意外にも残虐だった天智天皇

 週末はゆっくり休んだというのに、未だに風邪が抜け切れていません。えっ?もしかして???と言われそうなので、今朝、健康診断の際に、熱を測って頂いたら、35.4度しかありませんでしたよ。食欲も味覚も嗅覚もあり、こんな冷血人間がコロナでもないですよね?

 まだ本調子といかないので、読書が進まず、購入した本や書籍が机の上に山積しております。特に雑誌が読めません。いつも定期購読している「歴史人」は、4月号「最新研究で、ここまでわかった!古代史の謎」特集号と、5月号の「決定!最強の城ランキング」と、6月号の「沖縄戦とソ連侵攻の真実」の3冊と「歴史道」Vol.20「古代天皇の謎と秘史」特集号とVol.21「伊能忠敬と江戸を往く」特集号の2冊、計5冊も未読です。

 この中で、やっと「歴史人」4月号「最新研究で、ここまでわかった!古代史の謎」特集号を読み終えるところです。いつもの通り、「歴史人」は情報量が満載というか、満杯で、とても全てを頭の中で整理できません。よく言えば、「玉石混交」ですが、悪く言えば節操がない(笑)。ただ、嬉しいことに、最新の学術研究の成果が出て来るので、感心します。逆に言えば、いまや歴史解釈がどんどん変化しているので、単行本や教科書では間に合わないのです。雑誌を刊行しなければならないほど、それだけ学説が更新されているということなのです。

 玉石混交の節操なし、というのは「邪馬台国論争」です。最初に、高島忠平・佐賀女短大元学長の「邪馬台国の真実」を読むと、「女王・卑弥呼が統治した3世紀の倭国は九州にあったとするしかない」「ヤマト王権は5世紀になっても、女王国のように一元的に統率・支配する独自の個人官僚機構を成立していなかった」「纏向(まきむく)遺跡の被葬者が卑弥呼のはずがない」と断定されているので、これで「邪馬台国=北九州説」決定、と私なんか思ってしまいました。

 ところが、次の武光誠・元明治学院大学教授の「女王卑弥呼の謎と実像」を読むと、「現在、考古学者の半数以上が邪馬台国大和説を支持。大和説と九州説の勢力比は、7対3程度になって来た」「邪馬台国=大和説なら卑弥呼に比定し得る女性は3人いる。一人は、仲哀天皇の妃の神功皇后。二人目は崇神天皇を支えた巫女の倭迹々日百襲姫命、三人目が垂仁天皇と景行天皇の時代の倭姫命であある」と断定するのです。

 ええい、どっちなんじゃあい!?

 いくら、3対7と不利だろうが、私は3世紀という時代を鑑みて、何と言っても九州説を取ります。

 もう一つ、7~8年前だったか、「聖徳太子が教科書から消える?」と新聞などで話題になりましたが、最近ではやはり、謚(おくりな)である「聖徳太子」単独で登場することは少なくなり、せめて「聖徳太子(厩戸皇子=うまやとのみこ)」か、「厩戸皇子(聖徳太子)」の形で多く登場するようです。何故ならかつて言われていた「聖徳太子超人説」(生後4か月で話をすることができた。5歳で推古天皇の即位を予言した。11歳で30人以上の子どもが言うことを漏らさずに記憶した…)は、現代科学と照らし合わせて否定されつつあるというからです。

 最後に、私の世代では「大化の改新」としか習いませんでしたが、今では「乙巳の変」と呼ばれる645年の政権クーデターの話は考えさせられました。私の世代では、「蘇我入鹿=悪党権化の塊」「中大兄皇子(天智天皇)=善人・名君」のイメージで固まって、それで終わりでしたが、遠山美都男学習院大等非常勤講師の「蘇我氏は希代の悪人か、変革者か?」を読むと、蘇我入鹿が可哀想に思えてきました。

 入鹿が、厩戸皇子の後継者・山背大兄王(やましろおおえのみこ)を襲って一族を滅ぼしたのは、山背大兄王が用明天皇の系統だったためで、入鹿は、敏達天皇系統のリーダー的存在だった皇極天皇(女帝)の命令に従ったに過ぎなかったといいます。

 乙巳の変では、今度は入鹿が皇極天皇の目の前で、中大兄皇子によって殺害されますが、敏達天皇系統(敏達統)内での政権抗争に巻き込まれた結果でした。蘇我入鹿らは敏達統の古人大兄皇子を次期天皇に押していたのに対し、中大兄皇子らは、敏達統の軽皇子(かるのみこ=孝徳天皇)を押していたからです。となると、黒幕はこれまた皇極天皇で、入鹿なんぞは将棋の駒のように利用していたに過ぎなかったかもしれません。

 入鹿は殺される前に「私は無実です」と皇極天皇に訴えたといいますから、可哀想になったのです。

 中大兄皇子は天智天皇として即位しますが、これまた恐ろしい。まず、古人大兄皇子を謀反の疑いで処刑し、自陣に取り組んでいた蘇我倉(そがのくら)山田石川麻呂を自害に追い込み、傀儡に打ち立てた孝徳天皇を難波宮の置き去りし、孝徳天皇の皇子である有間皇子まで謀反の疑いで処刑してしまうのです。

 いやはや、熾烈な権力闘争とはいえ、天智天皇は、ここまで残虐な御方だったとは…、改めて、感慨に耽ってしまいました。

【追記】

 卑弥呼と対立した狗奴国の男王の名前は卑弥己呼(ひみここ)だったといいます。えっ!?です。誰が付けたのでしょう? 邪馬台国の「や」には、よこしまな「邪」の字が充てられているし、卑弥呼だって、「卑しい」という侮蔑言葉が盛り込まれています。これらは、中国大陸の歴史書「魏志倭人伝」などに登場することから、中国人がそう呼んだか、名付けたような気がしてなりません。いわゆる中華思想ですから、日本なんぞは「東夷」という遅れた蛮族に過ぎないという思想です。

「NHKスペシャル 見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」は隔靴搔痒でした

 「やっちまったなあ」ーGWの後半は、風邪で丸々3日間、寝込んでしまいました。熱は1日で下がり、味覚や臭覚や聴覚や第六感や嗅覚まであり、今はかなり回復に向かっていますから、例の、あの、そのお、世界中で知れ渡っている流行り病ではないと思います。が、罹った5月3日はフラフラで、朝起きて、軽くパンとサラダを食べた後、直ぐに就寝。なかなか起き上がられず、13時半になってやっと、ズルズルと布団から這いだし、ヤクルト1本飲んでまた就寝。夕方は17時過ぎに起きて、御素麺を頂いてから、もう18時にはおやすみなさいでした。こんなことは数年ぶりだと思います。

 考えられる原因は、GW前半に、自分が老人だということを忘れて、連日のように1万5000歩近く歩き回って疲れが溜まり、免疫抵抗力が落ちてしまったこと。それでもまだGW後半が残っていて、何かあっても誰にも気兼ねなく休めるので、身体が油断していたことが挙げられます。

 結局、本も1ページも読むことが出来ず、本当に何もできませんでしたが、良い休養が取れたと思い込めば、貴重な時間を有効に使えたことになります。モノは考えようです。この間、酒も煙草ものまず、髭も剃らず、博打もせず、誠に品行方正でした。

東京・新富町「448 リベルマン」ポークジンジャー1500円 「448」は「洋食屋」と読むらしい。それなら、渓流斎は「4871」と書いて、「心配ない」と呼んでもらいます。登録商標申請中(笑)。

 さて、寝込んでしまったお蔭で、先週の話になってしまいます。4月30日に放送された「NHKスペシャル 見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」は大いに期待したのですが、どなたかの意向が反映したのか?、一番肝心なことが分からず、隔靴掻痒の感のままで終わってしまいました。

 私が口癖のように言っている「何が報道されたのかというよりも、何が報道されなかったのかの方が重要」ということの典型でした。

 昨年4月30日に80歳で亡くなったジャーナリストの立花隆さんは、死の間近になって、秘書を務めていた実妹菊入直代さんに対して、「墓も戒名もいらない。遺体はごみとして捨ててほしい。集めた膨大な書籍は一冊残らず古本屋で売ってほしい」と言い残していたそうです。

 この番組では、「立花隆番」として17年間、一緒に教養番組をつくって来たNHKの某ディレクターが、立花氏と出会ってから亡くなるまでを回想する形で進行します。「猫ビル」の愛称があった東京都文京区にある立花氏の書斎兼書庫には5万冊を超える膨大な書籍が棚に埋まっていたのに、最新映像となると、その棚には一冊の本もなく、棚だけが寂しそうにしていました。

 その映像を見てショックにならなかったのは、その2週間以上前に新聞で、立花氏が「自身の名前を冠した文庫や記念館などの設立は絶対にしてほしくない」「立花隆が持っていた本ということではなく、本の内容に興味を持った人の手に渡ってほしい」などと言い残していたという記事を読んでいたからです。さすが、ですね。母校に自分の名前を冠した記念文庫を設立した人気作家さんとは違うなあと思ってしまいました。

 ただ、古本屋さんが何処なのか、その記事には書かれていなかったので、NHKに期待したのですが、番組でも明かされませんでした。恐らく、「古本屋が特定されれば、殺到されて困る」と、誰かの意向が働いたのでしょう。私だって、正直、立花隆の蔵書なら欲しいぐらいですから(笑)。でも、多分、神保町の古本屋に違いないでしょう。彼は毎週のように通っていたといますから。…暇を見つけていつかまた「神保町巡り」をしたいと思ってます。

 もう一つ、この番組でフラストレーションになったのは、彼の墓所が明かされなかったことでした。結局、「樹木葬」となったようで、その場所も特定されて、映像として映し出されましたが、最後まで場所までは明かされませんでした。私は掃苔趣味があるので、場所が分かれば一度はお参りしたいと思っていたのに…。

 あと一つだけ。この番組のタイトルに使われている「見えた 何が 永遠が」は、私も何度かこのブログで取り上げたことがあるフランスの象徴派詩人アルチュール・ランボーの作のはずなのに、ランボーの「ラ」の字を出て来ないのはどうしてだったのかな?

 まあ、テレビという超マスメディアの影響力は大きいので、個人情報保護に細心の注意を払うことを最優先したのでしょう。

「448 リベルマン」から歩いて5,6分にある「新富座跡」の看板=現京橋税務署

 番組内では、色々な「立花隆語録」が出てきましたが、印象に残ったものだけ引用させて頂きます。(ただし、換骨奪胎です)

 ・霊魂はない。人間死んだら無に帰る。

 ・人間は死すべき動物である。どこかで死を受け入れるスイッチを切り替えるしかない。(以上は立花隆の死生観です。でも、死後、天国に行くか煉獄に行くか、西方の極楽浄土か東方の浄瑠璃世界に行くか、それとも地獄に行くのか、といったことを信じている人はその信仰を続けていいと私は思っています。)

 ・知的営みは地下で繋がっている。人間の知識の体系も繋がっている。しかし、知識が細分化し過ぎて、専門家は断片化した知識しか知らない。専門家は総合的なことを知らない。(メディアに頻繁に出演されるコメンテーターと呼ばれる専門家の皆さんにも当てはまるかもしれません。)

 ・記録された歴史などというのは、記録されなかった現実の総体と比べたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。宇宙の大部分が虚無の中に吞み込まれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に呑み込まれてある。(「エーゲ 永遠回帰の海」)

・「すべてを進化の相の下に見よ」

六本木で葛飾北斎展を見て、神谷町で想い出に浸る

 連休の合間、5月2日は月曜日で、本来ならお仕事なのですが、有休を取得して東京・六本木のサントリー美術館まで足を運び、「大英博物館 北斎 ―国内の肉筆画の名品とともに―」展(1700円也)を観に行って来ました。

東京ミッドタウン(六本木)ガレリア

 平日だから空いているんだろう、という考えは甘かった。結構、暇人が多く、入るのだけでも長い行列で15分ぐらい待たされ、会場では展示物をそんなに間近に観たいのか、これまた、整然と一列になっての大行列です。私は公称180センチと背が高いし、後ろからでも十分観られるので、そんな律儀な日本人の列の後ろから、自分のペースで気に入ったものだけゆっくり眺めることにしたので、少しだけストレスが緩和されました。

東京ミッドタウン(六本木)

 当初は、出掛けるつもりは全くなかったのですが、テレビの歴史番組で葛飾北斎(1760~1849年)特集を見たら、急に、目下開催中の展覧会に行きたくなってしまったのです。

 番組では、勝川春朗をはじめ、北斎、宗理、為一(いいつ)、画狂老人、卍など30数回も画号を変え(弟子に売ったり、タダであげたりしたとか)、90年の生涯で何と93回も引っ越しした、といった逸話をやってました。引っ越しが多かったのは、掃除が嫌いで、今で言う「ゴミ屋敷」状態になってしまったので逃げるように引っ越ししたようです。

為朝図 葛飾北斎 一幅 江戸時代 文化8年(1811) 大英博物館 1881,1210,0.1747 © The Trustees of the British Museum(撮影:渓流斎)

 絵手本を3900点以上掲載した「北斎漫画」を出版したのは55歳の時。代表作の「冨嶽三十六景」のシリーズを書き始めたのが72歳というのですから驚きです。(数え年)

 晩年は、信州・小布施の豪商高井鴻山の招きで、江戸から240キロの道程を4度も通い、「男浪図」「女浪図」や「八方睨み鳳凰図」(岩松院蔵)などを完成しています。1849年、浅草の遍照院の仮住まいで、数えで90歳で亡くなりますが(墓所は元浅草の誓教寺)、直前に「あと5年長生き出来たら本物の画工になれただろう」と叫んだという、飽くことがない探求心は有名です。

 番組ではやっていませんでしたが、これだけの大天才なのに北斎の出自ははっきりしていません。江戸・本所割下水で川村某(職業不詳)の子として生まれたと言われ、幼名を時太郎、後年鉄蔵と改め。4、5歳の頃、一時、幕府御用鏡師中島伊勢の養子となったといわれます。詳細は不明ですが、本名は中島鉄蔵さんということでしょうか。天賦の才能があったとはいえ、かなりの稀に見る努力家だったのでしょう。

 実は、これでも、私自身は、「太田浮世絵美術館」や「すみだ北斎美術館」の常設展をはじめ、各地で開催された「北斎展」にはかなり足を運び、北斎の作品はかなり観ている方だと思っていました。今回のサントリー美術館での北斎展は大英博物館所蔵品ということでしたので、それほど期待していなかったのですが、開けてみたら吃驚ですよ。日本国内所蔵の作品より、量質とも遥かに充実していて、海外が日本を凌駕しているのです。これは、北斎作品の膨大なコレクターだった外科医ウィリアム・アンダーソン(William Anderson、1842~1900年)や小説家アーサー・モリソン(Arthur Morrison、1863~1945年)らとジャポニスムの流行のお蔭です。

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎 横大判錦絵 江戸時代 天保元~4年(1830~33)頃 大英博物館 2008,3008.1.JA © The Trustees of the British Museum 肉眼で見えるはずがない5000分の1秒の速さでシャッターを切った時に見える画像だそうです。やはり、北斎は天才だ!(撮影:渓流斎)

 さすが、ゴッホやマネ、モネらフランスの印象派の画家たちに多大な影響を与えたジャポニスムを代表する「世界の北斎」だけあります。少し大袈裟かもしれませんが、北斎は、ダビンチやミケランジェロらと肩を並べるのではないでしょうか。

 この北斎展は、確かに一見の価値があります。特に、北斎は風景画で有名ですが、「花鳥」作品には目を見張るものがありました。何故なら、花と鳥に限って、北斎は、伊藤若冲のように「細密画」のように描いているからです。

 人物画となると、役者絵ではなくて風景画の中に登場する人物は、細密画ではなく、目と鼻と口だけで省略したようにあっさり描いています。「どうしてなのかなあ?」と思いながら私は観察していました。この花鳥画と人物画の違いー。人物はいい加減に描くのに、花鳥は綿密に描くのは何故か?ーもしかしたら、これは、北斎の研究家でさえ今まで気が付かなかった私の新説かもしれない、とニヤニヤしながら観ておりました(笑)。

東京・六本木 brassrie “Va-tout”  魚ランチ1200円

 さて、広い東京ミッドタウン内のサントリー美術館(そう言えば、初訪問かな?赤坂のサントリー美術館は何度も行きましたが)を出て、目指すはランチです。既に、六本木駅近くの「シシリア」に決めておりました。あの森まゆみ著「昭和・東京・食べある記」(朝日新書)に出ていた「四角いピザ」と「きゅうりのグリーンサラダ」を食べるためです。

 そしたら、アッジャパー、本日は青天なりではなく、本日は閉店なりでした。

 仕方がないので、当てもなく、東京タワーが前方に見える道(319号線)を真っすぐ10分近く歩いたら、ブラッスリーが見つかり、そこでランチすることにしました。仕方ない、なんて言っちゃ駄目でしたね。白身魚のソテーでしたが、写真の通り、銀座並みの価格で、量が少なくて参りました(苦笑)。店員さんは凄く感じ良かったですけど。

今最も日本で注目されている東京・狸穴の在日ロシア大使館

 店を出て、そのまま、真っ直ぐ、東京タワー方面を歩いて行ったら、警察官の数が多くなり、何事かと思ったら、今現在、日本では最も注目されている狸穴の在日ロシア大使館がありました。ここに出たんですね。

在日ロシア大使館前は、数人のデモと物々しい警戒

 ロシア大使館や、その向かいの外務省外交史料館には何度か取材で来たことがあるので、場所は知ってました。六本木駅からだと20分ぐらいでしょうか。私は、この辺りまでは、いつも神谷町駅から歩いてきたので、飯坂交差点を左折して神谷町に向かいました。

 そう、神谷町は私にとって、とても感慨深い場所なのです。もう半世紀近い昔、学生時代に付き合っていた彼女が住んでいたので、よく遊びに行き、お金がないので、この近くの東京タワーの芝公園でよくデートしたものでした。

 神谷町は、彼女の祖母の家で、千葉県に両親ら家族と住んでいた彼女は、都内の大学に通うため、おばあちゃんの家に下宿していたのでした。おばあちゃんの趣味は詩吟でよくうなっていました。

実に懐かしい東京・日比谷線「神谷町駅」

 もう時効の話なので、神谷町に来たついでに、その彼女のおばあちゃんの家を探してみました。この辺りはもう昔の面影はなく、すっかり変わってしまいました。再開発されて高層マンションやビルが立ち並ぶようになりました。駅から5、6分だったので忘れるわけないのですが、いくら探しても見当たりませんでした。恐らく、現在、高層ビルを建築中のあの辺りがそうだったかもしれません。

 半世紀近く年月が経てば仕方ないでしょう。淡い青春時代の思い出が蘇ってきました。でも、あまり後ろ向きだと駄目ですね。北斎先生を見習って、もう少し頑張りますか。何しろ、「富嶽三十六景」は、70歳代初めの傑作なんですから!

亡き親友のお墓参りに行って参りました=1周忌

 ゴールデンウイークの真っ最中、特に遠出する予定はなかったのですが、高校時代の親友の神林康君のお墓参りだけは予定に入れておきました。

 亡くなったのは昨年の4月27日でしたから、丁度一周忌が過ぎて喪が開けた感じです。彼は一人っ子で独身だったことなど色々と事情があって、墓所が決まったのは今年1月でした。と、後からご遺族の親戚の方からお伺いしました。

北総鉄道・印西牧の原駅

 墓所は、千葉県印西市と、ちょっと都心から離れた真言宗豊山派大生寺境内にある霊園でした。

 最寄り駅は「印西牧の原」という駅で、私は生まれて初めて、北総鉄道という電車に乗りました。この電車は、南は京急鉄道と繋がっていて羽田空港まで行くことができ、北東は、京成電鉄の成田スカイアクセスと繋がって成田空港まで行けるようです。全線乗ったことがないので、あまりいい加減なことは書けませんけど、成田と羽田を結ぶ路線じゃないかと勝手に想像しています。

北総鉄道・印西牧の原駅前のビッグホップ

 ついでに、またまた勝手に想像すると、北総鉄道の中心は千葉ニュータウン中央駅ではないかと思っています。車窓から見ても、いかにもニューファミリー向けの新都市といった感じで、東京のようにゴミゴミしておらず、広大な土地を利用して、大型ショッピングセンターが何棟も連なっていました。東京まで1時間程というベッドタウンです。

 千葉ニュータウン中央の隣りにある印西牧の原も似たようなベッドタウンで、高層マンションの他に、100坪以上の敷地はありそうな高級住宅街や広い公園もありました。

 そんな話よりも、神林君の霊園のことでした。あらかじめ、地図をコピーして来ましたが、ダダ広くて、さっぱり分からず、駅員さんに方角だけは教えて頂きました。

真言宗豊山派 草深山 大生寺

 それでも、よく分からず、迷ったりグーグルマップで確かめたりして歩き、結局40分ぐらい掛かってしまいました。案内地図では、駅から徒歩約20分でしたから、相当遠回りしてしまったようでした。駅でタクシーも客待ちしておらず、道を聞こうにも、あまり人が歩いていませんでしたからね(苦笑)。

 お目当ての千葉ニュータウン霊園は、「真言宗豊山派 草深山 大生寺」の境内にあり、神林君の墓所はその中の永代供養塔にある、とお伺いしていたのですが、境内の何処にあるのか場所が分かりません。

真言宗豊山派 草深山 大生寺

 そこで、大生寺の寺務所のような所があったので、入って、住職らしき40代ぐらいの男性に、永代供養塔は何処にあるのか聞いてみました。すると、住職は、私の顔を見て嬉しそうにニコニコして「御案内します」とわざわざ立ち上がって出てきたのです。しかも、手にはパンフレットまで持って!

真言宗豊山派 草深山 大生寺 千葉ニュータウン霊園 永代供養塔

 永代供養塔は寺務所のすぐ近くの隣りにありました。何十人かのプレートの中には新しく神林君の名前もあったので、「あった、あった。友達のお参りに来たのです」と言うと、住職さんは、急に力が抜けたようなガッカリした表情になり、「そ、そうでしたか、ごゆっくり」と言って寺務所に戻って行きました。手にはパンフレットを持ったまんま。

 すっかり年老いた私の顔に「死相」でも出ていたんでしょうかねえ? とにかく、住職さんにしては、またとない「上客」が来たと思ったのにアテが外れてしまったということなのでしょうか。あまりにも気の毒だったので、私も一緒に寺務所に戻って、そこで「お線香」(百円也)を購入しました。 

 墓前では、親友に無沙汰をお詫びし、茲は真言宗の寺院なので「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」と唱え、そして真言密教の「ノウマク サンマンダ ボダナン バク」「ボウジ ソワカ」(※)と締めておきました。※サンスクリットで「釈迦牟尼仏に帰依します」「悟りよ、栄えあれ」(般若心経)といった意味。

 帰りは、駅までどうにか20分ぐらいで辿りつけたようです。途中で自転車に乗っていた小学校5、6年生らしき少年を捕まえて、駅までの道順を聞いたので、今度はもう大丈夫です。「有難き幸せ。大変、失礼仕りました」と少年に最敬礼したら、少年は目を白黒させて、「いえいえ、こちらこそで御座りまする」と、お互い武士のような会話をしました。

 ちょうど昼時でしたので、駅近くのビッグホップという大型ショッピングセンターに入りましたが、閉店している店舗も多く、敷地だけは広大なので、何となく、ゴーストタウンに見えてしまいました。でも、奥のフードコートは人がいっぱい並んでいてとても並ぶ気にはなれず、また、駅の方に戻って、居酒屋風の店に入り、半炒飯と餃子に昼間からビールで、亡き親友の霊を一人で追悼しました。

 千葉県印西市なんて生まれて初めて訪れました。これで、御縁が出来ましたので、今度はしっかり印西市の城跡や寺社仏閣等を調べて、再訪したいと思います。印旛沼も近いのかしら?勿論、親友の墓参りのついでにですが。

大発見!!長三洲 真筆の極秘文書か?=宮さんお手柄ー「なんでも鑑定団」出演のお薦め

 皆さん御存知の宮さんから私に無理難題を押し付けて来られました(笑)。御尊父の遺品である厚手の和紙に書かれた文書を読み解いてほしい、と仰るのです。

 「読めない字も多く、歴史に弱い私では何も分かりません。渓流斎さんならどんな内容が書かれているか読み解いてくれるのではないかと、勝手ながらお問い合わせすることにしました。取り敢えず、文字を読み解いて文書内容を教えていただければありがたいです。古文書鑑定家になったつもりでご対応してください。(他の人に相談も可)忙しいのに変なお願いでご迷惑かと思います、無視していただいても構いません。」

 確かに私は歴史好きではありますが、残念ながら漢籍の素養はありません。「古文書鑑定家になったつもり」と言われても、荷が重過ぎますよお(苦笑)。

 でも、見てみると、上の写真の通り、大変達筆で、読みやすい。意味も全く分からないことでもない。最初の「明治十年之役」とは、西南戦争のことでしょう。続いて警視兵の中から選抜して「抜刀隊」と称する百人の部隊を編成して、西郷隆盛軍と戦ったのか? 一段落目の最後と末尾に出てくる「靖国祠」とは「靖国神社」のことでしょう。恐らく、抜刀隊の戦死者を靖国神社にお祀りした、という内容ではないか?(秀才の友人に目下、解読を依頼しております)

 それにしても、明治末か大正生まれの宮さんの御尊父が明治10年の西南戦争で戦っていたことはあり得ず、少なくともご祖父か、曽祖父が書かれた文書なのでしょう。それで、プライバシーながら、宮さんの御尊父のことやこの文書の入手経路などを伺ってみました。

 そしたら、この文書は、大分県出身のご祖父が生前、大分の古物商で手に入れたものを息子である宮さんの御尊父ら兄弟に形見分けされていたものの一対だった、ということが分かりました。

 となると、この作者は一体誰なのでしょう?

 よく見ると、最後に「三洲長炗」と署名が書かれています。えっ!?もしかして、もしかして、長三洲(1833~1895)のこと? 長三洲といえば、高野長英大村益次郎と並ぶ広瀬淡窓(1782~1856年)の愛弟子です。

 そこで調べて見たら吃驚。長三洲の本名は長炗(ちょう・ひかる)、三洲と号していたのです。天保4年(1833年)、豊後国(大分県)日田郡馬原村の儒家、長梅外の第三子として生まれたということですから、彼の書が大分県内の古物商に流れ、宮さんのご祖父が購入したということは辻褄が合います。

 これは本物ではないか??

 長三洲は幕末、尊王攘夷の志士となり、戊辰戦争では参謀として戦い、長州の桂小五郎の知遇を得て、維新後、木戸孝允となった桂小五郎の引きで、新政府に出仕しています。

 広瀬淡窓の門下ですから漢詩人としての名声は高く、明治になって、「漢学の長三洲、洋学の福沢諭吉」と言われたのです。

 しかも、長三洲の門下生には伊藤博文、山縣有朋ら元勲をはじめ、信じられないくらい多くの逸才を輩出しているのです。

 これは凄いお宝じゃ、あーりませんか!「無理難題を押し付られた」なんて言ってすみませんでした。大変なお宝が宮さんのお蔵に眠っていたのですね。

作者不明 どなたか分かりますか?

 もう一つ、宮さんの御尊父の遺品の中に、別にご祖父から受け継がれた作者不明の水墨画もありました。うーん、この作者は誰なんでしょう?

 そこで、「テレビの『なんでも鑑定団』に出演されたら如何ですか?長三洲なら高額が出るかもしれませんし、恥をかくことはありませんよ」と薦めてみました。すると、御返事は「そ、そ、そ、そこまでやるつもりはありません。」とのこと。

 いやいや、駄目ですよ、宮さん。しっかり,、真贋を鑑定してもらい、内容も解読してもらい、その価値を確かめる手段はそれしかありませんよ!

和紙裏面文字

 もしかして、テレビ東京か、制作プロダクションのネクサスの関係者がこの記事をお読みくださって、宮さんにアプローチするかもしれません。

  「漢学の長三洲、洋学の福沢諭吉」なんて、まさにテレビ向きのキャッチフレーズで、「絵」になるじゃありませんか(笑)。

 宮さん、勇気を出して! 私も大いに期待しております。

【追記】

 ネット情報ですが、長三洲は、「明治書家の第一人者で、水墨画や篆刻の腕前も一流」だったとありました。もしかしたら、例の作者不明の水墨画も長三洲作の可能性がありますね。

ホモ・サピエンスが繁栄したのは「集団脳」のお蔭=ネアンデルタール人は何故滅亡したのか?

 2月24日のロシア軍による残虐で想像を超えた凄惨なウクライナ侵攻以来、人類の歴史に関してはすっかり興醒めしてしまいましたが、それではいけませんね。逆にもっと人類に関して勉強して知識を増やさなければいけません。

 そんな時、タイムリーな番組が放送されました。NHKスペシャル「ヒューマン・エイジ 人間の時代 プロローグ さらなる繁栄か破滅か」です。再放送も予定され、今後数年間に渡ってシリーズ化されるようです。「火星進出まで実現する技術を生み出す一方、戦争や環境破壊で地球の未来をも危うくしている人間。その先にあるのはさらなる繁栄か?破滅か? MC鈴木亮平と壮大な謎に迫る!」といった内容です。俳優の鈴木さんは、東京外語大英米語科卒で英語はペラペラ。インテリ俳優さんです。司会進行もしっかりしていました。

 今回、私が注目したのは、同じヒト属でありながら、現生人類であるホモ・サピエンスは生き残って繁栄したのに、何故、ネアンデルタール人は滅亡したのか?ということでした。30万年前に誕生したホモ・サピエンスは今や、火星移住まで目指す技術革新を遂げています。その一方で、ネアンデルタール人は4万年前に滅亡してしまいます。

 これについて、米ハーバード大学人類進化生物学のジョセフ・ヘンリック教授が「集団脳がヒトを動物より賢くさせた」という説を唱え、非常に納得しました。ヘンリック教授は世界各国の狩猟、漁猟民族を訪ねて、その集団の大きさ(人口)を観察し、人が多ければ多いほど、狩猟や漁労の道具が増えていることに注目します。

 ネアンデルタール人は数人の家族という小規模な集団で生活していました。一方のホモ・サピエンスは150人ぐらいの集団で暮らしていたといいます。小集団のネアンデルタール人は、道具も親から子、そして孫に伝わる過程でほとんど改良せず、同じ道具のままなのに、ホモ・サピエンスの場合は、「集団脳」が働き、技術革新され、さまざまな道具が生み出されてきたというのです。

 ヘンリック教授は「個人が賢いわけでもなく、一握りの偉大な天才のお蔭でもない。何世代にも渡って技術が累積するから高度な技術革新が生まれる。そのためには大きな集団が不可欠。大きな集団によってコミュニケーション技術も発達し、集団脳も働く」といった趣旨の発言をしていました。天才でもない煩悩凡夫の私は特に納得してしまったわけです。

 火星に行くロケットも、1980年代に発明された3Dプリンターがインターネット時代になってパテントが解禁され、世界各国からの「集団脳」が集積して飛躍的に技術的に進歩し、それによって、火星ロケットに相応しい軽量で部品が少ないエンジンが開発されていったというのです。

 番組では、人類の歴史上、過去250以上の文明が滅亡したので、その原因の分析と解明をするプロジェクトを進めていくとしています。滅亡した文明の中には、世界最古のシュメール(文字や戦車を発明)文明やローマ帝国、マヤ、アステカ文明などが含まれます。あれだけの栄華を誇った文明も必ず滅びるとしたら、現代の欧米やウクライナ侵攻しているロシアもいずれ滅亡するということなのかもしれません。

 自己中で強欲傲慢な人間嫌いになっても、結局、人類への関心は捨てられません。

「仏友会」で講師を務めました=役得もいっぱいありました

 24日(日)は、東京・大手町のサンケイプラザで開催された大学の同窓会「仏友会」総会での講師に呼ばれまして、90分間ほど講演をしてきました。

 仏友会とは、仏教を愛する同好会ではなく、東京外国語大学でフランス語を専攻した卒業生・中退生の親睦団体で、昭和初期からある伝統のある団体です。同じ外語大でも他の言語にはないようですが、フランス語は結束が固く、立派なHPもあります。かつての出身者に無政府主義者の大杉栄、作家の石川淳、詩人の中原中也、菱山修三らがおります。

 フランス語以外では、外語大出身者には、作家の二葉亭四迷(露語)や永井荷風(清語)、童話作家の新実南吉(英語)らもおりますが、おっと忘れるところでした、島田雅彦先生(ロシア語)もいらっしゃいますが、学生時代に、東京大学出身の某教授が「外語出身者にはロクな奴がいない。皆、二流ばっかじゃないか」と暴言を吐いておりました。余計なお世話ですよねえ(笑)。大杉栄、永井荷風、中原中也といえば、皆、反骨精神の持ち主で、超一流の歴史に残る人物です。体制べったりで、のうのうと暮らす輩とは違いますよ。

香川・愛媛郷土料理・新橋「かおりひめ」の「あられ丼とミニうどん」ランチ1100円⇒月曜日は1000円

 てなことで、そんな反骨精神が買われたのか、今回、私が講師に選ばれてしまいました。最初、「大変優秀な先輩諸氏がいらしゃるというのに、何であたしが?」と思いましたが、振り返ってみれば、マスコミの記者として、普通の人ではとても会えない有名人に数多お会いして、インタビューしております。松本清張、司馬遼太郎、東山魁夷といった大御所を始め、吉永小百合や三田佳子ら大女優にもお会いしています。それに、レコード大賞の審査員を経験したお蔭で、芸能界と裏社会との濃密な関係など大衆の夢を壊してしまうような話を沢山、見聞してきました。そこで、「仕方なく始まった僕のジャーナリスト生活=通信社記者42年」という演題で、講演を引き受けることにしたのです。

 依頼があったのは昨年末か今年初めで、講演のレジュメ(要旨)をつくっていったら、次々と色んなことを思い出し、最初、A4判で1枚だったレジュメが10回ぐらい書き直したり捕捉したりして、7枚に膨れ上がってしまいました。

 当然ながら、90分という時間制限の中、全部話し切れず、半分ぐらいで尻切れトンボになってしまったのは、返す返すも残念でした。

厚労省医政局経済課の厳選なる抽選で、アベノマスク(100枚)が当選しました。税金無駄遣い防止に貢献致しました

 講演内容の詳細はここでは書けません。何しろ、レジュメの頭記に「※取扱注意! 無断転載禁、門外不出でお願いします」」と書いたぐらいですから、世界中に愛読者がいて衆人監視されている有名な?渓流斎ブログに書けるわけがありません(爆笑)。

 しかし、「情報」というものについてはいつもいつも考えさせられます。ナチス・ドイツの宣伝相だった・ゲッベルスの有名な「嘘も百回言えば真実となる」という言葉がありますが、(ゲッベルスではなく、ヒトラー説など諸説有り)、フェイクニュースも真実になってしまうのが、今のウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領やラブロフ外相らの言説に、まさに現れています。言論統制、マスコミ統制が功を制して、あれだけウクライナ市民を大虐殺したというのに、プーチン大統領の支持率が83%という信じらない数字が出ています。

 今の日本がロシアを批判するのは簡単ですが、日本も戦時中は、ロシアと同じように言論統制して、撃墜してもいない戦闘機や軍艦を撃墜したと主張する大本営発表を国民(当時は臣民)に信じ込ませていたではありませんか。

チューリップ

 今の資本主義が蔓延る日本の場合は、広告主の天下です。歌手や俳優やお笑いのタレントをとにかくマスコミで露出させて、その露出によって有名にし、その有名タレントを使ってCMに出演させ、「人気こそが信頼だ」と大衆をだまくらかして、欲しくもない商品を売りまくって経済を回しているという構図をもっと喋りたかったのですが、時間切れでそこまで話せませんでした。

 それより、講師をやったお蔭で、講演会が終わった懇親会で、色んな情報が入って来たことは役得でした。

 例えば、同盟通信社の初代社長の岩永裕吉の父親が大村藩出身の衛生医師長与専斎で、岩永の次兄の長与又郎は、夏目漱石の解剖に従事し、東京帝大の総長まで務めた人、実弟の長与善郎は白樺派の作家…といった話をしたところ、懇親会で「実は、私、長与善郎の縁戚に当たる者です」と仰る方が現れたので驚いてしまいました。

 悪口を言わなくてよかった…(笑)。講演会では「皆、良い人です」と言っておけば間違いありませんね。

 もう一人おりました。講演で、朝日新聞の芸能担当記者が、あまりにも生意気だったので業界から総スカンを食らい、あの美空ひばり(1937~89年、行年52歳)の訃報を特オチした(各紙が一面で報道しているというのに、朝日新聞だけがニュースを知らされず落としてしまった)伝説の事件の話をしたところ、懇親会で、田中先輩が近寄って来て、「あの特オチ記者、篠崎だろ?俺の高校の同級生だよ」と仰るので魂げてしまいました。

 「高校は県立千葉高校だけど、あいつはなあ、高校の時から、将来、東大に行って、朝日新聞に入る、と宣言していたんだよ」というのでこれまた吃驚です。講師をやらなければ、分からなかった情報でした。

 「特オチ記者」の汚名を背負った篠崎弘氏とは、私自身面識はありませんが、「伝説の記者」として業界では超有名人でした。その後、朝日新聞を退社せざるを得なくなり、現在は音楽評論家をされています。

 ただ、篠崎氏の肩を持つとしたら、恐らく、彼は「業界の掟」を破ったのではないかと思われます。業界の掟とは「ギブアンドテイク」の世界です。業界が売り出したい無名のタレントを取り上げて書いてもらう、その代わりに、大物俳優が結婚、離婚したり、亡くなったりしたら、その情報をいち早くお伝えします、という「暗黙の了解」事項です。(今はネット社会なので、過去の話ですが)

 恐らく、篠崎氏は、つまらないタレントや興味のないアーチストらのインタビューを断り続けていたのでしょう。それが、「あいつは生意気だ」ということになり、業界が結束して干したというのが真相ではないかと思われます。勿論、彼も天下の朝日新聞という大看板で踏ん反りかえっていたかもしれませんが。

吉田林檎氏の句集「スカラ座」(ふらんす堂)

 コロナ禍にも関わらず、今年米寿を迎えた最高齢の渡辺先輩をはじめ、会場にまでわざわざ足を運んでくださる奇特な方が沢山いらして、本当に有難い、と感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 最後の写真ですが、仏友会の幹事を務める吉田さんが出版された句集「スカラ座」で、献本として頂いてしまいました。これも、今回講師を務めたからこそです。御一人お一人の名前は書けませんが、事前準備から当日、会場での椅子の移動まで手掛けて頂いた幹事の皆様方には御礼申し上げます。

Facebookからの素敵な贈り物

 Facebookをやっていると色んなことがあります。

 昨日も2018年8月14日に書いた古い記事に、Raja Kumarさんという方から以下の投稿がありました。

 こんにちは 私はあなたのプロフィールと個性に非常に感銘を受けました。そしてあなたに出会うこともユーモアでした。私はスボサーカー氏です。私はここエミレーツバンクオブドバイNBDの銀行役員です。 私はあなたと共有したい重要で緊急のビジネスディスカッションをしています。それはあなたの名前に関連していて、あなたはそれから利益を得るつもりだからです。私はあなたに友達リクエストを送りたいのですが、私はしません。それが適切だとは思わないので、友達リクエストを送るか、プライベートメッセージを送ってください。あなたからの連絡を楽しみにしています。

 なるほど、なるほど。どこか異国のお金持ちの銀行の役員さんが、こんな極東の無名のアカウントを見つけてくださり、しかも4年も昔に書いた記事にまで目を留めて頂いたのですね。有難い限りです。

 少し日本語がぎこちないですが、恐らくGoogle翻訳機を使ったのでしょう。何しろ、Google翻訳機は「生娘(きむすめ」を 「raw daughter (生の娘)」と翻訳するぐらいですから。

 この記事にはどういうわけか2週間前にもMia Michael さんという方から以下のメッセージが来てました。

 こんにちは友人 ここにあなたにメッセージを送ってすみません。 連絡を試みましたが、連絡が取れなかったため、こちらから連絡することにしました。 友達リクエストを送ってください。よろしければ、私たちは仲良しになることができます。ここに友達リクエストを送ってください、 Facebookで

 2018年8月14日に書いた記事のタイトルは「縄文土器と土偶さまには圧倒されました」です。見知らぬ外国人が、日本の縄文時代まで興味を持ってくださるとは、嬉しいやら有難いやら。

 このお二人の文面から察すると、よほど、Facebookに「友達リクエスト」を送ることが重要なようです。何故なんでしょうか?

 先日(4月18日付のブログ)、「Facebookやめますか?人間やめますか?」に書いた通り、私はFacebookのカラクリについてはよく分かっていません。が、Facebookをやる人に悪い人も詐欺師もいるわけがないでしょう? ザッカーバーグさんは、意図的にアルゴリズムを変更せず、過激な投稿が拡散されないようにした、といわれていますからね。

 これからは、世界中の大富豪からおいしい投資の話やら、グラマラスな若い女性から交際のお誘いやら、困った人たちからの援助や寄付金の御願いやら、毎日のように、こっちが忙しくても、投稿がドカスカ来ることでしょう。(あ、そうそう、宇宙旅行をされたあの有名な日本人の大富豪さんらしき方からも「貴方に100万円当たりました」との投稿が二度もありました!)

 本当に楽しみです。

 私はそれら投稿を「Facebookからの素敵な贈り物」と呼んでいます。

 (「素」を取れば、真逆の意味になりますが、まあ、紙一重でしょう。)

「生娘をシャブ漬け戦略」は翻訳不可能?

 昨日は、牛丼チェーン「吉野家」の常務取締役が、東京・早稲田大学・日本橋キャンパスで行われた社会人向け講座での「生娘をシャブ漬け戦略」なる不適切発言が大きな話題を呼びました。問題発言した常務の伊東正明氏(49)は取締役を即刻解任され、吉野家の株も下がりました。河村泰貴社長の役員報酬も今後3カ月間、削減されるといいます。

 「田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢、生娘なうちに牛丼中毒にする。男に高い飯をおごってもらえるようになれば絶対に食べない」といった趣旨の発言があったとされますから、あまりにもアナクロニズム、という以上に、傍若無人で女性と貧困層に対する蔑視発言であることは言うまでもありません。

 私の会社の同僚の娘さんは、英国人と結婚していますが、このニュースを聞いて、旦那さんから「どういう意味なの?」と(英語で)聞かれたそうです。生娘?シャブ漬け? 同僚の娘さんは、英語で何というのか思いつきません。そこで、Google翻訳で、「生娘」を検索したところ、出てきた英語が「Raw daughter」。まさに、生の娘です。英国人の旦那さんは目を白黒させました。

 今度は「シャブ漬け」です。こちらは「Pickled in shabu」。はあ~? シャブシャブの漬物かいな!? こりゃ、駄目だあ~。

銀座・中華「東生園」 肉野菜炒めランチ 900円

 問題になった「デジタル時代のマーケティング総合講座」は、全29回で受講料38万5000円だったとか。初日16日の発言だったそうで、問題が発覚したため、講座をキャンセルする人も出たようです。(その場合、主催者の早大は受講料は返金する用意があるという)取締役を解任された伊東氏は、米系生活用品大手のP&G出身で、辣腕のマーケッティング力が買われ、2018年に吉野家に転身しました。華麗なる経歴です。今回は、顧客を小馬鹿にする本音の戦略が、ポロリと漏れてしまったということなのでしょう。

 彼の発言を聞いていると、彼は自社製品(吉野家の牛丼)は貧乏臭くて食べられない、自分は食べないからね、と言っているようなものですからね。

 ちなみに、吉野家の牛丼、私は好きで食べていましたよ。

東京・銀座 ドイツ料理「ローマイヤー」日替わりランチ1100円

 でも、世界的な某清涼飲料水の会社の社長は自社製品は飲まないと聞いたことがあるし、世界的ファストフード店の会長も食べないと聞いたことがあります。直接、本人から聞いたわけではないので、信憑性は不確かですが、むべなるかな。

 ということは、カリスマ講師伊東氏は、単に会社戦略を正直に吐露しただけで、本人は嘘がつけない大変正直な人なのかもしれません。

 だって、人間ですからね。

 

宇宙論はアインシュタインの「相対性理論」が基礎だった

 渡部潤一・国立天文台副台長監修「図解 眠れなくなるほど面白い宇宙の話」(日本文芸社、2022年4月10日第14刷)を読了しました。確かに、眠れなくなるほど面白い! この本は薄くて(128ページ)、初心者向けに分かりやすく書いてくださっているところが良いです。

 今まで私は、誰が天下国家を取っただの、戦争で虐殺があっただの、人間どもの歴史ばかり気に掛けて勉強してきましたが、今年2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵攻で少し醒めてきてしまいました。「歴史に学べ」と言われても、「どうせ人間どもの所業なんて、所詮…」といった気持ちなのです。

ムスカリ

 それより、小学生の頃に憧れていた宇宙や天文学の勉強をした方が遥かに健康的なような気がしてきました。何しろ、宇宙論の学問の進化は、私の子どもの頃(1960年代)とは別次元のようで、幾何学級数的に大飛躍、発展して、まるで様変わりです。天体望遠鏡も電磁波や赤外線等が使われるなど技術革新が進み、かつて分からなかったことや仮説が、次々と「証明」されたりしているのです。

 現代の宇宙論は、あのアインシュタインの相対性理論が基礎になっていることをこの本で知りました。相対性理論とは、物理学で原子爆弾等の製作の理論的支柱になったとばかり思っていたのですが、もっと、もっと壮大な理論で、宇宙生成の解明に役立ち、ブラックホールの存在の予言までしていたというのです。

 私は、「世紀の大天才」といえば、モーツァルトやベートーヴェン、もしくはレオナルド・ダビンチあたりだと思っていたのですが、人類でたった一人選べと言われれば、今はアインシュタインを選びますね。全く理解不能ではありますが(笑)。(正直、好き嫌いで言えば、モーツァルトの音楽の方が好きですが)

 この本によるとー。

 ①138億年前に「無」からビッグバンとインフレーション(「相転移」現象により莫大なエネルギーが放出)によって宇宙が誕生した。(何故、「無」からそんなことが起きたのか、さっぱり分からないようです)

②宇宙はダークエネルギーによって膨張し、60億年前から膨張は加速している(ビッグリップ説)。

③マルチバース(多重宇宙)理論によると、インフレーションによって最初に出来た宇宙(母宇宙)の中に、アインシュタインの「相対性理論」から導き出されるワームホールwormhole(異次元空間)が出来て、その中に子宇宙が出来、またその中に孫宇宙が出来…と宇宙の多重発生が起き、宇宙は無限に存在していく。(キリがないじゃない!これなら何処かに地球外生物が生息していそうなものですが)

④全宇宙に1000億個以上の銀河がある。地球がある太陽系は、距離10万光年の天の川銀河のほんの片隅にある。天の川銀河とは、太陽のような恒星が約2000億以上個集まって出来ている。(ほらね。銀河なるものが1000億個以上もあるんですよ!)

⑤銀河が数十個集まると「銀河群」、さらに100個から1000個の銀河が密集すると「銀河団」と呼ばれ、天の川銀河も含まれる「おとめ座超銀河団」は重力によって、毎秒300キロの速さで動いている。結果的に、太陽系も秒速200キロで移動している。(地球が自転、公転していても、人間は分からないのに)

⑥天の川銀河とアンドロメダ銀河は「ご近所さん」で、同じ局部銀河群を構成しているが、40億年後に両銀河は衝突して20億年かけて合体する。(そう言われても、もう地球の生物は絶滅しているのでは?)

⑦約46憶年前に太陽系と地球が出来たが、太陽の寿命は100億歳と考えられ、あと50億年で終末期に入る。太陽は「赤色巨星化」して膨れて表面積が広くなり、光熱量も増大。25億年後には地球の気温は100度以上に達し、地球上の全生物は絶滅してしまうと考えられる。(ほらほら、人類の歴史も消滅か?)

⑧太陽の30倍以上という超新星が、寿命が尽きて爆発した後に残った星の芯のようなものがブラックホール。自分自身の重力でどんどん収縮して、大きさが無限小の「点」になったもので、そこでは全ての物理法則が成り立たず、光も外に逃げ出すことができない。(アインシュタインが相対性理論で予言)

⑨宇宙は、銀河が長い糸状につながった骨組みのような「銀河フィラメント」とボイドvoidと呼ばれる「超空洞」が入り組んだ大規模な構造になっている。このような構造をつくったものがダークマター(暗黒物質)と言われる。これは質量を持ち、周囲に重力を及ぼすが目に見えない謎の物質。ダークマターは、重力で動き回っている銀河を引っ張って、飛び出さないような働きもしている。(そう言われても、見当がつかない。)

⑩宇宙全体の謎を解く方程式が、「アインシュタイン方程式」で、それは以下の式で表されます。

 G μν+ Λg μν=kT μν      ※ Λg μνとは斥力を表す宇宙項

 以上、 E=m c² に比べると少し手こずる方程式かもしれませんが、皆さんとってはお茶の子さいさいですね。