本当の日本人の姿が分かる=速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」

 今読んでいる速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」(文春新書、2022年5月20日初版)は、久しぶりに、ページを繰って読み通してしまうのが惜しいほど面白い本です。

 「歴史人口学」なるものを日本で初めて確立した慶応大学教授による「一代記」とともに、そもそも歴史人口学とは何なのか、その史料集めから分析方法まで手取り足取り惜しげもなく披露し、それらによって得られる「日本人の歴史」を活写してくれます。

 日本の歴史と言えば、信長、秀吉、家康といった偉人が登場して、彼らの家系図や姻戚・家臣関係から、戦績、城下町づくり、政策などを研究するのが「歴史学」の最たるもののように見なされ、我々も歴史上の有名な人物の生涯を学んできました。その一方、歴史人口学となると、有名人や偉人は出て来ません。無名の庶民です。その代わり、江戸時代の日本の人口はどれくらいだったのか?(速水氏の専門は日本経済史ですが、使う史料が江戸時代の「宗門改帳」だったため)江戸時代の平均寿命は何歳ぐらいだったのか?平均何歳ぐらいで結婚し、子どもはどれくらいいたのか?幼い子どもの死亡率はどれくらいだったのか?長子相続制だったため、次男三男らは江戸や大坂、名古屋などの大都市に奉公に出たが、何年ぐらい年季を務めて、地元に帰って来たのか?-等々まで調べ上げてしまったのです。

 この手法は、速水氏が慶応大学在職中(恐らく、助教授時代33歳の時)の1963年に欧州留学の機会を得て、そこで、フランス人のルイ・アンリという学者が書いた歴史人口学の入門書等と初めて出合い、アンリは、信者が洗礼する際などに教会が代々記録してきた「教区簿冊」を使って、その土地の一組の夫婦の結婚、出産、子どもたちの成長、死亡時の年齢まで押さえて、平均寿命や出産率などを分析していることを知り、帰国後、この手法は日本では「宗門改帳」を使えば、同じようなことが出来るのではないか、ということを発見したことなどが書かれています。

 私が速水融(はやみ・あきら、1929~2019年)の名前を初めて知ったのは、確か30年ぐらい昔に司馬遼太郎のエッセーを読んだ時でした。何の本か忘れましたが(笑)、そこには、江戸時代の武士階級の人口は全体の7%だった、ということが書かれ、その註釈に、 歴史人口学者の速水融氏の文献を引用したことが書かれていました。そこで初めて、歴史人口学と速水融の名前をセットで覚えました。そして、先日、エマニュエル・トッドの大著、 堀茂樹訳の「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」(文藝春秋)の上下巻本を読んだ際、この本の中でも速水融氏の文献が引用され、しかも、トッド氏というあの大家が尊敬を込めて引用していたので、いつか速水融氏の何かの著作を読まなければいけないなあ、と思っていたのでした。そしたら、ちょうどうまい具合にこの本が見つかったのです。

 何度も言いますが、これが面白い。実に面白い。特に偉人変人?を中心にした人物史観に飽き飽きした人にとってはとても新鮮で、目から鱗が落ちるほどです。

 ですから、あまりこの本の内容について書くことすら憚れますが、目下150ページまで読んで、興味深かった点を少し挙げますとー。

・歴史人口学の基礎史料となる欧州の「教区簿冊」と日本の「宗門改帳」を比較すると、「教区簿冊」では、洗礼(出生)、結婚、埋葬(死)といったイベントは分かるが、教区の人口が何人とか男女比まで分からない。一方の日本の宗門改帳は、世帯単位で作成されているので、出生、結婚、死亡は勿論、村の人口やどこへ移動したのかまで分かる。ただし、宗門改帳は全国バラバラで統一性がないので、全国としての研究はやりにくい。

・速水氏は享保年間の日本の人口を3000万人+αと推測した。八代将軍吉宗が全国の国別人口調査を実施し、2600万人という数字を出したが、(仏革命期のフランスの人口は2800万人と推測されている)しかし、この数字は、ある藩で8歳以下や15歳以下が含まれていなかったり、そもそも最初から武士階級がカウントされていなかったりしていた。そこで、速水氏は約500万人を追加して、3000万人ちょっとという数字を弾き出した。

・速水氏の「都市アリ地獄説」=江戸は人口100万という世界的にも大都市だったにも関わらず、周辺地域も含めて人口減が見られた。それは、大都市が健康的なところではなく、独身者も多くて出生率が低く、特に長屋など住環境も悪く、火災も多く、疫病が流行ると高い死亡率となる。これは、農村から健康な血を入れないと人口が維持できないということを意味する。欧州でも同じ現象があり、それは「都市墓場説」と命名されている。

・江戸やその周辺、大坂・京都の近畿地方は経済が発達し、人口も増えていくと思われがちだが、実はそうではない。江戸時代に人口が増えたのは北陸や西日本など大都市がなかった所だった。人口が増えた西日本には長州藩や薩摩藩があった。その地域が明治維新の主導力になったのは、人口増大による圧力があったからかもしれない。関東や近畿には人口圧力がない。人口圧力だけが世の中を動かすとは限らないが、明治維新を説明する一つの理由になると思う。西南日本のように、大都市がなく、出稼ぎに行く場所がない所では、人口が増えても生かす場所がない。それらが不満になって明治維新というところまで来たのではないか?

・美濃地方の宗門改帳を分析した結果、結婚した者の平均初婚年齢は、男は28歳、女は20.5歳だった。結婚継続期間はわずか1年というのが一番多く、全体の7%。銀婚式(25年)は2.3%で、金婚式(50年)はほんの0.5%。これは死亡時期が早いこともあるが、わりと離婚率が高かったことになる。結婚して1~3年で離婚のケースが一番多かった。

 へ~、江戸時代は意外にも離婚が多かったんですね。(これ以上のコメントは差し控えさせて頂きます。)そして、男の初婚平均年齢が28歳だったとは、現代とそう変わらないのでは? 信長にしろ、家康にしろ、戦国武将は政略結婚とはいえ、10代ですからね。江戸期の庶民は、少し遅い気がしました。

職業で人相が表れるというお話=4年ぶりの高校同窓会に参加しました

 4日(土)は、4年ぶりに高校の同窓会が高田馬場の「梵天」で開かれ、私も参加して来ました。御年79歳になられる目良先生を始め、参加者は全部で14人。クラスは48人おりましたから、3分の1にも満たなかったのですが、全員、高校時代の悪ガキに戻って楽しく歓談することが出来ました。

 コロナの影響で、4年ぶり開催ということで、まず初めに、その間に亡くなってしまった神林君と田中君の冥福をお祈りして、皆で黙祷を捧げました。同窓会というと、どうも参加者の顔ぶれが決まってしまっておりますが、今回初めて参加する人もいました。卒業してもう半世紀近く経ち、その間一度も会ったことがなかったので、「あんた誰?」という感じでした。街ですれ違っても、全く分からないことでしょう(笑)。

 初参加は水口君で、永年、小学校の教師を務めていたようです。校長先生になれたようですが、最終的にはなりたくなくて、登用試験を受けなかったそうです。一方、某有名学園の校長先生になった金澤君は、大変な苦労をしてしまったようで、任期途中で辞任したそうです。「生徒相手の授業は楽しかったのに、校長になると大人の教師の管理が仕事。ストレスだらけで血圧が190にも上がってしまったよ」と溜息をついておりました。

何だろう?気球かなあ?

 もう一人、教師になったのは美大を出て母校の美術・技術教師になった細川君。彼も大変苦労したようですが、母校は半世紀前とはすっかり様変わりしたことを話していました。我々の頃は、東大に1人入れるかどうかの「滑り止め校」でしたが、今では東大に50人以上入学する全国でも有数の超進学校になったことで色々と問題課題も増えていったということでした。昔の母校は、都立の滑り止めだったのが、今では逆に日比谷や戸山などかつての都立名門高校を蹴って入学する時代になったといいますから隔世の感があります。(もっとも、中高一貫校になってしまい、高校入試はなくなりましたが)

 思うに、人間とは職業でその人相が表れてしまうものです。教師になった彼らは、まさに「教師面」になってしまっておりました。

 京都の禅寺に有名な格言?がありますよね。ー「妙心寺の算盤面」「建仁時の学問面」「南禅寺の武家面」「東福寺の伽藍面」「相国寺の声明面」です。解説は不要でしょう。とにかく、人間は職業でそれに似た面構えになってしまうということです。

 経済評論家の岡本君は、怪しげな相場師の人相。高校時代に「タコ」と綽名された小島君は、医療関係の仕事をしてますが、今でも普通の人の発言とは超越していて宇宙人の風貌。(小島君は、このブログを読んでくれているようで、「ランチの写真、いつも載せて、値段まで書いているけど、たまにはもっと高いやつ喰えよ」と言われてしまいました!)薬局店を経営する薬剤師の平田君は、商人(あきんど)の面構え。今回、幹事長を務めてくれた加藤君は、修行僧。そういう私はブンヤなので、さぞかしスパイ面といったところでしょうか(笑)。

 二次会にも参加しましたが、座った隣席に近い人しか話が出来なかったので、全員には取材?できませんでしたけど、皆、辛うじて人生の荒波を乗り越えて生き延びていて、嬉しく思いました。皆、歳も歳なので、あと何回、同窓会を開催出来るか分かりませんが、今後もなるべく参加したいと思っています。

 あ、忘れるところでしたが、帰りは、またまた飲み過ぎで前後不覚になってしまい、危ないところでした。我ながら懲りないなあ~。

つい、昨日写されたもののよう=佐藤洋一、衣川太一 著「占領期カラー写真を読む」

 私は「ポイント貴公子」なので(ポイント乞食ではありませんよ!)、三省堂書店のポイントが少し溜まったので、何か新書を買うことにしました。でも、三省堂はちょっと不便でして、他の書店、例えば、紀伊國屋書店なんかは、いつでも何ポイントからでも使えるのに、三省堂は100ポイント(以上)単位でしか使えないのです。

 御存知なかったでしょう? 最近、本屋さんなんかに足を運ばれていないんじゃないんですか? 私は、街の本屋さんがなくなってしまっては困るので、なるべくリアルの書店に行くようにしております。だって、「エンゲル係数(お酒も含む)」以外でお金を使うとしたら旅行するか、もう本を買うか、洋服を買うかぐらいしかないからです。競馬もパチンコもしませんし…。

 昨日は、高校の同級生田中英夫君の訃報に接しました。4日に同窓会を開いて久しぶりに皆で顔を合わせようという時期だったので、衝撃が走りました。同級生ですから同い年です。人生100年時代、世間的にはまだまだ早い方ですが、誰でも、いつ何時、死神が襲ってくるか分かりません。それなら、生きているうちが華ですから、お金なんか貯め込んだりせず、日本経済に貢献し、好きなものを買って楽しく過ごした方が健康にいいですよね?

新富町「はたり」日替わり定食1000円

 さて、新書と書きましたが、古書に対する新しい本という意味で最初に書いたのですが、結局購入したのは新書でした(笑)。佐藤洋一、衣川太一 著「占領期カラー写真を読む」(岩波新書、2023年2月21日初版)という本で、1週間前に買ったので、先ほど電車の中で読了しました。

 コダックや富士フイルムなどカラー写真やスライドの歴史の詳細にも触れ、正直、かなりマニアックな、ある意味では難解な学術書でしたが、占領期のカラー写真は初見のものばかりでしたので、興味深く拝読しました。著者は二人なので、どのように本文を分担されていたのか分かりませんが、写真については、2009年頃から、ネットオークションで手に入れることが多くなったことが書かれていました。写真投稿サイト flickr やネットオークション eBay などです。オークションにかけられる写真は、ほとんど撮影した本人が亡くなった後、遺族によるものが多いので、撮影された年月日や場所など基礎情報に欠けるものが多く、さながら歴史探偵のように苦労して調査しておられました。しかも、売る側が高く売ろうとして「バラ売り」したりするので、ますます出所判明に困難を来すことも書かれていました。

 6年7カ月間、マッカーサー将軍率いるGHQという名の米軍による日本占領期(1945年9月2日~52年4月28日)は今から70年以上昔ですから、若い人の中には「えっ?日本って、占領されてたの?」という人もいるかもしれません。それ以上に、「えっ?マジ?日本はアメリカと戦争してたの?マジ、マジ?」と驚く若者もいるかもしれません。学校での歴史の授業は明治時代辺りまでが精一杯で、近現代史を学ばないせいなのでしょう。でも、こうしてカラー写真で見ると、つい最近のように見えます。いくらAIが発達して、白黒写真をカラー化出来ても、ほんまもんの「色」には及ばないことでしょう。

新富町

 今や旧統一教会との関係問題ですっかりミソを付けて信頼を失ってしまった細田博之・衆院議長は、若き通産省官僚の頃、米国に留学し、下宿先のスティール夫妻が占領下の日本で撮影したカラースライドをたまたま見たことがきっかけで、「毎日グラフ別冊 ニッポンの40年前」(1985年)の出版などに繋がったことも書かれていました。細田氏は「あと10年は待てない。なぜなら多くの撮影者はこの世を去り、写真は散逸してしまうから」との思いから、毎日新聞社と連携し、スティール氏が中心になって全米から1万枚もの占領期のカラー写真を集めたといいます。

 エリートの細田氏にそんな功績があったとは全く知りませんでした。

名著なればのズッシリとした感動=レヴィ=ストロース著、川田順造訳「悲しき熱帯」

 レヴィ=ストロース(1908~2009年)著、川田順造訳「悲しき熱帯Ⅱ」(中公クラシックス)をやっと読了することが出来ました。マルセル・プルーストのような文章は、非常に難解で、かなり読み解くのに苦労しましたが、やはり、名著と言われるだけに、読了することが出来てズシリと重い達成感があり、感無量になりました。

 最後まで読んでいたら、本当に最終巻末に「年表」や「関連地図」(大貫良夫氏作成)まで掲載されていたので、「ありゃまあ、知らなかった」と驚いてしまいました。最初から地図があることを知っていたら、参照しながら読めたのに、と思ったのです。確かに、カタカナの固有名詞が出て来ると、最初は、これが地名なのか、ヒトの名前なのか、植物なのか、戸惑うことが多かったからです。そんなら、今度は地図を見ながら再読しますか?(笑)

新富町・割烹「中むら」小アジフライ定食 銀座では絶滅した、雰囲気のある小料理屋。銀座より価格は100円ほど安くリーズナブル。女将さんも感じが良い、常連さんが多い店でした。

 「悲しき熱帯」の大長編の中で、一つだけ印象深かったことを挙げろ、と言われますと、私は迷うことなく、ナンビクワラ族の訪問記を挙げますね。この部族に関しては、以前にもチラッとこのブログに書きましたが、とにかく、アマゾン奥地の未開人の中で最も貧しい部族だったからです。(著者は、ナンビクワラ族のことを「石器時代」なんて書いております。)

 「悲しき熱帯Ⅱ」の161ページにはこんな記述がみられます。

 ハンモックは、熱帯アメリカのインディオの発明によるものだ。が、そのハンモックも、それ以外の休息や睡眠に使う道具も一切持っていないということは、ナンビクワラ族の貧しさを端的に表している。彼らは地面に裸で寝るのである。乾季の夜は寒く、彼らは互いに体を寄せあったり、焚火に近寄ったりして暖をとる。

 この前の141~142ページには、ナンビクワラ族の生活様態が描かれています。

  ナンビクワラ族の1年は、はっきりとして二つの時期に分けられている。10月から3月までの雨の多い季節は、集団は各々、小川の流れを見下ろす小さな高地の上に居住する。先住民は、そこに木の枝や椰子の葉でざっとした小屋を建てる。(中略)乾季の初めに村は放棄され、各集団は幾つかの遊動的な群れになって散って行く。7カ月の間、これらの群れは獲物を求めてサバンナを渡り歩くのである。獲物といっても多くは小動物で、蛆虫、蜘蛛、イナゴ、齧歯動物、蛇、トカゲなどである。このほか、木の実や草の実、根、野性の蜂蜜など、いわば彼らを飢え死にから守ってくれるあらゆるものを探し歩く。

 うーむ、凄いなあ、凄まじい生活ですね。蛆虫まで御馳走?になるなんて、最も生活レベルが低い人類であることは間違いないことでしょう。とても、生き残れるとは思えません。彼らはその後どうなったのか? と思ったら、日本人の文化人類学者がしっかりと、フォローされているようですね。巻末に参考文献として列挙されていました。

 一つは、著名な文化人類学者の今福龍太氏の論考「時の地峡をわたって」(レヴィ=ストロース著「サンパウロのサウダージ」(みすず書房)の今福氏による翻訳版に所収)です。今福氏が2000年3月にサンパウロ大学に招聘されたことを機会に、60年余り前にレヴィ=ストロースが住み、写真を撮った地点を丹念に再訪して鋭利な考察を行ったものです。

 もう一つは、この「悲しき熱帯」を翻訳した川田順造氏の著書「『悲しき熱帯』の記憶」(中公文庫)です。レヴィ=ストロースのブラジル体験から50年後(1984年)に、ナンビクワラをはじめ、ブラジル各地を訪れて感じ、考えたことを起点に「悲しき熱帯」の現在を考察したものです。

 いずれも、私自身未読なので内容は分かりませんが、こうして、世界中の文化人類学者がレヴィ=ストロースに大いなる影響を受けたことが分かります。レヴィ=ストロースのもう一つの代表作「野生の思考」(みすず書房)も私自身、未読ですので、いつか挑戦してみたいと思っております。

な、何と、東スポ餃子とは!=ぐあんばれ、東京スポーツ新聞!

 前から書こうと思って忘れていたことを本日書かさせて頂きます。質量とも、つまり、売上部数も内容も、エンターテインメント紙ナンバーワンだったあの東京スポーツ新聞が、ネット社会の弊害を受けて、部数が低迷してしまい、ついに数年前から社員の大幅リストラに踏み切りました。

 日本新聞協会によると、スポーツ紙の発行部数は、2000年の時点で、630万7162部もあったのですが、2022年は215万1716部と3分の1近くも落ち込んでしまいましたからね。

 若い人は紙の新聞を買わなくなってしまいましたし、もう「企業努力」ではこの流れを食い止めることは出来ません。朝日新聞や読売新聞など大手一般紙は、もはや都心の超一等地にある旧社屋の跡地にビルを建てて、本業よりも不動産業の方が収益があるという噂があるほどです。

 東京スポーツは残念ながら、不動産業で副業出来るほどの土地持ちではないようなので、そこで、思い切って始めた副業が、何と餃子販売だったというのです。この経緯については、昨年11月に出版された岡田五知信著「起死回生 東スポ餃子の奇跡」(MdNコーポレーション)に詳しい。宣伝文句に曰く…

 スポーツ紙が危機的状況に晒される中、大手一般紙傘下とは無縁の東スポが生き残りを賭けて起死回生の大勝負に打って出た。これまでの新聞業態とは縁もゆかりもなかった食品業界に、餃子、唐揚げ、ポテトチップスで事業参入を図ったのだ。その裏にあったのは、大リストラを経て学んだ血まみれの教訓だった。これ以上、社員を犠牲にしたくない。社員を守るため、会社を存続させるために一人の幹部社員が腹を括って動き出した…。

 東スポブランドの食品の売上は、今や年間1億円に拡大しているといいます。

銀座

 私も東スポの記者とは何人もお付き合いしたことがあります。東京スポーツは、明治に創刊された大衆紙「やまと新聞」の流れを汲み、あの児玉誉士夫氏がオーナーとして戦後の1960年に創刊され、プロレスや芸能スポーツ、スキャンダル、はたまた河童から人面魚に至るまで「飛ばしの東スポ」の異名を持ったことは皆さん御案内の通りです。

 本来、新聞記事は最終的に本人に確認し、そのことを業界用語で「ウラを取る」と言いますが、東スポの場合、社是として?「ウラは取らない」と聞いたこともあります(笑)。

 しかし、私の経験では、東スポ(と系列の大阪スポーツ新聞)の記者ほど真面目で大人しい人間が多く、記事とのギャップに驚いたほどです。それに、記者会見など公式な場での発言は紙面では書けないので、記者会見では出なかった「本音」を聴くために、さらに、夜討ち朝駆けで取材しなければならず、要するに他社と比べて2倍も3倍も働いていました。

 もう一つ、東スポは夕刊紙なので、時差を利用して早くから日本人が活躍するゴルフなど海外でのスポーツ報道に力を入れていました。ゴルフの全米オープンやマスターズなど格式がある大会でも、「東京スポーツ新聞社様」とネームプレートと入りの豪華な記者席が用意されているという話も聞いたことがあります。それは、米国の主催者が、Tokyo Sports News なら日本を代表するクオリティーペーパーだと誤解したためだ、というオチがありますが(笑)。

 でも、時代の趨勢ですね。ネット上では、東スポとは比べ物にならないもっと過激で、ウラを取らないフェイクニュースや関係者しか知らないスキャンダルに溢れていますから、太刀打ちできません。それに輪をかけて、駅やプラットフォームでのキオスクがほとんど消えてしまい、サラリーマンの「通勤の行き帰りに新聞」という習慣も絶滅してしまいました。

トマホークは誰がつくってるのかな?=米国の政・官・産・軍・学の一蓮托生を見た

 反撃能力(敵基地攻撃能力)に使う米国製巡航ミサイル「トマホーク」の購入数が400発になることが昨日27日の衆院予算委員会で明らかになりました。政府は、トマホーク取得費用として新年度予算に2113億円を計上していたので、これで1発が幾らなのか想像出来ます。

 いや、そんなことより、こうして防衛費増大が具現化されていきますと、「はじめのはじめ」のような、「おわりのはじまり」のような、「おわりのおわり」のような予感がしてきます。何が? まあ、御説明するまでもないでしょう。2021年10月の時点で、日本の戦後生まれは86.2%。ほとんどの人が先の大戦の体験がないわけですから、周辺国からの危機をやたらと煽り立てる為政者の口車に乗ってしまったということです。特に、ロシアによるウクライナ侵攻があってからは尚更です。正論にまでなってしまいました。

 しかし、管見ながら、軍拡競争はキリがありません。ですから、結局、どちらか(もしくは両者)の破滅で終わることを歴史と人類学が教えてくれています。

銀座「ジンホア」担々麺 シンガポール仕込みらしくこれは美味い😋

 私はこのトマホークというミサイルの性能よりも、一体、誰がつくっているのか気になりました。今は簡単に調べられます。米ヴァージニア州フォールズチャーチに本社を置く軍需産業ジェネラル・ダイナミクス社です。従業員9万人の大企業です。1952年設立と意外と新しい会社かと思ったら、米海軍御用達で1899年創立のエレクトリック・ボード社の流れを汲むらしいのです。この会社、明治37年(1904年)に日本海軍の依頼を受けて水雷艇を建造したといいますから歴史があります。1904年といえば、この年の2月に日露戦争が勃発しています。(翌年9月まで)

 ジェネラル・ダイナミクス社の会長兼CEOがフィービー・ノヴァコヴィッチさん(1957年11月生まれの65歳)というセルビア系米国人女性です。ファーブス誌から世界で最も影響力のある女性経営者の25位に選ばれています。ペンシルベニア大学でMBAを取得し、CIAと国防省に勤務した経歴があります。ジェネラル・ダイナミクス社に移ったのは2001年で、12年には社長に就任し、会長兼CEOは13年1月から務めています。米国のエリート社会は、政・官・産・軍・学が一体になっていて、よく「revolving door(回転ドア)」と言われます。政治家が落選して大手軍需企業の役員になったり、経済学者が財務長官やFRBの議長になったり、クルクルと回転ドアのようにポストが回されるという意味です。元CIAから軍需産業のトップに就いたノヴァコヴィッチ氏もその典型だったことが、これではっきりと分かります。

 そして、何よりも、永久敗戦国が、半強制的に宗主国の軍需産業を支え、宗主国の経済と景気浮上に大きく貢献する構図も見て取れます。

彼or 彼女は「人間関係リセット症候群」なのかも?=世の中は不条理に出来ています

  医学関係の記事を読んでいたら、「人間関係リセット症候群」なる病気が最近増えていることを知りました。若者だけでなく、いわゆる老若男女問わず、です。

 正式な病名ではありませんが、これは、FacebookやツイッターやLINEなどのSNSから突然、アカウントを削除したり、連絡先も削除したりする行為を指します。原因は、失恋や離婚や裏切りなど人間関係でトラブルがあって、疲れてしまったり、人との付き合いにうんざりしてしまったりしたことなどが挙げられます。

 そういう私も、Facebookを突然やめてしまった「前歴」があります。いや、突然、ではありませんね。ちゃんと、ブログで事前に、Facebookの弊害などを列挙して、「やめます」と通告させて頂きました。それに、削除まではしておりません。Facebookは、退会のやり方が実に、実に煩雑なためで、そのまま放置しているだけです。同じようにツイッターも、ほとんどチェックせず、削除もしないでそのまま放置している、といった具合です。

 ですから、自分自身は、「人間関係リセット症候群」ではない、と思っているのですが、Facebookなどをやめたのは、確かに「毎日、毎日、何回もチェックして、一喜一憂するのに疲れてしまった」ことが理由です。そんなもんに時間が取られてしまっては、人生が勿体ないと悟ったわけです。

銀座

 その逆に、「人間関係リセット症候群」らしき病気に罹った人?から、突然、何の通告もなく、私も切られた経験があります。メールを送っても返信がない、といった程度です。でも、そりゃあ、気になりますよね? 自分が何か悪いことをしたのか? 相手に気に障ることをしたのか? 何か変なことをブログに書いてしまったのか? 色々なことが、頭の中を駆け巡り、結局、自分ばかり責めてしまう羽目に陥ってしまいました。

 でも、それが、相手がいくら親友だろうと、相手の御都合であり、結局は自分自身の力が及ばないことを早く悟るべきでした。相手は、それこそ、「人間関係リセット症候群」で、人付き合いに疲れてしまったのかもしれないからです。

 この「人間関係リセット症候群」の存在を知る前は、自分自身を責めたり、その反対に、「相手を大切にしない人には、自らその人を大切にする必要はない」という本の宣伝文句に気を紛らわせていたりしてました(笑)。本当は、「お前なんか、どうでもいい。興味なんかないし、どうなろうと俺の知ったことではない」というのが真相かもしれませんが、今回、「人間関係リセット症候群」の存在を知って、ほんの少し気が楽になりました。

銀座「ジンホア」小籠包と焼売

 話は全く変わりますが、本日は、どうもタイミングが悪い日でした。

 朝の混んだ通勤電車で、私は最寄り駅から10駅目で、やっと座ることが出来たのですが、後から右隣りに割り込んで入って来た男は、何と、私よりも先に、自分が乗ったその次の駅で座ることが出来たのです。何という不条理(笑)。

 そして、本日、ランチに行ったお店で、「すぐお席を御用意します」と言われたので待っていたら、私自身は15分ほど待たされたのですが、後から来たお姐さんは、1分も待たずに直ぐ着席出来て、料理も私とほぼ同時に運ばれてきたのです。何という不条理(笑)。

 これも、世の中、不条理に出来ていると悟れば、何の問題もありません。ロシアから侵略されて殺されたウクライナの人々のことを思えば、この程度のことは不条理でも何でもないですね。

 

オラも「チャットGPT」やってみた=悩むのが人間ですよ

 自分自身、信じられませんが、いつの間にか、私も世間では高齢者と呼ばれる部類になってしまいましたが、有難いことに、好奇心だけは衰えていません。

 このブログをお読み頂いてくださる皆様にはお分かりですが、歴史から、古生人類学、文化人類学、進化論、地球46億年、宇宙論まで本を読み漁り、興味がさまざまな分野に発展して留まることを知りません。

 そしたら、それに対してチャチャを入れる奇特な紳士がおりまして、「貴方は、あっちこっちフラフラし過ぎですよ。何が宇宙ですか!宇宙なんか生きている上で何の関係ありませんよ。そんな分野に入って来てもらっては専門家の人たちが迷惑なんですよ。どうせ、さっといなくなるんでしょうから、遊び心で来てもらっても困るんですよ。本当にいつも貴方は自分勝手で、周囲ははた迷惑なんですよ」と言い放つのです。いいえ、脚色なんかしておりません。

 あまりにも頭にきたので、その紳士に「そんなこと言えば自分に返ってきますよ。地獄に堕ちますよ」と忠告したところ、紳士は「いいえ、あたしは死んだら宇宙にいくからいいんです」と涼しい顔です。こりゃ何を言っても駄目ですねえ(苦笑)。

新富町「ウオゼン」3種フライと刺身定食950円

 さて、好奇心が衰えていない、ということを最初に書いた通り、ここ4、5日、急に、各新聞紙上で「チャットGPT」なるものの話題が頻発するようになったので、私もチャレンジしてみることにしたのです。

 サインアップは簡単で1分ぐらいで出来たと思います。でも、よく分からず、誤解していて、このAI(人工知能)に話しかければ、何か応えてくれるのかと思ったら、ビクともしません(笑)。当然ですよね? チャットですから、文字を書かなきゃいけなかったわけです(笑)。

 英語版でしたが、ネットのマニュアルで日本語でも大丈夫だったので、「京都の有名な観光地を教えてください」と聞いたところ、しっかり、1,清水寺、2金閣寺、3、祇園…7,伏見稲荷大社と7カ所列挙してくれて、その名所の簡単な案内まで添えられていました。

 チャットGPTの話題の中で、このように、便利だというポジティブな半面、答えがフェイクだったり、飛んでもない間違いだったりする場合もあるというのです。もっとダークな面は、最近話題になっている、ルフィなる強盗殺人集団によるネットを使った犯罪がまかり通っているように、何かのきっかで、このチャットGPTに自分の住所や資産や銀行口座等を書き込んだりした個人情報が、ネットで拡散されて、それら犯罪集団にキャッチされ、とんでもないことになる、といった心配でした。

 チャットGPTは、AIがあらゆる分野からの情報や学説などを引用して答えてくれるというので、入学試験のカンニングや学術論文の「盗作」、さらには、本来クリエイティブなはずの作家の作品にも盗用される可能性もあります。

 既に、囲碁や将棋の世界では、人間はAIに完敗して太刀打ちできないと言われてますが、芸術作品までAIがつくってしまっては、つまらんなあ、と私なんかは思ってしまいます。

 以前もこのブログに書いたことがありますが、服選びにしても、今日のランチは何にしようか、にしてもAI任せにしてしまう人も昨今増えてきたようですが、これについても私は悲観的です。選択権なんて、人間の権利の最後の砦みたいなもんで、それを放棄して他人、じゃなかったAIに任せてしまってはお終いですよ。確かに選ぶことは少し苦労して悩みます。

 でも、悩むのが人間じゃありませんか。悩むことを放棄してはもう人間じゃないんじゃないですか?

おっとろしい未来地獄絵=「農業は国家なり」なのでは?

 大変ショッキングな番組を見てしまいました。昨年11月に放送されたものですが、見逃していて、たまたま見た再放送番組です。NHKスペシャル「混迷の世紀 第4回 世界フードショック 〜揺らぐ『食』の秩序〜」という番組です。

 ウクライナ戦争はもうすぐ24日で1年となりますが、その影響で世界中の穀物が高騰し、食糧危機に陥っているというドキュメンタリーです。世界第3位の経済大国日本だって、その蚊帳の外にいられるわけがありません。何しろ、日本の食料自給率はわずか38%(2019年、カロリーベース)で、食料の6割以上を輸入に頼っている現実があるからです。昨夏以来、パンやお菓子や冷凍食品など日本の物価が急激に高騰したのも、輸入に全面的に依存している小麦やトウモロコシや油脂などが高騰した影響なのです。

 それが、これまでのやり方のように、札束を積めば輸入できるならまだましな方で、これからは、トランプ流の「自国民ファースト」の時代になり、まず自国民に十分行き届かせた上で、その余った分をやっと輸出に回す。しかも、最も高額の金額を提示した外国だけに輸出する、といった現実を如実に活写していたのです。(昨年5月末から、インドは小麦、インドネシアはパーム油の輸出を禁止し、世界で取引される食料と飼料の17%が影響を受けたといいます=2023年2月23日付朝日新聞朝刊)

 番組では、日本の全農系の穀物会社の副社長が、世界中を回って穀物確保に苦悩するさまが描かれていました。当初は、全農系の穀物商社を米国に設置しておりましたが、米国の農家は、もっと高い売り手先を見込んで、なかなか日本に売りたがらなくなりました。ちなみに、穀物には、人間様が食べる大豆、小麦などだけでなく、家畜が食べる飼料や肥料なども含まれます。

 仕方がないので、副社長はカナダのアルバータ州の穀物会社に飛んでいきますが、そこで見せられたのは、空っぽの穀物倉庫です。その年は干ばつ等で生産量が少なかったせいもありますが、自国で消費されたか、もっと高額の売り手先に既に輸出してしまっていたのです。

 これでは仕方がない。北米が駄目なら、南米に行くしかない。ということで、副社長さんは、今度はブラジルに飛びます。そしたら、何んともまあ、中国最大の穀物・食品企業であるコフコ(中糧集団)という国有企業が既に全ブラジルの農家と大豆やトウモロコシなどの穀物を抑えていて、目下、1500万トンを輸出できる穀物コンビナートを港に建設中だったのです。中国は、ブラジルの穀物企業も買収してコフコの子会社化しておりました。「遅かりし由良助」です。(中国は、既にブラジルに8000億円も投資しているそうです。)

 驚いたことに、コフコは、ブラジルの農家に穀物の種子だけでなく、肥料まで提供し、荒野で作物が育たなかったアマゾンの奥地のマットグロッソ州の土地までも農地に変えていたという場面(地図だけですが)がチラッと出てきたのです。マットグロッソと聞いて、私は飛び上がるほど驚いてしまいました。何という偶然の一致! 目下、レヴィ=ストロース著「悲しき熱帯Ⅱ」(中公クラシックス)を読んでいたからです。この本では、著者が1930年代後半にマットグロッソ州の先住未開人ナンビクワラ族のもとを訪れ、その生態を事細かく描いていたのです。ナンビクワラ族は先住民の中でも最も極貧に近い生活を強いられています。裸で地面の上で寝起きして、作物があまり育たない荒野を移動しながら狩猟採集生活を細々と続けているのです。

 この本で描かれたナンビクワラ族の生態は今から80年以上昔の話ですから、現在、どうなったのか? まさか、絶滅したかもしれないなあ、と私は思いながら、マットグロッソ州とともに記憶の奥に留めていたのです。そして、現地に行かなければ確かめようがありませんが、ナンビクワラ族は今では数十人だけが生存して狩猟採集生活を続けているようで、この番組を見て、もしかしたら、彼らの一部が農家に転じていたかもしれないと勝手に思ったわけです。

 いずれにせよ、13億人の人口を抱える中国共産党の食料戦略は、感服するほど見事ですね。中国の食料自給率は約98%もあるというのに、です。番組では、このような戦略のことを「食料安全保障」という言葉を使っていました。安全保障は、何も軍事や防衛の話だけではなかったのです。人類の最終的、究極的問題は、最後は食料問題に行きつくことになります。過去4000年間、人類の戦争は食料問題がきっかけに起こったという学者もいました。(18世紀の仏革命も、マリー・アントワネットが「パンがなければケーキを食べればいい」という発言に民衆の革命精神に火が付いたという俗説を思い出しましたが、後世の作り話だという説もあります。)

 番組では、飼料が高騰して、日本の酪農家や養鶏農家の皆さんが「これ以上やっていけません」と絶望していて、私も危機が身近に迫っていることを感じました。これで話が終わってしまえば、身も蓋もないことになってしまいますが、番組のキャスターがフランスの経済学者ジャック・アタリ氏に処方箋を聞いていました。アタリ氏は、食料自給率を上げるためにも、日本はもっと農業を社会的にも報酬的にも魅力的にすべきだ、といった趣旨の発言をしておりました。

 ビスマルクは「鉄は国家なり」と言いましたが、今は「農業は国家なり」と言った方が正しいかもしれません。

【追記】

 2023年2月23日付朝日新聞朝刊1面では「餌が消え鶏が消えた 輸入頼るエジプト」という記事を掲載していました。新聞も負けていませんね(笑)。それによると、エジプトでは昨年10月、トウモロコシや大豆の配合飼料の価格が1.8倍も急騰し、多くの養鶏業者が廃業に追い込まれたといいます。エジプトは、世界最大の小麦輸入国で、昨年までその8割をロシアとウクライナから輸入してきたといいます。石油などエネルギー価格も高騰したことから、エジプトの外貨準備高は急減し、まさかですが、デフォルトの危機になりかねません。

 それなのに、日本のテレビは、相変わらず「大食い競争」だの「行列が出来る飲食店」などグルメ番組ばかりやっています。特別に危機感を煽る必要はありませんけど、大丈夫かなあ、と思ってしまいます。

仏ボルドーとアリエノール・ダキテーヌのこと

 昨晩、自宅でボルドーBordeaux ワインを飲んでいたら、アリエノール・ダキテーヌのことを思い出しました。ボルドーは、フランス大西洋岸の都市であることは誰でも御存知のことでしょう。

 でも、かつてのボルドーはフランス領ではなく、イギリス領だったことを知っている日本人は私も含めてほとんどいらっしゃらないのではないかと思います。しかも、数年間ではなく300年間もです。不勉強な私がこの史実を知ったのはつい数年前のことでしたから(苦笑)。

 かつて、というのは1154年から1453年までの中世の300年間です。日本で言えば、平安時代末期から室町時代、銀閣寺の足利義政の時代までに当たります。簡単に歴史を振り返ってみますと、ボルドーには早くも紀元前300年頃にケルト系のガリア人(ゴーロワ)が住み着きます。紀元前56年にはローマ帝国の支配下になり、ブルディガラと呼ばれ、ブドウ栽培も始まりました。中世の300年間の英国領については後で触れるとして、フランス領に回帰して大西洋岸の中心都市となり、1581年~85年にかけて、「随想録 エセ―」で有名な哲学者・人文主義者モンテーニュがボルドー市長を務めます。17世紀の大航海時代になると、ボルドーは、アフリカと新大陸アメリカを結ぶ三角貿易の拠点として発展します。現在は、2016年にフランスの行政区分が変更され、ヌーヴェル・アキテーヌ地域圏の首府となっています。

 このアキテーヌに注目してください(ヌーヴェルとは「新しい」という意味です)。中世はボルドーを含むアキテーヌ地方は、アキテーヌ公の領地でした。アキテーヌ公は、王家にもつながる貴族です。日本で言えば、天皇王家と外戚関係を結んだ古代豪族の葛城氏や蘇我氏や藤原氏みたいなもんと理解すれば早いかもしれません。ただしアキテーヌ公の領地は日本の豪族とは比べ物にならないくらい広大です。

 そこにアリエノール・ダキテーヌ Aliénor d’Aquitaine(1122~1204年)が登場します。最重要人物です。アキテーヌ公ギョーム10世の第1子(長女)として生まれ、広大な領地を相続した女王(もしくは封建領主)です。結婚した相手は、後にフランス国王になるカペー朝のルイ7世でした。当時の王権の領土はパリ周辺程度でまだ確固としたものではなく、広大なアキテーヌ公の領地獲得が目的の一つだったとも言われています。夫婦仲は悪く、十字軍遠征の失敗などもあり、二人は離婚します。

 アリエノールが1152年に再婚した相手は、アンジュー伯ノルマンディー公アンリでした。そのアンリは、母親がイギリスのノルマン朝ヘンリー1世の娘マティルダだったことから王位継承を主張し、1154年に英国王ヘンリー2世(1133~89年)として即位します(プランタジネット朝)。その結果、英王妃となったアリエノールのアキテーヌ公領も英国領土(アンジュー帝国とも)になったわけです。

 しかし、アリエノール王妃とその11歳も年下のヘンリー2世との関係もぎくしゃくし、ヘンリー2世が愛人ロザモンドを寵愛したことから、子どもたちまでもが離反・敵対します。ヘンリー2世は、最期は失意の内に仏ロワール渓谷のシノン城で亡くなります。行年56歳。彼の晩年は、1966年に「冬のライオン」としてブロードウェーで舞台化され、68年には英国で映画化され、ヘンリー2世をピーター・オトゥール、エレノア(アリエノール)をキャサリン・ヘップバーンが演じて、彼女は米アカデミー賞主演女優賞を獲得しています。

 ボルドーを始め仏大西洋岸のアキテーヌ地方は、英国領として300年間続きましたが、その後、失地回復を狙うフランスと英国との間で、1339年に百年戦争が勃発し、奇跡的なジャンヌ・ダルクの活躍もあり、1453年、仏国王シャルル7世が英国軍が守るボルドーを陥落させて戦争を終結させ、領土も奪還しました。