ブログ更新できなかった言い訳=コロナは陰性でした

 ブログ更新は7月15日(金)以来実に1週間ぶりです。

病気してました(苦笑)。今年5月の大型連休中には酷い風邪に罹り、3日間も寝込みましたが、今回はもっと酷くて、17日(日)昼前から21日(木)深夜にかけて、5日間もwatery diarrhea に悩まされました。多い時は、夜中に20回もトイレに駆け込みましたから、疲労困憊。薬をのんでもなかなか治らず、こんなの初めて。さすがに人間やめたくなりましたよ(苦笑)。

 一番辛かったのは、私の人生の愉しみの「最後の砦」(笑)だった食欲が全くなくなり、少し口に入れても受け付けなかったことでした。アルコールも駄目です。

 先週までは、入院した友人や、メールをしても返信が来ない年長の先輩たちの健康問題のことばかり気になり、心配ばかりしておりましたが、自分のことで精一杯になり、それどころではなくなりました。人生、美味しいものが食べられて、夜ゆっくり眠られることが最も幸せであることを身に染みて体験しましたよ。

◇コロナが身近に

 15日(金)を最後に会社に行っていなかったのですが、その間、不運にも会社の同僚が新型コロナに感染していたことが分かりました。彼は、かなりの潔癖症で、手洗い消毒は欠かさず、帰宅する際に自分の机の周りを一生懸命にアルコール消毒するほどでした。しかも、会社の近くに住んでいるので通勤電車に乗ることさえありません。不思議ですねえ。一番気を付けていて、一番罹りそうにもない人がコロナになるとは!

 私自身は熱も咳もありませんでしたが、一応受けておいた方が良いと考え、19日に自宅近くの内科クリニックで、「ついでに」PCR検査も受けることにしました。翌日、結果が分かるはずでしたが、ここ最近、コロナ患者が爆増したこともあり(7月21日は全国で18万6246人、東京でも3万人を超え、過去最多)、検査も殺到して、間に合わず、21日の朝8時にやっと、結果が分かりました。

 結果は「陰性」でした。ヤレヤレです。

銀座「ローマーヤー」イングリッシュマフィンのオープンサンド~ローストビーフとクロックマダム~1540円

 クリニックの先生はとても良い人なのですが、どういうわけか、「症状」が出た人は院内の冷房の効いた待合室に入れてもらえず、外の炎暑で待たされます。自家用車を持っている人はいいでしょうが、私にはないので、暑い中、外のベンチで、一時間ぐらい虫の息で待ち続けました。そして、色々と症状を聴かれ(問診)、いよいよ検査でもしてくれるのかな、と思ったら、看護師さんらしき人が出てきて、会計と処方箋の紙を持ってきただけです。多分、食当たりか、ウイルス性胃腸炎でしょうが、病名も何も分かったもんじゃありません。どちらにも効く薬を処方したようでしたから。

 こんな目に遭わないためには、人間、病気にならないことです。でも、細心の注意を払っている品行方正な真面目人間に限って、病魔が襲ってくるんですよね。どうにかなりませんかねえ?…。

銀座・昭和通り

 実は、症状が一番きつかった18日(月)=「海の日」祝日=は、私の誕生日でしたので、3人の友人知人と、親戚家族からお祝いのメッセージを頂きました。その中には、Facebookをやめたのに、わざわざ私のブログに直接アクセスしてくれたり、意外にも「隠れて読んでいる」人だったりしました。驚くとともに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 というようなことがあったもので、御心配をお掛けした皆様に対して、今回、ブログを更新できなかった言い訳をクドクド述べさせて頂いたわけです。

 人間、健康が一番。健康にさえなれれば、死んでも構わない。ちっぽけなブログを貶されようが、監視されようが、大したことではありません。

 なんくるないさー。

「徳川十六将」と阿茶の局のこと=恐るべき家康の人心掌握術

 またまたNHK大河ドラマの「便乗商法」と知りながら、「歴史人」8月号「徳川家康 天下人への決断」特集を購読してしまいました。いや、「タイアップ記事」かもしれませんが。

 2023年の大河ドラマは「どうする家康」が予定されています。戦国時代を終息させ、260年の太平の世をつくった徳川家康に関しては、私もある程度知識があるつもりでしたが、やはり、この本で初めて知ることが結構ありました。

 例えば、武田信玄との「三方ヶ原の戦い」で敗退した家康は、辛うじて命拾いをして浜松城にまで逃げ帰りますが、その途中で、家康の影武者になり、身代わりになって討ち死にしたのが夏目吉信という家臣でした。その彼の子孫に当たるのが、明治の文豪夏目漱石だったとは知りませんでした。ただ、夏目吉信の子孫はその後、旗本に取り立てられ、漱石の夏目家は代々、牛込の庄屋を務めていた家柄だったため、断定できないという説もあるようです。

 徳川家臣団のうち、「徳川四天王」と呼ばれた酒井忠次本多忠勝榊原康政井伊直政は大体、履歴は分かっておりましたが、「徳川十六将」に関しては、整理できておりませんでした。というのも、徳川の家臣には、大久保や鳥居や松平や本多や酒井の名字が実に多いからです。

 徳川家臣団の中で、世間でも有名な「伊賀忍者」服部半蔵こと服部正成は、「徳川十六将」に入っておりました。でも、「三河物語」の著者でもある有名な大久保彦左衛門こと大久保忠教(ただたか)は、「十六将」に入っていません。その代わり、彦左衛門の兄で、家康の父の代から仕えていた大久保忠世(ただよ)と大久保忠佐(ただすけ)が「十六将」に選ばれています。

 大久保といえば、本多正信との権力争いで敗れた老中の大久保忠隣(ただちか)も有名です。彼は、大久保忠世の嫡男で、小田原藩主も務めました。忠隣は、「十六将」には入っておりません。

 本多正信も「十六将」に入っていませんが、江戸幕府草創期のブレーンの筆頭として活躍しました。三河の下級武士出身で、三河の一向一揆では一向宗門徒側に就きましたが、後に許されて大出世することになります。同じく一向宗側に就いて許され、その後、戦陣で活躍した武将として、渡辺守綱蜂屋貞次が「十六将」に選ばれています。このように、人質時代から苦労している家康は、家臣に対して寛大で、かつては敵だった今川や武田や織田氏の家臣を徳川家臣団に取り込んで拡大していきます。恐るべき家康の人心掌握術です。

 大久保忠隣を政争で追い落とした本多正信の嫡男正純は、逆に大久保家などからの恨みを買い、「宇都宮城釣天井事件」で二代将軍秀忠暗殺の嫌疑を掛けられ、改易させられます。

名古屋城

 徳川十六将の中で、私でもよく知っているのは鳥居元忠です(弟の忠広も十六将に選ばれています)。彼は、家康が今川の人質時代から過ごした古参の一人で、関ケ原の戦いの前哨戦と言われた伏見城の戦いで、西軍に敗れて自刃しています。その際の血染めの廊下が、京都の養源院(豊臣秀吉の側室淀殿が父浅井長政の二十一回忌に建立、火災で焼失したが、淀君の妹で二代将軍秀忠の正室お江により再建)の天井として使われています。私は以前にこの養源院を訪れたことがあるので、血染めの天井は、鳥居元忠の名前とともに強烈な印象として残っているのでした。

 家康は11男5女をもうけたと言われますから、正室と側室は、名家の娘から町娘に至るまで15人以上いたといいます。正室の築山殿は、母が今川義元の妹でしたが、武田氏に通じているという嫌疑で殺害されます。

 側室の中で注目したのは阿茶の局です。家康との間に子宝に恵まれませんでしたが、大変、聡明な人だったらしく、関ケ原の戦いで、西軍の小早川秀秋が東軍に寝返る仲介をしたとも言われ、大坂の陣では、家康の意向で、本多正純板倉重昌らとともに和議の交渉役を果たしたといいます。また、秀忠の五女和子が後水尾天皇に入内する際に母代わりに入洛し、天皇から従一位を賜りました。

【徳川十六将】

 酒井忠次(1527~96年)、本多忠勝(1548~1610年)、榊原康政(1548~1606年)、井伊直政(1561~1602年)=以上「徳川四天王」、米津常春(1524~1612年)、高木清秀(1526~1610年)、内藤正成(1528~1602年)、大久保忠世(1532~94年)、大久保忠佐(1537~1613年)、蜂屋貞次(1539~64年)、鳥居元忠(1539~1600年)、鳥居忠広(?~1573年)渡辺守綱(1542~1620年)、平岩親吉(1542~1611年)、服部正成(1542~96年)、松平康忠(1545~1618年)

NHKラジオ「日曜カルチャー『未知の世界史を掘り起こす』」はお勧めです

 私が、「是非とも聴くよう」にと勧めた3人中3人とも「これは実に面白かった」と膝を打って感動してくれたラジオ番組があります。

 NHKラジオ第2で放送された「カルチャーラジオ  日曜カルチャー『未知の世界史を掘り起こす』」という番組です。

 私はたまたま偶然、再放送で聴きましたが、まだお聴きになっていない方は、今は、パソコンやスマホアプリがあれば、「聴き逃しサービス」で聴くことができます。私はまだ第1回しか聴いていませんが、番組は5、6回は続くようです。

 お話は、考古学者の大村幸弘さん。トルコのカマン・カレホユック遺跡で発掘調査によって、紀元前18世紀ごろ「ヒッタイト帝国」で世界で初めて製鉄がつくられたという通説を覆す発見をした世界的な学者です。

 その第1回は「なぜ考古学の世界に足を踏み入れたのか」というタイトルです。大村さんが、何故、考古学者になったのか、盛岡の子ども時代に夢中になって探した遺跡土器の欠片の収集から始まり、青年になって不思議な縁に恵まれて、トルコに留学することができて数奇な運命に出合うというのが、その初回の話です。

 まさに人生とは縁と運です。これは私の持論でしたが(笑)、大村さんの場合は、何んとも言えない不思議な御縁の点が、他の御縁の点と結ばれて線になってつながっていくという、まさに信じられないような話が続きます。内容についてはこれ以上、伝えられません。推理小説と同じで、ネタバレしてしまったらつまらないからです。

 ということで、皆さんも是非、第1回だけでもお聴きになったら良いと思います。第1回は、2022年8月28日午後9時で、この聴き逃しサービスの配信も終わってしまいますので、お早めに。(なお、私はNHKの回し者ではありません=笑)

読者プレゼントに続けて当選してしまいました=人生は縁と運

 うひゃぁ~! 何たるちいあ(死語=笑)!

 応募した懸賞が続けて当選してしまいました。一つは、東京新聞の「6月16日 和菓子の日・読者プレゼント」(全国和菓子協会)です。応募したことさえも忘れていたので吃驚です。

 当選したのは、和菓子柄のエコバッグです。折り畳めばポケットに入る便利なバッグです。

 こりゃあいい。こいつは春から縁起がいい。(今は夏でした!)

 東京新聞と全国和菓子協会に感謝です。

もう一つは、「鎌倉殿の13人 大河ドラマ館」の入場券です。ここ数年、毎月購読している「歴史人」(ABCアーク)7月号の読者プレゼントで当選しました。

 実は同誌6月号で、あまりにも誤字脱字が多かったので、応募はがきにそれらをクドクドと指摘したので、恐れをなした編集部が気を遣って、私に当選させ、「口封じ」(笑)を狙ったものとみられますが、残念、こうして書かれてしまいました(爆笑)。

 「歴史人」読者プレゼントに当選したのは、これで4回目ぐらいです。凄い当選確率です(笑)。それだけ、私が、毎号、熟読して意見もどしどし述べているせいなのかもしれませんが、過去の当選者でも排除しない出版社の心意気には大変感謝したいと思っております。

 有難う御座いました。

 そして、「大河ドラマ館」も、2017年の井伊の「おんな城主 直虎」(浜松市)、2020年の明智光秀の「麒麟がくる」(岐阜市)、2021年の渋沢栄一の「青天を衝け」(東京都北区飛鳥山)と結構行っておりますので、今年の「鎌倉殿の13人」(鎌倉市)も「勉強のために、是非とも行って来い」ということになったのでしょうね。

新橋演舞場

 話は飛びますが、私のこれまで生きて来た苦難の人生の経験上、得た教訓は、「人生とは縁と運」でした。そして、それはてっきり自分だけが考えたものだと誤解していました。

 そしたら、先日、NHKラジオの「ビジネス英語」を聴いていたら、出演者のジェニー・シルバーさんが、こんな発言をしたのです。

 Life is about fate and luck, but fate will only come to you when you make the effort.

(意訳)人生とは縁と運みたいなものです。でも、縁というのは、努力して初めて恵まれるものではないでしょうか。

 えーー!? 「運」なら、西洋的な思想に思えますが、「縁」とはまさに仏教思想というか東洋的だと思っていたので、欧米人でも、縁と運の両方を重視する人がいたとは意外に思ってしまったのです。

 ま、同じ、人類として西洋人も東洋人も何も変わらない、ということなのかもしれませんが。

新選組の斎藤一と歴史について

 やはり、幕末史を語る上で、新選組は欠かせません。ということで、そのつもりはなかったのですが、本屋に行ったら、「歴史人」2022年8月号増刊 新選組大全(ABCアーク)が売られていたので、思わず買ってしまいました。

 「大全」というぐらいですから、隊士の履歴や事件はもちろん、天然理心流、神道無念流など剣術の流派に至るまで、まあ新選組に関するあらゆることが百科事典のように網羅されています。新選組に関しては、子母澤寛の「新選組始末記」や司馬遼太郎の「新選組血風録」「燃えよ剣」などを通して、よく知っているつもりでしたが、これだけ図解入りも含めてまとめられた本は初めてです。

 この本によると、新選組は約7年間の活動期間中、入れ替わりが激しかったものの総勢約400人の隊士がいたといいます。このうち、抗争や粛清などで殺害されたのは、筆頭局長だった芹沢鴨はじめ、伊東甲子太郎、藤堂平助ら15人。切腹を命じられたのは、脱走を図った山南敬助ら14人。その他、池田屋事件で死亡した奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門ら16人を含めて、計45人以上が隊士として亡くなっています。死亡率約11%ですから、結構高いです。

 これではまるで、鎌倉時代初期に比企能員、畠山重忠らが粛正された権力闘争か、マフィアの内部抗争みたいです。

 新選組と言えば、近藤勇、土方歳三、沖田総司の3人で、まずほとんどが語られてしまいます。通好みでしたら、池田屋事件でも活躍する永倉新八あたりが登場するでしょうが、私が注目したのは斎藤一(1844~1915)です。20歳そこそこで三番隊組長、その後、副長助勤も務めた溝口派一刀流の剣豪です。

 新選組から分離した伊東甲子太郎の御陵衛士に、近藤勇の命令で間者として潜り込み、油小路の変あたりから身を隠すために山口二郎の変名を使い、鳥羽伏見の戦い、甲州勝沼の戦いにも参戦し、その後、一瀬伝八と改名して最後まで会津に残って新政府軍と戦い、降伏。あの柴五郎の「ある明治人の記録」にも出てくるぺんぺん草も生えない極寒の斗南藩にまで移住させられます。維新後は藤田五郎を名乗って東京に出て会津藩士の娘と結婚し、明治10年の西南戦争では、警視庁の警部補となって従軍します。

 警視庁退職後は東京教育博物館(現東京科学博物館)などに勤務して大正時代まで生きます。行年71歳という波乱万丈の生涯でした。

 斎藤一は、江戸旗本の足軽の出身らしいですが、晩年の彼の写真を見ると、如何にも武士らしい剣術使いの面影が残っています。

 と、ここまで書いていたら、安倍晋三元首相が奈良で狙撃された大ニュースが飛び込んで来ました(その後、死亡、享年67)。まさか、21世紀になってこんなテロが起きるとは思ってもいませんでしたから、かなり衝撃的です。実行犯(41)の動機はまだ分かっていませんが、どうやら新興宗教団体に恨みがあり、政治的イデオロギーではないようです。となると、元海上自衛官で宅建とFPの資格を持つと言われる男のこの行動は一層不気味に感じます。と同時に、戦前の血盟団事件、5.15事件、2.26事件、昭和35年の浅沼稲次郎社会党委員長暗殺事件などと同じように歴史となり、後世語り継がれることでしょう。

 歴史とは、過ぎ去った取返しのつかない出来事ではありますが、我々はその歴史の延長線上に偶々生きていることを痛感しました。

 

法華経とは何か?=田村芳朗著「日蓮 殉教の如来使」

 「ヤクルト1000」が売り切れ続出というニュースを思い出した昼休み、新橋演舞場近くで、ヤクルトおばさんを発見したので、注文してみました。ヤクルト1000が結構、ずらっと例の乳母車のようなボックスカーに並んでいたからです。

 そしたら、おばちゃん、「あら、すみませんね。ここにあるの全部、この辺の予約なんで、売り切れなんです。会社も早くもっと量産してくれたらいいんですけどねえ」と平謝りでした。

 実売価格1本140円(宅配向け)ということですが、ネットで500円以上で転売しているらしく、日本人のマナーが世界に知られてしまっております。

 さて、田村芳朗(1921~89年)著「日蓮 殉教の如来使」(NHKブックス・1975年10月1日初版)をやっと読了しました。日蓮聖人の遺文(著作や書簡など)が直接文語体のまま引用される箇所が多く出てきて、法華経というお釈迦様が最後に唱えた集大成と言われる大変奥深い教えの話ですが、難解で、何度も何度も同じ個所を読み返したりしておりました。

 驚いたことに、この本は1975年が初版だというのに、鎌倉幕府の成立を我々が学生時代に習った1192年ではなく、さり気なく1185年としているところでした。凄い先見の明があります。また、戦後30年という時期に出版されたわけですから、まだ戦中世代が40歳代以上の現役です。日蓮(1222~82年)が戦時中に国家主義(田中智学の国柱会など)として利用されたことなどに関してはツボを押さえて批判しています。

 管見によれば、鎌倉新仏教の中で、来世の浄土世界での幸福よりも、現世での利益(幸福)追求を強調したのは法然でも栄西でも親鸞でも道元でも一遍でもなく日蓮であって、その純粋さと過激さゆえ迫害されます。しかし、後世は、その時代その時代で都合良く解釈されて、利用されやすかったのではないかと思われます。新興宗教は神道系が多いのですが、仏教系では断然、日蓮宗系が多いのがその証拠なのではないでしょうか。

 しかし、またまた管見ながら、日蓮の思想哲学は、特定の団体や組織のものではなく、万人が自由に学んでも構わないと思っております。むしろ、特定の団体や組織だけのものに独占させるべきではないと思っております。

 国学者の平田篤胤に至っては、日蓮宗と浄土真宗が神社参拝を禁じたことから、日蓮と親鸞をかなり痛烈に批判しています。

銀座・ロシア料理「マトリキッチン」日替わり定食 デザート1100円

 何と言っても、釈迦牟尼仏が涅槃に入る前に説いたと言われる法華経を信奉したのは日蓮が最初でもなく、唯一でもありません。(サンスクリット語のナム・サダルマ・プンダリーカ・スートラを南無妙法蓮華経と漢訳したのは鳩摩羅什だと言われています。)

 聖徳太子の著作「三経義疏」の中に法華経を註釈した「法華義疏」がありますし、法然も栄西も親鸞も道元も日蓮も学んだ総合仏教大学とも言うべき比叡山では、法華経は必須課目で、天台本覚思想の根幹とでも言うべきものでした。日蓮より23歳年長の道元が主著「正法眼蔵」の中で最も引用した経は、法華経でした。

 何も日蓮は、釈迦の説く法華経を拡大解釈したり、曲解したりしたわけでありません。素直に解釈した結果、法華経に書かれている「他国侵逼」(しんぴつ=他国侵入)と「自界叛逆」(自国内乱)が近いうちに起きることを「予言」してしまっただけでした。実際、この天災と戦乱の時代、日本は国難に襲われます。国難とは二月騒動(名越の乱と北条時輔の乱)といった内乱と二度にわたる蒙古襲来(元寇)という他国侵入のことです。

 時の権力者は日蓮の説法に一切耳を傾けることなく、逆に日蓮は、何度も法難(受難、迫害、弾圧)に遭います。中でも、1264年に地頭の東条景信に小松原(現千葉県鴨川市)で襲撃され、頭に傷を負った「小松原の法難」(この時、日蓮の信者だった天津=現鴨川市=の領主工藤吉隆が討死)や1271年、佐渡流罪が決定した後、相模依智(現神奈川県厚木市)にある佐渡の守護代だった本間重連の館に送られる途中、龍口(たつのくち)で斬首に遭いそうなった「龍口法難」が有名です。

 こうした国難と法難、それに天変地異と疫病流行等による病死や餓死者などに多く接した日蓮は、殉教者として、宗教者としての意志を堅固にしたと思われますが、残念ながら寒さの厳しい身延山(信者になった甲州の波木井氏が土地と住居を提供)で病を得て、常陸に湯治に行く途中の武蔵国池上で志半ばで亡くなります。行年60歳。しかし、志半ばだったことが逆に弟子たち(日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の6長老)に艱難辛苦を克服して布教に邁進する原動力になったのではないでしょうか。

 同書では何故なのか理由は書かれていませんが、鎌倉時代に日蓮宗はあれほど迫害されたというのに、室町時代になると京都町衆のほとんどが日蓮、ないし法華信徒になったといいます。(そう言えば、織田信長の本能寺も日蓮宗でした)琳派の祖と言われる本阿弥光悦も、徳川家康を支援した豪商茶四郎二郎も、それに狩野永徳や長谷川等伯まで日蓮信者だったといいます。江戸期に入っても、浄瑠璃作家の近松門左衛門や浮世絵の菱川師宣、葛飾北斎までも熱心な信奉者だったと言われます。北斎は「日蓮上人一代図会」を残しています。

 日蓮自身は、次々と押し寄せる人生の荒波と苦難のせいか、大著を残しておらず、その代わりに短編が無数に存在しているといいます。古来、どの書を基準とするか論議された結果、「立正安国論」(39歳)と「開目鈔」(51歳)、「勧心本尊抄」(52歳)を三大部、これに「撰時抄」(54歳)と「報恩抄」(55歳)を加えたものを五大部と呼ぶようです。私はまだ一冊も読んだことがありませんので、いつか読んでみたいと思っております。

 最後に、法華経とは何か? 妙法蓮華経のことで、妙法とは宇宙の絶対的真理、蓮華とは、五濁乱漫の現世でも白蓮を咲かせよという教えで、特別な修行をした出家者だけでなく、老若男女隔てなく、全ての人間が平等に救済されるという思想です。

【追記】

 最近の文献学によると、法華経は、釈迦最晩年の作ではなく、釈迦入滅後、数百世紀を後の紀元40~220年頃に成立したというのが有力のようです。

 第1の序品から第22の嘱累品(ぞくるいほん)までが原型で、第23の薬王菩薩本事品から第30の馬明菩薩品までは後世に追加されたと言われています。しかも、追加部分は、オカルト、呪術的思想や男女差別思想などがあり、後世の創作だと言われています。

 日蓮聖人は、1222年生まれということですから、今年はちょうど生誕800年の記念の年でした。

デンマーク製の腕時計、買っちゃいました

 ムフフフ…やはり、買ってしまいました。

 私の愛用のグランドセイコー高級腕時計が、目下、オーバーホール中であることは以前、この渓流斎ブログに書きました。そして、そのオーバーホールに1カ月半も掛かるということも書きました。その間、どうしようかと思いを巡らし、3~4年ごとのオーバーホールで毎回5万円も掛かるようでしたら、3~4年で壊れてしまっても、メンテナンスの掛からない格安腕時計を買い換えればいいのかもしれない、ということも書きました。

 具体的には、会社の同僚が買ったばかりのデンマーク製の格安腕時計です。ちょっと見ただけでは、そんな格安時計には見えず、デザインが良いので高級腕時計に見えるほど見映えが良いーといったことも書きました。

Bering fabrique en Danemark

 じゃーん、それが、この腕時計ベーリングでした。

どうっすか? そんなに安物には見えないでしょ? でも、グランドセイコーのオーバーホール代でこの腕時計が2個ぐらい買えちゃいます(笑)。

 これで、何と3年間の保証書が付いているのです。不可抗力でガラスが破損した場合、5年以内なら格安割引修理もしてくれるそうです。

 本当は、色はブルーを狙っていたのですが、店頭にはこのブラックしかありませんでした。でも、ソーラー電池ですから、電池交換は一切なし。太陽や蛍光灯にさらしておくだけで充電してくれるのです。これ以上のメンテナンスの経費が掛からないところがいいですよね。

 ありがたや、ありがたや。

銀座「ひょうたん屋」うな丼2000円

 今日から、わざとらしくこの腕時計を周囲に見せびらかして、歩くことにします。

 何か言われたら、「うーん、この時計、デンマーク製なんだけど、ソーラーなんで充電しなきゃなんないんすよお」と弁解することが出来ます(笑)。

 私は、実に単純な人間なので、この腕時計をはめると、何か、自分がデンマーク人になった気分になれます(笑)。

銀座・ドイツ料理「ローマイヤー」ポークソテー1100円

【追記】2022年7月5日

 通勤電車の中で監察したところ、腕時計をはめている人は、7人中3人と半数以下でした。若い人だけでなく、60歳代とみられる紳士までもが腕時計を付けていませんでした。夏は半袖なのですぐ分かります。恐らく、スマートフォンを腕時計代わりに使っていると思われます。

 「クールビズ」でネクタイが絶滅危惧種となったように、スマホのお蔭で、腕時計も絶滅危惧種になったということかもしれません。

 うーん、何処も同じく大変ですね。

 

 

奇跡のような音楽セッション=ジョージさんのお導きで

 昨日は、またまた奇跡のようなことが起きました。この渓流斎ブログにかなりの頻度でコメントをお寄せ頂いている小澤譲二氏(以下ジョージさん)からお誘い頂き、初対面ながら彼の友人の自宅で行われた音楽セッションを見学して来ました。

 まずあり得ませんよね?(笑)。

 いくらブログにコメントをお寄せくださる方でも、書かれていることが真実かどうか確かめようがありません。ですから、いくら招待されたからと言っても、ノコノコとついて行くのも大胆不敵、というかマヌケです。

JR高輪ゲートウェイ駅

 でも、このジョージさんは、毎回、コメントでかなり御自分のプライベートなことを微に入り細に入りご報告くださり、そのせいか、全員が簡単に読むことが出来るブログの「コメント欄」にアップするのは憚れました。それでも、大変正直そうな方に見え、大変な音楽好きなセミプロで、一時期、一世を風靡したゴダイゴのタケカワユキヒデさんとも御関係があるというので、これも何かの御縁、ということで、出向くことにしたのです。

 人生、縁と運ですからね。

 ジョージさんの御祖父は、横浜の貿易商として来日した英国人でした。小学校から高校まで横浜のインターナショナル・スクールに通い、大学はICU(国際基督教大学)です。ICUと言えば、私の小中学校時代の友人の三由君の母校でもあり、授業は英語だったと聞いたことがあります。かなりレベルの高い大学です。

 ジョージさんの自己紹介によると、小学校から大学のICUまでクラスメートだったジョニー野村さんと大学でバンドを結成し、その際、ヴォーカルに同じ大学の奈良橋陽子さんを迎えたといいます。後にジョニーさんと奈良橋さんは結婚します。この二人は、業界では知る人ぞ知る有名人で、ジョニーさんは、音楽プロデューサー、奈良橋さんは、ハリウッド映画のキャスティング・プロデューサーなどとして活躍します。

 二人は、大学時代のESSで、後に俳優になる中村雅俊さん(慶応大学)やタケカワユキヒデさん(東京外国語大学)らと知り合います。そこで、ジョニーさんは、旧友でゴールデンカップスで活躍していたミッキー吉野さんをタケカワさんに紹介して、あのゴダイゴ結成に繋がったといいます。ゴダイゴは「銀河鉄道999」や「ガンダーラ」などヒット作を連発します。

 また、奈良橋さんの方は、トム・クルーズ主演の映画「ラスト・サムライ」(2003年)のActing Producerとして渡辺謙らを抜擢して大ヒットさせます。

 奈良橋さんは現在も演出家、劇作家、作詞家などとしてご活躍されていますが、ジョニー野村さんは、昨年(2021年)、惜しくもセブ島の自宅で亡くなりました。行年75歳。

 ゴダイゴのタケカワさんは、私の大学の先輩で、しかも、私も在籍した同じ音楽クラブの先輩だったという浅からぬ御縁がありました。もっとも、大学のキャンパスでは一度もお会いしたことがなく、見るのはテレビのブラウン管を通してでした。彼は、外語大に行かずに、ICUばかり通っていたことが分かりました(笑)。

気温35度という炎天下のため、都心なのに、人影もまばら

 さて、ジョージさんとは2020年に出来たばかりで、私も生まれて初めて降りるJR高輪ゲートウェイ駅の改札で待ち合わせしました。初対面のジョージさんは意外と小柄な方だったので驚きました(とはいえ、170センチはあると思いますが)この時、ジョージさんのICUの同級生で、C&Wバンドのプロ(キーボード)になった西村さんと、横浜のインターナショナル・スクール出身でヴォーカルのメアリーさんを紹介されました。

 西村さんは以前、吉祥寺に住んでいた時、近くにゴダイゴのタケカワさんも住んでいて、あの名曲「ガンダーラ」を、ミッキー吉野さんらと一緒に作曲している途中経過の場面に遭遇していたエピソードを後で伺い、これまた吃驚しました。

 音楽セッションをやる会場は、ジョージさんの古くからの友人の営ちゃんの自宅マンションの一室でした。もう50年近く住んでいるということでしたが、地下鉄泉岳寺駅から数分ですから、かなりの高級マンションでした。営ちゃんは、立教大学出身で、学生時代にテレビの「エレキ合戦」に出演して決勝まで進んだとかいう伝説の持ち主でした。

JR高輪ゲートウェイ駅

 マンションには、もう一人、営ちゃんの立教大学の後輩で一緒にバンドをやっていたメンバーの一人で、サックス奏者の全ちゃんもいらっしゃいました。これで全員ですが、初対面の方ばかり一気に5人ですから、こんがらがってしまいました。普通の人だったら臆するところでしょうが、私は人と会うのが仕事でしたから、辛うじて大丈夫でした。

 皆さん、私より年長の70歳代でしたから、ジョージさんのギター、西村さんのキーボードのセッションでやる曲は、ポール・アンカとかフランク・シナトラとか、エディット・ピアフとか、ディーン・マーチンとか、かなり古いのです。私の青春時代の音楽は背伸びしても1960年代の洋楽ポップスですが、先輩方の青春音楽は1950年代でした(笑)。でも、名曲ばかりで、「若造」の私でよく知っている曲で、昼間からビールを飲みながら、一緒に口ずさむことができました。

 2時間ぐらいでお暇しましたが、やはり、奇跡のような出来事でした。

 ※肖像権がありますので、渓流斎ブログではあまり顔写真はありません。

高級腕時計は高級車並みに維持費が掛かる?

 ほんの少しですが、今日は動揺したことがありました。

 愛用する腕時計の電池が切れて、針が止まってしまったので、会社の昼休みに電池交換のために東京・銀座の和光に行きました。この腕時計は購入してから6年近く経ちますが、電池交換はこれで2回目です。前回、電池交換した際に、「次回は是非、オーバーホールをご用命ください。3〜4年に一度が目安ですから」と言われたので、その通りにしたところ、そのオーバーホールに掛かる金額が何と4万円以上もしたのです。修理ではなく、単なるメンテナンスでそんなに掛かるとは! そして、もし、バンドの留め金等の交換が必要になった場合、さらに1万円以上掛かるというのです。合計5万6100円。安い腕時計なら1〜2個買える値段ではありませんか!(笑)。

 しかも、オーバーホールには1カ月半も掛かるというのです。

東京・銀座の和光

  実は、私の腕時計はグランドセイコーで、国産時計の中では一、二位を争う高級腕時計と言われています。定年退職を記念して、誰も買ってくれないので自分で買ったのですが、確か、25万円ぐらい致しました。でも、高級時計ともなると、高級自動車並みに維持費がかかるとは、今回初めて知りました。

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 銀座4丁目の和光とは服部時計店、つまりセイコーの本店ですが、私があまりにも裕福そうに見えたのか(笑)、お店の人から少し高く吹っ掛けられたのかなあ、と疑ってしまいました。が、会社に戻って、ネットで調べたところ、ロレックスだのパテック・フィリップだの世界の超高級腕時計クラスとなると、その基本メンテナンス代だけで、5万円とか、さらには12万円とかすることを初めて知りました。ということは、グランドセイコーのオーバーホール代も相場の値段だったということになります。

 やはり、高級腕時計って、金喰い虫だったんですねえ(笑)。

 そこで、会社の同僚が、最近買ったというちょっと見映えが良い腕時計について詳しく教えてもらうことにしました。その時計はデンマーク製でしたが、3万円程と驚くほど格安です。デザインが良いので、そんなに安い代物には全く見えません。30万円ぐらいの腕時計に見えます(笑)。しかも、ソーラー電池なので、電池交換は必要なし、とまで言うのです。

 随分、レベルの低い、せこい話ではありましたが、このデンマーク製の時計を買おうかどうか、迷ってしまいました(笑)。3年ごとに5万円のオーバーホール代が掛かる高級腕時計か、3万円の格安腕時計を3年故障なしでもたせるか、の違いのような気がしたわけさ〜(何で急に沖縄弁?)

「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景」の「改定普及版」が出ました

 スマホ中毒の私でしたが、FacebookなどのSNSを控えたお蔭で、中毒から立ち直りつつあります(笑)。

 要するに、ご贔屓筋からの「いいね!」などが気になり、電車の中でも、歩いていても、寝ても醒めてもスマホをいじっている悪循環が続いていたようです。いい年をして、「餓鬼かあ~?」と叫びたくなります。

 アプリの「サウンド」も「表示」もオフにしましたので、何の通知も来なくなり、気にならなくなりました。これが本来の姿だと思えば良いのです。

銀座・イタリアン「エッセンス」Aランチ(コーヒー)1100円

 思い返せば、私が初めてパソコンを買ってインターネットを始めたのは1995年のことでした。当時は、まだダイヤル式接続で、ブラウザはネットスケープナビゲーターを使い、動画は夢のまた夢で、画像が1分ぐらいかけて出て来ると大喜びでした。メールなんかも1週間に1回チェックする程度でした。牧歌的時代でしたねえ。

 今では車内を見回すと、90%の人がスマホと睨めっこしている時代になりました。スマホ中毒から解放されると、やはり、最先端の人類があんなものに振り回されて気の毒に見えるようになりました。

 さて、昨日、拙宅に版元から本が届きました。著者は、皆様御存知の松岡將氏でした。「えっ?また新刊出されたの?」と吃驚したら、表紙は見たことがありました。2年前に出された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景」(5280円)の「改定普及版」(同時代社、2022年6月30日初版、2750円)でした。

 2年で普及版を出されるとは、よっぽど評判で版を重ねていたのでしょう。確かに、「アングルのバイオリン」ながら、著者の写真撮影技術はプロ級でした。

 2年前の底本と今回の改定普及版と何処が違うのかと言いますと、まず大きさです。底本は大型のA4判のハードカバーでしたが、普及版は持ち運びも出来るソフトカバーのA5判です。

 中身のギャラリーの絵画の写真も、底本では額縁付きが多かったのですが、今回は額縁なしの画像です。これは、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの方針変更で、作品の中で、「パブリック・ドメイン」と明示されていたら、その作品の当該画像をダウンロードして一般利用が可能になったからだといいます。(著者の「あとがき」より)

 確かに、美術作品の場合、著作権はかなり厳しいです。個人が撮影した絵画の画像でも、新聞記事や出版物に掲載する際には著作権料が発生します。特に、MやPやFはうるさいことは、昔、美術記者だった私も経験上知っています(苦笑)。

 でも、ワシントン・ナショナル・ギャラリーがこうして「方針」を変更してくれたお蔭で、掲載写真がスッキリした感じになりました。

 恐らく、私自身はこの先、ギャラリーのある米ワシントンDCに行く機会が巡って来ないと思われますので、ワシントンに行ったつもりになって、この本を読みながら脳内で館内を散策しようと思っています。

 ついでに、スマホ中毒からも脱却するとしますか。