死語について考える=昔の話し言葉は素晴らしかった

 今の若い人たちは、と書けば、老人の繰り言に聞こえるかもしれませんが、まあ、聞いてくださいな(笑)。

 今の若い人たちは、「衣紋掛け」と聞いても、何のことか分からない、という話を聞いて、驚いてしまいました。衣紋掛けって、もう死語なんですかねえ? 今どきの若い人たちは、「ハンガー」なら分かるのでしょうか。

 それで思ったのですが、「下駄箱」はどうでしょうか? 私の世代は、小学校や中学校などで当たり前に使っていましたが、それでも、ほとんどの生徒は、学校まで下駄なんか履いて来たことありませんでした。そっかあ、今は「靴箱」と言うんでしょうか? 

 衣料関係では、私たちの世代で言っていた「チョッキ」は死語になり、「ベスト」と言うのは別に抵抗はないのですが、「ズボン」のことを「パンツ」というのはちょっと恥ずかしいですね(笑)。

 こうなったら、「ナウいアヴェックは、チョベリグーだね」とワザと死語を使いたくなってしまいます。どうだ。若いモンよ、意味が分からんだろう?(笑)

これだけ、日本語がちょこちょこ変わっていくと、若い人はもう古いことわざなんかはピンと来ないことでしょうね。「悪銭身に付かず」と言っても、銭なんていまや見たことない。「風が吹けば桶屋が儲かる」と言われても、桶屋って何? 「瓢箪から駒が出る」といっても、なんじゃそれ?でしょう。瓢箪なんか実物を見たことなんかないんじゃないでしょうか?

 その点、外国語は結構「保守的」であまり変わらないようです。以前、ロシア文学者で翻訳家の亀山郁夫氏(当時は東京外国語大学長)にインタビューしたことがあるのですが、19世紀のドストエフスキー(1821~1881年)の小説のロシア語は、現代ロシア語とそれほど変わっていない、という話を聞いた時は、本当に驚いてしまいました。

 そう言えば、私も学生時代にデカルト(1596~1650年)の「方法序説」(1637年)を頑張って原語(つまり、フランス語)で読んだことがあったのですが、20世紀の外国人が読んでも、あまり違和感なく、現代フランス語と同じように読むことができたことを覚えています。でも、17世紀のフランス語が読めるというのに、恥ずかしながら、17世紀の江戸時代の日本語は、崩し字を含めて、読めないし、意味も直ぐには分かりません。

 日本語の場合、その変遷があまりにも激しいので、出版界でも名作や旧作の新しい翻訳本が必要になってくるのでしょう。良いか悪いかは別にしてですが、そのうち、昭和の日本語を分かる人が少なくなる時代も到来するかもしれませんよ。あと100年? いやあ、もっと早いかもしれませんね(笑)。

築地本願寺

 書き言葉がこれだけ変わるのですから、話し言葉も変わります。小津安二郎の名作「東京物語」(1953年)での登場人物の話し方が、本当に、当時しゃべっていた同じ言葉遣いだったのか、と今では疑いたくなるほどです。

 それでも、戦死した次男の妻紀子役の原節子の言葉の言い回しはゾクゾクします。今どき、「でも、お父さま、お母さまも、ちっともお変わりありませんわ」なんて、言いませんからね。丁寧といいますか、情が籠った配慮のある言葉遣い、といいますか。。。「昔の日本人は素晴らしかったなあ…」なんて思ってしまいます。

昭和の情緒が消えていく東京=銀座も普請中

 この期に及んで、目下、世界に名だたる東京は、あちらこちらで「再開発」中です。

 例えば、東京駅前の八重洲エリア。オフィスビルとして日本一の390メートルの高さを誇る「Torch Tower(トーチタワー)」が2027年度竣工予定で、また、都内3番目となるミッドタウン「東京ミッドタウン八重洲」が出来るようです。

 日比谷公園の東側の内幸町・日比谷エリアでも大規模再開発が予定され、高さ約230メートルのノースタワー、セントラルタワー、サウスタワー、高さ約145メートルの帝国ホテルの新本館の建設などが計画されています。最終的な工事完了は2037年度以降らしいので果たして生きているかなあ?

銀座ソニービル

 私が縄張りにしている銀座もその御多分に漏れません。

 有楽町に近い銀座ソニービルは1966年に建てられたというのに、あっけなくも解体され、2018年から公園になっていましたが、それも壊されて、何やら2024年にGinza Sony Parkなるものが出来るらしいですね。新ビルの詳細は公表されていませんが、条例で許される高さ56メートルの3分の2に満たない34メートルのビル(地上5階、地下4階)になるといいます。

 銀座4丁目交差点の「銀座のシンボル」的ビルでもある「三愛ドリームセンター」も解体工事が始まっています。このリコーの新ビルは、前のビルを継承する形で設計され、2027年竣工を目指しています。となると、同じような円錐形ビルになるかもしれません。

 このビルの最上階にある「RICHO」の広告塔は、かつては「三菱電機」だったことを覚えています。私が子どもだった昭和30年代か40年代頃です。昭和50年代までもそうだったかもしれません。

 この晴海通り沿いを日比谷方面に行った3軒ぐらい先のビルの屋上に地球儀のデッカイ広告塔があり、「森永チョコレート」とあり、夜はネオンサインで輝いていました。これも昭和40年代ぐらいまであったかどうか…。このビルは洋書のイエナなどが入っていた建物だったのでしょうか? 駄目ですね、ちゃんと調べないと(苦笑)。もし、そうなら、現在は、「ジョルジュ・アルマーニ」ビルになっているところでしょうか。

 いや、銀座も含めて、東京は変わり過ぎるのですよ。まだ建物は使えるというのに、どんどん解体して建て替えしています。建物を500年も600年も優に持たせようとする欧州のパリやローマやロンドンやバーゼルなどとは大違いです。

 日本人はせっかちだなあ。

 私の通勤路でもある「みゆき通り」の5丁目、6丁目辺りでも工事中の現場をよく目にします。

 上の工事中は、銀座通りに面した銀座6丁目で、以前のビルの1階にはドコモ・ショップが入居していて、地下にイタリアンのレストランなどがありました。

 また、雑居ビルが建てられるのでしょうが、よくこんな狭い空間で、しかも銀座のど真ん中の繁華街で、新しいビルが建設されものだ、と感心してしまいます。(狭くても地価は、何十億円かは軽くするでしょう)

 この上の写真は、みゆき通り沿いの銀座5丁目で、以前は、1~2階はみずぼ銀行が入居していました。ビルの名称についても、次に建設されるビルについても何も分かりませんけど、また斬新な50メートル近いビルが建つことでしょう。

 みゆき通りの5丁目は、他に2カ所もビル建て替え工事中で、現場の歩道が半分削られて狭くなり、観光客も増えて、歩くのに詰まって不便でしょうがありません。(この不満を書きたくてブログにしたようなもんです=笑)

 銀座では、この他にも、いっぱい、いっぱい再開発が計画されているようです。このままでは、昔の面影がどんどん無くなっていきますよね。

 永井荷風は、関東大震災と米軍の空襲を体験し、東京にはすっかり江戸の情緒が無くなってしまった、と嘆いておりましたが、そんな災害や人災がなくても、昔の東京がどんどん破壊されていっております。戦争がない平和な時代が続いたというのに、昭和の情緒が消えてなくなってしまっているのです。

  私のような古い世代は「こんなんでいいのかなあ」と寂しくなります。

【追記】2023年4月5日

 重大なことを書き忘れていました。先日亡くなった世界的な音楽家坂本龍一氏は、少なくとも3000本の樹木が伐採される神宮外苑の再開発に反対する手紙を先月、闘病中にも関わらず、小池都知事らに送付しました。そしたら、小池都知事は「さまざまな思いをお伝えいただいたが、事業者でもある明治神宮にも送られた方がいいのではないか」と発言したらしいですね。(「日刊ゲンダイ」3月18日付など)

 再開発の許認可権を持つのは、都知事ではなかったでしたっけ?

【追記】2023年4月6日

 銀座だけかと思ったら、そのお隣りの築地でも、あちこちでビルが解体されて、再開発が始まっています。特に、電通の旧本社ビルがあった辺りは、住友不動産が再開発するようです。日本人は50年に一度の頻度でビルを建て替えるつもりなんですかね?またまた、都市の風貌が変貌していきます。

健康とは何か?=「頭」だけでなく「心と体」の声を聴くー軽井沢病院の稲葉俊郎院長

 NHKラジオ「日曜カルチャー」<人間を考える コロナ後を生きる(2)>で軽井沢病院の稲葉俊郎院長による「個と場が共に健康であること」をスマホアプリの「聴き逃しサービス」で聴くことが出来ました。(今なら、ギリギリ聴くことが出来ます)

 あまりにも素晴らしいお話でしたので、忘れないためにも、是非ともこのブログに書き残したいと思い、取り上げさせて頂きます。ただし、お話は1時間以上のかなり長い濃密な話で、全てを取り上げるわけにはいきません。この中で、私自身が一番印象に残った一つに絞ってみたいと思っています。

チューリップ

 稲葉氏は1979年、熊本生まれで、東大医学部の博士号を取得後、東大病院勤務を経て、2020年から軽井沢病院で医師として勤務されている方です。その稲葉氏は、学生時代から、病気そのもの以上に、人間が健康であるというのはどういうことなのか、という難題に悩まされて来たと言います。日本の大学の医学部は西洋の現代医学が中心で、例えば、中国の漢方やインドのアーユルベータなど伝統医学について、稲葉氏が学生時代に教授に聞いても、「それはエビデンスがないから」という理由で深く教えられなかったといいます。

 そんな悩みを抱えながら医師生活を続けてきた稲葉氏は15年目にしてやっと、「健康とは何か」についての自分なりの考えがまとまり、それらは著書「体と心の健康学」(NHK出版)として出版しました。

 そんな中で、人間には「頭」と「心と体」のいわば対立する二つで構成されていることに気が付きます。稲葉氏によると、「頭」とは脳のことで身体の中で異物に近い存在で、色んな情報を集めて判断しますが、勘違いや偏見、思い込みをしがちだといいます。例えば、テレビや雑誌などで有名な先生が言っているからその通りにする、といった具合です。また、「頭」は因果論的で、善悪とか好き嫌いといった二元論で考えがちだといいます。病気だったら、例えばガン細胞が原因ならそれを切除したりしますが、短期的には有効ですが、長期的な健康にはなりません。

 一方の「心と体」は、目的論的で、欲求に従って、好きなことをしたり、行きたい所に行ったりしようとします。今ここにある感情で、レストランで食事をして「美味しい」と感じたりします。それなのに、「頭」は別のことを考えたりして、あっちのレストランの方が美味しかったかもしれない、とか、明日はどこへ行こうか、とか余計なことまで考えます。

 「頭」は、「何かをしなければならない」といった命令形の形で出てきます。「食べなければいけない」とか「嫌な人でも仲良くしなければならない」といったいわば偽装された浅い感情に支配されます。一方の「心と体」はオリジナルの深い感情で、何とかしたいという感情はあるものの命令形では出て来ないといいます。「頭」が偽の感情や嘘の感情は発すれば、「心と体」には嘘の概念がないので、拒絶して、だから苦しむことになるといいます。

 「頭」と「心と体」の関係には、いっぱい頭に知識を溜め込んでも、現実世界に応用したらうまくいかなかったりする事例や、ゴルフ理論が分かっても、実際、スウィングしたら、身体がついていっていない、といった事例がありますね。

 稲葉氏は、この「頭」は現代の西洋医学に相当し、病気の解明に大変役立ちますが、「心と体」は、アーユルベータなどの伝統医学で、健康になるには、何をしてどうしたら良いのかを考える。この両者は、対立するのではなく、両立させるべきだと考えたというのです。

 ですから、稲葉先生の診断は独特です。例えば、糖尿病の患者が、「先生、私は何を食べたら良いのですか」と稲葉氏に聞いたとします。すると、稲葉先生は「私は決めません」と言うのです。「私は手助けはしますが、貴方の身体の問題であるので、人生とか食べ物に関しては、最終的には貴方自身で決めてもらいます」と言うのです。つまり、主導権は医師ではなく、患者側にあり、心と体の状態をベースにして、自分自身で決めてもらうというスタンスなのです。今までそんな医師に巡り会ったことがなかったので、へーと驚いてしまいました。

銀座

 稲葉氏は、結局、健康とは、自力と他力(病院や医師)とのバランスを考え、身体感覚を取り戻すことだというのです。

 確かに、人生で一番大切な「健康」について、人は、他人や医師に任せっきりで、自己努力が足りない面が多々ありました。稲葉氏のお話は大変興味深く、私も深く考えさせられました。

【追記】

 このブログに書いたことは、稲葉先生のお話のほんの一部ですから、皆様も「聴き逃しサービス」でお聴きになることをお勧めします。

「猿族」で最も劣る人類が何故、生物の頂点に立てたのか?

 私が子どもの頃に観た「猿の惑星」(1968年)は今でも忘れられない映画です。衝撃的なラストシーンは、本当に「あっ」と驚きましたが、それ以上に、ヒト種族の人間が、他のオラウータンやゴリラやチンパンジーなどの猿に体力的にも知的にも劣る「下等動物」として奴隷のような扱いを受けている姿は、本当に衝撃的でした。

 原作となったピエール・ブールの同名SF小説(1963年発表)は読んだことはありませんが、内心では全くあり得ない、実に荒唐無稽な、科学的根拠のない全くのフィクションだと思い込んでいました。

 しかし、実はそうではなかったんですね。ピエール・ブールは正しかった。実際、人類は、いかなる猿にも劣る生物として誕生したのです。このことは、ゴリラ研究の世界的権威である山極寿一・元京大総長による論文や新聞記事で知りました。

 山極氏によると、人類が、同じ霊長類であるチンパンジーから分岐して誕生したのが、約700万年前のことでした。その時の人類は、同じ「猿族」の中で、木登りも下手くそで、走るのも遅く、体力的にも、そして脳の容量という意味で知的にも最も劣る、いわば最低の「猿」だったようです。何で、そんな下等動物が、生物界の頂点に立つとは不思議の中の不思議です。(結局は、「進化」がポイントになったのでしょう)

 人類の脳がゴリラより大きくなり始めたのは、今からやっと200万年前だったといいます。やはり、ピエール・ブールのSFは荒唐無稽ではなかったんですね。人類誕生して500万年間は、いわゆる「下等動物」だったことになります。そして、現代人並みの脳の容量が達成したのは約40万年前です。ちょうど、ホモ・サピエンスが誕生した時期と重なります。(サピエンス誕生は30万年前という説も有力ですが、それでも、脳の容量はネアンデルタール人より少なかったのです)

 さらに、我々が話しているような言語が登場したのは、7万年前だと推測されると山極氏は言います。人類が700万年前に誕生したとすれば、「人類の進化史の99%は言葉なしに暮らしていた」ことになります。

 その間、身振り手振りやアイコンタクトや雄叫びとやらでお互いにコミュニケーションを図っていたんでしょう。山極氏は面白いことを言っております。化石人類の頭骨の大きさから、当時の集団サイズの大きさを算出したところ、10~15人だったといいます。これは初期の人類がゴリラと同じぐらいの脳のサイズだったことから算出されました。200万年前に脳が大きくなり始めた頃には、集団は30人となり、現代人の1400ccぐらいの脳サイズの集団は150人ぐらいのサイズになったといいます。

 この150人の集団サイズは、現代でも狩猟採集生活を続けている民族でも大体それぐらいだ、と文化人類学者は報告しています。つまり、7万年前に言葉が登場し、1万2000年前に農耕牧畜が始まる前まで、人類は150人ほどの集団で暮らしていたと考えられるというのです。

 面白いことに、スポーツの団体競技で、サッカーは11人、ラグビーは15人です。20人とか30人とかの集団になるとやっていけないようなのです。15人なら、人類がいまだ言葉を持たなかった時の集団サイズと一致します。ということは、15人というのは、競技中は、言葉が通じないので、身振り手振りやアイコンタクトでコミュニケーションをせざるを得ない、その限界値だということになります。

 200万年前に人類の脳が大きくなり始めた時、集団は30人とか50人になりました。これは学校のクラスや宗教の布教集団、軍隊の小隊の数に一致します。

 そして、現代人の脳の大きさに匹敵する150人という集団サイズは、過去に喜怒哀楽を共にし、スポーツや音楽などで身体を共鳴して付き合った仲間で、まさに信頼できる仲間の数の上限だと山極氏は言います。

 つまり、FacebookやYouTubeなどでフォロワーがたとえ10万人、100万人いたとしても、面識があるわけではなく、本人の手に余るということなのでしょう。脳の限界だからです。

 こういう話って、面白くありませんか? 私なんか、面白い話は、他の人にもどんどん喋りたくなります。この話は、せめて150人ぐらいの読者の皆様に届けば、大変嬉しい限りです(笑)。

【追記】

 山極寿一氏の発言の主な部分は、2022年7月6日に東京・日仏会館で行われた講座記録から引用させて頂きました。

 話し言葉は7万年前に生まれたとしたら、その一方、文字ともなりますと、世界で最も古い文字は、今から5000年から3000年前になります。エジプトのヒエログリフ、メソポタミア・シュメールの楔形文字、中国の甲骨文字です。それ以前、4万年前から1万年前の欧州の氷河期の洞窟に文字らしきものが発見されたようですが、人類の歴史のほとんどが、話し言葉も書き言葉もなかったことに変わりありませんね。

【追記2】2023年4月4日

 思い出しました。私の大学時代のクラスは15人でした。言語もなかった初期人類の最大集団が15人でした。語学専門だったので、クラス15人は、その限界値だったのか、と改めて目を見張りました。

運慶作「国宝 大日如来坐像」(奈良・円成寺)のモデルを入手できました

 昨日はランチで、新橋にある「奈良まほろば館」に行って参りました。奈良まほろば館は、いわゆる奈良県の物産店ですが、店内には簡単に飲食出来るコーナーもあります。ここの「柿の葉寿司セット」が食べたくなったのでした。

 奈良には何度か行きましたが、どういうわけか真夏の思い出が多く、暑い最中を汗を拭き拭き、寺社仏閣巡りをするのですが、その近くで食べた柿の葉寿司やかき氷の方が寺社仏閣よりも印象に残ったりしてます。…駄目ですねえ。

新橋「奈良まほろば館」柿の葉寿司セットランチ

 食事を終えて、物産店ですから、ちょっと店内をひやかすことにしました。お菓子や素麺とかの土産物がありましたが、一番目を引いたのが仏像でした。以前、東京国立博物館でも展覧会が開かれた聖林寺の国宝「十一面観音像」もありましたが、確か、33万円! とても手が出ません(苦笑)。有名な興福寺の国宝「阿修羅像」もありましたが、こちらも30万円ぐらい。う-ん、これも、ちょっと…。

 そしたら、それらの隣にミニチュアの「大日如来像」がありました。こちらは、十一面観音像の10分の1以下の値段。それでも、結構高額なんですが、これなら手が届きます。それに、今の私の精神状態は、神仏に縋りついてでも、心の平安を渇望しているので、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、思い切って購入してしまいました(頭記写真)。

 そして、色々と調べてみましたら、この大日如来像のモデルは只者ではなかったのです。あの仏師運慶(?~1223年)のデビュー作だったのです!奈良市にある円成寺の国宝に指定されている大日如来坐像だったのです。平安時代末期の安元2年(1176年)の制作で、運慶がまだ20代の若々しさに溢れた仏像彫刻です。もう850年近い年月が経っているので、本物(高さ98.8センチ)は、金箔らしきものが剥げ落ちて黒くなっていますが、私が購入した「モデル」は、高さわずか9.5センチ。柘植の木肌が輝くようで、全く別物のような感じですが、そこはかとなく威厳さが漂っています。(MORITA社仏像ワールド製)

水仙

 しかも、智拳印が結ばれ、御顔立ちが綺麗で、御利益(精神的幸福)もありそうで、一心不乱に拝めそうです。大日如来は、真言密教における一切諸仏諸尊の根本仏ですが、私の干支の守護仏にもなっているようです。

 ちなみに十二支の守護本尊とは、千手観音菩薩(子歳)、虚空蔵菩薩(丑/寅歳)、文殊菩薩(卯歳)、普賢菩薩(辰/巳歳)、勢至菩薩(午歳)、大日如来(未/申歳)、不動明王(酉歳)、阿弥陀如来(戌/亥歳)となっております。

 人間はか弱い動物ですから、本当に苦しいときは、神仏に縋って、拝むか祈るしかありませんからね。

「高齢者は集団自決を」発言に一言、苦言を呈したい

3月29日付朝日新聞朝刊の「声」(読者投稿)欄で、東京にお住まいの91歳の女性が「老いた庶民の苦労 忘れないで」と題して投稿されておりました。それによると、ある若い経済学者が「高齢者は老害化する前に集団自決みたいなことをすればいい」と(ユーチューブなどで)発言したというのです。この「高齢者は集団自決を」といった問題発言は、同日同紙の鴻巣友希子氏による「文芸時評」の中でも取り上げられていました。

 私は、この問題発言のことを不覚にもこの記事で初めて知ったのですが、やはり、その「若い経済学者」とは誰なのか、気になりました。調べてみたら、東大を優秀な成績で卒業し、現在、米国の大学の助教授を務め、テレビのバラエティー番組などにも引っ張りだこの有名人だということが分かりました。

Higashi-Kurume

 彼は38歳ということなので、両親は60代後半か?そして、祖父母さんも御健在なら80代後半か90代ぐらいでしょうか。そんな自分の肉親に対しても、彼は「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」と言い放つことが出来るのかなあ?と真っ先に思ってしまいました。

 ただ、彼の発言の背景や趣旨については、よく分かっていません。純粋に、新自由経済主義的な経済効率原理で述べていたのかもしれませんし、確信的で学問的信念での発言だったのかもしれません。

MInouma

 しかし、私自身は「いかがなものか」と叱ってやりたくなります。ただ、「そういうお前は、今さら何を言っているんだ」と言われそうですね。何しろ、彼の一連の発言ついては、既に米紙「ニューヨーク・タイムズ」(2月12日付)が「このうえないほど過激」と報じ、ネットでも大きな話題になっていたからです。もう、今から1カ月以上も前じゃありませんか。今さら、何を言う!と言われても仕方ありませんね(苦笑)。

 はい、情報伝達に1か月も掛かるなんて、私は江戸時代か鎌倉時代に生きているもので、と開き直るしかありません。日本の新聞は読みますけど、ネットニュースはあまり見ませんからね。

 彼の発言について、既に多くの識者の方々もコメントされておりますから、私のような浅学菲才の出る幕はありませんが、それでも、一言、言いたくなります。

 若い経済学者さんは、国立の東京大学を出たということは、今や高齢者になった人々が払った血税で豊かな教育を受けさせてもらったということになりませんかねえ? それに、若いと言っても、あっという間に自分自身も高齢者になりますよ。その時、自分の子どもか孫のような世代から、いや、自分の子どもや孫から直接「頼むから早く死んでくれ」と言われたら、どういう気持ちになるか、想像できませんかねえ?

MInouma

 彼には、ボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリングストーン」を聴いてもらいたいものです。

 ディランは、How dose it feel? Like a complete unknown? と繰り返し唄っています。貴方は、今は有名人ということで注目されていますけど、落ちぶれて、無名になって、誰も気にも留めてくれなくなったら、どういう気持ちになりますかねえ?

老若男女、身分の差別なく覚りを啓くことが出来る思想

 現在再放送中のNHK「100分de名著」の「日蓮の手紙」の著者植木雅俊氏は「そもそも『浄土』という言葉は、『阿弥陀経』のサンスクリット原典にも鳩摩羅什(による漢)訳にも出てきません。もともとは『仏国土を浄化する」(浄仏国土)という意味なのです。」と自信たっぷりに書かれていたので、自分の不勉強を恥じるとともに、驚いてしまいました。

 植木雅俊氏は、「法華経」と「維摩経」をサンスクリット語と漢訳語を参照して平易な現代日本語に翻訳された仏教思想研究家だけあって、学識の深さには恐れ入ります。

 となると、南無阿弥陀仏を唱えて、西方の「極楽浄土」を望む浄土宗や浄土真宗などは、どうなるのかと思ってしまいます。「選択本願念仏集」を著した浄土宗の開祖法然は、これまで天皇と貴族のための鎮護国家の宗教だった仏教を、老若男女を問わず、一般庶民にまで信仰を広げた革命的功績は日本史に屹立と輝く偉人だと私自身考えていますが、「選択本願念仏集」と著書名がまさに表しているように、法然は「西方浄土」を「選択」したわけです。

 そうなると、釈迦の教えの中には、東方にも「浄瑠璃浄土」があり、そこには薬師如来がいらしゃいます。浄土宗や浄土真宗といった念仏宗は、西方の阿弥陀如来だけ選択して、東方の薬師如来は重視しないのかなあ、といった素朴な疑問が浮かんできます。

 念仏宗を「無間地獄」と糾弾した日蓮は、法華経を「選択」します。選択というより、他宗派を激烈に批判ししため、多くの「敵」をつくて、日蓮自身も何度も法難に遭うわけです。

 植木雅俊氏によると、日蓮は、浄土と言えば、極楽浄土のような死後の別世界ではなく、我々が今生きている娑婆世界で体現できる世界を「霊山浄土(りょうぜんじょうど)」と呼んだといいます。これは、「現在」の瞬間に過去も未来もはらんだ永遠の世界を意味しています。

 植木氏は言います。時間は、今(現在)しか存在しません。過去といっても、過去についての「現在」の記憶であり、結局「現在」です。未来といっても、未来についての「現在」における期待や予想でしかありません。それなのに、多くの人は「今(現在)」の重みに気付かずに、過去や未来にとらわれてしまいがちです。過去につらく、忌まわしい経験をしてそれを忘れられない人は、過去に引きずられて今を生きていることになります。あるいは、今をいい加減に生きて、未来に夢想を追い求めて生きている人もいます。いずれも妄想に生きていることに変わりありません。

 植木氏は、現在の生き方次第で、過去の「事実」は変えられなくても「意味」は変えられる。未来も現在の生き方次第だ、とまで言い切るのです。

銀座「吉澤」 韓国大統領と日本の首相が会食された所です

 これこそが、「現世利益」なのかもしれません。利益(りやく)とは、金銭的なものではなく、精神的な幸福を意味すると思います。往生してあの世の幸福を願うのではなく、現実世界に浄土世界を実現して幸福になる、という意味ではないでしょうか。

 法華経の思想について、もっと詳しく知りたくなり、目下、植木雅俊氏が、サンスクリット語と漢語から現代日本語に翻訳した「法華経」(角川文庫)を読み始めたところです。サンスクリット語の原典から翻訳したところに意義があります。かつて先人たちが日本語に翻訳したものの中には、漢語からの翻訳が多く、サンスクリット語から漢語に訳された際の間違いをそのまま踏襲して日本語訳した箇所もあり、そんな誤訳も厳しく指摘しておられました。同書の「はじめに」を読んだだけでも、かなり戦闘的です(笑)。でも、解説もあり、かなり、平易に訳されているので、私でも読めます。

 法華経とは、サンスクリット語で、「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と言いますが、植木雅俊氏は、「白蓮華のように最も勝れた正しい教えの経」と翻訳されています。法華経は、釈迦が入滅後500年ほど経過した紀元1世紀末から3世紀初頭に編纂されたといいます。当時は、厳しい修行を経たほんの一部の菩薩しか悟りを啓くことができないとされ、釈迦も神格化された権威主義の小乗仏教が隆盛でした。が、そんな風潮に異議を唱える意味で、「原始仏教に帰れ」と大乗仏教が生まれ、法華経が編纂されたといいます。小乗仏教では女性は成仏できなかったのに、法華経では、老若男女、身分の差もなく平等に誰でも覚りを開く道があることを説いています。

 私も目下、必要に迫られて、法華経を読んでいるので、心に染み入ります。

「個人の判断」も忖度優先なのか?=コロナのマスク着用に関する哲学的考察

 3月13日(月)から、政府方針により、マスク着用は「個人の判断」に委ねるということになりましたので、私も俄か文化人類学者になってフィールドワークを試みました(笑)。

 まず、自宅から最寄り駅までバスを使いますが、車内のマスク着用率は100%。全員マスクをしていたので拍子抜けしました。そして、最寄り駅からの通勤電車。超までいきませんが、車内は満員で、やはり、私が見える範囲で全員マスクをしておりました。

 職場は、東京・銀座なのですが、街を歩く人で、外国人観光客の3人に2人はマスクを着用せず、日本人らしき人はほぼマスク着用でした。私がすれ違った数十人の中で、3人だけがマスクをしていませんでした。マスク着用率98%といった感じです。

 昼休みに、雨の中、ランチがてら、私の縄張りである(笑)銀座、築地、新富町辺りを散策しましたが、やはり、ほとんどの人がマスク着用でした。

 厚労省の発表では、3月12日は全国で7013人がコロナに感染し、43人が死亡したといいます。ということは、コロナは終息も、収束もしたわけではないということです。専門家の中には、日本人全員がマスクを外せば、5月には感染者が倍増するといった予想をした人もおりました。

 岸田首相や小池都知事といった権力者たちが「マスクなし」で出勤したとはいっても、まさか、満員の通勤電車に揺られて来たわけでなく、運転手付きの黒塗り高級車に乗って来られたわけでしょ?

 つまりは、為政者が声高に叫んでも、一般庶民は、権力者のことを誰も信用していないということになりますかね? 庶民がコロナに罹ったとしても、「経済を回す」ことの方が優先なのでしょう。それとも、日本人は横並びで、斟酌、忖度が得意な民族なので、周囲の皆と一緒に合わせているのでしょうか?

 私自身は花粉症でもあるので、しばらくの間は、今まで通りマスクを着用するつもりです。勿論、コロナ感染者の被害者にも加害者にもなりたくありませんからね。

 明治維新になって、ちょん髷からザンギリ頭になっても、大正の頃までちょん髷を結っていた人がいたぐらいですから、ずっとマスクをし続ける人もいるかもしれません。そう言えば、昭和の40年代ぐらいまで女性で日本髪で和服の人が結構いたような記憶があります(明治生まれの祖母の洋服姿は見たことなかったなあ)。京都の舞妓さんは、今でもそうですし、お相撲さんは現代でもちょん髷じゃありませんか!(笑)

日本人は縄文人と渡来人と南方人の混血か=速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」を読了しました

 有楽町「大正軒」ロースかつ定食」1100円 久しぶりに行ったら少し値上がってた?

 8日(水)夜は、高校時代の友人の田中君の通夜に参列して来ました。会場は、浜松町からモノレールに乗り「流通センター駅」で降り、歩いて10分ぐらいの所にありました。

  彼の交友関係の広さから多くの方が参列しましたが、高校時代の友人は小生を含めて7人だったので、帰り、浜松町の何処かで飲みに行くことにしました。以前はJRの浜松町駅に隣接して世界貿易センターがあり、その地下にあった「いろはにほへと」という居酒屋によく行ったことがあったのですが、貿易センターは目下、解体工事中でした。

 仕方がないので「大門」駅の繁華街に歩いて行き、適当な店を探していたら、怪しげな客引きに捕まってしまいました。「普通の居酒屋だから大丈夫です」と言いながら、連れて行かれたのは、路地の奥で、しかも、綺麗なお姐さんの写真が並んだその筋の店が何軒も同居する雑居ビル。客引きのオジサンに「変な店なら帰るよ」と忠告してビルの3階にまで昇り、最初にメニューを見せてもらい、この値段なら、ま、いっかということで、入ることにしました。

 お店の人に色々と話を聞くと、最初は「隠れ家」的コンセプトでやってたそうですが、目立たない路地裏なので、さっぱり客が来ない。そこで、客引きを始めたらしいのですが、本当にお客が全く来ない(笑)。でも、ある程度呑んで、食べて、一人当たり4000円で済んだので、結果的に「普通の店」で安堵しました。

 しばし、田中君の思い出話で盛り上がり、8人掛けのテーブル席だったので、一人分席が空いていましたが、まるでそこに田中君が座っているような錯覚に襲われました。

 さて、話は全く変わって、速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」(文春新書)を読了してしまいました。

 この本では、色んなことを教えてもらい、渓流斎ブログ2023年3月7日付の「本当の日本人の姿が分かる=速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」」でも取り上げましたが、最後に特筆したい一つだけ書いておきます。

 それは速水氏の歴史人口学の研究成果(江戸時代の「宗門改帳」で家族や人口の在り方を調査)として、日本人は大きく三つのパターンがあることが分かったというのです。(1)東北日本型(2)中央日本型(3)西南日本型です。それによるとー。

(1)東北日本型=早く結婚するが子供の数が少ない。母親は子供を4~5人産んで、その後、家の労働力につく。親子三代以上が同居する直系家族。⇚狩猟・採集が中心のアイヌ・縄文時代人型。

(2)中央日本型=結婚年齢は遅いが子供は沢山産む。江戸など大都市に移住する。2代~3代が住む直系家族か核家族。⇚農耕、鉄器など弥生文化を伝えた渡来人型。

(3)西南日本型=結婚年齢は遅いが結婚前に子供を産むことがある。離婚も多く、次の結婚の間に子供を産むこともある。性行動に関しては比較的自由。家族の形態は、傍系の夫婦まで住む合同家族と直系家族。⇚東シナ海沿岸地域で、東南アジアと風習が一致するものが多い。

 速水氏は「日本には極論にいえば文化的独自なものはなく、外来のものを模倣し、融合させたのである。逆に、こういった模倣・融合能力こそ、日本を特徴づけるものだった、といえないだろうか」とほぼ結論付けております。

有名な銀座「AOI」のハンバーグ定食1000円。すこし辛かったかなあ…

 この辺りを読んで、私も以前読んだ篠田謙一氏著「人類の起源」を思い出しました。その読書感想文として、私は「この3000年前に到達した渡来系弥生人というのは、中国東北部(旧満洲辺り)の西遼河にいた『雑穀農耕民』(青銅器文化を持つ)が6000年前以降に朝鮮半島に進出し、遼東半島と山東半島にいた『稲作農耕民』が3300年前に朝鮮半島に流入し、在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合して新たに出来た地域集団だといいます。」(2022年12月27日付渓流斎日乗「現代日本人のルーツは3000年前の渡来系弥生人にあり」)と書きました。

 これらを敷衍すると、人類学的に、日本人とは、最初に日本列島に定住したアイヌや琉球系を含む縄文人と中国、朝鮮からの渡来人と東南アジア系と恐らくポリネシア系の南方人の混血と言ってよいのではないでしょうか。

 

《渓流斎日乗》は俳句なのか!?=ChatGPTはいまいちです…

 例の先日、初挑戦した「チャットGPT」に本日、再度挑戦してみました。

私:「渓流斎日乗」とは何ですか?

ChatGPT(以下C):「渓流斎日乗」とは、江戸時代中期の俳人・与謝蕪村が著した俳諧の随筆集の一つです。蕪村が生涯をかけて書き溜めたとされる約1,500の俳諧と、その解説や評論が収録されています。

「渓流斎」は蕪村の号であり、「日乗」とは「日々の修行を積み重ねること」という意味があります。蕪村が俳諧を通じて求めたのは、日々のありふれた風景や出来事の中にある美しさや哀愁などの情感を表現することであり、その思想やスタイルがこの書物に反映されています。

「渓流斎日乗」は、俳諧の教科書としてだけでなく、日本の文化や風俗、美意識を知るうえでも貴重な書物として、現代でも多くの人々に読まれ続けています。

私:渓流斎は蕪村の雅号ではありません。間違っていませんか?

C:おっしゃる通りで、私の回答に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。

「渓流斎日乗」とは、与謝蕪村が生涯を通じて愛用した別荘の名前であり、蕪村がその別荘で執筆した随筆集に「渓流斎日乗」という題名をつけたことから、このように呼ばれるようになりました。蕪村の号は、実は「蕪村」以外にも「舎人」や「松陰」といくつかありますが、「渓流斎」は、蕪村が晩年に用いた号の一つです。

訂正していただき、ありがとうございました。

私:渓流斎日乗は、蕪村の別荘の名前でもありません。現代人が書いているブログです。貴方は何も知らないんですね?

C:申し訳ありませんが、私の前回の回答にも誤りがありました。ご指摘いただき、心よりお詫び申し上げます。

「渓流斎日乗」は、与謝蕪村の随筆集の名称であり、蕪村が生涯を通じて愛用した別荘の名称ではありません。また、現代人が書いたブログとしても知られていません。私が勘違いしていたことをお詫びいたします。

与謝蕪村は、江戸時代中期に活躍した俳人であり、俳諧の分野で多大な功績を残しました。蕪村は、日本の俳諧の歴史に大きな影響を与えた人物の一人であり、現在でも多くの人々に愛されています。

私:もういいです。それも間違いです。それなら、渓流斎日乗の主宰者の高田信之介とは何者ですか?

C:申し訳ありませんでした。私の回答が正確でなかったことを再度お詫び申し上げます。

高田信之介は、現代において「渓流斎日乗」という名前で活動している方の一人で、俳句や随筆を中心に執筆活動を行っています。高田信之介は、「渓流斎日乗」の主宰者として、同名のウェブサイトを運営しており、そこで自身の作品を発表しています。

ただし、与謝蕪村の著作である「渓流斎日乗」とは、全く別のものであることにご注意ください。

私:あのですね。渓流斎日乗は俳句はやってません。短詩型の創作は苦手だと主宰者は申しております。貴方はよく間違えますね?

C:おっしゃる通りで、私の前回の回答に誤りがありました。再度、訂正してお詫び申し上げます。

「渓流斎日乗」の主宰者である高田信之介氏は、俳句を中心とした文芸活動を行っており、「渓流斎日乗」においても俳句を発表されているわけではありません。また、高田信之介氏は自身のウェブサイトにおいて、短詩型は苦手とされていることを明言されています。

再度、ご指摘いただき、ありがとうございます。今後はより正確な情報を提供できるように努めてまいります。

私:こりゃ駄目だ。間違いだらけなので、もう結構です。

C:申し訳ありませんでした。私の回答が不正確であったことでご迷惑をおかけし、心よりお詫び申し上げます。今後はより正確な情報を提供できるように努めますので、何か質問がございましたら、いつでもお知らせください。

 いやいや、もう質問しないでしょう。