老兵は死なず、ただ消えゆくのみ=または余生の過ごし方

 これでも、小生、20年以上昔はマスコミの文化部の記者をやっておりましたから、最先端の文化芸術に触れ、多くの芸能人や作家、画家、文化人の皆様にインタビューもさせてもらいました。ですから、文化関係の分野でしたら、一応、何でも知っているつもりでした。某有名女優さんとは手紙のやり取りまでしておりました。いえいえ、別に自慢話をするつもりではありません。

 それが、急に文化部を離れ、テレビもほとんど見なくなってからは、全く何もかもワケが分からなくなりました。正直、情報過多もあるでしょうが、最新流行にはついていけなくなったのです。最も人気が高かったAKB48も、ジャニーズの嵐も、グループ名はかろうじで知っていても、そのメンバーとなるとさっぱり分からなくなりました。ま、覚えようとしなかったのでしょう(苦笑)。

 今でもそれに近い状態が続いています。テレビに出るような女優、俳優、歌手なら、昔は大抵ほとんど知っていたのに、最近では「この人、誰?」ばっかりです。文芸作家は、毎年2回の芥川賞と直木賞で量産されるので、やはり、「えっ? こんな作家さんいたの!?」です。漫画となると、何百万部、何千万部と売れているという噂は聞きますが、私は読まないので門外漢です。かろうじてタイトルだけ知っている程度です。

銀座「ひろ」1000円ランチ 前菜 「赤字覚悟でやってます」と店主。

 しかし、悲観すること勿れ。人間の頭の構造がそうなっているんでしょう。特に流行音楽なら、誰でも、10代から20代の多感な時に聴いた音楽がその人の一生の音楽になるのでは?小生が子供の頃、テレビで「懐かしのメロディー」といった番組があり、東海林太郎や三浦洸一(現在95歳!)、渡辺はま子といった往年の歌手がよく登場していました。両親は涙を流して熱心に聴き入っていましたが、少年の私はさっぱりついていけず、世代間ギャップを感じたものでした。歳をとると、今度は我々が世代間ギャップを若者たちから糾弾される番になってしまいました。

 私は洋楽派だったので、多感な時代は、ビートルズやローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンばかり聴いていましたが、フォークソングのブームだったので、吉田拓郎やかぐや姫なども結構聴いていました。でも、今の若者は、「四畳半フォーク」なんて、辛気臭くて絶対聴かないでしょうね(笑)。逆に言わせてもらえば、今のラップやらDJやら、我々は、とてもついていけませんが。

銀座「ひろ」1000円ランチ 銀座で一番安いのでは?

 先日、久しぶりに東京・国立劇場で中村京蔵丈の舞台「フェードル」を観て、遅く帰宅したら、たまたま、天下のNHKがMISAMO(ミサモ)という三人組のガールズグループのライブショーをやっていました。勿論、見るのも聴くのも初めてです。名前から、そして顔立ちから、韓国人か中国人かと思いましたら、どうやら、韓国の9人組の多国籍グループ、TWICEの中の日本人サブユニットだということが後で分かりました。ビールを片手に少し酔って見ていましたが、「アラビアンナイト」に出て来るような、かなり性的刺激の強いダンスグループで、天下の国営放送によく出演できたなあと思ってしまいました。若い人は平気かもしれませんが、正常な性的羞恥心を害される(猥褻の定義)と言ってもいいかもしれません。それに、出演しているのが民放ではなく、NHKですからね。時代は変わったなあ、と思いました。(否定はしませんよ。皆さんと同じように、嫌いじゃありませんから=笑)

 老兵は死なず、ただ消えゆくのみ Old soldiers never die, They just fade away

 6年8カ月間、日本を占領したGHQのダグラス・マッカーサー司令官(元帥)が退任に当たって、米議会で演説した有名なフレーズです。流行について行けなくなった今、私の頭の中で、このフレーズが再三、響き渡ります。

 でも、まあ、ええじゃないか、ええじゃないか、です。今は動画サイトがありますから、無理して背伸びして若者たちに媚を売ったりせず、1960~70年代の好きなロックやボサノヴァを見たり、1950年代の黄金時代と言われた日本の全盛期の黒澤明や溝口健二や小津安二郎や成瀬巳喜男の映画を見て余生を過ごせば、それでいいじゃん。

成瀬巳喜男監督の手腕に脱帽=1930年代の「まごころ」と「鶴八鶴次郎」

 私生活で色々と心配事が続いて悩みが尽きません。こういう状況だと何をやってもつまらないものですね。物欲がなく、悪所に行かず、賭け事はせず、宝くじも買わず、煙草も吸わず、最近、あまり酒も呑まず、好きな音楽も聴かず、只管、四角四面、謹厳実直に振舞っているので、ますます生きているのが苦しいのです(笑)。本を読んだり、映画を観たりしてますが、実は心底から楽しめません。-まあ、こんな繰り言を書いてしまいましたが、こうして、つまらないブログを書いても旧知の人や見知らぬ人からコメント等を頂いたりすると嬉しくなり、「ま、書き続けていきますか…」という気持ちにさせてくれます。

 今日も書くことは、またまた成瀬巳喜男監督の戦前の1930年代の作品です。前回、成瀬巳喜男監督のファンクラブの方々が立ち上げた精巧なサイトをご紹介しましたが、その中で、1930年代作品のベストワンに挙げていた「まごころ」を初めて観てみました。1939年(昭和14年)、東宝東京の作品です。1939年はノモンハン事件が起きた年です。ゾルゲ事件の国際諜報団の一人、ブーケリッチがアヴァス通信(現AFP通信)記者としてこのノモンハンを取材しています。また、1939年は第2次世界大戦が始まった年でもあり、世界中で軍部が台頭し、きな臭い時代です。撮影当時は、そんな時代背景がありました。

 原作は、「青い山脈」で知られる石坂洋次郎で、同名の小説は同じ1939年に発表されていますから、凄い速さです。石坂は当時からベストセラー作家だったのでしょう。それにしても同じ年に映画化するなんて、映画監督も原作に飢えていたんですね(笑)。成瀬作品の中で、「まごころ」はあまり知られていませんが、1930年代のベストワンになるぐらいですから、確かに本当に良い作品でした。

 日本では既に、1937年から支那事変(日中戦争)が始まっており、映画は、何処か地方の駅舎の前の広場で(甲府駅らしい)、「大日本愛国婦人会」の白いタスキを掛けた主婦たちが大勢集まって、何か打ち合わせをしている場面から始まります。「大日本愛国婦人会」といっても、今では誰一人も関心を持つ人はいませんが、かつて、この団体に異様に興味を持っていた方がおり、色々と教えてもらったことがあったので、私なんか注視してしまいました。

 「銃後の守り」とも言うべき婦人会は、ざっくり言って3団体あり、第1がこの「愛国婦人会」(1901年設立)で内務省・厚生省系で、最盛期は約312万人。華族の参加も多かったようです。第2が「大日本連合婦人会」(1931年設立)で文部省の音頭取り。第3の「大日本国防婦人会」(1932年発足)は、陸軍省、海軍省の肝いりで、最盛期は905万人以上も参加しました。この3団体は1942年に国家総力戦体制ということで、「大日本婦人会」の一つに統合され、終戦まで続きます。

 映画の話から少し外れた感じですが、とにかく、この大日本愛国婦人会のリーダーが浅田夫人(村瀬幸子)で、その娘の小学校高学年らしき信子(悦ちゃん)が学期が終わり、成績が10番に落ち、代わって、信子の親友の長谷山富子(加藤照子)が1番になったという話から物語は展開します。

 子どもが主役なので、子供映画のようですが、なかなか奥が深い(二人とも演技がうまい)。浅田夫人の夫は銀行役員の敬吉(高田稔)ですが、どうやら、将来、婿養子になる条件で、学生時代に学費を払ってもらっていたらしい。夫婦関係は醒めています。

 ところが、敬吉には若い頃に好きな相手がいて、それが今は富子の母親の蔦子(入江たか子)。二人は当然、結婚できず、蔦子はある男に嫁ぎましたが、飲んだくれの甲斐性なしで、早くに亡くなり、蔦子は針仕事で家計を支え、富子を育てています。

 富子と信子は親友なので、夏休みに、川で遊んでいるうちに、信子が足を怪我してしまいます。そんな偶然の機会に蔦子と敬吉が久しぶりに再会し、噂を聞いた浅田夫人は嫉妬で怒り狂います。しかし、すぐ誤解は解け、ちょうど召集令状が敬吉のもとにも来ていて、最後は、敬吉の出征場面で終わります(恐らく中国大陸へ)…と大体の荒筋を書いてしまいましたが、80年以上昔の映画だからいいでしょう、と勝手な解釈で、悪びれた様子は見せません(笑)。ご興味のある方は御覧になってください。

 蔦子役の入江たか子(1911~95)は、前回も書きましたが華族出身の美人女優で当時の大スター。敬吉役の高田稔(1899~1977)も、当時の二枚目スターだったらしく、確かに凛々しくて、惚れ惚れするぐらい格好良い俳優です。この人、戦後になっても長らく俳優生活を続けていて、テレビの「ウルトラQ」や「ウルトラマン」まで出ていたんですね。全く知りませんでした。

 もう一つ、第3位の「鶴八鶴次郎」(東宝東京、1938年)も観ましたが、これも大傑作。長谷川一夫と山田五十鈴の二大スターの共演ですが、二人とも実に若いこと。長谷川一夫は、勝新太郎にそっくりですし、山田五十鈴は年配になってしか知らなかったので、こんな品のある美人さんだったとは…(失敬)。原作は川口松太郎の同名小説(1934年)で、第1回直木賞受賞作品なので、私も原作は読んでいましたが、こんな話だったけ?と自分の記憶力のなさにがっかりしてしまいました(笑)。

 番頭の佐平役の藤原釜足もいい味出してましたが、やはり、二大スターの魅力を存分に引き出した成瀬監督の手腕には感服しました。

ブラームス交響曲第1番から原節子まで

 上の写真は、すべてブラームスの「交響曲第1番」です。カラヤン、バースタインからトスカニーニ、ブルーノ・ワルター、小澤征爾まであります。クラシックの中で、この曲だけは特別に好きなのです。「あ、この音とは違う」「この音じゃない」と、一度、FM放送か何かで聴いたことがある「失われた音を求めて」色んな指揮者の演奏CDを集めたらこんなになりましたが、まだまだあることでしょう。

 ブラームスの交響曲第1番ハ短調は、皆さまご案内の通り、恩師シューマンの「マンフレッド序曲」を聴いて感激した1855年に着手し、21年もの長きの歳月を経て、1876年にやっと完成した作品です。22歳の若者が43歳の中年になっていました(ブラームスは64歳で死去)。何でこの曲が好きなのかは、最初の重苦しいテーマが、ゆっくりとだんだんと高まっていき、最終楽章では、ついに「生の躍動 elan vital」を感じさせてくれるからです。我慢して最後まで聴いた価値があるわけです(笑)。クラシックを聴いて、あまり涙を流したりしませんが、この曲とワーグナーの「マインスタージンガー序曲」だけは別格ですね。感情が高まりカタルシスを感じます。

 ということで、私は、ブラームスの1番を聴きながら、ブログを書いています。昨日なんかも書くのに4時間は掛かりましたからね。4時間も、5時間もかけて書いたブログにあまり反応がないのに、20分~30分でさっと書いたブログに注目されたりすると、「あれま」とガクっときます。だって、人間なんだもん。

 この1カ月ばかしは、立花隆著「天皇と東大」(文春文庫)ばかり読み、昨日でやっと完読したことを書きましたが、その間、浮気して月刊文藝春秋も読んでいました。

 さすがに日本で最も売れている雑誌とあって目の付け所が大衆誘導的です。私も洗脳されて買ってしまいました。ざっと主な記事を読みましたが、どうせ忘れてしまうので、備忘録をー。

・巻頭のノーベル賞学者山中伸弥教授と橋下弁護士(呑み友達らしい)との対談「ウイルス vs 日本人」ー。山中教授の仮説では、日本人は欧米人より感染による死者が少ないことから、日本人には「ファクターX」なるものがあるのではないか。それは、日本人は、マスクや入浴など清潔意識が高く、ハグや握手、大声で話すことが欧米人より少ないこと、そしてBCGワクチンにも相関関係あるかもしれないこと等々…。あくまでも仮説なので、楽観視できませんが。

・奥村康・順天堂大医学部免疫学特任教授の「最後は『集団免疫』しかない」は、刺激的、絶望的な論説ではありましたが、最も説得力がありました。直視しなければならないことは、ウイルスは消えたり無くなったりしないということです。共生するしかない。でも、発症しても軽症で済む人や症状が出ない人も大勢いるので、彼らに免疫ができ、免疫を持つ人が一定の割合を占めた時にウイルスの流行は収束に向かう、という話です。そして、軽症で済ますには、個人の免疫力を高めることが大事で、それには(1)不規則な生活(2)激しい運動(3)精神的ストレスーを避けることが最も肝心だといいます。やはり、一番参考になりました。

・村中璃子医師「WHOはなぜ中国の味方なのか」-WHOのテドロス事務局長が「中国寄り」との批判が多いが、テドロス氏はエジプトの保健相、外務相を経て、WHO事務局長選挙で、中国によるプッシュで当選した人。エチオピアは2019年、国全体の直接投資額の60%も中国に頼っている。だから、テドロスさんは中国寄りになっているーという話。あれ?この話は新聞でも報道されていて皆知っている話。村中医師はWHOで勤務した経験があるらしいので、もっと奥深い裏情報を知りたかったので残念。

・峯村健司・朝日新聞編集委員「CIAと武漢病毒研究所の暗躍」は、米中コロナ戦争の内幕を描いたルポ。でも、何で、朝日新聞を蛇蝎の如く嫌って、機会があれば貶めようとしている文藝春秋が朝日の記者やOB(船橋洋一)を採用するのかしら。文春記者でもこれぐらい書けるはず。もしかして、朝日と文春は、表向き「敵対関係」を装っておきながら、テーブルの下ではちゃっかり握手して相互利益を図っているのかしら?

・芝山幹郎×石井妙子対談「『原節子』生誕100年 映画ベスト10」-。1963年に42歳で引退して本名の會田昌江に戻り、2015年に95歳で亡くなった大女優を振り返っています(52年間も隠遁していたとは!)。この人、テレビも舞台にも出ず、映画一筋の女優だったんですね。原節子といえば、小津安二郎の「東京物語」や「麦秋」が代表作かと思っていました(小津の「晩春」「麦秋」「東京物語」で演じる原節子の役は全て紀子なので「紀子三部作」という)が、戦時下では「ハワイ・マレー沖海戦」(1942年、山本嘉次郎)、「熱風」(1943年、山本薩夫)など結構出ていたんですね。小生、観ていません。戦後直後の黒澤明の「わが青春に悔なし」(1946年)は観てますが、これはあの京大・滝川事件をモデルにしたものでした。何とタイムリーな(笑)。私は(世界の溝口健二から「成瀬君のシャシンはうまいことはうまいが、キン〇〇が有りませんね」と批判された)成瀬巳喜男のファンですから「めし」(1951年)と「山の音」(1954年)は是非観たい。いつか、神保町に行って、成瀬巳喜男のDVDが売っていたら購入するつもりです。

 ※文中敬称略あり。

「銀座化粧」で失われた場所を求めて

さきたま古墳群の秋桜

予告通り、成瀬巳喜男監督作品「銀座化粧」を見ました。またまた昭和26年公開。成瀬巳喜男は、この年、あの林芙美子原作の「めし」(原節子、上原謙主演)も撮ってます。

昭和26年ですから、まだ占領下の銀座が舞台になっています。私が見てみたかった三間堀、三原橋の、あの許斐氏利がつくった「東京温泉」も、まだ営業前の建築中として映っていました。

パブ(宣伝)として、許斐氏利がこの映画に出資したのかもしれません。白黒なので分かりませんが、白亜の立派なビルでした。「ボクシングと大東亜」の中では、義理堅い許斐が上階を麻雀荘として無料で貸し出していたと書かれていましたね。

当時の大スターで、演技派の田中絹代主演の映画でした。銀座のバー「ベラミ」の女給で、5歳の男の子のシングルマザーという設定でしたが、当時満41歳ぐらいですから、やはり、少し…という感じでした。当時、19歳か20歳の香川京子と比べてしまうと致し方ないといった感じでした。

昭和25年頃の銀座の風景写真は、歴史的価値があることでしょう。室内のシーンが多く、ロケが少ないので、街頭風景はあまり多く映っていませんでしたが、路面電車が走り、男はソフト帽を被り、女性はまだ和服姿が多かったですね。

この映画の三原橋、「君の名は」の数寄屋橋のように、かつて銀座は川と橋ばかりでしたが、今では殆ど全て埋め立てられて、当時の面影すら残っていません。

今では外資系のブランド・ショップが乱立する銀座ですが、昭和39年の東京五輪前までは、まだ木造の仕舞屋が多く、庶民も暮らしていたことが分かります。

田中絹代扮する雪子と5歳の春雄が暮らす長屋も、新富町辺りの長唄の師匠さんの二階でした。
今は跡形もないことでしょう。失われた場所を求めて…といった感じでした。

「めし」「浪華悲歌」「ボクシングと大東亜」

ワニノ公民館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

いつもながら、どなた様か分かりませんが、コメント有難う御座いました。

昨日は、すっかり調子に乗って、ネットにはなかった成瀬巳喜男監督作品「めし」をDVDで観てしまいました。昭和26年度公開。まだ、米軍による占領時代(昭和20年8月15日~昭和27年4月28日)だったんですね。林芙美子の未完の遺作の映画化で、今後「晩菊」(昭和29年)、「浮雲」(昭和30年)、「放浪記」(昭和37年)など成瀬の代表作となる「林ー成瀬」コンビの第1弾です。

結婚5年目で子供がなく倦怠期を迎えた夫婦を上原謙と原節子が好演しています。終戦直後の大阪が舞台ですが、二人とも東京出身で大阪に転勤してきたという設定です。上原扮する主人公は真面目な北浜の証券マンです。(上原謙は、森雅之ばりに知性派俳優ぶりを全面的に押し出しております)そこへ彼の姪っ子が東京から家出して来て、一騒動になるという話でした。

昭和26年というまだ物資がない時代に、さすがに女優陣は当時最先端のファッションで身を包んでいるので映画だなあ、と思いました。やはり、言葉遣いが丁寧なので、観ていて感服します。成瀬は、台詞に関しては、削りに削っていたそうですから、無駄がありません。

夜は、またネットで、溝口健二監督作品「浪華悲歌」を観てしまいました。昭和11年公開ですから、何と「2・26事件」が起きた年ではないですか!

山田五十鈴主演です。さすが、画面は劣化してぼんやりしている場面がありますが、アップになるととても80年も昔の映画とは思えないぐらい鮮明に映っていました。

山田五十鈴が「不良少女」アヤ子役というのですから、時代を感じさせます。30歳ぐらいに見えましたが、当時、実年齢18歳か19歳の本当に少女だったんですね。

主人公アヤ子の父である準造(竹川誠一)は、事業に失敗して酒浸りになっていた溝口の父善太郎がモデル とされているそうです。映画の中では、アヤ子は父親の300円の借金を返済しようと、男を手玉に取る「不良少女」になり、最後は家族にも見離されて、大阪の街を一人彷徨う寂しい場面で終わります。

俳優さんの顔と名前が一致しないのが残念です。社長さん役の人は、婿養子で奥さんに頭が上がらないという設定ながら、アヤ子と愛人契約したりしますが、なかなか味がありました。また、医者役をやっていた俳優さんの名前も分かりませんが、随分太っていて、昭和11年という時代にああいう体格の人もいたのかという驚きです。

評論家の山本夏彦は「戦前は決して暗い時代ではなかった」と著書の中で繰り替えし書いていましたが、既に、デパートがあって、地下鉄があって、キャバレーもあって、株取引もあって、歓楽街で楽しむ大衆も描かれていたので、少し分かったような気がしました。

 ワニノ公民館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

博多の曇卓先生のお勧めで、乗松優著「ボクシングと大東亜」(忘羊社)を読んでいます。

内容と目の付け所が大変いいのですが、大学の紀要を読まされている感じで少し読みにくく、市販書としてなら、残念だなあ、という感想です。

最初に「凡例」を書いて、「読み方の手引き」でも書いておけば、いいのですが、読みずらかったと言わざるを得ません。

例えば、98ページにはこう書かれています。

「…初期のテレビ放送は成功しただだろうか。
佐野[二〇〇〇a]は、日本初の民放テレビ放送の幕開けを、警察官僚から不屈の転身を遂げた正力の事業欲や権勢欲と重ね合わせながら描きだしている。…」

という具合ですが、何ですか?この急に現れる「佐野[二〇〇〇a]」は!!!?

私のような近現代史関係を中心に乱読している者なら、少し考えて、「もしかして、佐野眞一氏の『巨怪伝』を引用しているのかもしれない」と、ピンときます。しかし、「巨怪伝」は1994年に初版が発行されたので、この2000とは何か?

そして、後ろの「参考文献」欄を見ると、2000年に発行された同書の文庫版からの引用だということを著者は、言いたかったようです。

私は博士論文を書いたことはありませんが、引用文献として、時代を経て文庫版になった年号を書くものですかね?いずれにせよ、「凡例」がないので、実に不親切です。

それとも、著者はまだ若いので、読者がそこまで要求するのは酷なのでしょうか?

 ワニノ港 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

最初に「目の付け所と内容はいい」と激賞したので、少し引用します。

・かつてボクシング界には、嘉納健治(神戸富永組)をはじめ、阿部重作(住吉一家)、山口登(山口組)、藤田卯一郎(関根組)などの大親分が関わっていた。中でも、日本ボクシング創世記から興行の世界に足を踏み入れていた嘉納健治は「菊正宗」で知られる造り酒屋の生まれであった。一族の中には近代柔道の祖、嘉納治五郎がおり、嘉納家は神戸でも名門中の名門の家柄で知られる。(83ページ)

【追記】ひょっえーです。菊正宗は、渓流斎の愛飲の酒ですが、嘉納治五郎と関係があったとは不覚にも知りませんでした。渓流斎の呑む菊正宗は、日比谷「帝国ホテル」か、麻布「野田岩」か、銀座「酒の穴」に限ります。せんべろ居酒屋で出される「菊正宗」は似て非なるモノと心得よ。

・後楽園スタヂアムを取り仕切り、日本ボクシング・コミッションの初代コミッショナーに就任したのが田辺宗英。彼は戦前、玄洋社の頭山満を敬慕し、孫文を援助した黒龍会の内田良平や大陸浪人として知られる宮崎滔天らと知り合い、勤皇報国の思想を強めた。1931年(昭和6年)、銀座尾張町の四つ角に「キリン・ビヤホール」を開店。1933年(昭和8年)には西銀座に高級喫茶「銀座茶屋」を、1935年(昭和10年)には5階建ての食堂娯楽デパート「京王パラダイス」などを開き、実業家としての成功を収めていた。(p107~110)

【追記】銀座尾張町というのは、今の銀座四丁目交差点辺りです。最近、日産ショールームがあったビルが「銀座プレイス」として新装オープンしましたが、地下に銀座ライオン(つまりサッポロビール)のビアホールができました(まだ、行ってません)。田辺宗英の「キリン・ビアホール」と関係があるのかどうか?(確か、サッポロは三井系、キリンは三菱系、アサヒは住友系だったと思います)
また、この本では、あの牧久さんの書いた「許斐氏利」伝を引用して、銀座の東京温泉は、成瀬巳喜男監督作品「銀座化粧」(1951年)のロケで利用された、と書かれてあったので、早速この映画もネットで観てみようかと思ってます。

ビートルズ、ジェイソン・ボーン、成瀬巳喜男「旅役者」

哈爾賓西駅待合室  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

◆過去1週間の閲覧数・訪問者数ランキングです。

《日付》     《閲覧数》 《訪問者数》 《ランキング》
2016.10.14(金)  613PV   327IP     2358位   /261万4333ブログ
2016.10.13(木)  315PV   149IP     8159位   /261万3783ブログ
2016.10.12(水)  371PV   183IP     6214位   /261万3252ブログ
2016.10.11(火)  450PV   183IP     7152位   /261万2690ブログ
2016.10.10(月)  449PV   167IP     1万109位  /261万2194ブログ
2016.10.09(日)  458PV   176IP     6513位   /261万1669ブログ
2016.10.08(土)  287PV   117IP     1万695位  /261万1173ブログ

昨日はついに2000位台にランキングされました!

消滅した「幻のブログ」は、過去800位台の3桁をマークしたことがあるので、もうすぐです(笑)。

でも、昨日は「ボブ・ディラン」という大物を見出しに取ったので、全く見ず知らずの「通りすがり」の方がアクセスしただけでしょう。

精進を重ねて、奉仕活動を続けて参りたいと存じまする。(真面目過ぎる!)

 哈爾濱西駅 和諧号  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

渓流斎は映画好きで知られていますが、毎回見た映画を全て、このブログに取り上げているわけではありません。

例えば、ビートルズの46年ぶり公開映画「エイト・デイズ・ア・ウイーク」は、イタリア旅行から帰ってからすぐに見ました。この映画は、ビートルズがデビューした1962年からライブ公演をやめてしまう1966年8月29日の米サンフランシスコ・キャンドルスティック・パークでの最期のコンサートまでを追ったドキュメンタリーです。

私はビートルズ・フリークですから、あと2,3回は見る予定をしていますが、ちょっと、「第5のビートルズ」と言われたプロデューサーの故ジョージ・マーチンの息子のジャイルが音声の担当になっているようですが、ちょっと、いじり過ぎだと思いました。

つまり、ビートルズのライヴとして最も有名な1965年8月の米ニューヨークの「シェイ・スタジアム」公演をおまけで最後に上映してくれますが、ヴォーカルの音声が聴き取れなかったせいで、ヴォーカルの音をダビングするのは致し方ないにしても、演奏さえしていないギターの音を、恐らく他のライヴからかぶせて音をクリアにしているので、興ざめしてしまいました。あれは、違反じゃないかな…。

この映画について、若い音楽評論家が「ファンの熱狂があれほど凄いとは思わなかった」とラジオで感想を述べていましたが、「かわいそうに、何も知らないんだなあ」と哀れに思ってしまいました。(堂々と評論家を名乗っているので)。若いので無理もありませんね。ビートルズが演奏活動をやめたのは1966年、ちょうど半世紀も昔で、当時を知っている人は、今頃はもう還暦を過ぎてしまっているのですからね。

もう一つ、先週はシリーズもので9年ぶりに復活した「ジェイソン・ボーン」を観ておりました。これは、前作も前々作もシリーズ全て見ているので、愉しみにしていたのですが、今回は駄作で点数の付けようもありませんでした。

ただただ只管、拳での殴り合いとピストルでの殺し合い。そして、カーアクションと称する車の凄まじい破壊活動。筋もへったくれもあったもんじゃないです。

第一、CIA長官を殺害して何ともないという話も面妖。マット・デイモン扮するジェイソン・ボーンが何処にいようがコンピューターで突き止められるというのも陳腐で、大人の鑑賞に堪えられませんでした。

やはり、ハリウッド映画は、おこちゃま向けなんですかね?

 海の向こうは樺太  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

昨夜は、本棚の奥から、「日本映画ベスト200」(角川文庫)が出てきてしばらく熱中してしまいました。1990年初版発行なので、もう26年も昔の本。映画人・著名人1000人のアンケートによる「わが青春の1本」を集計したものです。戦前の映画も挙げられていますが、その映画人・著名人は今では他界してしまった人ばかりです。時代を感じる本でした。

ベスト200作品の監督の上位は、黒澤明(「七人の侍」「生きる」など)と小津安二郎(「東京物語」「晩春」など)の二人が独占している感じでした。この二人を追うようにして健闘していたのが溝口健二(「雨月物語」「西鶴一代女」など)。以下、木下恵介(「二十四の瞳」「野菊の如き君なりき」など)、今井正(「また逢う日まで」「青い山脈」など)、今村昌平(「復讐するは我にあり」「黒い雨」など)が続き、私の好きな成瀬巳喜男(「浮雲」「流れる」など)は第10位でした。

(この成瀬監督について、溝口監督は「あの人のシャシンはうまいことはうまいが、いつも○○○○が有りませんね」と断定していたらしいので、椅子から落ちてしまうほど、ずっこけてしまいました=笑)

日本映画が黄金時代でカンヌやヴェネチアなどの国際映画祭で、数々の賞を受賞していたのが昭和20年代後半から30年代です。特に、黒澤・小津・溝口・成瀬は「四代巨匠」として名を馳せましたが、今見ても面白いですね。くだらないハリウッド映画を観る時間があれば、まだ見ていない彼らの映画を観てみたいと思いました。

そしたら、今はとてもいい時代になりました。ユーチューブで、著作権の切れた彼らの戦前の作品などが無料で観られるのです。

昨晩は、成瀬巳喜男監督の昭和15年の作品「旅役者」(藤原鶏太=釜足=主演)を観てしまいました。ある田舎町に「六代目菊五郎」が巡業に来るというので、山っ気のある床屋が興行師に投資したところ、「六代目菊五郎」は尾上でなく、中村菊五郎を名乗るドサ周りの田舎芝居の一座で、騙されたという話。主役の藤原鶏太は、一座で「馬の脚」役という設定で、ドタバタ喜劇といいますか、ドタバタ悲劇といった風合いで、ついiPhoneの狭い液晶画面なのに、1時間15分の映画を全部観てしまいました(笑)。

何と言っても、支那事変が始まっているとはいえ、太平洋戦争前夜の昭和15年。皇紀2600年。戦闘機「零線」がつくられた年に、こんな映画が公開されていたとは! 当時から、役者と言えば、「六代目」の名前が全国津々浦々に鳴り響いていたことが分かります。

76年前の映画なのに、画像が実に鮮明で、台詞がきれいですね。ヤクザ言葉でさえ、妙に格調があり、当時の日本人がこんな言葉遣いしていると思うと非常に感心してしまいました。(それに比べて、21世紀の現代若者は「disる」とか訳の分からない汚い言葉のオンパレードです)

ユーチューブで、日本の巨匠の映画鑑賞はお勧めですよ。