仏ボルドーとアリエノール・ダキテーヌのこと

 昨晩、自宅でボルドーBordeaux ワインを飲んでいたら、アリエノール・ダキテーヌのことを思い出しました。ボルドーは、フランス大西洋岸の都市であることは誰でも御存知のことでしょう。

 でも、かつてのボルドーはフランス領ではなく、イギリス領だったことを知っている日本人は私も含めてほとんどいらっしゃらないのではないかと思います。しかも、数年間ではなく300年間もです。不勉強な私がこの史実を知ったのはつい数年前のことでしたから(苦笑)。

 かつて、というのは1154年から1453年までの中世の300年間です。日本で言えば、平安時代末期から室町時代、銀閣寺の足利義政の時代までに当たります。簡単に歴史を振り返ってみますと、ボルドーには早くも紀元前300年頃にケルト系のガリア人(ゴーロワ)が住み着きます。紀元前56年にはローマ帝国の支配下になり、ブルディガラと呼ばれ、ブドウ栽培も始まりました。中世の300年間の英国領については後で触れるとして、フランス領に回帰して大西洋岸の中心都市となり、1581年~85年にかけて、「随想録 エセ―」で有名な哲学者・人文主義者モンテーニュがボルドー市長を務めます。17世紀の大航海時代になると、ボルドーは、アフリカと新大陸アメリカを結ぶ三角貿易の拠点として発展します。現在は、2016年にフランスの行政区分が変更され、ヌーヴェル・アキテーヌ地域圏の首府となっています。

 このアキテーヌに注目してください(ヌーヴェルとは「新しい」という意味です)。中世はボルドーを含むアキテーヌ地方は、アキテーヌ公の領地でした。アキテーヌ公は、王家にもつながる貴族です。日本で言えば、天皇王家と外戚関係を結んだ古代豪族の葛城氏や蘇我氏や藤原氏みたいなもんと理解すれば早いかもしれません。ただしアキテーヌ公の領地は日本の豪族とは比べ物にならないくらい広大です。

 そこにアリエノール・ダキテーヌ Aliénor d’Aquitaine(1122~1204年)が登場します。最重要人物です。アキテーヌ公ギョーム10世の第1子(長女)として生まれ、広大な領地を相続した女王(もしくは封建領主)です。結婚した相手は、後にフランス国王になるカペー朝のルイ7世でした。当時の王権の領土はパリ周辺程度でまだ確固としたものではなく、広大なアキテーヌ公の領地獲得が目的の一つだったとも言われています。夫婦仲は悪く、十字軍遠征の失敗などもあり、二人は離婚します。

 アリエノールが1152年に再婚した相手は、アンジュー伯ノルマンディー公アンリでした。そのアンリは、母親がイギリスのノルマン朝ヘンリー1世の娘マティルダだったことから王位継承を主張し、1154年に英国王ヘンリー2世(1133~89年)として即位します(プランタジネット朝)。その結果、英王妃となったアリエノールのアキテーヌ公領も英国領土(アンジュー帝国とも)になったわけです。

 しかし、アリエノール王妃とその11歳も年下のヘンリー2世との関係もぎくしゃくし、ヘンリー2世が愛人ロザモンドを寵愛したことから、子どもたちまでもが離反・敵対します。ヘンリー2世は、最期は失意の内に仏ロワール渓谷のシノン城で亡くなります。行年56歳。彼の晩年は、1966年に「冬のライオン」としてブロードウェーで舞台化され、68年には英国で映画化され、ヘンリー2世をピーター・オトゥール、エレノア(アリエノール)をキャサリン・ヘップバーンが演じて、彼女は米アカデミー賞主演女優賞を獲得しています。

 ボルドーを始め仏大西洋岸のアキテーヌ地方は、英国領として300年間続きましたが、その後、失地回復を狙うフランスと英国との間で、1339年に百年戦争が勃発し、奇跡的なジャンヌ・ダルクの活躍もあり、1453年、仏国王シャルル7世が英国軍が守るボルドーを陥落させて戦争を終結させ、領土も奪還しました。

日本人とフランス人との国民性の違いを感じます=年金改革反対、仏全土で大規模デモ

 いつも饒舌な友人のB君から最近連絡が来ないなあ、と思っていたら、コロナに感染して散々だったようです。今は完治して大丈夫なようですが、それにしても、解せないことは、彼はテレワークだということです。

 小生は、毎日、満員の通勤電車に揺られて出勤しているというのに、コロナにかからず頗る健康です。テレワークなんて意味ないじゃん! それとも、彼は、プライベートまで知りませんど、夜遊びでもしていたのかしら? 一日中、パソコンの前に座っているわけにはいきませんから、昼間にランチを取るために外出することもあるでしょう。それとも、日夜、徘徊していたのかなあ、と疑ってみたくなります。

銀座「マトリキッチン」日替わり定食(チキンピカタ)1100円

 そんな折、日本政府は、新型コロナウイルス感染症の法的分類について、今春にも現在の「2類相当」から「5類相当」へ引き下げる方針を固めていることがニュースになっています。私は毎朝、出勤前にTBSラジオの「森本毅郎 スタンバイ!」を聴いているのですが、毅郎さん(83)は「ちょっとひがんだ者の言い方をしますと、高齢者が抱えている病気がコロナによって悪化するということが今起こっていて、死者数も連日300人、400人となっているんですよ。『これは仕方がないことだ』ということに考え方が変わるということになるんです。『高齢者が亡くなるのは自然の流れ』…ひがんで言っていますが、こういうことになる」と怒り心頭の御様子でした。

 確かに、コロナによる死亡者の9割が高齢者だとニュースでやってました。そのせいか、街中を歩いていると、マスクをしないで平気な若者と中年が最近増えてきた気がします。森本毅郎さんでなくても、やはり、政府のやり方は、「高齢者は一刻も早く死んでください」と言っているように見えます。

 話は変わりますが、フランスでは今日(現地1月19日)、国の年金改革に反対する労働組合が一斉にストライキを起こし、全国で112万人も参加したそうです。交通機関の多くが運休し、学校も休校となるなど大きな影響が出たようです。やるじゃないか、フランス。

 マクロン政権はこのほど、財政再建のため、年金の受給開始年齢を現在の62歳から64歳に引き上げることを柱とする年金改革案を発表したことが、今回の大規模デモに火が付きました。でも、あれっ? です。日本では年金支給は現在、概ね65歳からで、岸田政権は、今や70歳からの延長支給を視野に入れています。それなのに、日本では暴動どころか、小規模なデモでさえ聞かれません。どうしたものか?

 ちなみに、平均寿命で日本は世界一位(男性82歳、女性88歳)ですが、フランスだって男性80歳で世界19位、女性は86歳で世界5位です(国連人口基金、2022年版)。そんなに大差はありません。

 となると、お上の言うことなら子羊のように従順に従う日本人と、あくまでも権利獲得を追求する個人主義のフランス人という国民性の違いなのかもしれません。

 それに、岸田政権は、防衛費増額(実体は、米国から大量の軍需品を購入して莫大な金額を支払い、米経済を支えること)によって、日本国民への増税を画策しています。米国、中国、ロシアに次ぐ世界第4位の軍事大国を目論んでいます。その前に、少子化対策のための子ども手当充実や、すずめの涙しかない年金の増額の方が先にやるべきではないかと私は思っています。

「日本は消滅する?」=仏経済学者ジャック・アタリ氏ーこいつは春から縁起が悪い

 本日は1月5日ですが、今年初めてのブログ更新ですので、皆様、明けましておめでとうございます。本年も宜しく御願い申し上げます。

 5日ぶりの更新ですが、どういうわけか、その間も、かなりのアクセス数があったようで、本当に感謝申し上げます。有難う御座いました。

氷川神社

 更新しなかったのは、特段のことがなかったからでした(笑)。お正月は、私がアジト(塒)にしている関東地方は快晴に恵まれ、自宅からも雪が積もった富士山を拝むことができました。その半面、大雪に見舞われた奥羽越列藩同盟を始め、日本海側の皆様には申し訳ない気持ちでした。

 例年通り、1月1日は実家に行っておせち料理を御馳走になり、2日は自宅に子孫が参上して幣家が振舞い、3日は近くの神社へ初詣に行くというお決まりの「三が日」のパターンを遂行することが出来ました。酒量はめっきり減りましたが、今年は奮発して高価な「越乃寒梅」を呑んじゃいましたよ(笑)。何と言っても人類にとって、一番の幸せとは、家族団欒で一緒に飲食を共にすること以外、他にありませんからね。ウクライナではいまだに戦争が続き、コロナもほとんど収束していないという現実の中、本当に申し訳ないほど安逸に過ごすことができました。

 さて、今年も年賀状をたくさん頂きましたが、最全盛期と比べると4分の1近くに減少しました。少子高齢化(笑)の傾向は数年前からですが、このままいけば、あと数年で50枚を切るんじゃないかと思っています。私は、頂いた年賀状は必ず返事を出しますが、こちらが出しても向こうから返事が来なかった場合、翌年からはやめるという方針を取っているからです。それに、他界されてしまわれる方も増えてきました。

 今年の賀状のハイライトは、少しご無沙汰してしまった友人のA君が、昨年の夏に新型コロナに感染してしまい、1週間、ホテルに監禁されてしまったというお報せでした。全く知らなかったので、申し訳なく思い、メールしたら、咳とのどの痛みと発熱がかなり酷かったらしく、出所後(本人談)も、2週間以上も喉の違和感が続いたとの返信が来ました。今は回復したそうですが、彼ももう若くはないので、大事に至らずによかったと思い、安心しましたが。

中山神社

 2日に遊びに来てくれた子孫のうち、娘婿の一人は米国人なので、色んなことを尋ねることが私の愉しみになっています。私の英語は、実は杉田敏先生の「現代ビジネス英語」仕込みで、ネタ元は全て杉田先生によるものです。でも、これが本当に難しい。杉田先生はもともとジャーナリストでしたから、今でもニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、ガーディアンなど主要紙は全て目に通して、ビニュエットに反映されていますが、あまりにも最先端の単語やイディオムを使うので、英語が母国語の娘婿さんでさえ、知らない言葉があるのです。今回も、彼に Do you get sloshed ? と使ってみました。

 そしたら、何それ? 意味分かんない、と言うのです。これも、勿論、杉田先生仕込みです(笑)。米国人のアシスタントのヘザーさんは「私の辞書では、1946年以降アメリカでも使われるようになった」と解説していたので通じると思ったのです。

 「酔っ払った?」という意味だよ、と言うと、彼は「いやあ、知らない。聞いたことない。イギリス英語じゃないですか」とスマホでチェックし始め、「やはりイギリス英語だ」と勝ち誇ったように、私に「Britishi English」の画面を見せるのです。「酔っ払った」という意味の俗語で米国で一番使われるのは、hammered らしいのですが、これはあまり辞書に載っていないので「へー」と思ってしまいました。泥酔すると、ハンマーで殴られたほど前後不覚になるということかもしれません。

 もう一つ、米国の下院議長を務めた民主党のナンシー・ペロシ(Nancy Patricia Pelosi )さんについて、「ペロシなんて誰も言いませんよ。プロシですよ。プロシと発音します」と彼から聞いたことを以前、このブログに書きましたが、今回は第2次世界大戦時の米国大統領ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt)の発音について、彼に聞いてみました。「え?まさか。ローズベルトですよ。ルーズベルトなんて言う人、誰もいませんよ。まさか」と言うのです。

 新聞社は、中国人や韓国人らについて「現地語読み」を採用するようになりましたから、欧米人や地名も現地語読みを優先するなり、改正するなりした方が良いと思います。歴史の教科書も同じようにルーズベルト大統領ではなく、ローズベルト大統領とするべきだと私は思います。

中山神社

 年末年始は結構、テレビも見ました。とは言っても、専ら、某国営放送が放送した教養番組です。「松本清張と帝銀事件」「徳川JAPANサミット」「混迷の世紀」「欲望の資本主義」「新・幕末史」などですが、これら全て取り上げてはキリがないので一つだけにします。NHKスペシャル「混迷の世紀」の中でのフランスの経済学者ジャック・アタリ氏の発言です。彼は言います。人類は4000年間、戦争をし続けてきましたが、一番の原因は飢餓によるものです。フランス革命でさえパンを求めて民衆が立ち上がりました。今戦争が続いているウクライナとロシアは、全世界の小麦の30%、肥料は40%以上輸出用に生産していました。しかし、食糧危機になると15億人が影響を受けることでしょう。

 そこで、NHKの解説委員長が尋ねます。「日本の食料自給率は38%しかありません。大丈夫ですか?」 するとアタリ氏は「日本はもっと農業を魅力的にするべきです。農家が高齢化してほぼ絶望的です。社会的にも収益的にも農業を改善するべきです。さもないと日本人は昆虫と雑草を食べるようになりますよ」と断言するのです。解説委員長は、目を丸くして再び尋ねます。「そんなこと出来ますかねえ?」 アタリ氏は苦笑をかみ殺すようにしてこう言い放ちます。「単純な話です。そうしなければ(食料危機になれば)死にますよ。日本は消滅するだけです」

 フランスは意外にも農業大国で、現在、フランスの食料自給率は、何と125%。出生率(2020年)も1.83人(日本は1.34人)ですから、世界的食糧危機になっても、フランスは消滅することはないでしょう。それが、アタリさんの発言の自信の裏付けになっているわけです。

【お断り】

 ジャック・アタリ氏と解説委員長の発言は、精密・正確ではありません。少し補足したりしております。

日本史を書き換える新発見=NHKスペシャル「新・幕末史」

 10月16日(日)と23日(日)に放送されたNHKスペシャル「新・幕末史」はかなり見応えがありました。16日は 「第1集 幕府vs列強 全面戦争の危機」、23日は 「第2集 戊辰戦争 狙われた日本」というタイトルでした。2年前にも同様のシリーズで、戦国時代を取り上げて、日本史に留まらず、世界史的視野で、その同時代のスペインなどの列強国や宣教師たちがいかにして日本の植民地化を企んだりしていた事実がバチカンなどの資料から発見され、その斬新的な番組制作の手法に圧倒されました。

 今回も、英国国立公文書館のほか、当時のロシアやプロシア(ドイツ)などの列強の極秘文書が初めて公開され、幕末の戊辰戦争などが、単なる日本国内の内戦ではなく、英、仏、蘭、米、露、プロシアの列強諸国による分割植民地統治に発展しかねない事態まであったとは驚くばかりでした。

 私も、市井の幕末史好きですから、ある程度のことは知っておりました。徳川幕府方にはフランス(ロッシュ公使)、反幕の薩長方には英国(パークス公使)がついて、互いに武器と軍事顧問団を派遣して、英仏の代理戦争のようになっていたこと。大量殺戮が可能になった新兵器のガトリング砲などは米国の南北戦争で使用された「余りもの」だったこと…などは知っておりましたが、ロシアとプロシアの動向については盲点でした。

 ロシアは1853年のクリミア戦争で英国などに敗退すると、極東侵略政策に転換し、日本を植民地化しようと図ります。そのいい例が、対馬です。1861年にロシア海軍の拠点のような要塞を対馬につくり、半年間も駐在していたのです。それを外国奉行だった小栗忠順の粘り強い交渉と、英国の進出で辛うじて難を切り抜けたりしていたのです。明治になって、新政府は徳川幕府の弊害や無能論ばかり教育で教え込んできましたが、実際は、小栗上野介ら有能な幕閣がいたわけです。(21世紀になって、ロシアはウクライナに侵攻しましたが、「他国侵略」というロシア人気質は19世紀から全く変わらず、連綿と続いてきたことが分かります。)

◇プロシアは北海道植民地化を計画

 プロシア(ビスマルク首相)は、戊辰戦争の際、奥羽越列藩同盟の会津藩と庄内藩に食い込み、新潟港に武器を調達する代わりに、北海道を植民地化しようと企てていたことが、残された極秘文書で明らかになりました。そんな史実は、どこの教科書にも載っていなかったことですし、全く知らなかったので驚いてしまいました。

 番組では特に英国の公使パークスの動向に注目していました。1866年の長州征伐の際、幕府がフランスから武器を調達するために、ロンドン銀行から融資を申請したところ、パークスはロンドン銀行に対してその融資を止めさせています。逆に、商社ジャーディン・マセソン(長崎のグラバーが有名)を通して、長州に武器を調達しています。また、戊辰戦争の際には、パークスは、フランス、オランダ、プロシアなど列強6カ国の代表者を徴集して、内乱終結まで武器援助などをしない不関与の「局外中立」を認めさせたりしていました。そのお陰で、フランスは徳川幕府の軍事顧問団を引き上げざるを得なくなり、結果的に幕府方が不利になりました。(でも、箱館戦争では榎本武揚率いる幕府軍にフランスの軍事顧問団が付き添っていたはずで、その辺り、番組では詳しく検証してませんでした)

 こうして見ていくと、特に英仏など列強諸国が干渉していなければ、佐幕派が勝っていたのかもしれませんし、日本の歴史も変わっていたのかもしれません。戊辰戦争を世界史の中で見ていくと様相が変わるぐらいですから、海外の歴史学者が日本の幕末史に注目するのもよく分かりました。

 (番組の再放送やオンデマンド放送などもあるようです)

🎬仏映画「デリート・ヒストリー」は★★★★★=フランスらしい辛辣な風刺

 本日7月14日はパリ祭。フランス革命から232年という中途半端な年ではありますが、フランスでは盛り上がっていることでしょう。

 昨晩は、久しぶりに面白いフランス映画を観ることができました。「デリート・ヒストリー」というタイトルだけでは、全く内容が想像つかず、全く期待していなかったのですが、実に面白かった。現代のスマホ社会を痛烈に、辛辣に風刺した、ハリウッドではとても作れない力作、佳作、会心作でした。

 それもそのはず。昨年のベルリン国際映画祭での銀熊賞(審査員特別賞)受賞作でした。昨年の東京国際映画祭の上映作品でもあり、ネット公開されましたが、コロナ禍でいまだ劇場公開はされていないそうです。私自身は、日仏会館を通じて、ネット配信で観ました。ネタばらしは反則ですが、ネット等で公開されている粗筋ぐらいなら良いでしょう。 

 ベルギー国境近いフランス北東の低所得者向け地域に暮らす男女3人が主人公。ネット社会に踊らされ、いずれもお金の問題で悪戦苦闘。我慢の限界に達した彼らは、無謀な報復作戦を決行するが…。便利なはずのネット情報機器が格差社会に及ぼす弊害を描く社会派コメディー。

仏映画「デリート・ヒストリー」左からコリンヌ・マジエロ、ドゥニ・ポダリデス、ブランシュ・ギャルダン

 まあ、そんな内容です。ブノワ・ドゥレピーヌBenoit Delepineとギュスタヴ・ケルヴェンGustave Kervernによる監督、脚本。私は初めて聞くお名前ですが、お二人のシナリオが実に自然体で、現実にあり得ないことなのに、観客にあり得るように信じさせる力があって素晴らしい。

 主役は、離婚したばかりで、自らのハチャメチャな行動で騒動を巻き起こすマリー役のブランシュ・ギャルダンBlanche Gardinと、娘が学校でネットいじめを受けて悩みながら、コールセンターの女性に一方的に好意を抱くベルトラン役のドゥニ・ポダリデスDenis Podalydes、そして、乗客の評判を気にするネット配信タクシーの運転手、クリスティーヌ役のコリンヌ・マジエロCorinne Masieroの3人。大変失礼ながら、いずれも初老に近い中年後期の俳優で、魅力がある美男美女とは言えません。かつてのフランス映画と言えば、アラン・ドロン、カトリーヌ・ドヌーヴに代表されるように美男美女があれこれした、というイメージが強かったので、演技派俳優たちの熱演には感動しました。彼らはフランス本国では超有名人なんでしょうけど、私は知らなかったなあ。なかなか味がある名優でした。

 とにかく、いかにもフランスの伝統らしい風刺が盛り沢山です。現代の時事ニュースをふんだんに取り入れた内容で、AI(人工知能)やネット投稿拡散の脅迫、「黄色いベスト運動」(ジレ・ジョーンヌ Gilets jaunes)や社会福祉詐欺なども出てきます。これらはフランス国内だけが抱える問題ではないので、日本人が観ても納得します。特に、主人公たちが「くそったれ、GAFA!」と叫ぶ辺りは、結局、ドン・キホーテのような無謀な結果に終わりそうですが、「なあんだ、何処の国でも、ネットやスマホによる弊害に苦しんでいるんだなあ。ハリウッド映画が言えないことをよくぞ言ってくれた」と拍手喝采したくなります。

 でも、社会風刺コメディーなので、あれこれ考えず、観て笑い飛ばせばいいと思います。

 フランスでは、作られる映画の7~8割は、パリが舞台になっているそうで、このように地方を舞台にした映画は珍しいといいます。でも、21世紀になり、案外、何処の国でも世界の名作、傑作映画は地方都市が舞台になるかもしれません。

ついに夢のポール・ボキューズ亭の門をくぐったお話=銀座ランチ

  週刊ポストによると、今年2月17日から6月4日までにワクチンを接種した約1412万人のうち、196人が死亡したそうですね。厚生労働省は「因果関係がはっきりしない」と火消しに必死ですが、ある程度、都市伝説化して、陰謀論さえ囁かれております。

 でも、こんな報道を目にすれば、誰でも構えてしまいますよね? まして、私は、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、明後日にワクチン接種を決断した身です。もしも、のことを考え、思い切って、本日の銀座ランチは、高級フランス料理に決めました。

 なあんだ、肝っ玉がちっちゃいですね(笑)。

「ポール・ボーキューズ」 前菜の前のアミューズブーシュ テリーヌみたいな感じでしたが、抜群の美味さ

 向かったのは、ブラッスリー「ポール・ボキューズ」銀座店です。伝説の料理人(1926~2018年)。ミシュランの三ツ星レストラン。1950年代後半からのヌーヴェル・キュイジーヌ運動の先駆的開拓者…。彼に対する賛辞は耳にたこができるくらい聞かされます。

 しかし、私は、これまで、その「門」には一度もくぐったことがなかったのです。学生時代にフランス語を専攻しながら、ポール・ボキューズ(の味)を知らないとは…。ワクチンで、もしものことがあったら、死んでも死にきれない…。嗚呼、やはり大袈裟でした(笑)。

何と美味しいフランスパン

 「ポール・ボキューズ」店は、ホームページがしっかりしていますから、店に行く前にメニューを調べて最初から注文する品目を決めて出掛けました。ランチコース2750円です。何しろ、昼休みは1時間しかありませんから、ゆっくり時間を掛けて選んでいる暇もありません。

 入店した第一印象は、やはり、正直、お高く留まっている高級店でした(銀座店は、レストランひらまつとのジョイント)。でも、後で、シェフがわざわざテーブル一件、一件を回って、「お味は如何でしたか?」と御挨拶に来るなど、随分と低姿勢でした(笑)。

 本来、「ブラッスリー」を名乗っているのなら、ランチ1200円ぐらいの庶民的なビストロより格上ながら、超高級レストランより格下の居酒屋風のはずです。

 銀座の超高級フレンチといえば、やはり、資生堂にある「ロオジエ」でしょう。ランチでも1万1000円から2万5000円ぐらいのコースが御用意されています。作曲家の三枝成彰氏ご贔屓の馴染みのお店らしいですが、さすがに私クラスではお呼びじゃありませんね(苦笑)。

 ブラッスリーが背伸びして行けるギリギリの料理店です。

【前菜】 サラダ・ニソワーズ ブラッスリーポール・ボキューズ銀座スタイル (パプリカのグレック、ウフミモザ、トマト、ツナ、アンチョビ、オリーブ、いんげん豆)

 前菜は、単なる前菜ながら、「サラダ・ニソワーズ ブラッスリーポール・ボキューズ銀座スタイル (パプリカのグレック、ウフミモザ、トマト、ツナ、アンチョビ、オリーブ、いんげん豆)」という長ったらしい名前が付いておりました。

 簡単に言えば、ニース風サラダでしょうね(笑)。「何だ、これは!?」という旨さです。隠し味が二重三重四重に効いています。旨さがトグロを巻いているようです。これまで食したサラダの中でベスト3に確実に入ります。

プロバンスの香る夏鱈のロティ バジル風味のソースブールブラン アーティチョークのバリグール風

 メインディッシュは、魚にしました。

 「プロバンスの香る夏鱈のロティ バジル風味のソースブールブラン アーティチョークのバリグール風」と、これまた長ったらしいお名前です。フランス語のロティは、英語のローストですから、「タラの炙り」といったところでしょうか。

 今まで食べたことがない上品なバジル風味のスープで、病みつきになりそうな味です。昔日、イタリアンが巷で流行っていた頃、有名になったイタリア料理店のシェフOさんは「イタリアンは毎日食べても飽きないから」と発言されておりましたが、ポール・ボキューズなら毎日食べても飽きない!(笑)

 いや、ここで食べてしまっては、もう他では食べられない!

デザートは、ムッシュ ポール・ボキューズ”のクレーム・ブリュレ

 私は探訪記者ですから、お店の客の会話も聞き逃しません。100人か200人は入れそうな食堂でしたが、皆さん、一様にフォーマルなスーツ姿が多く、さすがにジーパンにTシャツにゲタ履き姿の人は見かけませんでした。

 お隣りは30代の若き青年実業家といった風情の恰幅が良いネクタイ姿の男性と、如何にも「やり手」らしい初老の女性。二人の関係は分かりませんが、青年実業家の両親は会社を経営しているらしく、自社株を59%も保有しているとか、ロンドンの高級住宅街セント・ジョンズ・ウッドに何か物件を持っているらしく、「ここはビートルズのアビイ・ロード・スタジオがあり、レコードのジャケットにもなった有名な横断歩道もあるんですよ」と自慢げに話していました。

 嗚呼、ビートルズ・フリークのおじさんも、アビイ・ロードには行ったことがあるので、「そうだよね、そうだよね」と心の中で相槌を打っておりました(笑)。

 やり手の女性は、今日の株が上がっているとか、投資がどうのこうのとか話していたので、コンサルタント関係の人かもしれません。まさか、一人で暇そうな渓流斎が、隣りで話を盗み聞きしているとは思わなかったことでしょう(笑)。

銀座「ポール・ボキューズ」 ホットコーヒー

 まあ、こういう高級店には、こういったお金だけはふんだんに持っているスノッブな連中が来るんだな、ということだけは分かりました。

 でも、ランチコース2750円はそれなりの価格で、年に何回かのハレの日の食事会なら安いぐらいだと思いました。私のような分際でも、「また行ってやろう」と心に誓い、会計の際に会員カードまで作ってしまいました(笑)。

 ところで、最近、御隠れになってしまったのか、例の釈正道老師から全く連絡が来なくなりました。皮肉屋の老師ですから、こんなことを書くと、また「どうせ、接待かタカリで行くんだろ!」と上から目線で断言することでしょう。

 「いえいえ、ちゃんと自腹で行っておりますよ」と再度強調させて頂くことに致します(笑)。

集団主義と個人主義の日仏異文化論=東京外語仏友会にオンライン参加

イチハツ 一初 Copyright par Keiryusai

 昨日は、大学の同窓会「仏友会」にオンラインZOOMで参加しました。仏友会というのは、「仏教を愛する会」というのではなく、東京外国語大学でフランス語を専攻した卒業生の親睦会です。正式には東京外語仏友会なのですが、戦前の昭和初期に作られたようです。

 私の学生時代は外国語学部だけでしたが、現在は3学部制になっていて、言語文化学部と国際社会学部の中にフランス語専攻があるようです。私の学生時代のフランス語科は60人でしたが、現在でも仏語専攻は60人ぐらいのようです。(半数の30人は必ず留学するそうです)

 東京外大のHPによると、大学の起源は幕末の1857年に開校された「蕃書調所」(西洋の書籍を解読して海外事情を調査)にまで遡ることができます。(東京・九段下に「蕃書調所跡」=竹本図書頭拝領屋敷上地=の碑がありますので、ご興味のある方は是非訪れてみてください。)

 過去の仏語出身者の中には、無政府主義者の大杉栄(1905年中退)、仏文学者でアンドレ・ジッド「狭き門」などの翻訳で知られる山内義雄(1915年卒)、無頼派作家の石川淳(1920年卒)、無頼派詩人の中原中也(1933年選科卒)、詩人でポール・ヴァレリー翻訳家の菱山修三(1909~67年)らがいます。

 私が学生時代に講義を受けた哲学のM教授(東京大学卒)は「外大フランス語の出身者というのは大杉栄とか中原中也ぐらいしかいないだろう?反逆者ばかりで主流派はいねえなあ」と言い放ったことが印象に残っています。確かにそうかもしれませんけど、主流派なんて言っても単なる体制派のことでしょう?人間生まれてきたからには「反抗精神」がなきゃつまらないじゃありませんか(笑)。

エニシダ Copyright par Keiryusai

 ということで、仏友会は変わり者の集まりと見られては困りますし、そんなこと言ったら藤倉会長から怒られますが、一癖ある個性派集団で、今でも大変優秀な人材を社会に輩出しております。上から言われたことを唯々諾々と従うことを良としない人が多いと言えるかもしれません。それなのに、仏友会は(途中戦争等で中断したこともありますが、)100年近くも続いていることは奇跡です。何故なら、同じ大学でも、英米語やロシア語専攻の出身者には同窓会がない、と聞いたことがあるからです。仏語専攻は恵まれています。個人主義ながら、結構、結束が固いのです。

 昨日の仏友会の講演会のゲスト講師は、東京外国語大学のジェローム・ルボワ准教授で、演題は「日仏文化の差異を考える」でした。非常に面白い話でしたが、時間が足りなくて、尻切れトンボのような感じだったので、もっと聴きたかったでした。まさに、今書いてきた個人主義に関する話だったからです。

 話を単純化すると、地理的に、歴史的に、文化的に、日本人は集団主義(ルボワ氏は集団性と表現していましたが)、フランス人は個人主義(同じく個人性)という大きな違いがあるというお話でした。(道理で、フランス語を専攻する日本人は個人主義になってしまうのか、もしくは、集団主義に馴染めず個人主義的傾向が強い日本人だからフランス語を専攻したのか、ということがはっきりしましたよ=笑)

 異文化論として、日本とフランスを比較すると、日本の国土は約37万平方キロメートルで、仏は約57万平方キロメートル。つまり、仏は日本の1.5倍の国土を持つ。それなのに、日本の人口は1億2800万人で、フランス(6500万人)の2倍もある。しかも、日本の国土の3分の2は人が住みにくい山地なので、仏と比べて遥かに人口密度が高い。そして、農耕時代から灌漑や農作業などで集団で「和」重んじて協働しなければならないので、地理的、歴史的、文化的に日本人は集団主義にならざるを得なくなった。一方のフランスは、早いうちから自律を求められることから、個人主義が芽生えていく。そんな話をルボワ准教授は展開していきました。

タチアオイ Copyright par Keiryusai

 ルボワ准教授は、17世紀後半にルイ14世の財務総監だったコルベールによってフランス外交の威信を高めるための外国語学校として創立された超難関校・国立東洋言語学院(INALCO=Institut national des langues et civilisations orientales)で博士号(「古代日本における皇室の女性」)を取得したということで、日本語はペラペラで、自らホワイトボードにスラスラと漢字を書きながら説明しておりました。

 日本とフランスを比較して、どちらが良くてどちらが悪いという話ではないことをルボワ准教授は強調しておりました。何しろ、個人主義のフランスには、同窓会もなければ、運動会も校内クラブ活動も、〇〇式も存在しないし、七五三もなければ、お祭りもないといいます。(ニースのカーニヴァルなどがあるが、あれは神事ではないし、日本のようなお祭りではないとか)

 「仏友会がある皆さんはうらやましい」とルボワ准教授は、しみじみと言いました。

 大変面白かったのは、講演後の質疑応答で、「仏男性と日本人女性が結婚するカップルが多いのに、日本人男性と仏女性の結婚が少ないのは何故だと思いますか」という質問でした。ルボワ准教授は「謎です」と言って、それには直接答えることはできませんでしたが、仏女性が結婚相手に最も重視するの「信頼」、二位が「気遣い」、三位が「ユーモア」。仏男性が結婚相手に最も重視するのは「見た目」(ここで会場から爆笑)、二位が「信頼」、三位「賢さ」という内訳を明らかにしてくれました。

 さらに、フランス語の la famille と日本語の「家族」というのは、別物であることを図示してくれました。日本の場合、両親と子どもがいるのが普通の家族なのですが、フランスの場合、結婚適齢期の半分は未婚で、半分の既婚者のうちその半分は離婚しているといいます。その離婚した者同士が子連れで結婚して、また、離婚したりするケースも多いので日本ほど「家族」は単純ではない、というのです。その典型的な例として、S氏が登場していましたが、このS氏とは、恐らくサルコジ元大統領のことではないか、とZOOMのチャット上で話題になりました(笑)。

【追記】

思い出しました!大学1年生の時、フランス人のデルモン先生から「何故フランス語を専攻したのですか?」と質問され、「フランス人女性と結婚するためです」と答えたことを思い出しました。

勿論、実現しませんでしたけど(笑)。

 

仏マクロン大統領もCovid-19に感染=ランチはゆったりとした店で

 昨日17日はフランスのマクロン大統領が新型コロナウイルスに感染(陽性)したというニュースEmmanuel Macron a été déclaré positif au Covid-19 が世界中を駆け巡りました。米国トランプ大統領、英国ジョンソン首相、ブラジル・ボルソナロ大統領ら世界の最高指導者が次々と感染しましたが、「フランスよ、お前もか」といった感じです。

 ルモンドなどの現地仏紙は、マクロン大統領は16日夜に、与党幹部ら10人ほどをエリゼ宮に招いて夕食を伴にしていたことを一斉に報道しました。政府は、国民に対して、会食人数は6人を超えないよう呼びかけ、おまけに夜間外出禁止令までが出していたので、野党からは「警察は何をしているんだ」と糾弾の声が上がったらしいですね。

 そう言えば、我が極東の国でも最高指導者が、銀座の超高級ステーキハウスで7人で会食したことが発覚して陳謝したばかり。まさか、マクロンさんは菅さんの真似をしたわけじゃないでしょうが、随分、世界が狭くなった感じがします。

 情報が本当に瞬時に伝わってしまうからです。

 ということで、政治嫌いの渓流斎は、「孤独のグルメ」ですから、本日も銀座ランチ行脚です。

 「京町しずく」という店にしました。銀座インズ1の2階にあります。夜の居酒屋がメインでしょうが、ランチもやってました。全室個室というので落ち着けます。

 ほんの少し、高級感がありますが、値段は驚くほど大衆並みなので、得した気分になれます。

ヒレカツ御膳 御飯は大盛でーす

 どれも美味しそうで、メニュー選びに迷ってしまいましたが、週替わりの「ヒレカツ御膳」にしました。

 おかずが五品もあり、コーヒーも付いて、1000円(税込み)ですから、リーズナブルです。ちょっと近くの三省堂で買い物があったので、ゆっくりできませんでしたが、時間があれば、ゆったりとくつろげます。何しろ、個室になっていますからね。

 愚生自身、もう最近、すっかり縁遠くなってしまいましたが、アベック向きの店かもしれません。アベック? 死語ですか? カップルでした!年齢がバレてしまいますね(笑)。

橘木俊詔著「”フランスかぶれ”ニッポン」はどうも…

 世間では誰にも認められていませんが、私は、「フランス専門」を僭称していますので、橘木俊詔著「”フランスかぶれ”ニッポン」(藤原書店、2019年11月10日初版)は必読書として読みました。大変面白い本でしたが、途中で投げ出したくなることもありました(笑)。

 「凡例」がないので、最初は読み方に戸惑いました。

 例えば、「長与(専斎)に関しては西井(二〇一九)に依拠した」(53ページ)や「九鬼周造については橘木(二〇一一)に詳しい」(104ページ)などと唐突に出てくるのです。「えっ?何?どうゆうこと?」「どういう意味?」と呟きたくなります。

 (これは、後で分かったのですが、巻末に書かれている参考文献のことで、まるかっこの中の数字はその著書が発行された年号のことでした。学術論文の形式なのかもしれませんが、こういう書き方は初めてです)

 著者は、経済学の専門家なので、「フランスはケネー、サン=シモン、セイ、シスモンディ、ワルラス、クールノーなど傑出した経済学者を生んだ」(180ページ)と筆も滑らかで、スイスイと進み、それぞれの碩学を詳細してくれますが、専門外の分野となると途端にトーンがダウンしてしまいます。

 例えば、世界的な画家になった藤田嗣治の章で、「乳白色の裸婦」を取り上げた部分。「絵画の手法などについては素人の筆者がどのような絵具や顔料を用い、キャンバスにどのような布地を用いたのか、…などと述べる資格はないので、乳白色の技術についてはここでは触れない」。 えっ?

 「ドビュッシーは女性関係も華やかであったが、これまで述べてきたようにフランスの作家や画家の多くがそうであったし、別に驚くに値しないので、詳しいことは述べない」。 えっ?待ってください。また?

 「物理学に疎い筆者が湯浅(年子)の研究内容を書くと間違えるかもしれないし、読者の関心も高くないであろうから、ここでは述べない」。 もー、勘弁してください。少しは関心あるんですけど…。

 ーまあ、ざっとこんな感じで、読者を2階に上げておいて、「この先どうなるんだろう」と期待させておきながら、さっと階段を外すような書き方です。

 そして、画家の久米桂一郎(一八六六-一九三四)の次の行の記述では、

 「浅井忠(一九三五-九〇) 黒田清輝(日本西洋絵画の開拓者は、美術学校出身ではなく、東京外国語学校出身だったとは!←これは私の感想)や久米桂一郎よりも一〇年早く生誕している」と書かれているので、「おかしいなあ」と調べたら、浅井忠は(一八五六-一九〇七)の間違いでした。日本の出版界で最も信頼できる藤原書店がこんなミスをゆめゆめ見逃すとは!悲しくなります。

 文句ばかり並べましたが、幕末・明治以来「フランスかぶれ」した日本の学者(辰野隆、渡辺一夫ら)、作家詩人(永井荷風、木下杢太郎、萩原朔太郎、太宰治、大江健三郎ら)、画家(藤田嗣治ら)、政治家(西園寺公望ら)、財界人(渋沢栄一ら)、ファッション(森英恵、三宅一生、高田賢三ら)、料理人(内海藤太郎ら)ら歴史的著名人を挙げて、平易に解説してくれています。(私は大体知っていたので、高校生向きかもしれません)

 ほとんど網羅していると言っていいでしょうが、重要人物である中江兆民や評論家の小林秀雄についてはごく簡単か、ほとんど登場しないので、もっと詳しく解説してほしかったと思いました。

 それとも「私の専門外なので、ここでは詳しく触れない」と著者は抗弁されるかもしれませんが…。

 (6年前に「21世紀の資本」のトマ・ピケティ氏が、日仏会館で来日講演された際に、橘木氏も同席して、橘木氏の御尊顔を拝見したことがあります。「経済格差問題」の権威として凄い方だと実感したことは、余談ながら付け加えておきます。)

日本の右翼思想は左翼的ではないか?=立花隆著「天皇と東大」第2巻「激突する右翼と左翼」

長い連休の自宅自粛の中、相変わらず立花隆著「天皇と東大」(文春文庫)を読んでいます。著者が「文庫版のためのはしがき」にも書いていますが、著者が考える昭和初期の最大の問題点として、どのようにして右翼超国家主義者たちが、日本全体を乗っ取ってしまようようなところまで一挙に行けたか、ということでした。それなのに、これまで日本の多くの左翼歴史家たちは、右翼をただの悪者として描き、その心情まで描かなかったので、あの時代になぜあそこまで天皇中心主義に支配されることになったかよく分からなかったといいます。

 それなら、ということで、著者が7年間かけて調べ上げて書いたのがこの本で、確かに、歴史に埋もれていた右翼の系譜が事細かく描かれ、私も初めて知ることが多かったです。

 私が今読んでいるのは、第2巻の「激突する右翼と左翼」ですが、語弊を怖れず簡単な図式にすれば、「左翼」大正デモクラシーの旗手、吉野作造教授(東大新人会)対「右翼」天皇中心の国家主義者上杉慎吉教授(東大・興国同志会)との激突です。

 吉野作造の有名な民本主義は、天皇制に手を付けず、できる限り議会中心の政治制度に近づけていこうというもので、憲政護憲運動や普選獲得運動に結び付きます。吉野の指導の下で生まれた東京帝大の「新人会」は、過激な社会主義や武闘派田中清玄のような暴力的な共産主義のイメージが強かったのですが、実は、設立当初は、何ら激烈ではない穏健な運動だったことがこの本で知りました。

 新人会が生まれた社会的背景には、労働争議や小作争議が激化し、クロポトキン(無政府共産主義)を紹介した森戸事件があり、米騒動があり、その全国規模の騒動に関連して寺内内閣の責任を追及した関西記者大会での朝日新聞による「白虹事件」があり、それに怒った右翼団体浪人会による村山龍平・朝日新聞社長への暴行襲撃事件があり、そして、この襲撃した浪人会と吉野作造との公開対決討論会があり…と全部つながっていたことには驚かされました。民本主義も米騒動も白虹事件も個別にはそれぞれ熟知しているつもりでしたが、こんな繋がりがあったことまでは知りませんでしたね。

 一方の興国同志会(1919年)は、この新人会に対抗する形で、危機意識を持った国家主義者上杉慎吉によって結成されたものでした。(その前に「木曜会」=1916年があり、同志会解体分裂後は、七生会などに発展)。この上杉慎吉は伝説的な大秀才で、福井県生まれで、金沢の四高を経て、東京帝大法科大学では成績抜群で首席特待生。明治36年に卒業するとすぐ助教授任命という前代未聞の大抜擢で、独ハイデルベルク大学に3年間留学帰国後は、憲法講座の担当教授を昭和4年に52歳で死去するまで20年間務めた人でした。(上杉教授は、象牙の塔にとじ込まらない「行動する学者」で、明治天皇崩御後、日本最大の天下無敵の最高権力者となった山縣有朋に接近し、森戸事件の処分を進言した可能性が高いことが、「原敬日記」などを通して明らかになります)

 上杉博士の指導を受けた興国同志会の主要メンバーには、後に神兵隊事件(昭和8年のクーデタ未遂事件)の総帥・天野辰夫や滝川事件や天皇機関説問題の火付け役の急先鋒となった蓑田胸喜がいたことは有名ですが、私も知りませんでしたが、安倍首相の祖父に当たる岸信介元首相(学生時代は成績優秀で、後の民法学者我妻栄といつもトップを争い、上杉教授から後継者として大学に残るよう言われたが、政官界に出るつもりだったので断った。岸は上杉を離れて北一輝に接近)もメンバーだったことがあり、陽明学者で年号「平成」の名付け親として知られる安岡正篤も上杉の教え子だったといいます。

緊急事態宣言下の有楽町駅近

 私は、左翼とか右翼とかいう、フランス革命後の議会で占めた席に過ぎないイデオロギー区別は適切ではない、と常々思っていたのですが、この本を読むとその思いを強くしました。

 例えば、日本で初めてマルクスの「資本論」を完訳(1924年)した高畠素之は、もともと堺利彦の売文社によっていた「左翼」の社会主義者でしたが、堺と袂を分かち、「右翼」の上杉慎吉と手を組み、国家社会主義の指導者になるのです。

 立花氏はこう書きます。

 天皇中心の国粋的国家主義者である上杉慎吉と高畠素之が組んだことによって、日本の国家社会主義は天皇中心主義になり、日本の国家主義は社会主義の色彩を帯びたものが主流になっていくのである。…北一輝の「日本改造法案大綱」も、改造内容は独特の社会主義なのである。つまり、日本の国家革新運動は「二つの源流」ともども天皇中心主義で、しかも同時に社会主義的内容を持っているという世界でも独特な右翼思想だったのである。それは、当時の国民的欲求不満の対象であった特権階級的権力者全体(元老、顕官、政党政治家、財閥、華族)を打倒して、万民平等の公平公正な社会を実現したいという革命思想だった。天皇中心主義者のいう「一視同仁」とは、天皇の目からすれば全ての国民(華族も軍人も含めて)がひとしなみに見えるということで、究極の平等思想(天皇以外は全て平等。天皇は神だから別格)なのである。(120ページ)

 これでは、フランス人から見れば、日本の右翼は、左翼思想になってしまいますね。

 「右翼」の興国同志会の分裂後の流れに「国本社」があります。これは、森戸事件で森戸を激しく非難した弁護士の竹内賀久治(後に法政大学学長)と興国同志会の太田耕造(後に弁護士、平沼内閣書記官長などを歴任し、戦後は亜細亜大学初代学長)が1921年1月に発行した機関誌「国本」が発展し、1924年に平沼騏一郎(検事総長、司法大臣などを歴任。その後首相も)を会長として設立した財団法人です。最盛期は全国に数十カ所の支部と11万人の会員を擁し、「日本のファッショの総本山」とも言われました。

 国本社の副会長は、日清・日露戦争の英雄・東郷平八郎と元東京帝大総長の山川健次郎、理事には、宇垣一成、荒木貞夫、小磯国昭といった軍人から、「思想検察のドン」として恐れられた塩野季彦や当時の日本の検察界を代表する小原直(後に内務相や法相など歴任)、三井の「総帥」で、後に日銀総裁、大蔵相なども歴任した池田成彬まで名前を連ねていたということですから、政財官界から支持され、かなりの影響力を持っていたことが分かります。

 まだ、書きたいことがあるのですが、今日は茲まで。

 ただ、一つ、我ながら「嫌な性格」ですが、133ページで間違いを発見してしまいました。上の写真の左下の和服の男性が「上杉慎吉」となっていますが、明らかに、血盟団事件を起こした東京帝大生だった「四元義隆」です。この本は、2012年12月10日の初版ですから、その後の増刷で、恐らく、差し替え訂正されていることでしょうが、あの偉大な立花隆先生でもこんな間違いをされるとは驚きです。この本は、鋳造に失敗した貨幣や印刷ミスした紙幣のように高価で売買されるかもしれません。(四元義隆氏は戦後、中曽根首相、細川首相らのブレーンとなり、政界のフィクサーとしても知られます)

 いや、自分のブログの古い記事のミスを指摘されれば、色をなすというのに、この違いは何なんでしょうかねえ。我ながら…。