「アメリカ経済のユダヤ・パワー」で納得しました

 先日、国際金融関係の本を読んでいたら、ゴールドマン・サックスなどウォール街での金融ビジネスで、上位に君臨しているほとんどがユダヤ系だというので、「どうしてなのかな?」と素朴な疑問を友人の榊原君に話したら、彼は、佐藤唯行著「アメリカ経済のユダヤ・パワー」(ダイヤモンド社)という本を貸してくれました。

 この本は、2001年10月4日初版とかなり古い本なので、情報も古いのですが(何しろ、フェイスブックのザッカーバーグもネットフリックスも出てきません!)、何故、ユダヤ系の人たちが米国経済界の上位に躍進したのか少し分かりました。

 最初にお断りすると、この本の著者(獨協大学教授)と同様に、私自身も「ユダヤ人陰謀説」には与しません。150年ほど前から米国に来たユダヤ人のほとんどが東欧やロシアなどで迫害されてやむ得ず移民した者が多く、ほとんど無一文の状態から、血の出るような努力を重ねて「アメリカン・ドリーム」を実現した者が多かったからです。そして、恐らく、この本に書かれている成功したユダヤ人とは違い、彼らの大半は成功せずに貧困のうちに生涯を終えていたと思われるからです。

 何よりも、ユダヤ人ということで最初から差別され、1970年代までまともに企業に就職できなかったといいます。(米国の基幹産業である石油産業はユダヤ系だと思っていたら、WASP=プロテスタントのアングロサクソン系白人=が独占していたことをこの本で知りました)となると、自分たちで起業しなければなりません。この本では、最初は廃品回収業に近い職種から大成功を収めたユダヤ人も出てきます。

 ユダヤ系といえば、金融業のほか、新聞(ニューヨーク・タイムズなど)やテレビ(ABCなど)などのメディア(この本では、メディア王ルパート・マードックはユダヤ人ではない、と書いてありました)、ハリウッド映画(スピルバーグ監督らと映画製作会社ドリームワークスを共同創業したデヴィッド・ゲフィンは、レコード会社の経営者で、ジョン・レノンの最後のアルバム「ダブル・ファンタジー」を出したゲフィン・レーベルだったとは!彼も勿論ユダヤ人です)、俳優らのほとんどがそうだということは知っておりましたが、それ以外にも、化粧品(エスティー・ローダー、マックス・ファクター、レブロンなど)、服飾ファッション(カルバン・クライン、ラルフ・ローレンなど)、玩具(トイザらス、バービー人形など)も創業者がユダヤ系だったことをこの本で初めて知りました。

 では、なぜ、これほどまでユダヤ人が優秀なのか? 著者の佐藤教授は、その秘訣は、ユダヤ人の教育にあると見ています。佐藤氏はこう書きます。

 幼い子どもを対象とするユダヤ教古典学習の根幹は、徹底した暗記教育である。これを毎日繰り返すうちに、脳の中に大きな記憶回路が作り出されるといわれる。敬虔なユダヤ教徒の家庭で生育した若者たちの中から、天性の記憶力の持ち主が生まれることは偶然ではないのである。

 なるほど。旧約聖書をはじめ、ユダヤ教の聖典タルムード(6編・63項目からなる口伝律法ミシュナとその注解ゲマラから成る)を丸暗記させられるのでしょう。頭脳が鍛えられるはずです。

 そして、佐藤教授によると、ユダヤ人がビジネスの面で成功するのは、キリスト教や仏教などでは「清貧」を重んじるのに対して、ユダヤ教は、富を求める衝動は人間の幸福に不可欠なものと容認しているからではないか、と分析しています。これも、なるほど、です。

 ユダヤ人は相互扶助の形で、起業する若者たちに低金利で融資したりしていることもビジネス面で役立っていることは確かです。就職差別により、隙間産業を探したり、起業せざるを得なかったことが逆に彼らにビジネスチャンスを与えた格好になりました。

 いい本を貸してもらいました。

お金だけがすべてじゃない=農林水産元事務次官事件を鑑みて

 いずれの御時か、我らが島国では、「勝ち組」と「負け組」との明確な区分付けが白昼堂々と行われるようになりました。要するにお金持ちと貧民との差別ですね。お金があるかないかで人の良し悪しが決定される世の中ということです。

 金融庁のどっかの審議会委員が提出した「年金だけじゃ足りないから、あと2000万円ぐらい個人で勝手に工面せよ」というのがその最たるものですね。富裕層の多い政権閣僚は、当初、この報告は問題なしと判断してました。昔は、時の池田蔵相(後の首相)による「貧乏人は麦を喰え」(実際は「 所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」 との答弁)という発言もありました。最近では、AI(人工知能)によって、職場を追われる「不要階級」という人を馬鹿にしたような言葉が流行語にもなっています。

 でも、お金があるエリートの「勝ち組」だから幸せかと言えば、必ずしもそうではないことが、このほど起きた元農林水産事務次官による、働かない引きこもりの自分の子ども殺し事件を見ると分かります。新聞やテレビでは、報道しないのでさっぱり分かりませんでしたが、今日発売の週刊文春を貧困層なのに、態々お金を出して(笑)買って読んだら、殺された子どもの母親の家系も半端じゃない富裕層だったことを調べ上げておりました。吃驚です。

 大変優秀だった元農林水産事務次官は、退官後2~3の会社に天下りした後、農林水産省出身としては異例のチェコ大使なども歴任し、退職金などで約2億円を得ていた報道があったので、母親は「玉の輿」と思いきや、その母親の実家は、秩父銘仙の生産販売を営み、それこそ巨万の富を築いて、将来の家業の不安定を見込んで、その才覚で都内一等地にかなりの不動産を有していたというのです。

  母親が相続した不動産は都内数カ所に及び、家賃や駐車場代などでかなりの収入があったわけです。 殺された子どもは、一時期、母親名義の東京・目白の超一等地の高級住宅街の一戸建てに一人で住んでいたこともあったといいますから、ネットゲームに毎月30万円注ぎ込んでも、働かなくても楽に暮らせたわけです。でも、その境遇も、今となっては羨ましいどころか、可哀想にさえ思えてきます。働かずに済んで問題を起こしたボンボンは、今に始まったわけではなく、江戸時代にもいて、文楽や歌舞伎の題材にもなったりしましたからね。

銀座SIX 屋上庭園

 こうして、「年金だけでは足りないから、あと2000万円は必要」といった報道とか、勝ち組の末路?などに接すると、お金だけが全てじゃないと思えてきます。

 昨年8月、山口県で行方不明の幼い子どもを発見したスーパーボランティアの尾畠春夫さんなんかは年金は月わずか5万5000円なのに、「やりたいことをやるのに十分です」と語っていました。金銭的には、エリートと比べれば、彼は「負け組」なのかもしれませんが、お金よりもっと大切なことを我々に教えてくれた偉人ですよ。

審議会委員に選ばれるマスコミ

 どうでも良い話かもしれませんが、私自身は、若き頃、マスコミの仕事を選んだのは、世の中の仕組みがどうなっているのか、知りたかったからというのが一つの理由でした。政治にしろ、経済にしろ、誰が世の中を動かしているのか知りたかったのです。

 有難いことに、マスコミに入ったお蔭で、色んな著名人と会うことができ、おまけに裏社会のことも知ることができ、ある程度のことは分かるようになりました。ただ、仕事が担当にならなかったせいか、霞ケ関の官僚の皆さんとは深く親密になることができず、結局、その「仕組み」を知らずに終わってしまいました。

 特に分からなかったのが、どこの省庁にもある審議会です。誰が選ばれて、何のために、そして何をやっているのか、時折、不思議に感じておりました。実際問題、法案のたたき台になることでしょうし、政策にかなり影響を及ぼしているはずです。それなのに、新聞もテレビもほとんど報道しません。

 特に、ニュースで脚光を浴びるとしたら、内閣府の税制調査会ぐらいでしょうか。これは、内閣府本府組織令第33条によると、「内閣総理大臣の諮問に応じて租税制度に関する基本的事項を調査審議する」会議のことで、その委員は30人以内です。

 その委員は、専門の大学教授をはじめ、いわゆるシンクタンクのエコノミスト、地方自治体の首長さんらもおりますが、今年4月1日現在、読売新聞の取締役や産経新聞の論説委員の方まで選ばれているのです。どういう経緯で、どなたが選出されたのか、皆目見当もつきませんが、マスコミといえば、普通一般の民衆の感覚では、時の為政者の不正をチェックし、「社会の木鐸」とか、「弱きを助け、強きを挫く」ようなイメージがあります。それが、実態は、政府の中に入り込んで、インサイダーとして社会を動かしていることが分かります。これでは政権批判はしないはずです。

 たまたま、税調の委員が政権寄りの産経と読売の方が入っておられるので、分かりやすいといえば、分かりやすい。まさか、反政権報道を繰り返している東京新聞では無理かな、と邪推してしまいます。読売新聞さんの場合、その論説委員や編集委員らが、税調だけでなく、法務省の法制審議会委員やスポーツ庁のスポーツ審議会委員にまで数多(あまた)食い込んでおります。

 しかし、一方では、政府内部に入り込んでいるせいなのか、読売新聞の記事解説が大手紙の中では一番分かりやすく、報道は細かいところまで目が行き届いています。その逆に、為政者に弱く、その半面べったりなのに、反政権的ポーズだけは取ってみせている朝日新聞は、審議会にスパイ、おっと失礼、あまり委員を送り込んでいないせいなのか、記事の内容が薄く無残といえば無残です。

銀座SIXの屋上

例えば、朝日は、「未来投資会議」についてはほとんど目立つように報道しません。これは、アベノミクスの第3の矢として「民間投資を喚起する成長戦略」を実現するために鳴り物入りで創設されたものですが、彼らが何を審議して、どんなことを政府に提案していたのか、読者に知らせてくれません。以前、このブログでも書きましたが、この未来投資会議の「民間議員」である竹中平蔵氏が率先して提言したおかげで、いつの間にか、公共水道水が売られ、国有林が売られるようになったというのに、朝日は、ほとんどそれらの事実を報道しないんですからね。

 メディアは何を報道したか、よりも、何を(故意に)報道しなかったのか、の方が重要だと思いませんか?

 また、安倍政権による過去最大の101兆円を超える予算を支えるために、黒田日銀総裁は、国債を買いまくる禁じ手である「財政ファイナンス」を続けていて、将来的に財政破綻の恐れがあるというのに、どこも解説どころか、事実関係を報道すらしてくれません。それが、最近では、メリケン帰りの「MMT」=Modern Monetary Theory とやらが、日本のシンクタンクや霞ケ関などでも闊歩するようになり、「財政破綻はありえない」という理論も優勢になっているらしいですね。

 まあ、いきなり話が飛んでしまいましたが、ボーと生きていたら、世の中から置いてきぼりにされてしまいますね。クワバラ、クワバラ。

 

マナーの悪い中国人、エノケン、ヤバイ話

本日は雑感短信をー。

・東京・銀座を職場にしていますが、年々増える外国人観光客のマナーの悪さには日々眉を顰めております。みゆき通りを通勤通路にしている人間が悪いのでしょうが、この通りには路肩に植木コーナーがあり、疲れた腰を休めるほど良い椅子代わりになるので、彼らは座り込んで、通行の妨げになってくれるのです。

 それはまだ良いとして、特に中国人観光客となると、列は並ばない。平気で歩道を塞ぐ。エレベーターで待っていると、後ろからどつくようにして割り込んできても知らん顔。恐らく人口が多過ぎる大陸の大都市では生存競争が厳しいので、まずは譲り合いの精神や観念すら生まれないのでしょう。

 でも、中国は何と言っても、倫理観溢れる道徳と儒教の国。どうなっているのかと思ったら、同僚が「中国人はもともとマナーが悪いから、それを戒めるために論語や儒教が生まれたんだよ」と言うではありませんか。中国4000年の歴史と言ってますが、道徳心は根付いてませんね。妙に納得してしまいました。

銀座SIX 屋上

・先日読んだ「世界史を変えた新素材」の著者佐藤健太郎氏は、子どもの頃のジュースの思い出として、自販機で売っていた瓶入りのジュースを、自販機に付属している栓抜きで栓を抜いて飲んでいた、と書いてました。著者は1970年代生まれです。

 私のような古い世代の子どもの頃のジュースの思い出となると「粉末」です。1970年代生まれ以降の世代は知らないでしょうなあ(笑)。「渡辺のジュースの素」というのがあって、恐らく人工甘味料の入ったジュースでしょうが、子どもたちのおやつのご馳走でした。

 この「渡辺のジュースの素」のコマーシャルを唄っていたのが、エノケンこと榎本健一でした。「ほほいのほいともう一杯 渡辺のジュースの素です もう一杯」という歌詞は耳にこびりついております。ということは、エノケンは戦前の人かと思ったら、当時も生きていたんですね。調べたら、エノケンは1904年10月11日に東京・青山で生まれ、1970年1月7日没。享年65。それにしても、随分若かったですね。

・ 先日読了した瀧音能之著「風土記と古代の神々」の中で、日本人は縁起の悪い言葉を忌み嫌って、読み方などを変えてしまう話が出て来ました。「葦」(あし)は「悪し」に通じるので、「葦」(よし)としてしまう例がありました。

 となるなると、パスカルの有名な言葉「人間は考える葦である」を「あし」を「よし」と読んでしまうと、何となく締りがないような気がしてしまいます(笑)。

銀座・竹の庵 

 ほかに、スルメのスルは「掏り」に通じるので、「当たる」に変えて、スルメのことをアタリメと呼んだりしますね。

 マスコミには放送禁止用語、不快語・差別用語の言い換えなどがありますが、茲では深く触れません。でも、最近はいわゆるPC(ポリティカル・コレクト)が行き過ぎている傾向がないでもない気がします。それこそ我々世代が子どもの頃に平気で使っていた「魚屋」「八百屋」「花屋」なんかも言い換えるよう手引きがあります。(魚屋さん、にすればオッケーなんですって)マスコミの「用字用語ブック」は市販されているので、ご興味のある方は手に取ってみてください。

 それより、言葉は「世につれ…」ですが、最近は真逆の意味になることもあります。例えば、若者言葉の「やばい」は、昔のように「危ない」という悪い意味ではなく、「素晴らしい」という良い意味で使われているようです。

 英語も同じで、awesome は、もともと「怖ろしい」という意味だったのが、最近では「凄い」「素晴らしい」という意味で使われることが多いようです。何だ、日本と同じじゃん!

宮沢賢治と俵万智の父とアルミニウムの不思議

 佐藤健太郎著「世界史を変えた新素材」(新潮選書)を読了しました。私のような雑学好き、エピソード好きの人間にとっては、この上もなく面白かったでした。続編があれば、勿論、また読んでみたいですね。

 著者は有機化学の研究者なので、本文では原子記号などが多く出てきますが、文系出身の人が読んでも大丈夫です。著者は理科系とはいえ、歴史を取り扱うぐらいですから、かなり文系のセンスもあります。(私は文系ながら受験で化学を選択したので問題なし=笑)

 例えば、「炭酸カルシウム」の章では、石灰(炭酸カルシウム)は、土壌の酸性度を中和することから、作物を病虫害から守ることに注目して、石灰を普及することに尽力した人として詩人の宮沢賢治(花巻農学校の教諭で、石灰を産する東北砕石工場の技師でもあった)を取り上げております。また、「磁石」の章では、サマリウムという元素を用いて強力な磁石を世に送り出した松下電器産業や信越化学工業などで活躍した研究者が、歌人の俵万智の父親だったことも、例に挙げたりしています。

 俵万智は、ベストセラーになった歌集「サラダ記念日」の中で、「ひところは『世界で一番強かった』父の磁石うずくまる棚」という短歌が収めれていますが、こんなエピソードを知らなければ何も知らずに意味を分からず読み飛ばしてしまうことでしょう。

 この短歌の通り、俵万智の父親を抜いて、現在世界最強の座に君臨するのが、佐川真人(1943~)が1982年に開発したネオジム磁石だ、とこの本には書かれています。

 この本を読むと少し物識りになったような気がします(笑)。著者もこの本を書く上で参考にした文献を巻末で明らかにしていますが、専門書以外では、ハラリ著「サピエンス全史」やダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」といったベストセラーになった一般書まで取り上げており、著者の目配りに感心するとともに、幅広い読書量に支えられていることが分かりました。

ドニヤン製高級レース Copyright par KYoraque-sensei

 どこの章を読んでも「なるほど」と感心するのですが、特に書き残しておきたいことは、新素材の発見によって、今では世界的な企業になった話です。その一つが、アルミニウムの世界最大級の米アルコア社を創業したチャールズ・マーティン・ホール(1863~1914)です。米オハイオ州オーバリン大学(桜美林大学を創設した清水安三が留学卒業した大学=ここまではさすがにこの本には書かれていませんねえ=笑。山崎朋子著「朝陽門外の虹」(岩波書店)に詳しい)の学生だった頃、フランク・ジューエット教授が学生のやる気と興味を引き出そうとして「アルミニウムを大量に精製する技術を開発すれば大金持ちになれるだろう」と聞かされます。これを聞いて発奮したホールは、実験と失敗と試行錯誤を重ねて、23歳の時にアルミニウムの精錬法を開発するのです。

 不思議なことに、この技術を見出したのは、ホール一人だけではなく、大西洋を隔てたフランスにもいました。化学者のポール・エルー(1863~1914)で、これまた不思議なことに、生まれた年も同じで、23歳で精錬法を開発したのも同じ。極め付けは、同じ年に51歳で亡くなっていることです。二人は面識がなかったといいますが、あまりにもの偶然の一致に驚きの連続です。歴史的必然さえ感じてしまいます。ホールの方は、アルコア社を設立して、ジューエット教授の「予言」通り、億万長者になります。

 当初、アルミニウムは強靭さに欠けていましたが、それは、合金の形で飛行機やミサイルにまで使えるほどになります。その合金の代表がジュラルミンですが、その独占製造権を取得したドイツのデュレナー金属工業が、同社の社名とアルミニウムを合体して名付けたのがジュラルミンだったというのです。クイズになるような雑学でしたね(笑)。

 このほか、真珠、絹(シルク)、ゴム、プラスチック、シリコンの話が知らなかったことばかりで面白かったでした。月に30万円も注ぎ込むようなネットゲームに熱中している若者にも勧めたい本でした。

 

国有林が売られる=キーパースンの竹中平蔵氏を何故報道しないのか?

 改正国有林野管理経営法なるものが、6月5日の参院本会議で、自民、公明の与党と国民民主党、日本維新の会などの賛成多数で可決、成立しました。

  これは「全国の国有林を最長50年間、大規模に伐採し、販売する権利を民間業者に与える」という法律ですが、ほとんどの国民は知らないでしょう。大手マスコミで大きく報道していたのは、毎日新聞ぐらいです。あとは無視。私も知りませんでした。昨日の朝のTBSラジオを聴いていて初めて知りました。

 「販売する権利を民間業者に与える」というのは、いわゆるコンセッション方式といわれるもので、それは外資でもあり得ます。このブログの2018年12月4日付の「国民の無知につけこんで『日本が売られる』」にも書きましたが、「日本が売られる」の著者の堤未果さんは、この中で、 国民の資産である水の運営権を巧みにフランスの世界最大の水企業ヴェオリア社(の日本法人)に少しずつ売り渡していた事実を暴露していましたね。覚えていますか?

 また、この本の中では、水道だけでなく、国有財産である森林や材木までもが「民営化」の美名の下に売られることも少し書かれておりましたが、私自身はすっかり忘れておりました。

 6月6日付の毎日新聞朝刊「改正国有林法成立 外資進出警戒も」の記事では、九州・五島列島の町に2011年ごろ、大陸から中国系の企業が、地元の民有林を狙って突然進出して来て、町民を驚かせたという話から始まっています。

 水道の民営化に続いて、国有林の民営化も音頭を取って法制化を推進した人物は、安倍首相が議長を務める未来投資会議で、「民間議員」を務める竹中平蔵東洋大教授だということを毎日新聞は書いておりますが、極めて上品な書き方です。

 一方、ニュースに敏感なネットの住人の中には、「国有林払い下げでぼろ儲けを企む竹中平蔵氏」「国の財産、国有林を金融商品化し民間業者に売り払う」「売国の先兵たる竹中平蔵氏がまた絡んだ事案」といった過激であまり上品ではない文章が並んでおります。

 とは言っても、一連の悪名高い規制緩和のキーパースンは、竹中平蔵氏であることは間違いありません。が、毎日新聞以外の大手マスコミは、テレビも新聞もそれすら目立って報道しません。

 報道しないということは、国民に公にしたくはなく、隠したいのでしょうが、TBSラジオで、森本毅郎キャスターは、はっきりと「竹中平蔵東洋大教授はおかしい」と批判しておりました。

 

山里亮太さん蒼井優さん、ご結婚おめでとうございます!

 最近は、衝撃的な無差別殺人事件や高齢者ドライバーによる交通死亡事故や幼児虐待のニュースばかり聞かされていたので、心がささくれだっておりました。そのせいか、昨日電撃的に発表されたお笑い芸人と美人女優との結婚ニュースは久しぶりに明るい話題を提供してくれました。大変失礼ながら、もてない世の男性諸君に勇気を与えてくれたんじゃないでしょうか(笑)。

  結婚を発表した山ちゃんこと南海キャンディーズ山里亮太(42)さんと女優の蒼井優(33)さんのことです。

 最初このニュースを聞いたとき、多くの人と同じように「えーー!」と思いました。「ありえない」というのが正直な感想です。

 でも、今朝のワイドショーでの2人の会見を仕事として(笑)見ていたら、「お似合いのカップルじゃないかな」と妙に納得しました。芸能界は虚像と実像が複雑に交じり合った世界ですから、実際のところは分かりませんが、派手好きな芸能人とは違って2人とも堅実で、飾らない性格同士だったことには感心しました。

 特に、蒼井さんは、山ちゃんから結婚指輪を贈られようとしたら断って、「それよりいい思い出をつくってください」と頼んだことには驚きました。2人で色んな所を旅行したり、食事したりする方がいいというのです。女優さんなら派手にネックレスや指輪で飾りたがるものですが、感心感心です。もっとも、本当の理由は、彼女は大切な物はすぐなくしてしまうから、ということらしいですが。

 私もしっかり研修してますね。芸能リポーターみたいです(笑)。

 とはいえ、2人は6月3日に入籍しながら、同居していないというのも気になります。(その必要はないか?)蒼井さんも「恋多き女優」として噂が絶えなかった過去があります。男性42歳、女性33歳は「厄年」ですからね。所属事務所は、山ちゃんが「よしもと」、蒼井さんは、ともさかりえでブレイクしたイトーカンパニーですか。よしもとはともかく、イトーカンパニーの沢山の所属タレントは、ともさかさんと蒼井さん以外、私は知りませんけど…。

 いやいや、せっかくの明るいニュースなのに水を差す必要はないですかあ…(笑)。末永くお幸せに。

「創価学会 秘史」を読んで

 大分にお住まいの野依先生の強いお薦めで、高橋篤史著「創価学会 秘史」(講談社、2018年2月27日初版)を読了しました。秘史ですからね、凄い本で、著者はかなり詳細に取材、情報収集、分析されており、知らないことばかりで読み応えがありました。

 著者の高橋氏は、現在の創価学会でさえ、そして信者に対してでさえ公開していない教団の資料である創刊当時の「聖教新聞」と「大白蓮華」の縮刷版を何と、かつて創価学会が「邪宗」と断定し、徹底的な攻撃を仕掛けた宗教団体、立正佼成会の附属図書館から発見し(12ページ)、長い間秘蔵されていた学会の戦前の活動が詳細に分かる1930年代半ばに出された最初の機関紙「新教」(後に「教育改造」と改題)と太平洋戦争突入前後に刊行された「価値創造」のコピーなどを独自のルートで辛うじて入手して、この本を書き上げたといいます。

 と、ここまで書いたところで、この本を薦めてくださった野依先生から電話があり、「面白かったですね」と感想を述べたところ、野依先生は「あまりブログに書かない方がいいですよ」と忠告されてしまいました。

 残念ですね(苦笑)。ご興味のある方はお読みください。でも、これで書き終わってしまうと、ブーイングが聞こえてきそうなので、ちょとメモ書きしておきます。

 ・創価学会の前身である「創価教育学会」を創設し、初代会長となった牧口常三郎(幼名・渡辺長七)は、明治4年(1871年)、現在の新潟県柏崎市生まれで、北海道師範学校附属小の訓導や東京・白金小校長などを歴任した。昭和5年(1930年)11月18日、「創価教育学体系」を上梓。1944年7月、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕され、同年11月18日、巣鴨拘置所で獄死。

・二代目会長の戸田城聖は明治33年(1900年)、現在の石川県加賀市生まれで牧口とは29歳違い、親子ほど年が離れていた。本業は、受験補修塾・時習学館(東京府大崎町、現東京都品川区)や出版社、金融業などを営む実業家だった。

・昭和8年(1933年)、長野県で「赤化」した小学校教員(世界恐慌の影響で就職難から京都帝大卒もいた)が大量に検挙される「二・四事件」が発生。創価教育会は、出獄後の転向した彼らの受け入れ先となった。思想犯を取り締まる内務省警保局が協力したフシがあった。しかし、その後、ほとんどが脱会。内務省もその後一転して、学会を弾圧することになる。(50ページ~)

・創価教育の思想は満洲にも及んだ。その拠点支部が国士舘が母体となる満洲鏡泊学園だった(学園はその後、武装勢力による急襲で悲劇的な末路を辿る)。国士舘は、福岡県出身で早稲田大学専門部在学中だった柴田徳次郎が大正2年(1913年)に結成した社会教化団体、大民団が母体となり、同郷の玄洋社の頭目、頭山満を顧問に迎えて17年に私塾国士舘を創立、その後、渋沢栄一らの支援も得て、専門学校として認可された。(131ページ~)

・人気作家だった直木三十五は1932年1月8日の読売新聞紙上で、突然、「ファシズム宣言」なる文章を発表。「左翼に対し、ここに闘争を開始する。…12月31日までは、ファシストだ。矢でも、金でも、持って来い」(145ページ)

・1952年4月27日、狸祭り事件が起きる。(248ページ~)

登戸事件、農林水産省元事務次官事件で考える

  内緒ということになってますが、私は今でもあるマスコミで仕事をしております。(しがみついているといった表現の方が正しいでしょう=笑)

 私とは違って、会社で偉くなった先輩や後輩の中には、同業他社であるテレビやラジオに出演している方もおります。いわゆるニュースのコメンテーターってなところでしょうか。

 私自身は、彼らとは同じ会社だったので、本人についてはよく知っており、話もしたこともあるというだけで、何の関係も利害関係もないのですが、どういうわけか彼らが出演するテレビやラジオは、気恥ずかしくなって、チャンネルを変えるか、消したりしてしまいます。

 偉そうですが、「お里が知れる」といいますか、「育ち」が分かってしまっているからです。落ち着かないのです。特に、政治経済から事件事故に至るまで幅広く「解説」したりしていると、正直、「専門でもないことをよくここまでしゃべれるものだ」と違和感を覚えてしまうのです。政府広報的な政権擁護の発言をしても、低音の魅力にほだされて、視聴者は信じ切ってしまっているんだろうなあ、と思ってしまうのです。

 それはともかく、先月5月28日に川崎市登戸で起きた20人殺傷事件では、テレビやラジオでは見たことも聞いたこともない多くの犯罪心理学者の方が出演されて、ああでもない、こうでもない、推定されておりました。でも、本当にその通りなんでしょうか?「拡大自殺」なるキーワードも初めて知りましたが、推測の域を出ていません。もしかして、鬱屈した犯人自身すら明確な理由は分からなかったのかもしれません。(ただし、自分が進学できなかったのに、同居していた従姉が通っていた名門学園に対する恨みや羨望があったことは推測できますが)

 「自殺するなら一人でどこかでやってくれ」とテレビで発言した落語家らに対して賛否両論で、人権擁護団体から非難が集中したらしいですが、私も最初はそう思ってしまいました。私の卒業した大学の後輩に当たる外務省の職員や幼い無抵抗の小学生を殺害する権利なぞ誰にもあるわけありません。でも、あまり強調すれば、このブログは炎上するでしょうね。

 登戸の犯人は伯父夫婦に育てられた複雑な環境で、51歳ながら、「引きこもり」だったと言われています。

 登戸事件の4日後の6月1日には、東京・練馬区で、農林水産省の元事務次官が、44歳の息子を刺殺する事件がありました。亡くなった息子さんは、定職につかず、引きこもりがちで、ネットゲームにお金を注ぎ込み、親子の間で口論が絶えなかったと言われてます。元事務次官は76歳。子どもが親を介護するのではなく、高齢の親が働かない成人の子どもの生活の面倒を見ていたことになります。犯人を一方的に指弾したくなくなるような情状を感じてしまいます。

 今日のニュースでは、元事務次官は、川崎登戸事件を見て、「隣の小学校の児童がうるさい、ぶっ殺すと言っていた。息子を加害者にさせたくなかった」と供述したそうですね。(それとは無関係に、元事務次官は年収2300万円で、退職金は8800万円だったらしく、私の周囲では「税金なのに貰いすぎ」とのやっかみの声が)

 加害者と被害者の事件が続けてあったせいか、「引きこもり」が再び注目されています。厚生労働省の調査では全国で約60万人が引きこもりになっていると言われてますが、ある精神科医は「その数は実際100万人以上で、50代、60代と高齢化している」と推定しています。勿論、99.99%の引きこもりの本人たちはそんな事件とは無関係なので、はた迷惑であり、注目されること自体は人権侵害なことは確かなのでしょう。

 世の中が格差社会、貧困社会になったせいなのか、私は専門家ではないので分かりませんが、いつ暴発するか分からない不満分子が増えればいつ事件に巻き込まれるか分からず、安心して公道も歩けません。

 先月31日には米バージニア州の市庁舎で銃乱射事件があり、少なくとも12人が死亡したと言われます。 またか、です。民間統計によると、米国で今年起きた銃乱射事件は、これで150件目になるとみられる、とBBCは報じています。いやはや、どこの世界でも、現代は安心安全に暮らしていけないものなんでしょうか?

京都・醍醐寺と仏高級レース「ドニヤン」とのコラボ

 おはようございます。京洛先生です。

 昨夜(6月1日)は、貴人もご存知の加藤力之輔画伯のお導きで、世界遺産「醍醐寺」境内の「霊宝館」で開かれた、フランスの高級バックの「ドニヤン(DOGNIN)」社の商品披露を兼ねたカクテルパーティーに行って来ました。

フランス語が喋れる貴人が見えていたら、フランス人関係者とさぞ会話も弾んだでしょう(笑)。

そう言えば、その昔、というか、30数年前、東京・大手町の旧経団連会館で開かれた日仏経済交流のパーティーで、貴人が、ポンセ外相と流暢に仏語で雑談を交わされたの思い出しましたね(笑)。

 今回のカクテルパーティーを主催した「ドニヤン」のデザインを手掛けているリュツク・ドニヤン氏(上の写真、通訳の女性の右隣の白ワイシャツの男性です)の実家は、フランスで1805年創業のシルクの高級レースを手掛けている老舗だそうです。「ドニヤン」製のレースは品質が良いことから、パリのオートクチュールの有名ブランドは「ドニヤン」製の超高級レースをこぞって使用、自らのブランドを高めてきたそうです。英国のエリザベス女王の戴冠式の時も、衣装のレースはすべてドニヤン製だったそうです。

 しかし、どの世界も、業界も、時代の変遷があり、レースも、ファッションの世界から、徐々に、その位置づけが後退して、ドニヤンも、レースだけでなく、多様性が求められてきたようです。

 当主のリュック・ドニヤンさんは、手技が器用なこともあって、繊維だけでなく、バックのデザインも手がけられたということです。伝統、歴史に胡坐をかいてはいられないのですね。業態、業容の変転、変容です。

 今回、醍醐寺とコラボレーションして、「霊宝館」の展示スペースには、ドニヤンさんが自らデザインした、こうしたファッション性の豊かな、最高級バッグが並び、鞄にうるさい、ご婦人連が見られれば「一つ、欲しくなるわね」と、ため息が出そうな光景です。

もっとも、お値段もそれなりにするようで、近々、三越・日本橋店でも、取り扱うことが決まっているということです。

 醍醐寺の仲田順栄総務部長は「我々、お寺も、国際交流をさらに積極的に進めていきます。今回、ドニヤンさんとコラボレーションしましたが、こうした工芸品だけでなく、食べ物や料理などあらゆる分野との交流を深めたいと思っています。フランス人2人を採用し、フランス語の接遇にも力を入れています」と日仏交流に意欲を見せていました。

カクテルパーティは霊宝館に隣接するフレンチカフェであり、このように「仏果」仕立ての、マカロン、ポムフリット(フライドポテトのことですね)、ワインなどのご馳走がふるまわれました。いずれもパリで長年修業したフレンチシェフの料理で、これまた大満足出来ました。

 おフランスも京都のお寺も“ブランド”ですが(笑)、上の写真のレースは200年以上の歴史のある「ドニヤン」が作った超高級の手織りレースです。

 今回、醍醐寺が「霊宝館」を会場に提供されたことから、同寺にリュック・ドニヤン氏が、お礼に寄贈されました。

関係者によると「このレースは、古い、年代もので、極めて貴重で、今では熟練の職人もいないので作れません」ということです。

「手織り」の技術は、世界中、どこでも、熟練した織工、職人が支えているわけですね。各国とも「無形文化財」、「人間国宝」のような形で認定、指定しているわけですが、人間の「眼力」が劣化してしまい、それも先細りしています。

 既存の大手マスコミは、単純に“人工知能”(AI)などによる“技術革新”を絶賛、肯定するだけでなく、人間の持つ、希少、貴重な手技(てわざ)の絶滅危機を、もっと大きく取り上げるべきですね。

 以上

 あらまあ、総務部長さんにまで、随分深く取材されましたね。京都の大手有力寺院もフランスのブランドと提携する時代になったとは驚きでした。いつもながら有難う御座いました。

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