中は変わっていないし、頑なに変わらないということです。

コロナ禍でも繁盛している店があるとは驚き

 緊急事態宣言下の東京・銀座のアップルショップ

 今月、後期高齢者となった京都方面にお住まいの仙人先生から昨晩、電話がありました。

 「『週刊文春』買われたようですね。巻末のグラビアにラーメン店が載っていたでしょう。銀座のHという店も載ってます。貴方の会社からも近いので、覗いてみたら如何ですか。いつも本ばかり読んでいては身体に毒ですよ。世間の人はそんなに勉強していません。ブログを読んでる人もつまらないでしょう。たまには、グルメの話題をお書きになってはどうですか」と仰るのです。

 確かに、その週刊誌には、黒川・高検検事長の賭け麻雀のスクープ記事が載っていたので、昨日買いました。巻末のグラビアを見てみたら、「味玉中華そば」なるものが950円と載っていました。ラ、ラーメンで950円もするんですか?…。まあ、出版不況にも強い天下の文芸春秋(社は付かないんですよ)といえば、結構グルメ情報誌や単行本を出していて、重宝していました。今でも忘れられないのは、北千住の立ち呑み居酒屋「X」。立ち呑みながら、安価な値段で「料亭の懐石料理並みの味が楽しめる」というので、仙人先生と一緒に行ってみたら、結構並んでいて、やっとありつけたら、本当に旨かった。コスパもバッチリでした。

この写真を撮った30分後、整理券を求めて(?)結構人が並んでいました

 ラーメン950円は、正直、あんまし、気乗りしなかったのですが、今日の昼休み、早速行ってみましたよ。

 その前に、ネットで場所を確かめたら、「超人気店」とかで、いつもは長蛇の列でかなりの時間待たされる。でも、新型コロナの影響で、今は、整理券を配っている、とか何とかコメントが載っていました。

 嫌な予感がしました。昼の12時半過ぎに店先に到着したのですが、上の写真の通り、「お昼のスープが終了致しました」とかで、売り切れでした。実は、こういう並ぶような人気店は好きじゃないんですよね(笑)。しかも、この店の若い衆が、時折、外に出てきて、周囲を睥睨して、変なおじさんが写真を撮っていないかどうか監視していました。感じ悪い。仙人先生には申し訳ないんですが、多分、もう行かないと思います。

 でも、新型コロナ禍で、99%と言っていいくらいの飲食店が、閉店したり、自粛したり、中には倒産したりしているのに、この店に限って、そんな災禍は、ものかは!すぐ売り切れてしまうほど満員御礼です。恐らく、休業手当なんぞ必要ないことでしょう。

 こんな店もあるもんなんですね。私はアンチ人間なので、客が来なくて困っている馴染みのイタリア料理店に行きましたよ。

日本の右翼思想は左翼的ではないか?=立花隆著「天皇と東大」第2巻「激突する右翼と左翼」

長い連休の自宅自粛の中、相変わらず立花隆著「天皇と東大」(文春文庫)を読んでいます。著者が「文庫版のためのはしがき」にも書いていますが、著者が考える昭和初期の最大の問題点として、どのようにして右翼超国家主義者たちが、日本全体を乗っ取ってしまようようなところまで一挙に行けたか、ということでした。それなのに、これまで日本の多くの左翼歴史家たちは、右翼をただの悪者として描き、その心情まで描かなかったので、あの時代になぜあそこまで天皇中心主義に支配されることになったかよく分からなかったといいます。

 それなら、ということで、著者が7年間かけて調べ上げて書いたのがこの本で、確かに、歴史に埋もれていた右翼の系譜が事細かく描かれ、私も初めて知ることが多かったです。

 私が今読んでいるのは、第2巻の「激突する右翼と左翼」ですが、語弊を怖れず簡単な図式にすれば、「左翼」大正デモクラシーの旗手、吉野作造教授(東大新人会)対「右翼」天皇中心の国家主義者上杉慎吉教授(東大・興国同志会)との激突です。

 吉野作造の有名な民本主義は、天皇制に手を付けず、できる限り議会中心の政治制度に近づけていこうというもので、憲政護憲運動や普選獲得運動に結び付きます。吉野の指導の下で生まれた東京帝大の「新人会」は、過激な社会主義や武闘派田中清玄のような暴力的な共産主義のイメージが強かったのですが、実は、設立当初は、何ら激烈ではない穏健な運動だったことがこの本で知りました。

 新人会が生まれた社会的背景には、労働争議や小作争議が激化し、クロポトキン(無政府共産主義)を紹介した森戸事件があり、米騒動があり、その全国規模の騒動に関連して寺内内閣の責任を追及した関西記者大会での朝日新聞による「白虹事件」があり、それに怒った右翼団体浪人会による村山龍平・朝日新聞社長への暴行襲撃事件があり、そして、この襲撃した浪人会と吉野作造との公開対決討論会があり…と全部つながっていたことには驚かされました。民本主義も米騒動も白虹事件も個別にはそれぞれ熟知しているつもりでしたが、こんな繋がりがあったことまでは知りませんでしたね。

 一方の興国同志会(1919年)は、この新人会に対抗する形で、危機意識を持った国家主義者上杉慎吉によって結成されたものでした。(その前に「木曜会」=1916年があり、同志会解体分裂後は、七生会などに発展)。この上杉慎吉は伝説的な大秀才で、福井県生まれで、金沢の四高を経て、東京帝大法科大学では成績抜群で首席特待生。明治36年に卒業するとすぐ助教授任命という前代未聞の大抜擢で、独ハイデルベルク大学に3年間留学帰国後は、憲法講座の担当教授を昭和4年に52歳で死去するまで20年間務めた人でした。(上杉教授は、象牙の塔にとじ込まらない「行動する学者」で、明治天皇崩御後、日本最大の天下無敵の最高権力者となった山縣有朋に接近し、森戸事件の処分を進言した可能性が高いことが、「原敬日記」などを通して明らかになります)

 上杉博士の指導を受けた興国同志会の主要メンバーには、後に神兵隊事件(昭和8年のクーデタ未遂事件)の総帥・天野辰夫や滝川事件や天皇機関説問題の火付け役の急先鋒となった蓑田胸喜がいたことは有名ですが、私も知りませんでしたが、安倍首相の祖父に当たる岸信介元首相(学生時代は成績優秀で、後の民法学者我妻栄といつもトップを争い、上杉教授から後継者として大学に残るよう言われたが、政官界に出るつもりだったので断った。岸は上杉を離れて北一輝に接近)もメンバーだったことがあり、陽明学者で年号「平成」の名付け親として知られる安岡正篤も上杉の教え子だったといいます。

緊急事態宣言下の有楽町駅近

 私は、左翼とか右翼とかいう、フランス革命後の議会で占めた席に過ぎないイデオロギー区別は適切ではない、と常々思っていたのですが、この本を読むとその思いを強くしました。

 例えば、日本で初めてマルクスの「資本論」を完訳(1924年)した高畠素之は、もともと堺利彦の売文社によっていた「左翼」の社会主義者でしたが、堺と袂を分かち、「右翼」の上杉慎吉と手を組み、国家社会主義の指導者になるのです。

 立花氏はこう書きます。

 天皇中心の国粋的国家主義者である上杉慎吉と高畠素之が組んだことによって、日本の国家社会主義は天皇中心主義になり、日本の国家主義は社会主義の色彩を帯びたものが主流になっていくのである。…北一輝の「日本改造法案大綱」も、改造内容は独特の社会主義なのである。つまり、日本の国家革新運動は「二つの源流」ともども天皇中心主義で、しかも同時に社会主義的内容を持っているという世界でも独特な右翼思想だったのである。それは、当時の国民的欲求不満の対象であった特権階級的権力者全体(元老、顕官、政党政治家、財閥、華族)を打倒して、万民平等の公平公正な社会を実現したいという革命思想だった。天皇中心主義者のいう「一視同仁」とは、天皇の目からすれば全ての国民(華族も軍人も含めて)がひとしなみに見えるということで、究極の平等思想(天皇以外は全て平等。天皇は神だから別格)なのである。(120ページ)

 これでは、フランス人から見れば、日本の右翼は、左翼思想になってしまいますね。

 「右翼」の興国同志会の分裂後の流れに「国本社」があります。これは、森戸事件で森戸を激しく非難した弁護士の竹内賀久治(後に法政大学学長)と興国同志会の太田耕造(後に弁護士、平沼内閣書記官長などを歴任し、戦後は亜細亜大学初代学長)が1921年1月に発行した機関誌「国本」が発展し、1924年に平沼騏一郎(検事総長、司法大臣などを歴任。その後首相も)を会長として設立した財団法人です。最盛期は全国に数十カ所の支部と11万人の会員を擁し、「日本のファッショの総本山」とも言われました。

 国本社の副会長は、日清・日露戦争の英雄・東郷平八郎と元東京帝大総長の山川健次郎、理事には、宇垣一成、荒木貞夫、小磯国昭といった軍人から、「思想検察のドン」として恐れられた塩野季彦や当時の日本の検察界を代表する小原直(後に内務相や法相など歴任)、三井の「総帥」で、後に日銀総裁、大蔵相なども歴任した池田成彬まで名前を連ねていたということですから、政財官界から支持され、かなりの影響力を持っていたことが分かります。

 まだ、書きたいことがあるのですが、今日は茲まで。

 ただ、一つ、我ながら「嫌な性格」ですが、133ページで間違いを発見してしまいました。上の写真の左下の和服の男性が「上杉慎吉」となっていますが、明らかに、血盟団事件を起こした東京帝大生だった「四元義隆」です。この本は、2012年12月10日の初版ですから、その後の増刷で、恐らく、差し替え訂正されていることでしょうが、あの偉大な立花隆先生でもこんな間違いをされるとは驚きです。この本は、鋳造に失敗した貨幣や印刷ミスした紙幣のように高価で売買されるかもしれません。(四元義隆氏は戦後、中曽根首相、細川首相らのブレーンとなり、政界のフィクサーとしても知られます)

 いや、自分のブログの古い記事のミスを指摘されれば、色をなすというのに、この違いは何なんでしょうかねえ。我ながら…。

「老活の愉しみ」で健康寿命を伸ばしましょう

  読んでいた本(「天皇と東大」)を後回しにして、帚木蓬生著「老活の愉しみ」(朝日新書)を一気に読んでしまいました。奥付の初版発行日が、2020年4月30日です。今日は、母親の誕生日でもある4月28日なので、書店に並んでいたものを素早く見つけて「事前に」に読んでしまったわけです(笑)。

 何で、そんなに急いでいたのかは理由があります。このブログにも書いてしまいましたが、忘れもしません。今月7日に、「ギッキリ脚」をやってしまい、歩行困難になってしまったからです。3週間経った今は、何とか歩けますが、「走るのが怖い」状態です。

 もう一つ。この渓流斎ブログは、「ほぼ毎日」書くことを勝手に自己に課していますが、体調不調のため、そうは言ってられなくなったからです。特に酷いのは眼精疲労で、目も開けていられないぐらいです。原因はスマホとパソコンのやり過ぎなのでしょうが、普通の人より、若い時から「液晶画面」は苦手で、すぐ眼痛が起きやすい体質でした。この眼痛が首痛に来て、それが腕が上がらないほどの肩凝りとなって、頭痛も激しくなり、ブログを書く気が起きなくなります。(そのお蔭で、筆が滑って、大切な友人をなくしてしまう機会も減って助かってますが=苦笑)

 そういう状況ですから、新聞広告でこの本を見つけて、幸いなことに、緊急事態宣言下でも会社の近くの築地の書店が開いていたので、買い求めることができたわけです。

 いやあ、素晴らしい本でした。著者の帚木氏は、御存知のように、東大文学部と九州大学医学部を卒業された方で、作家と医者(精神科医)の二足の草鞋を履いて、貫いている方です。しかも、両方とも超一流で、山本周五郎賞など文学賞の受賞は数多。私も30年ぐらい昔、出版社の記念パーティーでお会いして、名刺交換した程度ですが、「凄い人だなあ」と陰ながら尊敬していた人でした。

 ですから、「精神的不調は身を忙しくして治す」「脳が鍛えないと退化する」「食が全ての土台」「酒は百薬の長にあらず」といったこの本に書かれていることは、ほとんど納得しました。自分はかろうじて、まだ、政府国家が主張する高齢者ではありませんが、老人予備軍として実践していこうと思いました。

 例えば、「靴は健康の必需品」という章の中で、帚木氏は「靴こそは毎日世話になる必需品で、健康が大いに左右されます」として、「スポーツシューズは、何と言ってもフィンランドのカルフが気に入っています。軽くて、どれだけ長く歩いても疲れません。旅行のときはこのカルフに限ります」とまで書いていました。私も一瞬、資本主義の原理で、宣伝臭ささを感じましたが、著者を信頼しているので、早速、ネットで、このカルフとかいうスポーツシューズを注文してしまいました(笑)。足腰が弱ってきましたし、これからも趣味の「お城歩き」を続けたいですからね。

 このほか、人間、年を取ると誰でもサルコペニアと呼ばれる筋肉量が減少する傾向となりますが、同書では、これを予防するための運動(スクワットや下肢挙上運動など)も伝授してくれるので大変参考になります。

 精神科医としての帚木氏は、「森田療法」の権威で、その関連書籍も出版されていますが、森田療法では「症状は人に言わない。見せない。悟られない」というのが鉄則なんだそうです。というのに、渓流斎ブロブの主宰者は、浅はかにも、「あっちが痛い」「こっちが痛い」なぞと散々書きまくっていますね。

 駄目じゃん!

英語は普遍的、中国語は宇宙的、日本語は言霊的

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 昨晩は、中部北陸地方にお住まいのT氏と久しぶりに長電話しました。T氏は、学生時代の畏友ですが、十数年か、数十年か、音信不通になった時期があり、小生があらゆる手段を講じて捜索して数年前にやっとメールでの交際が再開した人です。

 彼は、突然、一方的に電話番号もアドレスも変えてしまったので、連絡の取りようがありませんでした。そのような仕打ちに対しての失望感と、自分が悪事を働いたのではないかという加害妄想と自己嫌悪と人間不信などについて、今日は書くつもりはありません。今日は、「空白期間」に彼がどんな生活を送って何を考えていたのか、長電話でほんの少し垣間見ることができたことを綴ってみたいと思います。

 T氏は、数年前まで、何年間か、恐らく10年近く、中国大陸に渡って、大学の日本語講師(教授待遇)をやっていたようです。日本で知り合った中国人の教授からスカウトされたといいます。彼は、私と同じ大学でフランス語を勉強していて、中国語はズブの素人でしたが、私生活で色々とあり、心機一転、ゼロからのやり直しのスタートということで決意したそうです。

 彼の中国語は、今でこそ中国人から「貴方は中国人かと思っていた」と言われるほど、完璧にマスターしましたが、最初は全くチンプンカンプンで、意味が分かってもさっぱり真意がつかめなかったといいます。それが、中国に渡って1年ぐらいして、街の商店街を一人で歩いていると、店の人から、日本語に直訳すると「おまえは何が欲しいんだ」と声を掛けられたそうです。その時、彼は「サービス業に従事する人間が客に対して、何という物の言い方をするんだ」とムッとしたそうです。「日本なら、いらっしゃいませ、が普通だろう」。

 しかし、中国語という言語そのものがそういう特質を持っていることに、後で、ハッと気が付き、それがきっかけで中国語の表現や語用が霧が晴れるようにすっかり分かったというのです。もちろん、中国語にも「いらっしゃいませ」に相当する表現法はありますが、客に対して「お前さんには何が必要だ」などと店員が普通に言うのは、日本では考えられません。しかし、そういう表現の仕方は、中国ではぶっきらぼうでも尊大でもなく、普通の言い回しで、「お前は何が欲しいんだ」という中国語が、日本語の「いらっしゃいませ」と同じ意味だということに彼は気づいたわけです。

 考えてみれば、日本語ほど、上下関係に厳しく、丁寧語、敬語などは外国人には習得が最も困難でしょう。しかも、ストレートな表現が少なく、言外の象徴的なニュアンスが含まれたりします。外国人には「惻隠の情」とか「情状酌量」とか「忖度」などという言葉はさっぱり分からないでしょう。

 例えば、彼は先生ですが、学生から「先生の授業には実に感心した」といった文面を送って来る者がいたそうです。それに対して、彼は「日本語では、先生に対して、『感心した』という表現は使わないし、使ってはいけない」と丁寧に説明するそうです。また、食事の席で、学生から、直訳すると「先生、この食事はうまいだろ」などとストレートに聞いてくるそうです。日本なら、先生に対して、そんな即物的なものの言い方はしない、せめて「いかがですか?」と遠回しに表現する、と彼は言います。

 そこで、彼が悟ったのは、中国語とはコスミック、つまり「宇宙的な言語」だということでした。これには多少説明がいりますが、とにかく、人間を超えた、寛容性すら超えた言語、何でも飲み込んでしまう蟒蛇(うわばみ)のような言語なのだ、という程度でご理解して頂き、次に進みます。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 一方、英語にしろフランス語やドイツ語にしろ、欧米の言語はユニバーサル(普遍)だと彼は言います。英語は記号に過ぎないというのです。もっと言えば、方便に過ぎないのです。これに対して、日本語は「言霊」であり、言語に生命が込められているといいます。軽く説明しましょう。

 福沢諭吉が幕末に文久遣欧使節の一員として英国の議会を視察した時、昼間は取っ組み合いの喧嘩をしかねいほどの勢いで議論をしていた議員たちが、夜になって使節団との懇親会に参加すると、昼間の敵同士が、まるで旧友のように心の底から和気藹々となって会話を楽しんでいる様子を見て衝撃を受けたことが、「福翁自伝」に書かれています。

 それで、T氏が悟ったのが、英語は記号に過ぎないということでした。英語圏ではディベートが盛んですが、とにかく、相手を言い負かすことが言語の本質となります。となると、ディベートでは、AとBの相手が代わってもいいのです。英語という言語が方便に過ぎないのなら、いつでも I love you.などと軽く、簡単に言えるのです。日本語では、そういつも簡単に「愛しています」などと軽く言えませんよね。日本語ではそれを言ってしまったら、命をかけてでもあなたを守り、財産の全てを引き渡す覚悟でもなければ言えないわけです(笑)。

 欧州語が「記号」に過ぎず、相手を言い負かす言語なのは何故かというと、T氏の考えでは、古代ギリシャに遡り、ギリシャでは土地が少なかったので、土地に関する訴訟が異様に多かったからだそうです。そのお蔭で、訴訟相手に勝つために色んなレトリックなども使って、表現法や語用が発達したため、そのようになったのではないか、というのです。

 なるほど、一理ありますね。フランスには「明晰ではないものはフランス語ではない」という有名な格言があります。つまり、相手に付け入るスキを与えてはいけない、ということになりますね。だから接続法半過去のような日本人には到底理解できない文法を生み出すのです。日本語のような曖昧性がないのです。言語が相手をやり込める手段だとしたら。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 一方、日本語で曖昧な、遠回しな表現が多いということは、もし、直接的な言辞を使うと、「それを言っちゃあ、おしめえよ」と寅さんのようになってしまうことになるからです。

 ところで、幕末には、尊王攘夷派と開国派と分かれて、激しい殺し合いがありました。その中でも、西洋の文化を逸早く学んだ開明的な洋学者だった佐久間象山や大村益次郎らは次々と暗殺されます。洋学者の直接的な言葉が攘夷派を刺激したのでしょう。適塾などで学び欧米文明を吸収していた福沢諭吉も、自分の生命が狙われていることを察知して、騒動が収まるまで地元の中津藩に密かに隠れ住んだりします。

 それだけ、日本語は、実存的で、肉体的な言語で、魂が込められており、「武士に二言はなし」ではありませんが、それだけ言葉には命を懸けた重みがあるというわけです。そのため、中国語や欧米語のように軽く言えない言葉が日本語には実に多い、とT氏は言うのです。

 繰り返しますと、英語は、何でも軽く言える記号のような言語で普遍的、中国語は、寛容性を超えあらゆるものを飲み込む宇宙的、そして、日本語は命を張った言語で言霊的、ということになります。その流れで、現在の言語学は、文法論より、語用論の方が盛んなんだそうです。

 以上、T氏の説ですが、それを聞いて私も非常に感銘し、昨晩は久しぶりに味わった知的興奮であまり眠れませんでした。

銀座「離亭 三ぶん」の「りゅうきゅう丼御膳」を食す

 新型コロナの感染者がいまだ判明していない岩手県にお住まいの石川先生から昨晩、電話がありまして、急に「ではメモをしてください。銀座〇丁目の〇〇、電話番号〇〇…」えっ?何ですかあ? ですよね。

 後期高齢者の石川先生は、若い頃の大半は東京暮らしで、定年退職後に郷里の盛岡市に戻ってきたのですが、東京生活が懐かしく、テレビで東京の名所や展覧会やグルメ情報等が流れると食い入るように見つめ、自分では行かれないので、このように、小生に身代わりに行くように勧めるのでした。

 昔、テレビでやっていた米国ドラマの「スパイ大作戦」みたいですね。違うかあ(笑)。

 今回、石川先生のお薦めは、どうもテレビの「酒場放浪記」みたいな番組で見たようで、昼は名物ランチをやっているらしいのです。「大分料理の『離亭 三ぶん』て店ですがね。銀座ですから、一応、高級居酒屋って感じでしょうか。昼は『りゅうきゅう丼』をやってます。ああたも暇ですから、一度食べに行ったら如何ですか?歌舞伎座の裏です。会社から近いでしょう」と仰るのです。

 いやあ、暇じゃありませんよ。りゅうきゅう丼なら沖縄料理じゃないんですか?石川先生も人使いが荒いですね。

 「ああたは、いつもつまらないブログばかり書いているから駄目なのです。だから話題を提供したまでですよ(笑)ああたみたいに、いつも安い、貧困層が食べるものばかり取り上げていては、腹の足しにもなりませんよ」

 石川先生、そこまで言いますかね。わ、わ、分かりました。行きますから、行きますよ。

 てなわけで、昼休みに早速行ってまいりました。

「りゅうきゅう丼御膳」。な、な、何と1200円。

店を出て分かったのですが、「魚の刺身を『ヅケ』に薬味とともにご飯に載せた丼。最後は出汁をかけてお茶漬けに」なる文面がお店の外の看板にありました。

 3人ほど先客がおりましたが、ほどなく入れ替わりとなり私一人に。6人掛けのカウンターとテーブル2脚というこじんまりとして、小料理屋といった雰囲気でした。

 年格好40歳前後の物静かなメガネをかけた御主人が「マグロとカツオの2種類がありますが、半分ずつにしますか?」と聞いてきたので、「じゃあ、それで」。

 普通のランチだと、事前に用意していてすぐ出てくるものですが、この店は、高級店らしく、注文を聞いてから、刺身作り。結構、時間がかかりました。手持無沙汰なので、今の状況を聞くと、「ええ、夜もやってますよ。夜8時までのおっ達しですが、流れで9時半ぐらいまでやることもあります」とのお答え。

 そうそう肝心の話を聞くのを忘れるところでした。最近、この店、テレビの取材が入ったんですか?

 「去年か一昨年の話ですよ。その方、再放送でも見たんじゃないですか?」

 銀行員にしてもおかしくない律儀そうな料理人でしたが、私も思わず、吹き出しそうになりました。ただ、その後、「どんぶりは3分の1ほど残しておいてください。お茶漬けにしますから」と言われて、何となく、中学校の生徒になった気分。

 いわゆる一つの「鯛茶漬け」のような感じになりました。そして肝心のお味は?

 美味いに決まってるじゃありませんか。上の写真で御想像あれ。

朝日新聞の暴露本?創業家の村山美知子三代目社主が可哀そうに思えます

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 「貴方のことですから涎を垂らしながら読む本がありますよ」と、大阪にお住まいの難波先生のお薦めで、樋田毅著「最後の社主 朝日新聞が秘封した『御影の令嬢』へのレクイエム」(講談社)を読了しました。2020年3月26日初版ですから、出たばかりの本です。

 最後の社主とは、日本を代表する天下の朝日新聞社の創業者村山龍平翁の孫として生まれた三代目の社主村山美知子氏(1920~2020)のことで、今年3月3日に99歳で亡くなられたばかり。あまりにものタイミングの良さが逆に不可解に思われますが、それは、美知子氏本人らの承諾の下で、事前に大枠が執筆されていたからでした。著者の樋田氏は、元々、朝日新聞の事件記者で、会社側から村山家の内情を探るように送り込まれた「秘書役」を都合7年間務めた人でした。会社と創業家である社主との間では、長い間、経営権や株式所有権など「資本(株主)」と「経営」の問題で緊張関係が続いていました。

 いわば「密偵」として送り込まれた樋田氏が、次第に社主の美知子さんの人間的素晴らしさに魅了され、逆に理不尽な経営陣の「オレオレ詐欺」のような阿漕なやり方に憤りを感じていきます。この本は、それら内部事情を実名を挙げて暴露した告発本として読めなくもありません。

 結局、美知子社主の所有していた朝日新聞の11.02%の株式は、創業者の龍平翁が心血注いで収集した香雪美術館に遺贈する形で、経営陣は資本から切り離すことに成功します。既に、美知子氏の実妹である富美子さんが所有していた3.57%の株式と富美子さんの子息で美知子社主の甥にあたる村山恭平氏が所有していた5%の株式は、凸版印刷と従業員持ち株会へ譲渡されていて、これで、創業一族である村山家と朝日新聞との資本関係を断ち切ることに経営陣は成功するのです。どうやったのかー、については本書に事細かく書かれています。天下の朝日(の経営陣)がこんな酷いことをしていたのか、と多くの人は失望することでしょうが、いわば内部の人間が書いたことなので真実なのでしょう。何しろ、著者は当初、美知子社主の遺産を相続する養子探しを村山家の家系図(親族には三井宗家、三菱岩崎家、信州の小坂財閥、皇族の常陸宮妃華子さままでおられた!)まで作成しながら奔走しますが、最後は経営陣によって、良いところまでいった養子縁組をつぶされたりします。

 とはいえ、私自身は、これら「村山騒動」に関してはそれほど興味ありません。それより、ここ描かれた村山美知子さんという大新聞創業者の孫として生まれた「深窓の令嬢」の暮らしぶりには、度肝を抜かされるほど圧倒されました。

 日教組やリベラリストが大好きな朝日新聞ですが、世間で思われているほど反体制的でもないし、赤貧洗うが如しの労働者のためにキャンペーンを張るような庶民の味方の新聞でもなく、これを読むと、新聞経営で大成功を収めた大富豪の手慰みの新聞にさえ思えてきます。右翼だ、左翼だ。反中だ、反韓だ、などとイデオロギー一辺倒で騒ぐ貧乏臭いメディアとは一線を画しています(笑)。村山美知子社主の育ちぶりを読むと、世の中には、右翼も左翼もいない。人間には、特権上流階級とそれ以外しかいない、ということが如実に分かりますよ。

 何しろ、創業者の村山龍平翁が建てた神戸市御影の自宅の敷地は約1万坪で、1908年(明治41年)ごろに3階建ての洋館が建設され、藪内流茶道家元の茶室「燕庵(えんなん)」を模した「玄庵」などが設けられ、その後、敷地内には龍平翁が収集した美術品を集めた香雪美術館も1973年に開設されます。

 香雪美術館は、重要文化財19点、重要美術品23点を含む約2000点が収蔵されています。私も一度、難波先生のお導きでこの御影の美術館を訪れたことがあります。そして、当然のことながら、村山家の豪邸の敷地を拝見することになりましたが、歩いても、歩いても、敷地を囲む高塀がどこまで行っても尽きることなく続いていたことをよく覚えています。阪急電鉄創業者の小林一三は、同電鉄神戸線を敷設する際、村山邸の敷地を買収できず、線路が迂回してしまったことを悔やんだといいます。御影は超高級住宅街として知られ、周辺には住友銀行初代頭取の田辺貞吉邸、武田薬品の武田長兵衛邸、大林組社長の大林義雄邸、野村財閥創業者の野村徳七邸、伊藤忠の創業者伊藤忠兵衛邸、日本生命社長の弘世助三郎邸、岩井商店(後の日商岩井~双日)の岩井勝次郎邸、東京海上専務で美知子社主も通った甲南学園の創立者でもある平生釟三郎邸などの大邸宅が建てられました。

 村山家は、広大な本邸のほかに、有馬温泉や六甲山や伊豆などに別荘を持ち、東京の滞在先として今はホテルオークラの別館になっている麻布市兵衛町の約3000坪の別邸があったといいます。特権上流階級のスケールが違いますね。想像できますか?

 美知子さんの父親で二代目社主の長挙氏は、旧岸和田藩主の岡部長職(ながもと)の三男だったことはよく知られています。創業者龍平の方は、紀州藩の支藩だった田丸藩(三重県玉城町)の元藩士だったことから、玉城町の中心部にある約10万平方メートルの広さの城山を国から約3万円(今の価値で数億円)で買い取り、町に寄付したといいます。城山の山頂にはあの北畠親房が創建した田丸城の城址があるという逸話も書かれ、私なんかは城好きですから、「村山騒動」の話よりこちらの方が惹かれました。

 美知子さんは「三代目社主」として小さい頃から「帝王学」のようなものまで学び、日本舞踊や茶道、それに戦前は富裕層しかできなかったスキーやフィギュアスケートなども活発に励行しますが、何と言っても、後年、大阪フェスティバルホールを創設して専務理事になるほどですから、作曲家呉泰次郎の音楽塾で作曲法などを学びクラッシック音楽の素養を身に着けます。この審美眼が、若手アーティストの発掘にもつながり、カラヤンやバーンスタイン、小澤征爾ら最高の音楽家らと華麗なる人脈もできます。「村山騒動」よりも、美知子さんが最も輝いていた時だったので、この辺りの描写は読んでいて気持ちが良いです。

 それにしても、朝日新聞経営陣による創業家一族に対する扱い方は酷いものですね。人間とはそういうものかもしれませんが、読んでいて気分が悪くなりました。

全体主義的な監視態勢には反対です

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 2020年の新しい年を迎えた1月に、新型コロナウイルス感染がこれほど猛威を振るって世界的に拡大することを想像できた人は皆無だと思います。何しろ、1月半ば過ぎにこのウイルスの話が初めて日本に伝えられた時、テレビに出てきた医者の肩書を持つコメンテーターが、はっきりと「ヒトからヒトへの感染はない」と断言していましたからね。

 毎日、憂鬱なコロナウイルスの蔓延のニュースを聞かされてうんざりする中、笑いが一番欲しい時に、志村けんさんが亡くなり、日本でも流れが変わりました。

  とはいえ、いつまでも悲観しているわけにはいきません。テレビに出てくるコメンテーターは、まるで井戸端会議のように言いたい放題です。真偽は定かではないのに、言い放しで終わり、誰も責任を取ろうとはしません。いっそのこと、分からないことは分からない、予想がつかないことはつかない、とはっきり言ってもらった方がすっきりします。

  でも、はっきりしていることは、この2020年の新型コロナ騒動で、世界全体がガラリと変わったことです。どう変わったのか?ー

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 「サピエンス全史」で知られるイスラエルの歴史学者のハラリ氏が、今朝の日経新聞に寄稿して、良識ある市民にとってただならぬ事態になりかねないことを警告していました。 例えば、「全体主義国家」である中国当局は、市民のスマホを細かく監視し、顔認証機能を持つ監視カメラを何億台も配置して情報を収集しているといいます。市民には体温や健康状態のチェックとその報告義務を課すことで、感染が疑われる人物を特定します。同時にその人の行動を追跡して、接触した者まで特定するといいます。感染者に近づくと警告するアプリまで登場したとか。まるで、ビッグ・ブラザーによって監視されるジョージ・オーウェルの「1984年」の世界のようです。

 これは、感染者を発見することで良い面がある一方、いずれ終息して平時に戻っても、一生、死ぬまで当局に監視追跡されかねいことになります。そして、一度、「緊急事態宣言」が出されれば、後戻りできない可能性があることをハラリ氏は指摘し、最悪の事態にならないよう警告しているのです。

 ハラリ氏は「全体主義的な監視態勢を敷くのではなく、むしろ市民に力を与えることで、私たちは自分の健康を守り、新型コロナの感染拡大を阻止することを選択できる」と主張するのです。

 大いに賛同します。言い方は悪いですが、どさくさに紛れて、市民を監視する全体主義的な緊急事態宣言を発令しようとする極東の島国がありますが、いかがなものか、です。 「厳重な監視態勢を敷かなければ感染拡大を阻止できない」と主張する政治家がいることは承知していますが、中国の例のように後戻りできない可能性の方が大きいのです。 (平時でも、時の政府は、自分たちの気に入らない霞ヶ関の高級官僚を追跡し、風俗店に出入りしていたことを御用新聞にリークしてましたからね)

 昨晩は、小池都知事が緊急記者会見して、 密集、密接、密閉の「三つの密」がそろうバーやキャバクラやカラオケ等への夜間の出入りを自粛するよう呼び掛けました。私自身は、何年、いや何十年も行ってませんが(苦笑)、店側は死活問題でしょうね。でも、首都封鎖されるよりマシでしょう。封鎖されれば、首都機能が麻痺して、株も大暴落して世界同時大不況になる最悪のシナリオも考えられます。

 自由とデモクラシーを取るか、全体主義を取るかー。良識ある市民を信じるか、罰則を厳しくするか-。監視社会にするのか、しないのかー。新型コロナウイルス騒動は政治思潮にも影響を与え、今後の世界を変革していくことは間違いありません。

 

新型コロナの影響で、カミュの「ペスト」が売れているそうな

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 新型コロナの世界的な感染拡大の影響で、24日になってやっと東京五輪が来年に延期されることになりました。表では報道されませんが、最終的にゴーサインを出したのは、独占放送権を持つ米NBCでした。勧進元のIOCじゃなかったんですね。もちろん、日本の内閣総理大臣や東京都知事や米大統領にも最初から決定権はなかったわけです。

 NBCといっても、単なる放送局ですから、最大の最終的意向はスポンサーということになります。(テレビ局と代理店が慌てふためいてスポンサーさんの意向を伺っている姿が目に浮かぶようです)そのスポンサーである米大手企業も、新型コロナの影響をもろかぶって株価が大暴落して、青息吐息です。オリンピックどころじゃない、今年の開催はとても無理ということになりました。そもそも五輪は慈善事業でも何でもないし、経済波及効果を狙った営利活動ですからね。

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  さて、新型コロナの蔓延で、今、日本ではフランスのノーベル文学賞作家、アルベール・カミュ(1913~60年)が1947年に発表した「ペスト」(新潮文庫、宮崎嶺雄訳) が爆発的に売れているようです。文庫は、1969年10月30日初版ということですから、もう半世紀以上昔の本です。が、「都市封鎖」など今の状況と酷似しているということで、真面目な日本人のことですから、急速に話題になったわけです。版元も2月中旬から1万4000部の増刷を決定しました。

 カミュが「ペスト」を出版したとき、まだ34歳の若さです。この作品は世界的なベストセラーとなり、10年後に史上最年少の44歳でノーベル賞を受賞する大きな弾みになったとも言われてます。(ペストは、第2次世界大戦の戦争の惨禍を比喩したとも言われ、改めてカミュの想像力と創造力には感服します)

 私は学生時代にフランス語を専攻していましたから、もちろん、読みました。1970年代の学生の間では、サルトルとカミュが人気を二分していました。ということで、結構、カミュの作品は読みました。代表作「異邦人」は、原書で読みましたが、「ペスト」は翻訳だけでした。そこで、今回、話題になっているということで、原文に挑戦してみることにしました。

 そしたら、いきなり、出だしで躓いて、ニッチもサッチもいかなくなってしまいました。それは、ダニエル・デフォー(1660~1731)の言葉を引用したエピグラフです。

Il est aussi raisonnable de représenter une espèce d’emprisonnement par une autre que de représenter n’importe quelle chose qui existe réellement par quelque chose qui n’existe pas.

DANIEL DE FOE.

 デフォーと言えば、「ロビンソン・クルーソー」で有名な作家です。カミュは何故、デフォーを引用したのか?

 デフォーは、色んな職業を遍歴しましたが、政治的プロパガンダも発信するジャーナリストでもあり、諜報員でもありました。そして、1665年のペストの大流行(当時のロンドンで約10万人が死亡したという)を題材にした「ペストの記憶」という作品(原題は「疫病年誌」)を還暦を過ぎた1722年に発表しています。フィクションですが、かなり事実に基づいているようです。英国でペストが大流行した時、デフォーは5歳でしたが、周囲から色んな話を聞いて育ったと言われています。

 恐らく、カミュはこの作品を読んでいたので、エピグラフとしてデフォーの言葉を引用したと思われます。

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で、先程引用したそのデフォーの文章ですが、正直、一読してさっぱり意味が取れませんでした。丸一日格闘して、何十年かぶりに仏訳をやってみました。

 これ以下は、フランス語に興味がない方は飛ばして頂いて結構なんですが、この文は、まずaussi~que 構文で、que以下と同じくらい aussi以下だ、という意味になります。私が躓いたのは、 par une autreの部分で、何でune(女性名詞) なのか?と思ってしまったのです。emprisonnement(監禁、拘束)男性名詞なので、これを受けたわけではない。それなら、une espèce de(一種の)となると、どうも違うような気がします。une autre chose(別のもの) なのかなあ、と思ってしまいました。カミュの「ペスト」はオラン市の都市封鎖が描かれているので、監禁状態を、都市封鎖という「別のもの」で比喩しているのかなと思ったわけです。

 そこで、こう訳してみました。

現実に存在するあらゆるものを、この世に存在しないものによって表現することが理にかなっているのと同じように、一種の監禁状態を別のものによって表現することは、意味のあることだ。 ーダニエル・デフォー

 うーん、哲学的考察で、日本語にしても意味が分かりにくい…。(ちなみに、かつて読んだ翻訳本はとうの昔に紛失してます)

 そこで、語学の天才の刀根先生にメールで問い合わせてみました。そしたら、私が躓いていた par une autre の une(女性名詞) は、 une espèce( ということは、 une espèce d’emprisonnement ) でいいのではないか、と言うのです。そして彼の翻訳を提示してもらいました。

 ある監禁の状態を、それとは異なる監禁のあり方というものをもって描き出してみせる。それは、何でもいいのだが、本当にあるものを、ありもしない何ものかでもって表すことになぞらえることができる。―― つまり十分に正当なことなのだ

 私のように、直訳調ではなく、こちらはしっかり文学的に翻訳していますね。

 それにしても翻訳は難しい。でも、面白い。それに思ったのですが、日本語はすぐ古びてしまいますね。半世紀以上昔に出版された宮崎嶺雄訳の「ペスト」では、「細君」とか、「看護婦」とか、「イスパニア人」とか今ではあまり使われなくなった古い日本語が出てきます。

 新訳が望まれます…なんて書こうとしましたが、最近の日本人の翻訳力は数段、落ちているんじゃないでしょうか。洋楽ポップスや洋画のタイトルなんぞは、もう意味も通らないのに構いもせず、原文をカタカナのまんま表記して、翻訳作業そのものを放棄しています。

 最近の新型コロナ騒動では、クラスターとか、オーバーシュートとか、ロックダウンとか、カタカナ用語のオンパレード。

 何ですかあ~?

【追記】

Il est aussi raisonnable de représenter une espèce d’emprisonnement par une autre que de représenter n’importe quelle chose qui existe réellement par quelque chose qui n’existe pas.

 のこと。フランスにお住まいのガランス先生にお伺いしたところ、以下のように翻訳して頂きました。

一種の監獄状態を、なにか別の状況に置き換えて表現するというのは、なんであれ現実に存在するものを、存在しないものによって表現するのと同じくらい、破天荒なことだ。

この注釈として「 raisonableはもちろん、道理にかなったという意味ですが、もしかして逆説的に使っているのかと。文脈からすると、できそうもないことをやってのける、と言っているような気がします」といったことも書かれていました。

 なるほど、すっきりしました。