さきたま古墳群の秋桜
予告通り、成瀬巳喜男監督作品「銀座化粧」を見ました。またまた昭和26年公開。成瀬巳喜男は、この年、あの林芙美子原作の「めし」(原節子、上原謙主演)も撮ってます。
昭和26年ですから、まだ占領下の銀座が舞台になっています。私が見てみたかった三間堀、三原橋の、あの許斐氏利がつくった「東京温泉」も、まだ営業前の建築中として映っていました。
パブ(宣伝)として、許斐氏利がこの映画に出資したのかもしれません。白黒なので分かりませんが、白亜の立派なビルでした。「ボクシングと大東亜」の中では、義理堅い許斐が上階を麻雀荘として無料で貸し出していたと書かれていましたね。
当時の大スターで、演技派の田中絹代主演の映画でした。銀座のバー「ベラミ」の女給で、5歳の男の子のシングルマザーという設定でしたが、当時満41歳ぐらいですから、やはり、少し…という感じでした。当時、19歳か20歳の香川京子と比べてしまうと致し方ないといった感じでした。
昭和25年頃の銀座の風景写真は、歴史的価値があることでしょう。室内のシーンが多く、ロケが少ないので、街頭風景はあまり多く映っていませんでしたが、路面電車が走り、男はソフト帽を被り、女性はまだ和服姿が多かったですね。
この映画の三原橋、「君の名は」の数寄屋橋のように、かつて銀座は川と橋ばかりでしたが、今では殆ど全て埋め立てられて、当時の面影すら残っていません。
今では外資系のブランド・ショップが乱立する銀座ですが、昭和39年の東京五輪前までは、まだ木造の仕舞屋が多く、庶民も暮らしていたことが分かります。
田中絹代扮する雪子と5歳の春雄が暮らす長屋も、新富町辺りの長唄の師匠さんの二階でした。
今は跡形もないことでしょう。失われた場所を求めて…といった感じでした。
Unknown
映画は、社会風俗を残す、貴重な民俗資料です。「銀座」の変遷も、映画のさりげないシーンで「ああ、こうだった!」と当時の出来事が蘇ります。戦前になるともっと希少、貴重な映像資料です。昭和30年代の東宝の森繁の”社長シリーズ”や植木等の”無責任男シリーズ”で、出て来る、都心のビル街は、もはや夢、幻です。無責任男の植木等が勤めていた「会社」は、永代通りの「大和証券」本社ビルでしたが、今は、もう影も形もありません。それにかわって、そのビル跡には、植木で覆った奇妙なビルが出現しています。ご存知ですか。”時代の寵児”とマスコミが持て囃している会社です。20年後には、残っていないでしょう( ´艸`)。