日本軍捕虜の英国人遺族の娘が78年ぶりに来日した物語=インテリジェンス研究所特別研究員名倉有一氏の業績

 《渓流斎日乗》は、ブログながら「メディア」を僭称させて頂いております。日本語で言えば「媒体」ですので、たまには他人様のふんどしで相撲を取らせて頂いても宜しゅう御座いますでしょうか? 報道機関と呼ばれる新聞社の記者も取材と称して、政治家や専門家の話を聴いて活字にしているわけですからね(笑)。

 本日取り上げさせて頂くのは、インテリジェンス研究所の特別研究員である名倉有一氏の「業績」です。名倉氏はアカデミズムの御出身ではなく、堅いお仕事を勤め上げながら、一介の市井の民として地道に研究活動を続けておられる奇特な方です。

 彼の業績を一言で説明するのは大変難しいのですが、第一次世界大戦の敗戦国ドイツや、第2次世界大戦の連合国(米、英、蘭など)の捕虜たちの日本での収容所の記録を収集し、今日的意義を研究しています。このほか、太平洋戦争中、対米謀略放送「日の丸アワー」などを放送していた東京の参謀本部駿河台分室(1921年、西村伊作らによって創立された「文化学院」が、戦時中に摂取されて捕虜収容所になった。現在は、家電量販店ビックカメラ系の衛星放送BS11本社があるというこの奇遇!)に関する研究もあります。

 このほど、名倉氏から送付された「記録」を以下にご紹介します。

 

 続いて、もう一つ、二つ、名倉氏編著による「駿河台分室物語 対米謀略放送『日の丸アワー』の記録」などを添付しようとしましたが、容量が重すぎて、この安いブログに添付掲載することが出来ませんでした。残念!!(ITに詳しくないのですが、そのため、このブログに写真を掲載する際、容量をオーバーしないように、私はわざと画質を落として掲載しています。)

 仕方がないので、朝日新聞ポッドキャストに掲載された以下の3話をご視聴ください。これは、日本軍の捕虜になった英国人チャールズ・ウィリアムズさん(1918~94年)の遺族である娘のキャロライン・タイナーさんが、今年9月、父親が日本人から譲り受けた半纏を78年ぶりに「返還」した感動の物語です。

 名倉氏は捕虜収容所研究の大家ですから、今回、英国人のキャロラインさんと日本を橋渡しするコーディネーター役として活動されました。(名倉氏は、キャロラインさんの父ウィリアムズさんとは生前に英国でお会いしています。)

 ・ある捕虜の足跡① 「亡き父が大切にしていた1着の上着 敵国の男性からの贈り物だった」 

 ・ある捕虜の足跡② 「『命は保障しない』それでもNOを貫いた イギリスの若者はなぜ長野へ」(名倉有一氏も登場します。)

 ・ある捕虜の足跡③ 「秘密の戦争ビラづくり、家族にも言えなかった 脳裏に残る彼のこと」 

 上記、引用添付には音声のポッドキャストだけでなく、関連記事も掲載されていますので、お読みになって頂ければ幸いです。

浮世の憂さから逃れられる良書=永野裕之著「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」

 永野裕之著「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」(NHK出版新書、2022年4月10日初版)を先日、読了しました。この渓流斎ブログでこの本について初めて触れたのが、11月17日に書いた「そうだ、何歳になっても数学を勉強しよう」でしたから、11月の後半は、通勤電車の中でどっぷり数学に浸かっていたことになります。頭の悪そうな老人が、スマホのゲームをしないで、数学の本を読んでいるなんて、さぞかし異様な光景だったことでしょう。

 それでいて、数学を勉強している本人は、一瞬ながら浮世の憂さを逃れる気分になることが出来ました(苦笑)。恐らく、心配したり悩んだりする脳の器官(もしくは部位)と、数学の難問を解く脳の器官は別になってるんじゃないかと思います。

 前回にも書きましたが、数学の勉強をしたのは、予備校時代以来約半世紀ぶりでしたから、すっかり錆びついていた、どころか、完璧に忘れていました。中3で習う二次方程式の解の方程式すら忘れていたわけですから、もう何をか況やです。

 それに文部科学省の「学習指導要領」が半世紀前の昔とは大幅に変わっていますから、我々の世代ではそれほど深く習わなかったか、もしくは理科系の「数Ⅲ」で習うような「集合」や「確率」などが今では「数ⅠA」の段階で教えられていることを知りました。

 それに加えて、19世紀のドイツの天才数学者ガウス(1777~1855年、ナポレオンと同時代人!)の「合同式」(a と b とが法 n に関して合同であることを表記するとa ≡ b (mod n)となる。)なんかも掲載されていて驚くばかりです。

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 この本の趣旨は、数学の公式だけを単に丸暗記するのではなく、それに至るプロセスや問題解決能力を養うことを目的に「論理的思考力」を涵養することにありましたが、その通り、文学的、情緒的、感覚的思考力ではない明晰な思考力が身に着くような気がしました。そういう意味では、大変な良書です。確かに、社会に出れば、殆どの人は、sin、cos、tanも、平方根も、三角関数も、微分積分も、つまり、数学を使うことはないので、役に立たない学問だと錯覚しがちですが、そうではなかったことが分かったわけです。

 17世紀半ばに活躍したフランスの哲学者デカルトは、私も影響を受けた哲学者ですが、彼は代数学全盛の時代に、座標軸を発明し、古代ギリシア時代以来埋もれてしまっていた幾何学を復興した人でした。つまり、デカルトの哲学とは数学的思考によって裏付けられていたというわけです。(その逆も言えます。プラトンは、アテネ郊外に創立した哲学学校の校門に「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」と掲げたそうです。)

 だからこそ、ヨーロッパでは、古代ギリシャの数学者ユークリッドが書いた「原論」を20世紀初頭まで、2000年間も現役の数学の教科書として使われていたといいます。(ユークリッド幾何学は、2次元平面を前提とした幾何学なので、平行線公準は成立しますが、球面上の幾何学では平行線が交わることがあります。こうして、平行線公準を否定することによって、非ユークリッド幾何学が生まれました。)

 とにかく、数学的思考は奥が深いのです。人間としてこの世に生まれてきたからには、数学は、役に立つとか立たないとかいった打算に左右されることなく、論理的思考力を涵養するために学ぶべきだということをこの本で教えられました。いつか、もし、続編の「教養としての『数Ⅱ・B』」が出版されれば、絶対に買います。

身も蓋もない議論なのか? 究極の理論なのか?=橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」

昨日は、橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」(NHK出版新書)を読了しましたが、あまりにも面白かったことと、専門用語が沢山出来てきたこともあり、もう一度、軽く再読しました。勿論、再読する価値はありました。専門用語とは、GWAS(ゲノムワイド関連解析)とか、MAO(モノアミン酸化酵素)-A遺伝子とか、SES(社会経済的地位)等々です。

  この本については、11月27日にも触れましたので、それと重ならないことを書かなければいけませんけど、ダブったらすみません(苦笑)。行動遺伝学とは、前回ご説明しましたが、行動遺伝学者のエリック・タークハイマーが「行動遺伝学の3原則」の第1番に「ヒトの行動特性はすべて遺伝的である」としていることに象徴されます。つまり、人との出会いや本や趣味などとの出合い、そして事故や病気までもが、全くの偶然ではなく、何らかしら、遺伝的要素によるものだ、ということを治験や双生児らの成長記録などからエビデンスを探索して証明するという学問が行動遺伝学だと大ざっぱに言って良いと思います。

 行動遺伝学の日本の第一人者が、慶応大学の安藤寿康名誉教授で、「言ってはいけない」などのベストセラーになった著作で世間に行動遺伝学なる学問を認知させたのが作家の橘玲氏ということで、この2人による対談をまとめたものが本書ですから、面白くないわけがありません。

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 私が他人に共感したりすることが出来るのは、その人が、他人に見せたがらない、知られたくない自分の「弱さ」を正直に披瀝した時があります。特に安藤名誉教授は、長年、行動遺伝学に関する書籍を出版しても世間から注目されず、50歳を過ぎるまで、自分の学問は何の役に立たないといった劣等感でいっぱいだったことを告白しています。50歳を超えて色んな経験を積んだことでようやく自分の居場所に気づけたといいます。安藤氏は大変、正直な人で、「あとがき」で「実は『橘玲』の名前はよく目にしていたものの、私が苦手で無関心とするお金儲けの話や、人の心を逆なでするようなタイトルの本ばかり出すという先入観で、申し訳ないが手に取って読んだことがなかった」とまで書いちゃっています。勿論、この後には、行動遺伝学を世間に知らしめた橘玲氏の「言ってはいけない」を読まざるを得なくなり、読んでみたら、教え子の学生や研究仲間以上に実に正確に深く理解して持論を展開していたので、感服したこともちゃんと書いています。

 安藤氏は、橘氏の著作について、「偽悪的芸風の行間に垣間見られる愛」と喝破し、自分の芸風については「偽善的とも受け取られるような姿勢」と自認していますから、本書は、「偽悪」対「偽善」の対談ということになりますか?(笑)。というのも、行動遺伝学そのものが、もともと悪の学問である優生学を同根としているからだと安藤氏は言います。誰だって、「年収や学歴や健康は遺伝によるもので、環境(子育て)の影響はさほど大きくない」などと言われれば、身も蓋もないと感じることでしょう。その半面、両親に収入も学歴がなくても、「鳶が鷹を産むことがある」とか、「作曲家・指揮者レナード・バーンスタインの両親は全く音楽の才能がなかったのに…」といった例が挙げられたりしています。

 勿論、安藤氏は学者としての誠実さで科学的知見を披露しているだけなのですが、ネットの書評では「言いたいことがあるならはっきり言え」「期待外れだった、橘さんの本で十分」とまで書き込まれる始末です(苦笑)。

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 一方の橘氏は、確かに作家的自由奔放さで、大胆な仮説をボンボン提案しています。例えば「ADHD(注意欠如・多動性)が発達障害とされるのは、…現代の知識社会が、机に座って教師の話をじっと聞いたり、会社で長時間のデスクワークをする能力が重視されているからです。環境が目まぐるしく変わる旧石器時代にはADHDの方が適応的だったはずだし、だからこそ遺伝子が現代でも残っているのでしょう」と発言したり、「攻撃性を抑制して高い知能を持つようになった東アジア系は、全体的に幼時化していったと私は考えています。社会的・文化的な圧力で協調的で従順な性質に進化していくことを『自己家畜化』といいますが、…『日本人は世界で最も自己家畜化した民族』だということを誰か証明してくれることを期待しています」などと、持論を展開したりしています。同感ですね。このような発言を読んだだけでも、頭脳明晰な橘氏が相当、行動遺伝学の関連書を何十冊も読み込んで、持論にしていることが分かります。確かに、「橘さんの本で十分」かもしれません(失敬!)。

 安藤氏には失礼なことを書いてしまったので、安藤氏の近著「能力はどのように遺伝するのか」(ブルーバックス、2023年6月22日初版)を購入して読んでみようかと思っております。大いに期待しています。

裕次郎、ひばり…随分若くして亡くなった有名人=光陰矢の如し

 この渓流斎ブログは、「安否確認」にもなっております。しばらく休載すれば、「渓流斎の野郎、とうとういったか」といった話になりかねないので、無理して毎日、更新するようにしています。それでもどうしても空くことがあります。「題材がない」「気力がない」「書くほどの価値がない」といった理由ですので、どうか一つ、その辺は斟酌、もしくは忖度して頂ければ幸甚で御座います(笑)。

 本日の主題は「光陰矢の如し」です。振り返れば、40歳ぐらいまでは時間がゆっくり流れていたと思っていましたが、40歳を過ぎると、あっという間です。いわゆる幾何学級数的速さで時間が飛んでいき、私も本当に、気がついてみたらあっという間にお爺さんになってしまいました。「浦島太郎」の話は実話だったんじゃないかと思うほどです。

 年を取ると、若い時に、随分年長で、お爺さん、お婆さんに思えた有名人の皆さんがかなり若かったことに気がつきます。それに、既に、とっくに彼らの年齢を越えてしまったりしています。

 昭和の大スターだった石原裕次郎は行年52歳、美空ひばりも同じ52歳です。それを言えば、エルヴィス・プレスリーは42歳、ジョン・レノンは暗殺されたとはいえ、40歳の「若さ」です。

 今の若い人は知らないでしょうが、私が中学生ぐらいの頃、往年の女優浪花千栄子は、晩年にオロナミン軟膏のコマーシャルに出ていたお婆ちゃんというイメージがありました。(「浪花千栄子で御座います」)それが亡くなったのは66歳だった、と今では簡単に調べられますから、「えっ~!?」と大袈裟に驚愕しました。今の女性の66歳は若いですからね。「お婆さん」なんて絶対に言わせないでしょう。

 ついでながら、浪花千栄子が、何でオロナイン軟膏のCMに採用されたのか? それは彼女の本名が、「南口(なんこう)キクノ」だったから、というまことしやかな都市伝説を聞いたことがあります(笑)。

大興善寺(佐賀県)

 作家でいえば、文豪の夏目漱石は49歳、自殺したとはいえ、芥川龍之介は35歳、太宰治は38歳、三島由紀夫は45歳。短命とはいえ、彼らは天才ですから、100年、1000年と読み続けられる作品を残しました。

 驚いたのは、私も面識がある、といいますか、取材でお会いしたことがある作曲家の武満徹さんです。当時は随分年配の方に見えましたが、調べ直してみたら亡くなったのが、まだ65歳だったとは!「随分、若くして亡くなられたんだ」と改めて驚きました。同じ作曲家の芥川也寸志も何と63歳、黛敏郎も68歳と古希も迎えずに亡くなっていました。

 私の母校の海城高校のお近くに住んでいたお笑い「てんぷくトリオ」の三波伸介はまだ52歳だったんですね。1982年に亡くなっているので、あれほど一世風靡した有名人でしたが、今の若い人は知らないかもしれません。

 そして、演歌歌手の藤圭子は、亡くなったのは、まだ62歳の若さでしたか。。。若い人は彼女を知らなくても、宇多田ヒカルの実母だと言えば、分かるかもしれません。藤圭子の両親は旅回りの浪曲師、本人は演歌で、娘のヒカルはJーPOPと、まさに絵に描いたような日本の歌謡芸能史の変遷です。「歌は世につれ 世は歌につれ」です。年を取ると、こうして二代、三代に渡って、芸能史を目の当たりにすることが出来、「俺は、音羽屋は先代の六代目から観ているだ」なんて自慢できたりするわけです。

 毎日、元気がない、気力もない日々が続きますが、「年を取るのも悪くない」と思えば、しめたものです。

行動遺伝学とは何か?=橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する」は読み応えあり 

 数日前から少しずつ橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」(NHK出版新書、2023年11月10日初版)なる本を読んでいます。有楽町の三省堂書店にNHKラジオのフランス語のテキストを買いに行って、ついでに書棚を覗いていたら、偶然この本が見つかったのです。まさに、セレンディピティ(思い掛けぬ幸運)かもしれません。

 この本は、三省堂有楽町店の新書部門で第1位を獲得していたので目立つ所にありました。中をパラパラめくっていたら、こんな文章に巡り合いました。(ちなみに、この本は、「言ってはいけない」などで知られるベストセラー作家の橘氏と、「能力はどのように遺伝するのか」を今年出版した行動遺伝学者の安藤慶大名誉教授との対談で構成されています。)

 病気になったり、近しい人が亡くなったり、強盗に遭うなど、一般的に運が悪かったとされる偶然の出来事と、離婚や解雇、お金の問題など、本人にも責任があると見なされる出来事を比較したところ、偶然の出来事の26%が遺伝で説明でき、本人に依存する出来事の遺伝率30%と統計的に有意な差はなかった。(14ページ)

 えっ?どういうこと???  次にこんなことが書かれています。

 よく考えてみると、病気には遺伝が関わっているし、…強盗に遭うのは確かに運が悪かったのでしょうが、危険な場所にいたり、目立つ行動をとったりしたのが原因だとすれば、そこにも遺伝の要素がある。知人が交通事故に遭ったら、「運が悪かったね」と同情するでしょう。でもそれが信号を無視して横断歩道を渡ろうとしたり、無理な追い越しをしようとして起きたら単なる偶然とは言えない。そう考えれば、私たちの人生の全てを遺伝の長い影が覆っていて、そこから逃れることができないのではないでしょうか。(15ページ)

 この渓流斎ブログを長年お読み頂いている皆様はご承知かと存じますが、私は色んなことに好奇心を働かせております。そのうちの一つが、「人間は、遺伝で決まるのか、育った環境によって決まるのか」といった難題です。俗に言う「氏(うじ)か、育ちか」、「生まれつきか努力か」、Nature or Nurture? です。だから、これまで苦労して人類学や進化論に関する書籍を読んできたのです(苦笑)。

 でも、我思うに、もしこれが、AかBかの二者択一問題だとしたら、日本人は圧倒的に「氏」を尊重してきた民族だと言っても良いのではないでしょうか。天皇制にしろ、武家社会にしろ、現代政界にせよ、芸能の歌舞伎の世界にせよ、「世襲」を重んじてきたからです。

大興善寺(佐賀県)

 この本では、作家の橘氏が、行動遺伝学者である専門家の安藤氏に質問を投げかける形で対談が進んでおりますが、博覧強記のお二人ですから、私なんか全く知らなかった多くの文献を引用されています。例えば、行動遺伝学の大御所ロバート・プロミンは、著書「ブループリントーDNAはどのようにして、私たちが何者であるかをつくりあげるのか」を出版し、遺伝子レベルで行動遺伝学の知見が証明されたと「勝利宣言」したといいます。 

 また、行動遺伝学の大立者エリック・タークハイマーは「行動遺伝学の3原則」(原則1:人間の行動形質は全て遺伝の影響を受ける。 原則2:同じ家庭で育ったことの影響は、遺伝の影響よりも小さい。 原則3:人間の複雑な行動形質に見られる分散のうち、相当な部分が、遺伝でも家族環境でも説 明できない。)を提唱し、この3原則が今や、行動遺伝学の基本中の基本になっているようです。

 そんなことを急に言われても、何のことを言っているのか分からないと思いますので、そもそも行動遺伝学とは何かと言いますと、知能や性格を含めて、あらゆる行動や心の働きが遺伝の影響を受けるというのが原則だという学問です。おおよそですが、知能は60%ぐらい遺伝子の影響を受け、「協調性」や「外向性」や神経質」などの性格は、30~40%遺伝によるというものです。行動遺伝学は、主に、双生児(一卵性、二卵性)の方々を長年追跡して科学的知見を追究していきます。

 そこで、この本は、まさに「遺伝か環境か、どちらなのか」の議論が展開されています。1冊の本になるぐらいですから、色んな所見が出てきて面白い読み物になっていますが、なかなか結論は出てきません。色んな要素が複雑に絡み合っているからだというのです。結局、ヒトは、遺伝と環境の要素を50%ずつ受けているのが正解なのでしょうが、「30%の遺伝でも多いと言えばかなり多い」「偶然であっても、遺伝的に必然だったかもしれない」などと言われると、こちらも思わず頷いてしまいます(笑)。

大興善寺(佐賀県)

 さらに言えば、例えば、私は、電車やバスや職場などで嫌~な奴に遭遇することがあるのですが、彼ら本人だけが悪いのではなく、生まれつきの遺伝の産物なんだと思うと、あまり腹が立たなくなるんですよね(笑)。

 「病気になったのは遺伝のせい」「学力がなく、年収が低いのも全て遺伝のせい」ということにすれば、大変気が楽になりますが、この本をじっくり読めば、行動遺伝学はそこまで結論づけて断定的に言っていない、ということになっています。「じゃどっち何だ!」と思う方はこの本を読むしかないでしょう。そして、自分自身で納得する結論を引き出したらどうでしょうか。

大英帝国の最盛期を築いたヴィクトリア女王=「映像の世紀 イギリス王室の百年」

 先日放送されたNHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」で、「イギリス王室の百年」をやっておりました。

 120年以上昔に亡くなったヴィクトリア女王(1819~1901年)の生前の貴重な動画(フィルム)や、女王崩御後、その子孫が大英帝国やドイツ帝国などで王位を継承して、第一次世界大戦では、ヴィクトリア女王の孫たちが敵味方に分かれて「骨肉の争い」となり、第二次大戦でもまた孫と曾孫が敵味方に分かれて戦った様を「映像」で再現しておりました。そんなフィルムが残っていたとは!まさに驚くほかない番組でした。

 何で欧州諸国同士の戦争が孫や従兄弟同士の骨肉の争いになるのか? ーそれは、列強諸国同士が政略結婚で自分の王女を他国の王子に嫁がせたりしているからです。日本でも戦国時代は特に、戦略結婚が政治や外交の基本にさえなっていたと言ってもいいでしょう。美濃の斎藤道三の娘濃姫と尾張の織田信長との結婚、信長の娘五徳姫と徳川家康の嫡男信康との結婚など枚挙に暇はありません。

 第一次世界大戦とは、1914年から18年にかけて、主に同盟国(ドイツ、オーストリア、オスマン帝国など)と連合国(英、仏、露など)との間で行われた戦争でしたが、「最高指揮官」であるドイツ帝国のヴィルヘルム2世と大英帝国のジョージ5世は従兄弟で、ヴィクトリア女王の孫同士という関係でした。つまり、ヴィルヘルム2世は、ヴィクトリア女王の長女ヴィクトリアとドイツ皇帝フリードリヒ3世との間の嫡男、ジョージ5世は、ヴィクトリア女王の長男エドワード7世から継承した英国王ということになります。

  また、連合国側のロシア皇帝ニコライ二世は、ヴィクトリア女王の孫と結婚したことにより、英国王室と縁戚となります。ヴィクトリア女王の孫とは、ヴィクトリア女王の王女アリス(ヘッセン大公妃)の娘アレクサンドラです。第一次大戦の最中にロシア革命に遭遇し、ニコライ二世は英国に逃れようとしましたが、ジョージ5世から認められず、母国で家族もろとも処刑される悲劇を生みます。(ジョージ5世とニコライ2世は、風貌と体格がそっくりだったので、衣服を替えて周囲を驚かせたという逸話が残っているにも関わらず、ジョージ5世にはロシア赤軍との戦争を回避したい思惑があったようでした。)

 第一次大戦から約20年後の第二次世界大戦では、英国はジョージ5世亡き後、長男ディヴィッドが、エドワード8世として即位したものの、「シンプソン事件」でわずか325日の在位で廃位となり、弟のアルバートがジョージ6世として即位し、はとこ(また従兄弟)に当たるドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(オランダに亡命し、客死)と対峙します。(実際は、独ヒトラーと英チャーチルとの戦いでしたが)

ジョージ6世は、映画化された「英国王のスピーチ」でも知られるように吃音を克服して、戦時中、ナチスによる空爆で損害を受けた英国民を鼓舞しました。昨年亡くなったエリザベス2世の父君に当たる人です。

エリザベス女王は、我々と同時代の人ですが、ヴィクトリア女王は歴史の教科書でしか知らない遥か大昔の人だと思っていました。でも、番組で彼女の動画を見たりすると、「つい最近の人だったのか」と思ってしまいます。不思議なものです。

クロード・ハウザー、ピエール=イヴ・ドンゼ編「駐日スイス公使が見た第二次世界大戦―カミーユ・ゴルジェの日記」を翻訳した鈴木光子氏=大学同窓会で講演

 11月19日(日)は、東京・大手町で開催された大学の同窓会「第28回サロン仏友会」にオンラインで参加しました。毎年、この時期に開催されるのは、ボージョレ・ヌーヴォーが解禁される「飲み頃」を狙ったものですが、会場参加出来なかったので、恩恵に預かれませんでした(苦笑)。

 今回のゲスト講師は、元スイス政府観光局次長で旅行作家、翻訳家の鈴木光子氏でした。御高齢ということで、彼女もオンライン参加でした。お話は、今年3月に、足かけ5年の歳月をかけて翻訳出版したクロード・ハウザー、ピエール=イヴ・ドンゼ編「駐日スイス公使が見た第二次世界大戦―カミーユ・ゴルジェの日記」(大阪大学出版会)の完訳までの苦労話が中心でした。

 日記を書いたカミーユ・ゴルジェ(1893~1978年)は、スイス・ジュラ州(フランス語圏)出身の外交官で、日本には1924年から26年にかけて、当時、国際連盟事務局次長だった新渡戸稲造の推薦を得て外務省法律顧問として初来日し、40年から45年にかけて駐日スイス公使を務めた人です(その後、ソ連やデンマークなどの公使も歴任)。最初の来日は、大正デモクラシーの自由な世界で、公使を務めた時は、軍国主義の戦時体制でしたから、あまりにもの違いに驚くことが日記に書かれています。(未読なので、そのようです)

 日記は戦後10年経って公表されましたが、今回は、スイス・フリブール大学のハウザー教授が、カミーユ・ゴルジェの子息に連絡を取って、出版の許可を得て、大阪大学のドンゼ教授と連携して編纂し、前書きと後書きを執筆したというものです。1938年生まれの鈴木光子氏は、先の大戦で空襲の体験があることから、「歴史と記憶」を大命題とし、「太平洋戦争の記憶が薄れていく現代で、何が歴史として残るかを問う著作」として綿密に翻訳作業に取り組んだといいます。

 鈴木氏によると、日記には、皇室への憧憬、大国と小国の席の序列など外交界での身分格差、戦時下の一般庶民の投げやりな日常、スイス外交団の軽井沢への疎開など、貴重な歴史的証言が描かれているといいます。邦訳は583ページにも及ぶ大作で、「持つと重さ1キロもありますが、多くの人に読んで頂きたい」と鈴木氏は話しておりました。

 ついでながら、鈴木氏はスイスの専門家なので、日本人が意外と知らない「スイス人」の著名人として、思想家のジャン・ジャック・ルソー(1712~78年、父親はジュネーブ共和国の時計職人)、建築家のル・コルビュジエ(1887~1965年、本名Charles-Édouard Jeanneret-Gris、タグ・ホイヤーなど世界的時計メーカーが本拠地を置くラショー・ド・フォン出身)、フランス6人組の一人である作曲家アルトゥール・オネゲル(1892~1955年、仏とスイスの二重国籍)らを挙げておりました。

「延安での毛沢東の日本人洗脳工作と戦後GHQの工作の関係性」=第54回諜報研究会

11月18日(土)に早大で開催された第54回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催)に参加して来ました。共通テーマは「延安での毛沢東の日本人洗脳工作と戦後GHQの工作の関係性」でした。活発な議論が展開されて興味深い会合でした。 

 最初に登壇されたのは、インテリジェンス研究所理事長の山本武利早稲田大学・一橋大学名誉教授で演題は「捕虜洗脳には難解な本を読ませろ!」でした。先の大戦の日中戦争の最中、中国・延安で毛沢東から日本兵捕虜の洗脳を全面的に委任された野坂参三が使った教育用テキストを山本氏が古書店で「高価格で」入手し、その内容が報告されました。

 野坂参三は、毛沢東やコミンテルンなどからの支援を得て、1940年10月に延安に日本工農学校を組織し、校長に就任しました。この時、使った変名が「林哲」でした。その林校長も「時事問題」の講座を持ち、日本兵捕虜への洗脳に一翼を担ったことが分かります。

 具体的に使われたテキストとして、青年コミンテルン編「無産者政治教程ー資本主義社会の解剖」(延安日本工農学校出版部)といったオリジナルの書籍のほか、野呂栄太郎著「日本資本主義発達の歴史的諸条件」など難解な書物ばかりでした。野呂栄太郎は慶応大学の野坂参三の後輩に当たり、戦前の日本共産党の理論的支柱になった人でしたが、拷問がもとで病状が悪化し33歳の若さで亡くなっています。彼は、慶大卒業後、朝日新聞の入社試験を受けたものの、思想チェックと思われる理由で落選し、合格したのは後にゾルゲ事件で処刑された尾崎秀実でした。(もう一人受験して不合格になった人が、尾崎秀実と東大大学院同期生の松岡二十世の可能性が高いことを、松岡将氏が「松岡二十世とその時代」に書いております。)

 話が少し逸れましたが、延安で使われたテキストが難解だったという話でした。報告者の山本氏は「日本兵捕虜たちの多くは小学校卒業程度の教育レベルだったにも関わらず、難解なテキストを使ったのは、『帝国主義』とか「労働搾取』とか、ちょっとかじっただけで、自分も革命の一翼を担えると洗脳する目的があったのではないか」と分析し、「また、集団の中で各自に自己批判をさせたのは、カルト宗教がやってきた手法と同じです。毛沢東率いる共産党のやり方は非常にシステマティックで凄いという言うほかない。その点、蒋介石率いる国民党は甘かった」とまで力説していました。

 次に登壇されたのは、山下英次大阪市立大学名誉教授で、演題は「日本列島全体を『洗脳の檻』と化した GHQ:また、米軍延安ミッションは何をもたらしたか?」でした。

 山下氏が展開する持論は、日本は戦後78年間、「非独立国」であり、GHQが仕掛けた「洗脳の檻」から抜け出していない、というものでした。その証拠に、独立国の三種の神器である①自前の憲法、②国防軍、③スパイ防止法に裏付けされた統合された国家情報機関がないからだといいます。

 1944年11月、米国は中国共産党の本拠地・延安に軍事顧問団を派遣し、その場で、野坂参三による日本兵の洗脳が大きな成果を収めていることに着目し、戦後、GHQによる日本人洗脳計画の手本として利用したといいます。

 山下氏は、GHQ洗脳作戦として、①押し付けた現行憲法、②約21万人の公職追放、③7000冊以上の禁書指定、④日本の伝統的な歴史・道徳教育の全面的禁止と偏向教育、⑤徹底した検閲を伴った言論統制ーなど七つの柱を提唱して列挙しておられました。

 確かにその通り、一々、ご尤もと頷いていたのですが、「教育勅語を見直して、修身の教育を復活させた方が良い」「GHQの検閲は、戦前の日本より酷かった」といった趣旨の話になったときに、段々、違和感を覚えてしまいました。

 ただ、その場では考えがまとまらず、会場で質問さえしなかったので、これは後出しジャンケンのようになってしまいますが、確かにGHQの検閲は、問題にならないくらい極悪非道の検閲ではありましたが、日本の方がましだった、というのは違うんじゃないかな、と帰りの電車の中で考えた次第です。作家小林多喜二の拷問惨殺事件でも分かるように、特高による治安維持を盾にした言論弾圧は身の毛もよだつほどでした。戦時中は、永井荷風も谷崎潤一郎も、そして江戸川乱歩でさえも発禁処分を喰らって、断筆を強いられました。

 それに、日本は、敵国の事情を知らなければならないはずなのに「敵性語」の使用を禁止し、野球のセーフやアウトを「良し」「駄目」とか言い換えたりして噴飯物です。精神論ばかり強調し、上層部は、元寇のように神風が吹くと思っていました。「軍人勅諭」なんか、「捕虜にならず、自殺しろ」と言っているようなもので、米軍とは正反対です。米軍は兵士に対して十分な食糧とデザートまで用意して兵站の観念がしっかりしていたのに、日本軍は非常に無責任で、食糧は現地調達で片道切符しか兵士に与えず、戦死者のほとんどが餓死者だったということで米軍とは対象的です。それでいて、インパール作戦の司令官だった牟田口廉也将軍のように、エリート軍事官僚は、兵士を虫けら扱いにして遺棄して、一人白骨街道の上空を悠々と飛行機で逃げ帰った史実もあります。

 確かに、戦後GHQの洗脳作戦が酷かったとはいえ、戦前の軍国主義の方がましだったとは言えません。

 GHQがやったことは全て悪かった、と全面否定することは簡単ですが、少しはましなこともやっています。例えば、「農地改革」により小作人たちは奴隷状態から抜け出すことができたし、「華族制度」廃止により、明治新政府という名の薩長軍事クーデター政権がつくった身分制度が廃止され、多額納税者である貴族議員という特権階級の廃止と「婦人参政権」により、表向きには民主主義が成立しました。いずれも、戦前の日本の軍事政権では出来ず、外圧によってしか成し得なかったことでした。

 結局、日本は「永久敗戦国」として、「思いやり予算」で米軍と基地を受け入れ、「核の傘」の中で戦後の高度経済成長を成し遂げました。今も占領が続いているのは確かで、米国の51番目の州みたいなものだということは多くの国民が自覚しているところです。それより、ソ連のロシアに征服されるよりマシだったかもしれないし、北朝鮮のような全体主義的軍事政権がそのまま続いていたよりマシだったかもしれません。

 そんなことを考えながら夜道を帰りました。

 

フランス語は18世紀でも人口の20%しか話されていなかった!

 いい年こいて、いまだに身に付かないフランス語を勉強しています。専らNHKのラジオ講座「まいにちフランス語」ですが。

 今放送されている応用編「フランコフォニーとは何か」(講師は西山教行、ジャンフランソワ・グラヅィアニ両氏)は、知らなかったことばかりで大変勉強になります。

 フランス語を勉強した人なら誰でも知っている格言があります。

 Ce qui n’est pas clair n’est pas francais.(明晰ではないものはフランス語ではない。)

 18世紀のフランスの啓蒙主義作家アントワーヌ・ドゥ・リヴァロールの言葉ですが、確かにフランス語は文法がしっかりしていて、英語のような、どっちにでも意味が取れそうな曖昧さは微塵もありません。大袈裟な!

 そのせいか、フランス語は今より遙かに国際語として通用していました。フランス語を日常的に使っていた有名な外国人は、プロイセン(ドイツ)のフリードリッヒ2世、ロシアのエカテリーナ二世女王、米国の政治家・外交官ベンジャミン・フランクリン(仏語ではバンジャマン・フランクランと読みます)、女性遍歴で有名なイタリア・ベネツィアの作家カサノヴァらです。欧州全体でフランス語が使われていたのです。

 いや、これはさほど驚くべきことではありません。私が何よりも驚いたのは、18世紀のフランス本土で日常的にフランス語を使っていたのは、全人口のわずか20%しかいなかったという史実です。フランス語を使用していたのは、フランス王権のあるパリ近辺のイル・ド・フランス地方や北部のピカルディ地方などです。当時、83県のうち、15県しかなかったといいます。残りの80%はそれぞれの地域の言語ー例えば、バスク語やブルトン語やコルシカ語などを使っていたのです。

 そう言えば、日本だって、19世紀の江戸時代までは地域語が日常語であり、恐らく津軽藩と薩摩藩との間では言葉が通じなかったと思われます(笑)。

タコス・パーティー

 フランスではフランソワ1世(1494~1547年)が1539年、ヴィレル・コトレの勅令を発布し、行政、司法、教会等の文書をこれまでのラテン語からフランス語にするよう取り決めました。この勅令は、現代フランスでも有効といわれる最古の法とも言われますが、実質的な効力ではなく、象徴的な面が強いといいます。実際、2014年、当時のエロー首相は、閣僚が英語を多用しないようにこの勅令を参照したそうです。

 このように、16世紀にフランス語は公用語になったとはいえ、18世紀末になってもフランス語を話せるのは国民のわずか20%しかいなかったというのは、驚くほかありません。「まいにちフランス語」講師のグラヅィアニ講師によると、フランス語が仏全土に行き届くのは、19世紀の第三共和政(1875~1940年)になってからで、初等教育が義務化され、農村人口が都市に流れ込み、ラジオやテレビが普及してからだそうです。ただし、フランスとスペインに居住するバスク人の間でバスク語を使う人は300万人おり、フランスでバスク語しか出来ない人は現在でも2万人いるそうです。

 私はバスク人には大変興味があります。日本人なら誰でも知っている日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルはバスク人ですし、仏作曲家のモーリス・ラヴェルも、キューバ革命のチェ・ゲバラ(アルゼンチン人)もバスク人だと言われています。

 何と言っても、スペインのバスク地方の街サン・セバスチャンは映画祭で有名ですが、何と言っても、三つ星のミシュラン・レストランが世界的にも多いグルメの街として知られていますからね。嗚呼、一度、行ってみたい!!

芸能事務所とマスコミと財界のゴールデントライアングル=「週刊ダイヤモンド」の「ジャニーズ帝国 最強ビジネスの真実」特集

 毎週月曜日発売の「週刊ダイヤモンド」11月18日号(880円)が「ジャニーズ帝国 最強ビジネスの真実」特集を展開していたので、思わず購入してしまいました。これでも、私は、かつて芸能担当記者を務めたことがあり、仕事としてその筋とは大いに関わっていたからです。

 ジャニーズ事件に関しては、薄々噂で知っていながら、ジャニーズ所属タレントを多く起用したマスコミも批判対象になりましたが、その具体例も書かれていました。その前に財界人を代表するサントリーの新浪剛史社長(経済同友会代表幹事)が痛烈に酷評して、自社CMからジャニーズ・タレントの起用から撤退しましたが、何となく自家撞着のような気がしています。それに、財界が全く批判の対象にならないこと自体がおかしいのです。

 つまり、テレビなどのマスコミでジャニーズ・タレントの出演が多くなればなるほど、露出度が増し、それが人気となり、テレビは視聴率を稼げる。お陰で広告主(スポンサー)からの収入も増える。スポンサーはスポンサーで、視聴率が高い番組に自社製品の宣伝を繰り返して売上増の恩恵を受ける。つまりは、財界は、マスコミとジャニーズを大いに利用していることになるからです。

 今回の事件は、芸能事務所とマスコミと財界とそれに、監督官庁である政官界を含んだエスタブリッシュメントが、排他的な鉄壁の独占禁止法に触れかねないカルテルを、阿吽の呼吸と同調圧力とその場の空気で「何となく」契約書なしに結ばれていたという「不都合な真実」があったということになります。

 さて、その旧ジャニーズ事務所とマスコミとのズブズブの関係が同誌の49ページに具体的に書かれています。大河ドラマ「風林火山」や朝の連続テレビ小説「ほんまもん」などを手掛けたNHKの元理事若泉久朗氏はジャニーズ事務所に「役員待遇で迎え入れられた」。フジテレビの中野由美子プロデューサーは、看板ドラマ「月9」で、嵐の松本潤を主演に起用した「ラッキーセブン」などを手掛け、2018年に出向し、その後、事務所本体と子会社の取締役を務め、関係が深いレコード会社のソニー・ミュージックエンタテインメントの役員を務めた小俣雅充氏も本体を含めて子会社3社の取締役を務めているといいます。

 これらは、まさに大企業が、霞ヶ関の官僚を天下り先として受け入れる態勢と瓜二つです。全く同じと言っても良いでしょう。お互い、ウインウインの関係なのです。

 そうそう忘れるところでしたが、タレントのカレンダー売り上げも馬鹿にならず、大手出版社9社との利権構造も明らかにされています。第1位は、マガジンハウスでKIng&Princeのカレンダーで9億5454万円、第2位は講談社(Snow Man)で9億0133万円、第3位は小学館(なにわ男子)で5億0789万円になっています。ジャニーズ帝国批判キャンペーンを行っていた「週刊文春」の版元文藝春秋は、カレンダー利権に預かっていませんでした。その一方、あまりジャニーズ批判をしない「週刊新潮」の版元新潮社は、SixTONESのカレンダーの利権で3億5497万円の売り上げがあり、第4位に食い込んでいました。道理で、週刊新潮はジャニーズ批判の舌鋒が鈍いはず。これで理由が分かるということです。

 逆に週刊文春がジャニーズを批判できたのは、カレンダー利権に預からなかったから、とも言えます。

 実は、私は芸能記者から離れて大分経ち、「Kis-My-Ft2」が読めないどころか、メンバーも誰一人知らず、顔と名前が一致しないことを告白しなければなりませんが、同誌の「巨大帝国のビジネスモデルとカネ」を読むと、その巨額さには圧倒されるばかりでした。こんな感じです。

・2022年のコンサートの興行収入は498億円(第1位は、KIng&Princeの60億3000万円)

・ファンクラブの年会費通算200億円超(各グループに付き入会金1000円、年会費4000円)

・隠れ資産「ジャニーズ不動産」=都心13物件で530億円(東京・港区赤坂の本社ビル、渋谷区神南のParkway Square、新宿区百人町の東京グローブ座など)。賃貸収入は年間15億円超。

(数字はいずれも推定評価額)

 さすが経済誌だけあって、よく調べております。

 ジャニーズ事務所の消滅後の今後の日本の芸能界はどうなるのか? 同誌52~53ページには「芸能事務所の相関図」が描かれています。これは芸能記者にとって必須のマル秘情報です。でも、恐らく、関係者に止められていると思われますが、相関図には芸能事務所の代表者名やその大本のことまで書かれていません。私はかつてレコード大賞の審査員をやったことがあるため、裏社会との繋がりまで熟知してしまいましたが、衆人監視のこのブログなんかに書けるわけがありませんよ(苦笑)。

 ジャニーズ事件はいわゆる氷山の一角であり、芸能界はもっともっと奥が深いのです。