森永卓郎著「なぜ日本だけが成長できないのか」

正直に告白しますと、現役時代はお金に困ったことはありませんでした。毎月、決まって給与が入り、半年に一度、多額の(まさか=笑)ボーナスまで振り込まれましたからね。会社は赤字でも、京洛先生の会社のように給料遅配の憂き目に遭ったこともありませんでした。

でも、今は遠い昔。現役を引退しますと、実入りが大幅に減額し、あ、はあ、さて、は困った、困った。大変なことになってしまった…。そこで、やり繰りするために、死に物狂いで経済と金融を勉強せざるを得なくなりました。

100冊ぐらい関連書を読みましたかねえ…(笑)。その結果は「さっぱり分からん」です。投げやりな、悪い意味ではないのです。これから景気が悪くなるのか、株が暴落するのか、今は多くの人がそう予想していますが、それはあくまでも予想であって、可能性は高くても、当たるかもしれないし、当たらないかも知らない。要するに未来のことなど誰も分からないという当然の結論でした。(誰にも分からないことを、さも分かった顔をして御託宣してお金を稼いでいる人もいますが)

 一方、過去については、解釈の違いこそあれ、覆せないので、安心して学ぶことができ将来に向けて参考にできます。「歴史に学べ」です。

その点、今読んでいる森永卓郎著「なぜ日本だけが成長できないのか」(角川新書、2018・12・10初版)は、特にバブル経済崩壊から日本経済の転落までを扱ったもので、まさに蒙が啓かれたといいますか、目から鱗が落ちたといいますか、大いに勉強になりました。「プラザ合意」も「バブル崩壊」も、同時代人として体験しながら、その当時はほとんど経済の勉強をしていなかったので、何が原因で起きていたのか分かりませんでしたが、「あれは、そういうことだったのか」「今の状況はそういう繋がりがあったのか」と、今さらながら、やっとクイズかパズルが解けたような爽快感があります。

 この本は面白い。興奮するほど面白いです。日本が不景気になり、経済大国から転落した原因として、人口減や労働人口の低下にあるとされてきましたが、著者は「それは違う」と具体的な数字をあげて反論します。(日本の就業者数は1995年6414万人だったのが、2016年は6465万人で、減っているどころか微増している)

バルセロナ・グエル邸

 それでは、日本経済の低迷の原因は何だったのかと言うと、森永氏は、ハゲタカ・ファンドを含む外資の日本進出にあった、と喝破します。同氏は「世界のGDPに占める日本の比率は、1995年に17.5%だったのが、2016年に6.5%と3分の1も落ち込んだ。これは、2001年からの構造改革により、日本の大切な資本が外資に二束三文で食われてしまったからだ。資本が外国のものになれば、当然、儲けは海外に持っていかれてしまう」と説明します。少し引用します。

 …日本の空洞化は、3段階で進んだことが分かる。

 第1段階は、1986年以降に日本企業が海外生産比率を上げていく『海外移転』。

 第2段階は、1990年のバブル崩壊以降、外国資本が日本の企業の株式を買い漁り、外国資本による株式保有の増加。

 第3段階は、日本企業そのものが二束三文で外国資本に叩き売られた不良債権処理。

 この三つはそれぞれ単独の現象のようにみられるかもしれないが、実は、この順序も含めて大きなシナリオで結びついている。グローバル資本とその先棒をかつぐ構造改革派の日本人は、実に30年がかりで日本経済を転落させていったのだ。…

バルセロナ

 うーん、実に明解ですね。この後、筆者は、この「グローバル資本」と「構造改革派の日本人」として、対日貿易赤字に苦しみ、その打開策を図った米国政府とその圧力に負けた日銀と財務省、構造改革を主導した小泉純一郎首相とそのブレーンになった1962年生まれの元日銀行員だった木村剛氏らを槍玉に挙げます。(当時の最大責任者だった竹中平蔵経済財政政策担当大臣を、森永氏は、時たま擁護するような表現を使うので不信感はありますが)

 特に、不良債権処理の旗振り役だった木村剛氏( 日本振興銀行会長になった同氏は2010年、銀行法違反容疑で逮捕=懲役1年執行猶予3年の有罪刑が確定= )がリストアップした「問題企業30社」は、流通、建設、不動産などに偏ったものばかりで、それは、外国のハゲタカ・ファンドが涎が出るほど欲しがっていたものと一致していたことは絶対に偶然ではないという著者の指摘は、背筋が凍るほどでした。森永氏は「木村氏は問題企業をハゲタカの餌食に差し出す手先だ」と批判しましたが、日本一のスーパーだったダイエーや日本長期信用銀行などの例を見ても、 結果的にそうなってしまいました。

 渓流斎ブログは、多くの経済専門の方々が熱心に読んでくださってますが、私自身は、この本は大変参考になったことを強調しておきます。(まだ、途中なので、この本については、またいつか触れるかもしれませんが)

秋葉原研修ツアーで不愉快事が三つも

昨日の月曜日は、有休を取って、某通訳団体の研修会に参加してきました。場所は、秋葉原です。昨年、久しぶりにオランダ人家族の東京旅行をガイドした際、下調べに大変苦労したので、最新情報を仕入れようと思ったからでした。参加費は6000円。でも、不愉快なことが三つもありました。

ということは、愚痴めいた話になるので、「そんなもん、聞きたかねえだあ~」という紳士淑女諸兄姉の皆様は、この先、お読みにならなくて結構です。さようなら。

秋葉原

秋葉原の現地集合が午前8時45分と早く、いつもとは違って早めに家を出ました。そしたら、運悪く、乗った電車の前の座席に座っている変な男が、私が彼の前に立った途端、持っていたA4判下敷きサイズのプラカードを左右に激しく振り始めるのです。そこには「歩きタバコ禁止」と書かれていたのです。

えっ?何? 私はタバコは吸いませんし、まして、ここは電車内ですよ!頭がおかしいに違いありません。男は、70歳ぐらいか。深く帽子を被り、マスクをして眼鏡をかけ、素顔は分かりません。こういう輩は何をしても時間の無駄なので、次の駅で空いた反対側に移動したところ、その狂人は、聞こえよがしに「やっと行ったか」ですよ。えっ?私が一体、何をしたというのですか。たまたま、空いていた空間に立っただけで、何の関わりもなく、初対面のすれ違いにしか過ぎないのに、何で、恨まれる筋合いがあるというのでしょうか。不愉快でしょうがありませんでした。

上階にある店舗のロボットは定評があるとか

これが不愉快の一つ目(笑)。二つ目は、通訳研修会の講義で、主宰者が「メモ厳禁」と宣言したことでした。理由は、資料に全て書いてあるからということでしたが、ありえない!秋葉原の現地ウオーキングツアー中に、メモを取ることは、他の一般客の通行に邪魔になるので、理解でき、私も「メモ禁止」とは戸外の話かと思ってたら、部屋の中での誰にも迷惑を掛けない講義でも駄目と言うんですからねえ。知らずにメモを取っていたら、鬼面のような怖い顔をした女講師が「メモは厳禁です。ここからもメモしていることは見えますよ」ですって!

秋葉原

私は、資料に書いていなかったことをメモしていたところでした。意味が分かりません。頭おかしいじゃないでしょうか。記者からペンとメモ帳を取り上げることは、大工からノミやカンナを奪うのと同じですよ。今度また、メモ禁止なんて言うのなら、そんな研修会やらセミナーなんかには参加しませんよ。

戦後、GHQが露天商を「ラジオセンター」に一堂に集めたといいます

でも、ウォーキングツアーは、主宰者が凄い下調べをしていて、大変役に立ちました。これでも、私もかなり下調べしましたが、知らないところも案内してくれました。秋葉原の戦前は、御案内の通り、駅前に青物市場がありました。戦後すぐに闇市が立ち、1950年代はラジオや部品販売の商店、60年代は電気冷蔵庫やテレビなど家電製品、70年代、80年代は オーディオ・ブーム、90年代からパソコン、今では、アニメやフィギュアなどの萌えオタク文化の世界的発信基地として海外でも知られています。

メイドカフェ


 これだけ秋葉原は変遷が激しいのです。確か、6~7年前にも私は、同じような秋葉原の研修会に参加しましたが、店が変わったりしていて、もう古い情報は通用しませんからね。

今回も秋葉原名物のメイドカフェに行き、「永遠の17歳」のメイドから給仕を受けたりしましたが、加齢のせいで、何が面白いのかさっぱり分かりませんでした。いわゆる「オタク文化」なるフィギュアやコスプレなど全く興味なし。自分が正常だと強調したいわけではありませんが、第一、還暦過ぎたお爺さんが、セーラー服や10代の若い女の子に興味津々なんて、気持ち悪い。変態扱いされますよ!

カフェ入場料700円、絵を描いてくれる抹茶ティー680円、オムライス1100円でしたが、ショータイムあり、ゲームあり、人件費を考えるとサービスは価格に見合ってました

正直、こんな通訳の仕事は、自分には向いていないと思ってしまいました。

ただし、弁護しておきますが、メイドカフェは、皆さんが想像するような(笑)いかがわしい店ではなく、若い女性が一人で入店しているのさえ目撃しました。「ご主人様」「お嬢様」という約束事を楽しむ空想遊びだということです。正直、個人的には行きたいとは思いませんけど(笑)。

ウオーキングツアーを案内してくださったNさんからは、イチゴの糖度の計測器まで何でも売っている「東洋計測器」近くにある穴場の隠れ家レストランを紹介してもらいました。今度利用してみようかと思っております。これが今回の一番の収穫かなあ(笑)。

写真右下の「イヤホン」店は、某著名スポーツ選手が買った30万円のイヤホンも売っているそうな

あと、秋葉原には神田明神近くに「名酒センター」というのがあって、全国の銘酒が1杯150円から試飲できるという話を聞いたものですから、ツアーが終わった後、一人で一生懸命に探してみました。やっと見つけたら、月曜日は定休日で閉店でした!こちらが下調べせず、無謀に行ったのが悪かったにせよ、これが、不愉快の三つ目でした(笑)。

「おでん缶」の自販機は秋葉原発祥という説も。は外国人観光客にも評判だとか

 あれっ?まだお読みになってたんですか?最後まで読んでくださり、誠に有難う御座いました。

 

「私は、マリア・カラス」は★★★★

 映画「私は、マリア・カラス」(トム・ヴォルフ監督)を観てきました。彼女が出演した過去の公演フィルムや本人のテレビ・インタビューなどを繋げて編集したドキュメンタリー映画でしたが、見終わって、哀しい気持ちになりました。

 マリア・カラス(1923~77)は、説明するまでもなくオペラ歌手で、「世紀のディーバ」「20世紀最高のソプラノ歌手」などと称賛される一方、「気位が高い」「気分屋ですぐ公演をキャンセルする」などの悪評もあり、毀誉褒貶の多い人だった気がします。

 私の親の世代なので、彼女の現役時代は、ちょうど私が子どもの頃から大学生の頃だったので、海運王オナシスとのスキャンダルなども極東に住む異国の子どもの耳に入っておりました。でも、まだ53歳の若さでパリで急死したことは、私は大学生だったのに、フォローしていなくて、あまり覚えていないんですよね。

莫大な富と揺るぎのない名声を獲得しても、あっけないものです。いずれにせよ、若い頃はオペラ鑑賞など高くて観に行けるわけがなく、レコードも高くて手に届きませんでした。つまり、マリア・カラスの名声だけは聞こえてきても、私にとっては雲の上のそのまた上の存在で、たまに、NHK-FMラジオで、彼女のアリアを聴くぐらいでした。

 でも、この映画を観て、初めて彼女の苦悩が分かりました。ドタキャンも、心因性にせよ、身体性にしろ、体調不良でまともに声が出なくなったことが原因だったらしく、事情を知らない音楽記者や評論家らの非難や激しいバッシングに彼女はどんなに心に傷を負って、耐えてきただろうかと同情してしまいました。

 人間ですから当然かもしれませんが、若い頃から中年、壮年になるにつれて、まるで別人のように彼女の人相がどんどん変わっていくのには驚かされました。晩年になり、高音域がだんだん出にくくなって、発声練習に時間を掛けなくてはならなくなった焦りみたいなものまで顔に表れていました。

 彼女は確かに天才でしたが、この映画を観ると、芸術家というものは何と不幸なんだろう、と思ってしまいました。こうして、彼女の暗い面ばかり見てしまいましたが、「トスカ」の「歌に生き、恋に生き」にせよ、「ジャンニ・スキッキ」の「私のお父さん」にせよ、映像を見ただけでも彼女の最盛期の歌声はまさに比類なきもので、その巧さは空前絶後という感じがしました。それだけが唯一の救いといえば、救いでした。

高校の同窓会に参加、まるでシンジケートのようでした(笑)

 昨日は、岸和田先生の「大宮競輪に取材に行くように」との指令に反して、我らが母校・海城高校の同窓会に参加して来ました。

高校の同窓会といっても結構種類がありまして、まずは高校3年時のクラスの同期会のほかに、部活の同窓会、地方や海外の支部会、それに業種別の同窓会まであります。ここ数年前から、急に発足しました。

昨日は、私は、所属する業種別のメディア分科会に参加して来ました。2年後の高校同窓会「海原会」(徳光和夫会長)創立100周年に向けた今年の活動方針などを決める総会が終わった後、学園内のカフェテリアで、士業・医業分科会との合同懇親会がありました。

我が母校は、結構優秀な人材を社会に輩出しているようで、やくざな(笑)メディア界のほかに、医者や弁護士、公認会計士等になった方も多くいたというわけです。

海城高校がある新大久保駅周辺は、すっかり変わってしまいました

当然のことながら、同窓会の参加者は、社会的に成功したか、健康に恵まれた元気な人ばかりでした。海城高校は明治24年(1891年)創立で、相当な数の卒業生を輩出しておりますが、同窓会に参加する人、できる人は、そのうちの10%未満でしょう。

メディア会には、昭和20年卒で、旺文社の重役を務めた91歳になるUさんがおりますが、さすが御高齢のため、今年は参加されませんでした。いずれにせよ、同窓会は親子以上年の離れた卒業生が、ただただ、同じ学園の卒業生という大義名分だけで参加するわけですから、実に壮観なものです。しかも、同窓生ということだけで、初対面でもすぐお互いに溶け込んで、信頼関係まで生まれるということは不思議を超えて、奇跡に近いような気がしました。

私の場合、社会的に成功したわけではないので、同窓会への参加は躊躇っておりましたが、健康を回復したので、参加することにしました。特に、定年退職したり、仕事を辞めたりすると、途端に社会との接点がなくなってしまうからです。

 ということで、昨日は参加して本当によかったと思います。極秘の機密情報を仕入れることができたからです(笑)。大袈裟ですが、機密情報ですので、「触り」しかお伝えできませんが、それはオリンピック不況にどう対処するか、という問題です。1964年の東京五輪の翌年、日本は「昭和40年不況」と呼ばれる大不況に見舞われました。山一証券が赤字になって日銀から特融を受けたり、サンウエーブや日本特殊鋼などが倒産したりしました。

海城高校近くにロッテの工場があったのですが、売却され、広大な工場跡地は住宅展示場になってました

となると、2020年の東京パラリンピック・オリンピックが終わった翌年は、1965年どころでない大不況が襲ってくるというのです。これは大手広告代理店に勤務した後、独立して起業しているX先輩らの「推測」ですから、必ずしも当たるとは限りませんが、根拠のない推測ではないことは確かです。

その最大の要因は、少子高齢化による人口減と経済成長の鈍化にあるようです。1980年代のバブルや「ジャパン・アズ・ナンバーワン」など遠い大昔の話で、今や、日本は世界的にほとんど相手にされていないというのです。

 X氏は今でも早朝4時に起床して、ワールドニュースを見たりして世界の最新情報を収集しているそうです。広告代理店の人は、新聞記者以上に情報収集に熱心だったんですね。

さて、来る日本の大不況に対して、どう対処したらいいのか?

そこで、海外に目を向けているのが、東南アジアの某国に広告代理店の現地法人を設立しているK氏です。極秘情報(笑)なので、「某国」としか書けませんが、その国に進出している海外の企業人は、日本が3000人なら、韓国は3万人、中国は何と30万人だというのです。これでは、日本が勝てるわけありません。「某国」は、ここ5年間、経済成長率が6~7%と続き、平均年齢は29歳で、日本の高度成長期と同じようにまだまだ伸びる可能性があります。

 それなのに、日本のマスコミは取材が足りないのか、わざと、大衆に真実を隠しているのか、テレビで報道されることは、「政府開発援助をした」とか、「学校を建ててあげた」などといった最貧国のイメージばかり。実態は、首都では、ベンツやレクサスなど海外の高級車が日本以上に走っており、高級マンションも売れているといいます。

K氏は、日本の大手広告代理店が進出していない空隙をぬって、早々と代理店を設立したため、某国を知る第一人者としてコンサルティング業務まで行い、地方自治体から引く手あまてだといいます。何しろ、ジェトロのデータ収集までしているといいますから。厚生労働省もびっくりです。

K氏が某国に興味を持ったのは、面白いことに高校の同窓会会報で、後輩のY氏の存在を知ったからだというのです。Y氏は、大学在学中から23年間も某国に住んでいて、現地で結婚し、不動産業などを営み、今では政府高官とも昵懇の中で、今では現地日本人会の顔役だといいます。

会報を読んだK氏は、Y氏とコンタクトを取って、某国に進出してから、Y氏に次ぐぐらいの現地の顔役になったわけです。昨日、私は、そのK氏から、ビジネスチャンスになるような話を伺ったので、情報はこうしてインナーサークルの中で交換されるものだと再認識しました(笑)。

つまり、同窓会とはサロンのような、シンジケートのような気がしたわけです。 

飲食店サイト「ぐるなび」の原点は地下鉄広告

 某諜報機関の機関長から、ネットで飲食店の情報を提供している「ぐるなび」を徹底的に調査してほしいとの依頼がありました。

 任せてください。これでもその筋の端くれですからね(笑)。

バルセロナ・グエル邸

まず、「ぐるなび」サイトの「会社概要」によりますと、事業内容は、「パソコン・携帯電話・スマートフォン等による飲食店のインターネット検索サービスその他関連する事業 」とあります。同業他社の中に、カカクコム・グループが運営する「食べログ」がありますが、食べログが消費者からの情報を主軸に基本的に無料で発信しているのに対して、「ぐるなび」は、有料加盟店からの広告収入から成り立っています。総掲載店舗数約50万店のうち、有料の加盟店舗数は5万6967店(2016年3月期末)となっております。

ということは、「ぐるなび」は広告代理店ということになります。同社の公式サイトの沿革には、「1996年6月、株式会社NKBの一事業部として飲食店検索サイト『ぐるなび』をインターネット上に開設」とあります。このNKBとは何かといいますと、1948年に創業された交通広告会社で、旧社名は、交通文化事業株式会社。主に、地下鉄のベンチなどの看板広告を手掛ける会社として出発しました。創業者は、瀧冨士太郎(1903~1975)。

この方、もともとジャーナリストで旬刊誌「交通研究」を発行しておりました。その関係で、阪急の小林一三、東急の五島慶太ら鉄道界の大物との交際を深め、監督官庁の運輸省(当時)高官の天下り先を忖度して交通文化事業株式会社を設立し、広告事業を展開します。新規事業を行うには、政財官の「黄金のトライアングル」が威力を発揮することを熟知していたのでした。


バルセロナ・グエル邸

 交通・観光事業に従事する関係者の子息らへの奨学金として、彼の名前を冠した「瀧冨士基金」が現在でもあります。この育英事業は、瀧が設立した公益財団法人「日本交通文化協会」が行っているもので、同協会はこのほか、駅構内の壁画などパブリックアート事業や展覧会なども開催しております。

瀧冨士太郎の子息が瀧久雄氏(1940~)です。この人こそが「ぐるなび」の創業者です。東工大を卒業し、三菱金属に入社した技術者でしたが、父親の急逝により、後を継ぐことになります。先見の明があった同氏は、看板広告の将来性を案じて米国に視察に出掛け、まだ今後どう展開するか分からなかったインターネットに注目し、「ぐるなび」を始めたわけです。国土交通省の元高官らを顧問に迎えるなど父親のビジネススタイルを踏襲しました。

瀧久雄氏の趣味は囲碁です。NKBの関連会社として、囲碁対局サイトを運営する「株式会社パンダネット」(1962年6月創業)の代表取締役も務めています。話は飛びますが、このパンダネットですが、日本棋院利光松男理事長(1923~2004、日本航空相談役、JALパック社長)が自殺した遠因があったという情報が真しやかに流れております。これは、対局ソフトを開発する際の提供企業の選定をめぐって、日本棋院が「パンダネット」から韓国の「世界サイバー棋院」に切り替えたことで、理事会内で大問題となり、利光理事長の心労が重なったと言われています。


バルセロナ・グエル邸

先ほど、瀧冨士太郎が創刊した旬刊誌「交通研究」の話が出ましたが、鉄道・運輸関係の老舗といえば、1943年に創刊された「陸輸新報」の流れを汲む「交通新聞」があります。交通新聞が美空ひばりなら、交通研究は、丘みどりです(笑)。

交通新聞は業界紙なので、一般の人は知らないかもしれませんが、「時刻表」「旅の手帖」、そして「散歩の達人」を出版している会社だと言えば、分かるかもしれません。戦中から「時刻表」を出すぐらいですから、国鉄、そして政府関係者、労働組合、関連政党などと密接な関係があったという証左になります。

交通新聞社は、瀧氏のNKBと共同出資して、2000年に「トラベルサイト」を設立しましたが、現在機能しているかどうかは不明です。

 以上、まとめサイト「NEVER(決して~ない)」でした。 

東日本競輪発祥の地で記念レース開催

 「競輪界の回し者」を自称する岸和田先生からメールが舞い込んできました。

 …関東にお住まいの渓流斎さん、今週末のご予定、日程は決まっているでしょうか?

もし、決まっていないのなら、野次馬気分と民情視察で埼玉県の「大宮競輪」に出向かれたら如何でしょうか。「記念競輪レース」が1月17日(金)から20日(日曜)まで4日間、同競輪場で開催されます。

全国の競輪場では、それぞれ一年に一度「記念競輪(G3)」が開かれます。このほかG2、G1とグレードの高いレースがあり、優勝賞金がその分大きくなります。そして、その年の獲得賞金上位者やG1レースの優勝者が12月暮れの「競輪グランプリ」に選ばれ、そのレースに優勝すると1億円がもらえるのです。

それに比べ、17日からの「記念競輪」は、優勝してもそう大した賞金額ではありませんが、今回出走する村上義弘、平原康多は、競輪界の最高峰、角界でいえば東西の横綱で、「競輪グランプリ」に出場する常連です。恐らく見ごたえのあるレースをすることでしょう。さらに、高齢者が支える公営競技の実態、日本社会の実相、歪みを実地体験するのも社会勉強ですよ。

 入場料は確か100円で、競輪場内では各種イベント、アトラクションがあり、無料でいろいろなものを試食させてくれます。年末恒例の炊き出しみたいな感じでしょうか(笑)。こんな福祉事業のような「気前の良い」主催者、イベントは今時ありませんよ。

 大宮駅前から無料バスも出ています。「どんな人が集まっているのか」「いやあ、凄い風景だ!ショックを受けた」などと、そのルポを渓流斎ブログでご紹介してください。…

 あちゃあ、岸和田先生には申し訳ないのですが、週末はちょっと予定が入っており、行けませんね。そこで、渓流斎ブログの愛読者の皆々様に、代わってルポを送って頂くことにします。小生と同じように原稿料が出ませんから、まず、送られてこないと思いますが…(笑)。

バルセロナ・グエル邸

【参照】(「大宮競輪」から引用)

東日本競輪発祥70周年!競輪の生みの親「倉茂氏」をたたえた記念開催!

東日本競輪発祥の地である大宮競輪では、「競輪の生みの親」である倉茂氏の功績を末永くたたえ、今後の競輪界の発展を図るため、平成14年1月の53周年記念競輪から「倉茂記念杯」と銘打って開催しています!

倉茂貞助氏の略歴

昭和2年陸軍士官学校卒業
昭和12年10月退役(陸軍騎兵大尉)
昭和23年11月自転車振興会連合会常務理事
昭和32年10月日本自転車振興会参与
昭和35年6月東京オリンピック組織委員会幹事
昭和37年8月日本自転車振興会理事
昭和44年10月日本自転車振興会参与
昭和58年11月通商産業大臣表彰 受賞
平成3年7月日本自転車振興会相談役
平成10年逝去。
倉茂氏の胸像

倉茂貞助氏の功績

昭和22年9月、倉茂貞助氏は、海老澤清文氏とともに設立した「国際スポーツ株式会社」において”報償制度併用による自転車競走”という企画を立てた。この企画を実現するためには法制化が必要であることがわかり、昭和22年10月に「自転車競技法期成連盟」を結成した。

その中で、制場に倣った”車券付き自転車競技”への方向転換がなされるとともに、倉茂氏は「自転車競技法」の原案を作成し、GHQをはじめ国会に積極的に働きかけ、自転車競技法成立の大きな原動力となった。同法が昭和23年7月に成立すると、関連諸規則の成案、実施機関の設立などの法律施行に努めた。

その後、倉茂氏は「自転車振興会連合会(現:(公財)JKA)」の設立に力を注ぎ、自ら常務理事として、小倉、住之江、大宮に始まる全国各地での競輪場の開設、選手の養成や運営体制の整備に尽力した。昭和32年10月に日本自転車振興会の参与に就任してからは、競輪に従事する競技会職員や選手に対する講演活動を行うとともに、一般の人々にもPR活動を行った。

昭和58年11月、競輪界への多年にわたる功績を高く評価され、業界初の通商産業大臣賞を受賞した。

また、倉茂氏は”賭けの研究家”としても知られ、百科事典への賭け事関連の執筆のほか、主な著書として「世界の賭け事(東洋経済新報社/1957年)」「賭:サイコロからトトカルチョまで(荒地出版社/1959年)」「わが国の賭けごと史(日本自転車振興会/1974年)」「競輪誕生の思い出<自転車競技法成立までの秘録>」(週間レース社/1979年)などがある。

以上

へえー、倉茂さんという方は初めて知りましたが、凄い人なんですね。

何かおかしい最近のNHK

 最近のNHKの報道や番組に接していると、どうも違和感を覚えてしまいます。

 例えば、看板のニュース。しかも夜の7時のニュースともなると、ゴールデンタイムの中の最高の時間で、国民の多くが注目しています。庶民だけでなく、政治家も官僚も財界の大物も見るのではないでしょうか。影響力は国内外とも絶大です。

 その夜7時のニュースで、先日、ドラマ「家政婦が見た」で有名な女優が亡くなったということで、トップニュースだったことには驚きました。民放なら分かりますが、天下のNHKですからね。独断と偏見かもしれませんが、もっと他にに重大ニュースがあったはずです。

バルセロナ

 最近では、徴用工問題や韓国・駆逐艦による火器管制レーダーを照射問題などで、日韓関係がぎくしゃくし、尖閣諸島や太平洋進出を図る中国の覇権主義などを巡って日中関係も暗澹としてます。でも、ほとんどの日本国民は、竹島にも尖閣諸島にも行ったことがなく、「紛争状態」もほとんど報道を通して知るのです。

 ですから、NHKの報道を見ていると、相手国のあまりにもの大胆不敵な国際法違反ぶりを煽れ、恐らく、そんなニュースを見せつけられた国民の9割は「嫌韓」「嫌中」になってしまうはずです。NHKの予算は、国会で承認されることが義務付けられているので、どうしても政府寄りの報道になることは致し方ないかもしれませんが、今の報道ぶりは、まるで政府の宣撫機関か煽動機関に見えてしまいます。寝た子を起こすように、国民を煽っています。

バルセロナ・グエル邸

 そう言えば、NHKが最近、中国の良い所、韓国の素晴らしいことを報道しましたか?大抵、嫌悪を催すようなネガティブなニュースばかりでしたよ。こんなことでは、弾けた輩から「征韓論」が出てくるのではないかと危惧してしまいます。


バルセロナ・グエル邸

 もう一つ、エンターテインメント番組も、昔の方がもう少し品があったと思います。決して悪いというわけではありませんが、イケメンのジャニーズ系タレントや、個人的に嫌いなお笑いコンビばかり採用し、民放に任せればいいものを、「勘弁してほしい」と思ってしまいます。NHKは、「お高くとまっている」と批判されても、あくまでも言葉遣いが丁寧で、綺麗な日本語を使い、もっと上品であるべきです。

私自身はかつて、芸能担当記者をやっていたことがあるので、裏事情には精通しております。芸能番組を制作するには、ジャニーズ、吉本興業、ホリプロ、アップフロント、バーニング、ケイダッシュ、田辺エージェンシー、渡辺プロ、太田プロ、新栄プロ、東宝芸能、松竹芸能など大手芸能プロダクションの力を借りなくてはできず、タレントもこれら大手事務所に所属していなければ、仕事さえ回してもらえない業界の掟があることも知っております。何で、こんなタレントがテレビに出てくるのかと勘ぐれば、「それは○○事務所に所属しているから」という理由で分かります。ま、これ以上は茲では書きませんが(笑)。


バルセロナ・グエル邸

 特に私は、むしろテレビよりラジオを聴くのですが、今放送されているNHKのニュース以外の娯楽番組はほとんど付いていけません。年のせいか、安心して聴けるのは、「ラジオ深夜便」なのですが、最近疲れてそんな夜中まで起きてませんからね(笑)。

「皆さまのNHK」を自称するなら、少しは庶民の声に耳を傾けてほしいものです。ま、無理でしょうかねえ。。。

京都・東寺で御修法=真言宗最高の秘儀

おはようございます。京洛先生です。最近の渓流斎ブログを拝読しておりますと、名古屋の篠田先生だの、大阪の難波先生だの、色んな先生が登場され、貴人も果報者ですね。吉田兼好も「徒然草」の中で「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり 」と言っております。何事も先人の助言を虚心坦懐に聞いておけば、早まった決断をすることなく、あとで後悔しないものですよ。

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さて、昨日の14日は、貴人もご存知の「東寺(教王護国寺)」で、国家安泰を祈願した真言宗の最高の秘儀「御修法(みしほ)」が終わりました。

「ああ、あれですね!」と言われるでしょうか。それとも、「えっ?それ何でしたっけ?」と素惚けることでしょうか(笑)。何度も渓流斎ブログでも取り上げて頂いた御修法ですよ。迂生は、今年も一年に一度だけ特別開扉される境内の国宝「灌頂院」に入ってきました。


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以前も書きましたが、もうお忘れかもしれませんが(笑)、「御修法」は、真言宗の開祖・弘法大師が承和元年(882年)に「国家鎮護」を祈祷して始めたものです。明治時代までは宮中で行われておりましたが、明治以降は、遷都になったこともあり、場所がここ東寺の「灌頂院」に代わりました。

  今月8日に宮内庁京都事務所が天皇の「御衣(みころも)」を東寺に預け、それを祈願した御衣を、14日には勅使が受け取りに同寺に訪れました。


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 御修法には、全国の真言宗の16派18総本山の長老、高僧が一堂に集まるいわば“真言宗サミット”でもあり、毎年のことですが、大勢の真言宗の僧侶、関係者が集まり、天気も良いので大変な賑わいでした。


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 例年と同じように御修法で祈祷された「御衣」を再び、宮内庁に引き渡すため「唐櫃」に入れた御衣と、祈祷した長老、高僧の還列があり、全国から集まった真言宗の寺院のお坊さんや関係者が手を合わせていました。


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頭髪をそり上げてテカテカに光るお坊さんのアタマというのは、本当に後光がさすというか、清潔感が漂いますね(笑)。ユール・ブリンナーが人気があったのもよく分かります(笑)


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 正午過ぎから、御修法の終わった灌頂院に入り、志納金(千円)で護符を頂くのですが、全国から見えたお坊さんの中には、壇信徒から頼まれたのでしょう、一人で何枚も護符を受け取る人もいました。


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一年に一度の「御修法」ですが、京都人でもほとんどの人は知らないでしょう。灌頂院前に並ぶ列もほとんど坊主頭のお坊さんばかりです(笑)。勿論、観光客はいません。

迂生は毎年出かけていますが、灌頂院の中は、先程まで祈祷されていた護摩木の匂いが残っていて、祈祷に使われた仏具やお供えの饅頭、干菓子などがそのまま残されておりました。「胎蔵曼荼羅」「金剛曼荼羅」など重要文化財も掛けられていて、ある意味で“究極の美術展”でした。


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 今年の「御修法」の導師(長老)の栄誉を受けたのは奈良の真言宗豊山派総本山「長谷寺」の田代弘興化主(79)です。

以上

弘兼憲史著「60歳からの手ぶら人生」

 弘兼憲史著「60歳からの手ぶら人生」(海竜社・2016年11月25日初版)を読了しました。この本は買ったわけではなく、地方税を支払っている(笑)地元図書館で借りたものです。予約したのは、初版が出た頃でしたが、借りたい人が異様に多くて、私の順番は675番目でした。

 ということで、私の借りる順番が回ってくるのに、2年2カ月もかかったわけです。でも、2時間ぐらいですぐ読んでしまいました。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

 実は私は、著者が有名な「課長 島耕作」を書いた漫画家だということはよく知ってますが、彼の漫画は1ページも読んだことはありません。失礼! でも、小学生から中学生にかけてはよく漫画は読んでましたが、高校性になってから漫画は卒業してあまり読まなくなっただけなのです。

 さて、この本を予約して、私も2歳も年を取ってしまったので、「60歳からの」では、もう手遅れになってしまいました(笑)。著者は、どうも、58歳か59歳の男性読者を想定して書いているふしがあるからです。それは、読めばすぐ分かります。

 全編を通して、簡単に要約すると、60歳になれば、少しずつ「身辺整理」して、身軽になるべきだ、ということになるかもしれません。弘兼氏は「持ち物を半分にしよう」運動を提唱しているらしいのですが、そんなモノだけでなく、付き合う友人など人間関係も徐々に減らしていったらどうか、と提案するのです。

 平易な文章なので、彼の言いたいことはよく分かります。この本を書いていた時の著者の年齢は69歳でしたから、少し人生の先輩として後輩にアドバイスする感じです。

 弘兼さんといえば、功成り名を遂げた人で、日本人なら知らない人はいないぐらい有名人ですが、「延命治療はしたくない」とか「子孫に財産は残さず使い切りたい」などと、結構、日々冷静に物事を考え抜いている人だと分かります。有名人だろうが、お金を沢山持っていようが、人は皆、必ず死ぬわけで、時間はどんな人にも平等に与えられているので、生きているうちに、思いっきり自分のやりたいことをやるべきだと主張します。著者自身は、自分でも「典型的なB型人間」で、楽観的でマイペースだというので、これらの主張は非常に前向きな感じがします。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

 この本の中で著者が提唱する全てをやるつもりはありませんが、参考になりました。例えば、私も仕事などでかなりの人の名刺が溜まっていて、なかなか捨てられなかったのですが、「顔を思い出せないような人の名刺は捨てるべきだ」という彼のアドバイスは納得しました。

 また、男は、現役時代は「給料を運んでくる」役割がありましたが、「定年後の男の価値はゼロになる」ことを自覚して、男も積極的に家事や料理をするべきだと提案しております。村民2号、いや、奥さんともなるべく一緒にいないようにして、お互いに距離を置くことも夫婦円満の秘訣なんだそうですよ。

 奥さんからみても、子どもが独立して、やっと鬱陶しい旦那から解放されれば万々歳です。あとは楽しい綾小路きみまろのライブショーにでも行って、大笑いすることができます。めでたし、めでたしです。

 私も、まずは、体力、気力があるうちに、身辺整理から始めて、今年はすっきりしてみようかなと思っています。

百田尚樹著「日本国紀」に賞賛の嵐

名古屋の篠田先生です。本年も宜しく御願い申し上げます。

さて、文壇や出版界の裏に精通している骨太のネットサイト「文徒アーカイブス」に下記の記事が出ていました。よくこれだけ、色んな電脳空間の情報をまとめられるものだと敬服していますが、この中で、作家の中沢けいさんが「活版と写植の違い」を指摘しています。その通り的確な指摘です。活版印刷はそれほど手間と時間、お金がかかっていたことは、“坊主頭”の若い軽薄作家は知らないのでしょう。

それにしても、増刷するたびに内容が大幅に変わるという本というのは凄いの一言です(笑)。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

再版するときは、初版の誤植とか最低限の間違いを修正するというのは過去の話ですね。これではほとんど新刊本と同じです(笑)。

こういう人の言説はその都度、次から次に変わるというわけで、信用できない、責任を取らないと言えます(笑)。底が浅い社会に日本がなっているということです。

底の浅い総理大臣、底の浅い御用学者、御用作家、御用記者、御用コメンテーター、さらに「三権分立」が空文化して、行政=首相官邸・独裁国家の日本であり、それと同じ仕組みの北朝鮮を批判する漫画的光景。それをマスコミも気が付かない、指摘しない、というのも漫画というより末期的です。

文徒アーカイブス

2019-01-11

バルセロナ・サグラダファミリア教会

【記事】増刷するごとに内容が変わる百田尚樹「日本国紀」

百田尚樹のベストセラー「日本国紀」について、作家の中沢けいが次のようにツイートしている。
百田尚樹『日本国紀』は増刷のたびに内容に改変を加えているそうだけど。昔の活版印刷だったら、とっくに経費で会社がおかしくなっている。40年前、写植印刷の文芸誌なんて信用できないって言われた。その頃、写植を使っていた文芸誌は『群像』だけ。あとは活版印刷。本物の活字だと版そのものを作りなお(さ)なければならない事態が生じる場合もある。経費増大。電算写植からDTPへ。それだけ印刷にかかる費用も手間も安価になった。今頃になって『写植の印刷なんて信用できない』って言われた理由が分かった気がして苦笑。こんな事態を考えていたわけではないだろうけど」
https://twitter.com/kei_nakazawa/status/1069794217180848128
https://twitter.com/kei_nakazawa/status/1069795270810947584
▼例えば「ろだん」なる人物が主宰するブログ「論壇net」は「日本国紀」について言及したエントリを次々に公開している。
「【朗報】『日本国紀』、こっそり「男系」の誤りを認め修正」によれば初版では「日本には過去八人(十代)の女性天皇がいたが、全員が男系である。つまり父親が天皇である」とっていた表記が第4版では「日本には過去八人(十代)の女性天皇がいたが、すべて男系である。つまり父親を辿ると必ず天皇に行き着く」と改められていたわけだが、「ろだん」によれば、この変更は百田が「公式に『男系』の定義が間違っていたことを認めたということ」になる。
https://rondan.net/5090
▼「論壇net」の「【速報】『日本国紀』、無断転載箇所を第5刷にて大幅改竄」は、次のように指摘している。
「まず、『日本国紀』(p. 53)にある仁徳天皇の逸話が、大阪新聞に掲載された真木嘉裕氏の意訳からの無断転載・改変であると報告されていました。本箇所について第5刷では、真木嘉裕氏の意訳を参照した旨が追記されました」
「またフランシスコ・ザビエルと、ルイス・フロイスを混同している箇所があり、加えて、その箇所も先行する日本語訳から無断転載している状態でした(pp. 149-150)。この箇所に至っては2ページにわたり大幅に書き改められました」
▼「ろだん」は版元たる幻冬舎の責任にも言及している。
「しかし幻冬舎の対応は極めて不誠実です。発売後わずか二週間(第1刷:2018.11.10、第5刷:2018.11.28)ほどで内容が改竄され、しかも現在書店では改竄前の第1刷から、改竄後の第5刷まで並んでいる状態です。通常ならば第1刷から第4刷までは回収・交換・返金するのが筋ではないでしょうか? 以上の件について幻冬舎は未だ沈黙を守っており、倫理的に問題があると考えます」
https://rondan.net/5459
▼「ろだん」は「【続報】『日本国紀』、第5刷で次々と改竄【ゴールデンブック、コミソテルソ】」では、こう指摘している。
「『日本国紀』第1刷(p. 379)の「ゴールデンブック」に関する記述が第5刷でごっそり改変されています。
この第1刷にある『ユダヤ人脱出に尽力した、樋口季一郎・安江仙弘・杉原千畝三者の名前がゴールデンブックなる記念碑に刻まれている』という記述が、これがWikipediaを中心に保守ブログなどで喧騒されてるだけのデマ情報であることは、刊行後かなり早い段階で指摘されていました。この指摘を受けての修正だと考えられますが、第一発見者であるHiroshi Matsuura氏への謝辞は『日本国紀』のどこを見ても確認されません」
https://rondan.net/5529
▼「ろだん」は追及の手を緩めない。「【悲報】『日本国紀』、第5刷でこっそり改竄するも、かえって重大なミスを犯してしまう」では、こう書いている。
百田尚樹『日本国紀』は、内容の錯誤のみならず、Wikipediaなどからの無断転載箇所が多数見つかり『日本コピペ紀』『日本ウィ紀』と揶揄されたり、こっそり重刷時に「改版」の指示なく内容まで書き換えてしまったりとお騒がせが続いています。
今回紹介したいのは、第5刷の時に書き替えられた『ゴールデンブック』の箇所が、かえって重大なミスを犯しているという指摘です」
https://rondan.net/5628
▼更に「ろだん」は「【日本コピペ紀】長岡京Wikipediaコピペ疑惑」や「『日本国紀』、第5刷で慌てて改竄するも資料を熟読しなかったため再修正が必要に。第6刷以降で再び改竄か?【フランシスコ・ザビエル】」をエントリしている。
https://rondan.net/5657
https://rondan.net/5672
▼編集者兼ライターの「Yukinobu Muromachi」も版元の責任が問われていると考えているのだろう。
「これはヒドイ…。機械翻訳と批判されたアインシュタインの伝記本だって、出版社は自主回収して、訂正本を送ってきたぞ。幻冬舎がいかにダメな出版社か、よくわかる」
https://twitter.com/y_muromachi/status/1069216567534075905
▼能川元一のツイート。
「ちなみに『日本国紀』のような本に欠けているのも、歴史を構造的に把握するという姿勢。右派の歴史本が往々にして(特に人物に焦点を当てた)トリビア集みたいになるのはそのためだと思う」
https://twitter.com/nogawam/status/1069511634828189697
▼早川タダノリもツイートしていた。
「増刷で誤植の訂正にとどまらず内容を変えてしまうとは、『日本国紀』の『ウィ紀』化は本当だったとしか。今後同書から引用する際には、論文中の出典URLを表記するときの『最終アクセス*年*月*日』みたいに、『最終アクセス第*刷』って入れるしかないじゃん」
https://twitter.com/hayakawa2600/status/1069164957567053825
▼当然、編集者にも責任があるはずだ。「日本国紀」の編集を担当としたのは有本香である。こんツイートも投稿されていた。
「有本さん、朝日新聞の”誤報・訂正ページの検索回避タグに関するお詫び記事”に対しては『この記事で納得しますか?』だの『単なる誤報の後処理と軽く見ないでください』だの啖呵切っといて、ご自分が関わった日本国紀の間違いに関しては、購入者に知らせもせず”こっそり”修正してても平気なんですねぇ」
https://twitter.com/ryuryukyu/status/1068361086204698624
▼作家の津原泰水も呟く。
「謝らずにこっそり直し続けるって業界初かも」
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1068466396277858304
▼五月書房新社の編集委員会委員長にして元朝日新聞記者の佐藤章のツイートである。
「価格をつけて出版市場に流れる『書籍』ー幻冬舎の『日本国紀』の帯に『私たちは何者なのか』とある。答えを与えよう。剽窃者、盗作者あるいは恥知らずである。無知なネトウヨならいざ知らず出版界にいる限り最低限やってはいけないことは知っていよう。最低線の責任は果たせ」

以上

バルセロナ

渓流斎です。本日は、百田さんのように(笑)、殆どネットからの盗作でしたが、リツイートですし、出典を明確にしているので、勘弁して頂きましょう。引用させて頂きました関係各位の皆様方には厚く御礼申し上げます。