何度も戦場になったウクライナの悲劇=山崎雅弘著「第二次世界大戦秘史」を読んで

 もう半年近く、山崎雅弘著「第二次世界大戦秘史」(朝日新聞出版)を少しずつ読んでいます。正直、一気にバーと読めないのです。書かれている内容があまりにも重すぎて前に進めなくなったりするからです。戦死者やシベリア流刑者らの数字だけはボンボン出て来ますが、そんな数字でも、れっきとした生身の人間で、理不尽な死に方をされた人ばかりですから、彼らの怨嗟と怨霊が見え隠れして、やり切れなくなります。

 副題に「周辺国から解く独ソ英仏の知られざる暗躍」とあります。我々は、第二次世界大戦について、歴史の教科書に載ってはいても、授業はそこまで進まず終わってしまいます。となると、自分で勉強するしかありません。それでも、大抵の第二次世界大戦史は、独、ソ、英、仏、米が中心で主役の書き方になっていて、彼らによって苦しめられたポーランド(犠牲者520万人)やチェコ、ハンガリーやフィンランドやノルウエー、バルト三国などについて詳述された歴史書は多くはありません。その点、この本は、画期的な本として学ぶべきことが沢山あります。

 初版は2022年2月28日になっていますから、著者は、当然のことながら、同年2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻については知らずに出版しました。それでも、まるで「予言」するかのように、本書ではウクライナの悲劇の歴史にも触れています。

  私自身の個人的な大胆な感想ではありますが、ヨーロッパは地続きですから、欧州諸国は、絶えず戦争をして領地を獲得し、戦争の度に国境が変わってきた歴史だったと言えます。弱肉強食で強力な国家しか生き残れないという歴史です。21世紀にもなって、何でロシアがウクライナに侵攻したのか理解できませんでしたが、プーチン大統領は、過去の歴史の顰に倣っただけで、彼は、戦争で勝てばいくらでも領地は分捕ることが出来て、国境なんかすぐ変更できると思っているのではないでしょうか。

 ウクライナは、大雑把に言えば、12世紀から14世紀にかけて栄えたキエフ公国に遡ることができます。ウクライナは20世紀になってソ連邦に組み込まれ、ロシアとの結びつきだけが強いイメージがありますが、一時は、後から出来たモスクワ公国より勢力が大きかった時期もありました。それが弱体化して、外国勢力に組み込まれます。14~15世紀は、リトアニア大公国の領土となります。リトアニアといえば、ソ連邦に組み込まれたバルト三国の一つで、小国のイメージがありましたが、その当時は、同じカトリック教徒が多いポーランド王国と結びついて領土拡大し、今のベラルーシやロシア西部まで勢力圏に含んでいたといいます。

五島列島 Copyright par Tamano Y

 リトアニアで驚いていたら、第二次世界大戦中は、一時期、ウクライナ南部はルーマニアの領土になっていたこともあったのです。ナチス・ドイツと結びついたルーマニア軍は1941年7月1日にウクライナ領などに侵攻し、10月にはオデーサ(オデッサ)が陥落。ルーマニア政府はヒトラーの承認を得て、オデーサをアントネスク市に改名するのです。親ナチ派のイオン・アントネスク大将の名前から取ったものです。ルーマニアは、同市を含むウクライナ南西一帯を「トランスニストリア」と称して自国領に編入します。

 1941年6月22日、ドイツはソ連との不可侵条約を一方的に破棄して、ソ連への軍事侵攻を開始します(バルバロッサ作戦)。この時、ソ連領であるウクライナも戦場になりました。キーウ(キエフ)もハルキウ(ハリコフ)も被害を受けます。語弊を恐れずに言えば、ウクライナが戦場になったのは、ロシア軍による侵攻という今に始まったわけではなかったんですね。先の大戦でも、中世でも多くの血が流されていたということです。

 ウクライナは肥沃な穀倉地帯ですから、敵国としては戦略として欠かせない領土だったのでしょう。

 繰り返すようですが、欧州は陸続きで、色んな民族が群雄割拠していますから、戦争によって、領土を拡大し、国境を変更していくことは特別ではなく、日常茶飯事だったことがこの本を読んで分かりました。

 歴史は学ばなければいけませんね。

ホモ・サピエンスが繁栄したのは「集団脳」のお蔭=ネアンデルタール人は何故滅亡したのか?

 2月24日のロシア軍による残虐で想像を超えた凄惨なウクライナ侵攻以来、人類の歴史に関してはすっかり興醒めしてしまいましたが、それではいけませんね。逆にもっと人類に関して勉強して知識を増やさなければいけません。

 そんな時、タイムリーな番組が放送されました。NHKスペシャル「ヒューマン・エイジ 人間の時代 プロローグ さらなる繁栄か破滅か」です。再放送も予定され、今後数年間に渡ってシリーズ化されるようです。「火星進出まで実現する技術を生み出す一方、戦争や環境破壊で地球の未来をも危うくしている人間。その先にあるのはさらなる繁栄か?破滅か? MC鈴木亮平と壮大な謎に迫る!」といった内容です。俳優の鈴木さんは、東京外語大英米語科卒で英語はペラペラ。インテリ俳優さんです。司会進行もしっかりしていました。

 今回、私が注目したのは、同じヒト属でありながら、現生人類であるホモ・サピエンスは生き残って繁栄したのに、何故、ネアンデルタール人は滅亡したのか?ということでした。30万年前に誕生したホモ・サピエンスは今や、火星移住まで目指す技術革新を遂げています。その一方で、ネアンデルタール人は4万年前に滅亡してしまいます。

 これについて、米ハーバード大学人類進化生物学のジョセフ・ヘンリック教授が「集団脳がヒトを動物より賢くさせた」という説を唱え、非常に納得しました。ヘンリック教授は世界各国の狩猟、漁猟民族を訪ねて、その集団の大きさ(人口)を観察し、人が多ければ多いほど、狩猟や漁労の道具が増えていることに注目します。

 ネアンデルタール人は数人の家族という小規模な集団で生活していました。一方のホモ・サピエンスは150人ぐらいの集団で暮らしていたといいます。小集団のネアンデルタール人は、道具も親から子、そして孫に伝わる過程でほとんど改良せず、同じ道具のままなのに、ホモ・サピエンスの場合は、「集団脳」が働き、技術革新され、さまざまな道具が生み出されてきたというのです。

 ヘンリック教授は「個人が賢いわけでもなく、一握りの偉大な天才のお蔭でもない。何世代にも渡って技術が累積するから高度な技術革新が生まれる。そのためには大きな集団が不可欠。大きな集団によってコミュニケーション技術も発達し、集団脳も働く」といった趣旨の発言をしていました。天才でもない煩悩凡夫の私は特に納得してしまったわけです。

 火星に行くロケットも、1980年代に発明された3Dプリンターがインターネット時代になってパテントが解禁され、世界各国からの「集団脳」が集積して飛躍的に技術的に進歩し、それによって、火星ロケットに相応しい軽量で部品が少ないエンジンが開発されていったというのです。

 番組では、人類の歴史上、過去250以上の文明が滅亡したので、その原因の分析と解明をするプロジェクトを進めていくとしています。滅亡した文明の中には、世界最古のシュメール(文字や戦車を発明)文明やローマ帝国、マヤ、アステカ文明などが含まれます。あれだけの栄華を誇った文明も必ず滅びるとしたら、現代の欧米やウクライナ侵攻しているロシアもいずれ滅亡するということなのかもしれません。

 自己中で強欲傲慢な人間嫌いになっても、結局、人類への関心は捨てられません。

誰かウクライナ戦争を止める人はいないのか?

 私が子どもの頃、「サイゴン」だの「ダナン」だの「トンキン湾」だの、そして「ソンミ」といった、見たことも行ったことも聞いたこともない異国の地名を耳から自然と覚えてしまったものでした。

 ラジオやテレビで盛んにヴェトナム戦争を報道していたからでした。特に1968年3月16日、米軍兵により虐殺事件があったソンミ村は脳の奥深くに刻まれました。

 同じように、今の子どもたちは、「マリウポリ」や「ブチャ」「ボロジャンカ」というウクライナの地名が脳裏に刻まれることでしょう。

 そこでは民間人への非人道的な鬼畜が犯す大量殺戮と虐殺がロシア軍によって意図的に行われました。プーチン大統領は「下品でシニカルな挑発行為だ」などと頬かむりしていますが、生存者の証言や米国の衛星放送の写真などから、明らかに残虐行為が行われたことは事実です。

築地「肉と酒 はじめ」ハンバーグ定食980円

 テレビでは、無残にも殺害されたウクライナの一般市民の遺体が、分からないように「加工」されて放送されていますが、1960年代、70年代のヴェトナム戦争では、かなり衝撃的な残酷な写真や映像が子どもでも見られたものでした。当時はプレスコードが甘かったからかもしれません。

 南ヴェトナム政府軍の男が、若い男性を「スパイ」と決めつけて、群衆の前でピストルで「処刑」したり、地雷を踏んだと思われる「ベトコン」のバラバラになった遺体を米軍兵が持ち上げて見せたり、殺害したベトコン兵士を脚に紐を付けて戦車で引きずっていたり、とても正視に耐えないものばかりでしたが、それによって戦争のおぞましさと悲惨さが伝わってきました。

築地「和み」ランチ寿司1300円

 勿論、ウクライナの残虐写真を公開するべきだなどと言うつもりは全くありません。今はネット社会ですから、その気になれば見ることができます。下半身だけが裸にされた不自然な女性の遺体もありました。ロシア兵による、そのあまりにも残虐な行為が想像できます。殺害された彼女たちは、さぞかし、辛く、酷く屈辱的な地獄の苦しみを強いられたことでしょう。

 何よりも、悲しみより憎悪が沸き起こってきます。しかし、憎悪の連鎖は避けなければなりませんが。

 平和な国々では、高価な寿司やステーキをたらふく食べ、ビールを飲みながら、プロ野球やサッカー、ゴルフなどを観戦して楽しんでいるというのに、ウクライナの惨状と悲劇はあまりにも不公正で不条理です。

 たった一匹の誇大妄想の霊長類のせいなのに、国際社会は何故止められないのでしょうか?

 戦争犯罪が認められれば、独裁者は裁判で絞首刑か毒殺刑が待っています。となると、自分だけは安全地帯に隠れて、自己保存意識だけは肥大した独裁者は「勝つ」まで戦争を続けることでしょう。「長期戦になるのではないか」という実に嫌な観測さえ流れています。

 もう、これ以上の犠牲者はこりごりです。

恵雅堂出版の中古本に100万円超の値が=「悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉」

 3月17日付の渓流斎ブログ「チャイコフスキーはもともとチャイカさんだったとは」を書いたところ、この記事にも登場する恵雅堂出版のM氏から早速、ではなくて、1週間近く経った忘れた頃にメールを頂きました(笑)。

 同出版社が運営する東京・高田馬場のロシア料理店「チャイカ」は、ロシアによるウクライナ侵攻にも関わらず、嫌がらせを受けることなく、頑張って順調に営業成績を伸ばしている、とのことでした。これで一安心しました。

ハルビン学院 Copyright par Keigado-syuppan

 3月17日と同じことを書きますが、このお店は、恵雅堂出版を創業した麻田平蔵氏が、満洲(現中国東北部)ハルビンにあったロシア語専門の大学校「哈爾濱学院」出身ということで、学生時代に現地で食べたロシア料理が忘れられず、日本でもその味を再現しようと、1972年に開店したと聞いています。

この恵雅堂出版というのは、知る人ぞ知る出版社で、私も御縁のある出版社でした。ーということは何度もこのブログに書いたことがあるのですが、恐らく、私自身の手違いでそれらの記事は消滅してしまったと思われますので、くどいようですが、同じようなことをもう一度書きます。

 私と恵雅堂出版との御縁は、同社から上梓された陶山幾朗編著「内村剛介ロングインタビュー ―生き急ぎ、感じせくー 私の二十世紀 」(2008年7月1日初版)の感想文をこの渓流斎ブログに書いたことがきっかけでした。

 と思ったら、実はそれを遡る遥か昔から御縁があったのです。同社は1950年に恵雅堂として創業されました(確か、社名は創業者の麻田平蔵氏の奥さんとお嬢さんのお名前から取った)。今でこそ、多くのロシア関係の書籍を出版しておりますが、最初は写真家淵上白陽(1889~1960年)の写真集の出版と東京都内の学校の卒業アルバムを手掛けることから始められたようです(現在も)。というので、その話を聞いて、自宅の奥に眠っていた、もう40年近い昔の私の東京郊外の小学校と中学校の卒業アルバムを見てみたら、何と恵雅堂出版の製作だったのです(クレジットあり)。しかも、中学卒業アルバムの巻末には当時に起きた「世界の出来事」が付いており、そのニュース写真は時事通信社のものを使っていたのです。

 他にもこの出版社と私は色々なつながりがありましたが、長くなるので割愛します(笑)。でも、その度に、私は「不思議な御縁で繋がっているものだなあ」と思ったものです。

 昔話を割愛したのは、今回書きたかったことがあったからです。この恵雅堂出版から出版された「悲しみの収穫」という本が、何と、今や、ネット通販の中古市場で85万円以上の値が付いているというのです。検索してみたら、151万5151円の高額の値を付けた出品者もいました(3月23日現在)。

 この本は、副題に「ウクライナ大飢饉」とあるように、1932~33年、人工的にウクライナで発生させた飢饉によって400万人以上が死亡したといわれる「ホロドモール」のことが書かれているようです。

 この本の編集にも携わった恵雅堂出版のM氏によると、この本は2007年4月に、本体価格5000円で発行されたといいます。しかし、2013年には品切れとなり、重版も未定ということから、「希少価値」となり、今の「ウクライナ戦争」のご時世になって価格が急騰したとみられます。

 日本人の知的好奇心の旺盛さには称賛されるべきものがありますが、ちょっと価格が異常ですね。それに、版元の恵雅堂出版は既に手元から離れたわけですから、いくら中古市場で値が上がろうと、同社には一銭も入りませんからね。

 売上の一部がウクライナ支援の義援金に回ることを願うばかりです。

「日ソ情報戦とゾルゲ研究の新展開」=第41回諜報研究会を傍聴して

 3月19日(土)、第41回諜報研究会(NPOインテリジェンス研究所主催、早稲田大学20世紀メディア研究所共催)にオンラインで参加しました。テーマが「日ソ情報戦とゾルゲ研究の新展開―現在のロシア・ウクライナ侵略の背景分析の手がかりとして」ということで、大いに期待したのですが、こちらの機器のせいなのか、時折、画面が何度もフリーズして音声が聞き取れなかったり、チャットで質問しても届かなかったのか、無視、いや、見落としされたりして、途中で投げやりになって内容に集中できなくなり、ブログに書くのもやめようかなあ、と思ったぐらいでした(苦笑)。

 ZOOM会議はこれまで何度か参加したことがありますが、フリーズしたのは初めてです。まあ、気を取り直して感想文を書いてみたいと思います。

 お二人のロシア専門家が登壇されました。最初は、名越健郎拓殖大学教授で、タイトルは、「1941年のリヒャルト・ゾルゲ」でした。名越氏は、小生の大学と会社の先輩で、大学教授に華麗なる転身をされた方ですので、大変よく存じ上げております。…ので、御立派になられた。「でかしゃった、でかしゃった」(「伽羅先代萩」)といった気分です…。現在進行中のウクライナ戦争のおかげで、今やテレビや週刊誌に引っ張りだこです。モスクワ特派員としてならした方なので、他のコメンテーターと比べてかなり説得力ある分析をされています。

 ゾルゲ事件に関しては、私自身も、15年以上どっぷりつかって、50冊近くは関連書を読破したと思います(でも、恐らく500冊ぐらいは出ているのでほんのわずかです)。この渓流斎ブログにもゾルゲに関してはかなり書きなぐりました。が、残念なことに、それらのブログ記事は私自身の手違いでほぼ消滅してしまいました。ちょうど、元朝日新聞モスクワ支局長の白井久也氏と社会運動資料センター代表の渡部富哉氏が創設し、私もその幹事会に参加していたゾルゲ研究会の「日露歴史研究センター」も解散してしまい、最近では関心も薄れてきました。(決定的な理由は、ゾルゲ事件に関して、当初と考え方が変わったためです。)

 それが、名越教授によると、日本での関心低下に反比例するようにロシアではゾルゲの人気が高まっているというのです。本日のブログ記事の表紙写真にある通り、モスクワ北西にゾルゲ(という名称が付いた)駅(左上)ができたり、ウラジオストックにもゾルゲ像(右下)が建立されたりしたというのです。

 また、今や、バイデン米大統領から「人殺しの悪党」呼ばわりされているロシアのプーチン大統領は、2年前のタス通信とのインタビューで「高校生の時、ゾルゲみたいなスパイになりたかった」と告白しており、ロシア国内では愛国主義教育の一環としてゾルゲが大祖国戦争を救った英雄として教えられているようです。

 ロシア国内では、GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)公文書館や国防省中央公文書館などが情報公開したおかげで、ここ数年、ゾルゲ関係で新発見があり、多くの書籍が出版されています。その中の1冊、アンドレイ・フェシュン(NHKモスクワ支局の元助手で、名越氏も面識がある方だといいます!)編著「ゾルゲ事件資料集 1930~45」(電報、手紙、モスクワの指示など650本の文書公開)の中の1941年分を名越教授は目下翻訳中で、年内にもみすず書房から出版される予定だといいます(私の聞き間違えかもしれませんが)。ゾルゲは独紙特派員を装いながら、実は、赤軍のGRUから派遣されたスパイで、東京に8年滞在しましたが、ゾルゲの2大スクープといわれる「独ソ開戦予告」と「日本の南進に関する電報」は1941年のことで、名越教授が「それ以前は助走期間のようだった」と仰ったことには納得します。

 フェシュン氏の本の中で面白かったことは、「ゾルゲの会計報告」です。1940年11月の支出が4180円で、尾崎秀実に200円、宮城與徳に420円、川合貞吉に90円支払っていたといいます。当時の大学卒業初任給が70円といいますから、200円なら今の60万円ぐらいのようです。情報提供料で月額60万円は凄い(笑)。これで、尾崎は上野の「カフェ菊屋」(現「黒船亭」)など高級料理店に行けてたんですね(笑)。もっとも、モスクワ当局は、41年1月に「情報の質が低いので2000円に削減する」と通告してきたので、ゾルゲは「月3200円が必要」と反発したそうです。

 もう一つ、GRUはゾルゲ機関以外に5人の非合法工作員を東京に送り込んでおり、そのうちの一人、イリアダは在日独大使館で働く女性で、ウクライナ西部のリヴォフ(現在、戦争難民で溢れている)でスパイにスカウトされ、日本の上流階級にも溶け込んでいたといいます。

 在日独大使館のオットー大使と昵懇だったゾルゲとイリアダとは面識があったでしょうが、当然ながら、スパイ同士横の繋がりは御法度で、お互いに諜報員だとは知らなかったと思われます。GRUとは「犬猿の仲」だったロシアの保安機関NKVD(内務人民委員部)も非合法の工作員を送り込んでおり、その一人でコードネーム「エコノミスト」で知られる人物は、天羽英二外務次官ではないかという説がありますが、天羽は1930年、モスクワ赴任中、ハニートラップに掛かり、スパイを強要されたいう理由には、思わず、「あまりにも人間的な!」と思ってしまいました。

 続いて、登壇されたのは、富田武成蹊大学名誉教授で、テーマは「日ソ戦争におけるソ連の情報(諜報・防諜)活動」でした。

 大変勉強になるお話でしたが、読めないロシア語が沢山出て来た上、最初に書いた通り、ちょっといじけてしまったのと、加齢による疲れで、内容が頭に入って来なくなってしまい、申し訳ないことをしたものです。(オンラインは嫌いです)

 とにかく、ソ連・ロシアの組織はすぐ名称を変えてしまうので、あまりにも複雑で難し過ぎます。諜報機関なら、KGBならあまりにも有名で、それに統一してくれれば分かりやすいのですが、ソ連が崩壊してロシアになった今は、FSB(ロシア連邦保安庁 )というようです。と思ったら、FSBは防諜の方で、対外諜報はSVR(ロシア対外情報庁)なんですね。

 いずれにせよ、ゾルゲが活動したソ連時代、ゾルゲは赤軍情報機関のGRUに所属していました。赤軍情報機関の防諜本部の方はスメルシ(スパイに死を)と呼ばれ、満洲(現中国東北部)に工作員を送り込んで、早いうちから「戦犯リスト」を作成していたようです。(だから、8月9日にソ連が満洲に侵攻した際、スムーズに日本兵を捕獲してシベリアに送り込むことができたのです)。日本は当時、「対ソ静謐」政策(日ソ中立条約を結んだ同盟国として、諜報活動も何もしない弱腰外交。ヤルタ会談等の存在も知らず、大戦末期は近衛元首相を派遣して和平工作までソ連にお願いしようとしたオメデタさぶり!)を取っていましたから、その狡猾さは雲泥の差で、既に情報戦では、日本はソ連に大敗北していたわけです。

 富田氏によると、ソ連の諜報・防諜機関はほかに、警察組織も兼ねる内務省系の内務人民委員会(NKVD)と1943年までコミンテルンの国際連絡部OMC、それに現在でも「公然の秘密」として存在する大公使館の駐在武官がいるといいます。

 KGBから党書記長、大統領に昇り詰めたアンドロポフ、プーチンの存在があるように、ソ連・ロシアは諜報機関の幹部が国家の最高責任者になるわけで、いかにソ連・ロシアは「情報戦」を重視しているかがよく分かりました。

【追記】

 ありゃまー、吃驚仰天。

 これを書いた後、主催のインテリジェンス研究所のS事務局長からメールがあり、小生がチャットで質問していたこと、それを司会者の方が見落としていたことを覚えてくださっていて、わざわざ、名越教授に直接問い合わせて頂きました。

 小生の質問は「ゾルゲが二重スパイだったという信憑性はどれくらいありますか」といったものでした。

 これに対して、名越教授から個人宛にお答え頂きました。どうも有難う御座いました。

 それにしても、何かあるとすぐに捻くれてしまう(笑)私の性格を見抜いたS事務局長、先見の明があり、恐るべし!

 

プーチンの敗退を「予言」=「サピエンス全史」のハラリ氏ー英ガーディアン紙で

 相変わらず、ユヴァル・ノア・ハラリ Yuval Noah Harari 著「サピエンス全史」(河出書房新社)を読んでいます。今は、下巻の75ページ辺りです。

 彼の著作は、これ以外では、まだ「21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考」しか読んでいませんし、彼が主張することは全て正しい、とまでは思っていません。が、恐ろしいほどよく当たっています。未来への予知力があるのではないか、と思ってしまうほどです。

 彼は、人類歴史学者ですから、あらゆる万巻の関連書籍を読破していて、しかも、それら全てが頭の中にインプットされているようですから、人類が起こした過去の出来事や所作が分かっているだけではなく、これからの人類が仕出かす所業まで推測ができるようなのです。まるで、そこには(歴史的)法則があるかのように思えるので、「当たらずといいえども遠からず」と言った方が正しいかもしれませんが。

 彼は1976年生まれのイスラエル人ですが、頭脳明晰で大変優秀なユダヤ人の優越性を説くわけではなく、時にはユダヤ教を批判したり、イスラム教や仏教に対しても寛容な態度を示したりして(「21 Lessons」)、要するに学者としての中立性を担保しているところが私自身の彼に対する信頼度を高めています。

 となると、現在進行中のロシアによるウクライナ侵攻について、彼がどんな見解を持っているのか気になりました。

ミモザ

 2月28日付と、ほんの少し古いですが、彼が英有力紙「ガーディアン」に寄稿した記事が見つかりました。ロシア軍が侵攻してまだ4日も経っていない時に書かれたものです。タイトルは「なぜ、既にプーチンはこの戦争に負けたのか」Why Vladimir Putin has already lost this war と、かなり過激です。戦争が始まって3日しか経っていないのに、プーチンの敗退を「予言」しているからです。

 ハラリ氏は言います。「プーチンのロシア軍は全ての戦場で勝利を収めるかもしれない。しかし、戦争で勝利を収めることはない。…他国を征服できたとしても、占領し続けることは難しいー。この教訓は、米国がイラクで、ソ連がアフガニスタンで学んだことだ。…ロシア軍の攻撃でウクライナ人の死者が出る度に、ウクライナ人の侵略者に対する憎しみが深まっていく。この憎悪は心の奥底に刻まれ、何世代にも渡る抵抗運動につながっていく」と。

 そして、「残念なことだが、この戦争は長期戦になるかもしれない。色んな形を取りながら、何年も続くかもしれない。…とはいえ、ウクライナの人々は、新たにロシア帝国の傘下で生きることは望んでいない。このメッセージがクレムリン宮殿の厚い壁を貫いて届くにはどれくらいの時間がかかるのだろうか」と結んでいます。(私訳、意訳も含む)

アヤメ?

 昨日は、ロシア国営の「第1チャンネル」午後9時の看板ニュース番組「ブレーミャ」で、キャスターの後ろで、命懸けで、手書きの「反戦」ポスターを掲げた女性職員がいたことが世界中のニュースになりました。「ロシア軍に対する虚偽のニュースを流した」として禁錮15年の刑になりかねない行為だっため、大変勇気ある行動だったと思います。今、平和な日本ですが、NHKの職員がここまで時の政権に対して反旗を翻す人はいないでしょう。

 でも、先ほどの記事(ロシアによるウクライナ侵攻4日目)の中で、ハラリ氏は「ロシア市民の中で、あえてこの無意味な戦争に反対を表明する人もあり得る」Russian citizens can dare to demonstrate their opposition to this senseless war.と予言している箇所を見つけ、「あ、やっぱり、彼は予知能力がある人だなあ」と驚いてしまったわけです。

 【参考】

 The Guadian : “Why Vladimir Putin has already lost this war”

在日ウクライナ大使館に寄付しました

 これは書くべきかどうか迷ったのですが、先日、戦禍のウクライナ国民のために寄付しました。毎日、ロシアによる卑劣な空爆と攻撃で生命を落とし、隣国へ逃避しなければならないウクライナの人々が気の毒でたまらなくなったからです。

 とはいえ、三木谷さんのように自分のポケットマネーから10億円も寄付するわけにはいきません。無名の庶民ですから、そんな甲斐性がありません(残念ながら)。ほんのわずかな金額です。でも、大海の一滴かもしれませんが、「気持ち」として、寄付することにしたのです。

 さて、何処に寄付したらいいのか?

 最初、名のある国際機関にしようかと思いました。しかし、こういう国際機関に限って、一部幹部連中が甘い汁を吸って、私なんか見たこともないような年俸を獲得しているといいますから、私のわずかな寄付金でも奴らの懐に入ったらたまりません。他に民間団体も寄付活動をしていますが、悪いですが、どこまで明瞭会計で真摯に取り組んで頂けるのか、信用に値する根拠がありません。

 ということで、結局、在日ウクライナ大使館にすることにしました。ここなら、確実に母国に送金してくれることでしょう。同大使館は銀行口座番号を公表しております。

 要するに「気持ち」の問題です。もし日本が他国から侵略されたら、ウクライナの人から支援があるかもしれない、なんて卑しい根性はさらさらありませんからね。

 でも、正直、日本人はこのような寄付行為が苦手です。一番の理由は、組織や団体が信じられないからだと思います。逆に、信じる方がおかしいでしょう?

 ただ、ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」によると、現生人類は、7万年前から3万年前にかけて、「虚構」「社会的構成概念」「想像上の現実」を共有することによって「認知革命」が起き、生物界の頂点に君臨することができるようになったといいます。ハラリ氏はこう言います。

 百万長者の大半はお金や有限責任会社の存在を信じ、人権擁護運動家の大多数が人権の存在を本当に信じている。…人権も、すべて私たちの豊かな想像力の産物に過ぎないのだが。

 これは皮肉でも何でもなく、真実ですね。

 人類は、独裁政権を信じているから、独裁者を産んで、勝手し放題させているとも言えます。

 「プーチン大統領、貴方は間違っている。これ以上の殺戮行為はやめなさい」と、もしこの世に神が存在するなら、説諭してもらいたい。嗚呼、しかし、神も人類の豊かな想像力の産物に過ぎないとしたら…。身も蓋もない話になってしまいましたが、生きている限り、希望を棄てるわけにはいきません。

ウクライナの国旗かと思ったら…。駐車場のマークでした Higashi-Kurume City

【追記】2022年3月15日(火)

 希望的観測ですが、遅かれ早かれ、いずれプーチン政権は崩壊することでしょう。

 そんな政治的問題以上に、一番懸念されるのは、ロシアによる非人道的爆撃で、ウクライナ人の生命だけだなく、文化財まで喪失してしまうことです。黒海北部に当たるこの地は、紀元前8世紀から前3世紀にかけてスキタイ文化が花開いた所で、多くの遺跡物が博物館等で収蔵されています。

 これらは、ウクライナだけでなく、まさに世界の人類の遺産です。これらが損傷してしまっては取り返しがつきません。

 ロシア人が、アフガニスタンのタリバンが石仏を破壊したような同じ行為を断行とするとしたら、人類としてとても許せません。

生き延びるための楽観主義のすすめ=北条早雲、藤堂高虎にみる

 ロシアによるウクライナ軍事進攻は2週間以上経ってもいまだに続いています。平気で民間のアパートや病院、保育園などにもミサイルを撃ち込み、子どもや女性ら多くの社会的弱者が犠牲になっています。チェルノブイリ原発などまで占拠しています。狂気の沙汰です。

 まさに、民間人への殺戮であり、戦争犯罪です。それなのに、たった一人の誇大妄想の犯罪者を誰も止められません。 2022年2月24日を期して世界は一変しました。無力感に苛まれ、悲観的になってしまう人も多いと思います。

 そんな時こそ、逆に、あまり落ち込まない方がいいですね。

築地・寿司「きたろう」おまかせランチ握り1580円

 今の時代より遥かに生きるのが厳しく苛酷だった戦国時代に思いを馳せると、意外にも楽観主義者の方が長生きしています。その代表が北条早雲(1432~1519年)と藤堂高虎(1556~1630年)です。早雲は数えで88歳、高虎は75歳まで生きました。「人生50年」と言われた時代です。しかも、戦闘有事の乱世の時代です。当時としては、相当長生きだったことでしょう。

 小田原城主北条早雲は、後北条氏五代100年の礎を築いた人です。戦国時代で最初に下剋上で這いあがった武将とも言われます。謎の多い人物で、88歳ではなく、60代で亡くなったという説もあります。本人は生前、北条早雲と名乗ったことがなく、伊勢宗瑞、もしくは伊勢新九郎の署名が残っています。

 伊勢氏は室町幕府の足利将軍の申次衆(仲介役)を務める家柄で、早雲(と、します)も1483年、52歳で第九代将軍足利義尚(よしひさ)の申次衆を務めます。それが、守護の今川氏の後継者争いが起きたことから、急遽、遠江に下り、姉の北川殿(夫は八代今川義忠)が産んだ龍王丸(後の九代今川氏親、桶狭間の戦いで敗れた今川義元の父)を擁立し、暫定的に守護職に就いていた小鹿範満(のりみつ=今川義忠の従兄弟)を討ち取ります。小鹿範満の背後にいた扇ガ谷上杉家の家宰太田道灌が暗殺されていなくなった隙をついたといわれます。そっかあー、北条早雲と太田道灌は同時代人だったんですね。

 この功績で早雲は1487年、56歳にして興国寺城(静岡県沼津市)の城主となります。これから権謀術数を弄して、まずは93年(62歳)に堀越公方を追放して伊豆を支配し、95年には64歳にして、ついに小田原城主となります。そして、仕上げは1516年、85歳にして相模を平定して、平安末期から続く有力大名である三浦氏を追放するのです。

 早雲はまさに大器晩成だったんですね。長寿の秘訣は、修善寺温泉などでの温泉療法と朝4時に起き、夜8時には寝る規則正しい生活。そして粗食(梅干しを好んだ)のようです。歴史家の加来耕三氏は、早雲の来歴を見て、「何事も気楽に考え、ストレスを溜めない。健康に留意し、重々しく考えず、切羽詰まらない生き方が良かったのではないか」と評しておりました。

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 もう一人の藤堂高虎も実に楽観主義者です。「築城の名人」として、宇和島城、今治城、伊賀上野城、津城(32万石)など20の城を手掛けたと言われるので、城好きの私としては、大ファンです。(是非とも行ってみたい!)

 しかし、高虎は、「世渡り上手」だの「薄情者」だのといった悪評に付きまとわされていました。主君を何度も何度も代えたからでした。でも、よく見ると、それは致し方なかった面があります。最初の主君浅井長政は織田信長に滅ぼされますし、300石の家臣として召し抱えてくれた羽柴秀長(秀吉の弟で、天下統一の立役者)は病死してしまいます。秀吉の家臣になりますが、関ヶ原の戦いでは東軍につきます。これは裏切り行為かもしまれませんが、徳川家康に懸けたということなのでしょう。(ただし、幕末の藤堂家は、恩顧ある徳川家を見限って、薩長主体の官軍に寝返り、「さすが高虎の子孫」と揶揄されたそうな)

 この功績で、藤堂高虎が家康から江戸に与えられた最初の屋敷の地名は、伊賀上野にちなんで上野と付けられたという説が有力です。つまり、東京・上野の本家本元は三重県の伊賀上野市ということになります。

 藤堂高虎は、近江の小土豪の次男として生まれましたから、家督は相続できず、自分の力で這いあがっていかなければなりません。嫌な仕事でも腐らず、最初は無給でも手柄を立てながらのし上がっていかなければなりません。高虎が築城の名人になれたのも、底辺から城づくりの基礎を学んでいったからだといいます。信長の安土城の築城にも参加し、この時、石垣づくりでは定評の石工集団「穴太衆」(あのうしゅう)との交流を深め、今後の城づくりには欠かせなくなりました。これも、嫌な仕事でも前向きに受け入れていったお蔭だったようです。

 これまた、歴史家の加来耕三氏は「藤堂高虎は、190センチ、113キロという体格に恵まれ、明るい性格でした。良い方へ良い方へと楽天的に考える。そうすることによって、物事が良い方向に向かう。高虎は、苦手なことをこなせば、自分の『伸びしろ』になると考えていたのではないか」と想像していました。

 北条早雲と藤堂高虎という歴史に残る人物の共通点は、やはり、楽観主義にあったようです。

※BS11「偉人・素顔の履歴書」の「第19回  主君を7度も変えて出世した戦国武将・藤堂高虎 編」と「第20回  戦国大名の先駆け・北条早雲 編」を参照しました。

※諸説ありますが、藤堂高虎の主君は、7人ではなく、「「浅井長政⇒阿閉貞征(あつじ・さだひろ=長政重臣)⇒磯野員昌(かずまさ=長政重臣)⇒織田信澄(信長の甥)⇒羽柴秀長(秀吉の弟)⇒秀保(秀長婿養子)⇒豊臣秀吉⇒秀頼⇒徳川家康⇒秀忠⇒家光」の11人が有力です。

ウクライナ Ukraine  意外な人物

 ロシアによるウクライナ侵略で、目下、2000人以上のウクライナ市民が犠牲になっている、とウクライナ当局が3月2日に発表しています。国際社会は、国際法違反のこの蛮行を黙って見過ごすわけにはいきません。単なる殺戮です。

 日本にとって、ウクライナは遠い異国の地ですが、意外と馴染み深い人がいらっしゃったりします。

 まず、昭和のスポーツ史に名を残す大相撲の横綱大鵬は、白系ロシア人の血を引く、と聞いたことがありましたが、大鵬の父親はウクライナ第2の都市ハリコフの出身だといいます。(ハリコフ市の州の政庁舎など中心部が爆撃され、多数の死傷者を出しているという情報も)

 個人的には、ウクライナといえば、ビートルズの「バック・イン・ザ USSR」という曲です。1968年に発表された「ホワイトアルバム」の最初に収録されたノリが良いロックで、この中で、「ウクライナの女の子には、マジ、悩殺されるよ。the Ukraine girls really knock me out.」とポールは唄っています。特に、ウクライナは美男美女が多いので、英国人でも一目置いていたのでしょう(笑)。

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 歴史的には、9世紀後半から栄えたキエフ公国がルーツになります。10世紀にウラジーミル大公がギリシャ正教を国教にしたことから、いわゆるロシア正教の総本山となりますが、13世紀から始まるモンゴル族の侵攻で壊滅します。その代わりに、辺境の小国に過ぎなかったモスクワ公国が台頭し、ウクライナに代わりロシア正教の総本山となり、宗教的国家的盟主となるわけです。

 もともと兄弟みたいな国でしたが、ソ連時代は、モスクワのクレムリン政権は、ウクライナを「豊かな穀倉地帯」として搾取しました。特にスターリンは、ウクライナ人を強制移住させて、後に「ホロドモール」と呼ばれる人工的に発生させた飢饉によって1932~33年、400万人以上を死亡させたと言われます。

 この「ウクライナ大飢饉」を映像化したのが、「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(ポーランドのアグニェシカ・ホランド監督作品)という映画で、私も一昨年の夏に観て、渓流斎ブログ2020年8月15日付「『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』は★★★★★」で感想を書いております。

 「兄弟国」と言いながら、ロシア人はウクラナ人を見下しているのでしょうか? そうでなければ、今回の侵略もそうですが、こんな酷いことを出来ないはずです。

有名人に多いウクライナ系ユダヤ人

 また、19世紀から20世紀にかけて、「ポグロム」(破壊させる、という意味)と呼ばれた虐殺により、ウクライナに住む何万人とも言われるユダヤ人が殺害されました。

 となると、多くのユダヤ人がディアスポラ(移民)を余儀なくされます。米国では、100万人近いウクライナ系ユダヤ人が住んでいると言われます。作曲家・指揮者のレナード・バースンスタイン、映画監督のスティーブン・スピルバーグ、俳優のダスティン・ホフマン、カーク・ダグラス、マイケル・ダグラス親子、それに、意外にもシルベスター・スタローン(母の旧姓はラビノヴィッチ)や「ウエストサイド物語」「理由なき反抗」のナタリー・ウッド(本名ナタリア・ザカレンコ)もウクライナ系ユダヤ人だといいます。知らなかった。

 「へー」と思って、調べてみると色々出てきます(笑)。ウクライナ系ユダヤ人の中には、ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフ、ピアニストのレオ・シロタとウラジーミル・ホロヴィッツ、作曲家のセルゲイ・プロコフィエフとクラシック音楽界の巨匠を輩出したほか、何と、メキシコで暗殺された革命家レフ・トロツキーもウクライナ系ユダヤ人だったというんですからね。ユダヤ人だったことは知っていましたが、ウクライナ系だったとは!

 何よりも、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ユダヤ系ウクライナ人だといいます。

 日本では、ウクライナ系の有名人として、現在、モデル・タレントとしてテレビで活躍中の滝沢カレンの父親がウクライナ人(生まれる前に既に離婚)だという情報もあります。

 日本に住むウクライナ人は2020年12月現在、1876人(うち女性1404人)で、北方領土に住む全人口の4割程度がウクライナ人だと言われています。ソ連時代、ロシア人によって、ウクライナ人が強制移民させられたのではないか、と勘繰ってしまいますが、単なる個人的妄想で、公式データではありません。

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 本日、久しぶりに文春砲を購入しましたが、この中のトップ記事「プーチン『殺戮の履歴書』」を読みたかったからでした。1953年生まれのプーチンが、KGBに入ったのも、リヒャルト・ゾルゲに憧れていたからだったとは!…。彼の公式自叙伝では、父親は工場労働者で、20平方メートルのトイレもバスも共有だったネズミが出る狭いアパートで苦労して育った「立身出世」の人に描かれています。しかし、プーチンさん自身は認めていない非公式評伝では、父親は工場技師で、副業として秘密警察の工作員をやっていたので、普通の家庭には普及していなかったテレビを持つなどかなり裕福で、郊外に別荘まで持っていたといいます。

 自分の履歴書を嘘でかためて塗り替える有名人は古今東西、数多おりますが、プーチンさんもその一人ではないか、と疑わざるを得ません。

 ※ウクライナの歴史は、3月1日付読売新聞国際面の三浦清美早大教授の記事、「加藤哲郎ネチズンカレッジ」などを、ウクライナ系ユダヤ人に関しては、週刊文春に掲載された町山智浩氏の「言霊USA」などを参照しました。

【追記】2022.3.4

 反戦歌「風に吹かれて」を唄ったボブ・ディランもウクライナ系ユダヤ人でした。

ロシアも欧米も妥協して戦争回避するべきだ=ウクライナ問題

 もうここ1カ月以上も、ウクライナ情勢が懸念されています。

 ロシアがウクライナに侵攻すれば、第3次世界大戦が勃発するのではないか、と言う評論家もいるぐらいです。

 我々、日本人は米国支配下の「西側」諸国に属しているせいなのか、メディアの翻訳報道によって、悪いのはロシア人だと一方的に信じ込まされています。私自身も、先の大戦で、日ソ中立条約を一方的に破棄して60万人もの日本人をシベリアに抑留し、いまだに北方領土を返還しないロシアは好きになれませんから、その通りだと思っていました。でも、実体はそんな単純なものではないようです。

東京・銀座「ポール・ボキューズ」ランチ【前菜】コンソメロワイヤルのパイ包み焼き 春野菜のベニエを添えて

 「ロシア=悪」「西側=正義」の図式を考え直すきっかけとなったのは、先日、行きつけの東京・銀座のロシア料理店に行った時、そこのロシア人の女将さんに話を聞いたからでした。その店は御主人が日本人で調理と会計を担当し、そのロシア人の奥さんは料理を運んだり給仕をしたりしています。人気店なのでいつもお客さんがいっぱいで、二人とも息つく間もなく、てんてこ舞いです。

 ですから、あまり話しかけるのも気が引けていたのですが、今回はウクライナ問題のことをどうしても知りたかったので、帰りの会計の際に、御主人に聞いてみたのです。

 「奥さんはウクライナ人ですか?」

 「いや、ロシア人ですよ」

 「今、大変ですね」

 「本来、ロシア人もウクライナ人もほとんど一緒ですから、戦争になるわけないんですけどねえ」と御主人。

 そこで、私はロシア人の奥さんに向かって、半ばジョークで、

 「戦争しないでくださいよ。プーチンさんに伝えてください」と忠告してみました。

 すると、奥さんは流暢な日本語で、

 「戦争したいのはアメリカ。ロシアは戦争なんかしたくありませんよ」と反論するではありませんか。

 なるほど、普通のロシア人の「庶民感覚」を教えてもらった気がしました。

東京・銀座「ポール・ボキューズ」ランチ【メインディッシュ】あぶくま三元豚のロティ 福島県産あんぽ柿とクリームチーズのクルートをのせて

 ロシア側からすると、悪いのは米国ということになります。ウクライナのコメディアン出身のゼレンスキー政権が、ロシアを仮想敵国とする北大西洋条約機構(NATO)に加盟しようとしたのがきっかけです。これでは裏庭に敵が土足で踏み込んできたことに他ならなくなります。もっと言えば、首筋に匕首(あいくち)を突き付けられた感じか? プーチン政権も「仕方なく」、ウクライナとの国境付近に15万人規模の軍部隊を集結させ、米欧にNATO不拡大を要求せざるを得なくなった、というのが、ロシア側の主張になります。

 情勢を冷静に見れば、ウクライは、親ロシア武装勢力が支配する東とウクライナ民族意識が強い西側と分裂している状態です。2014年にウクライナのクリミア半島がロシアにあっさりと併合されたのも、ロシア系住民か、シンパが多かったからでしょう。 

東京・銀座「ポール・ボキューズ」ランチ【デザート】“ムッシュ ポール・ボキューズ”のクレーム・ブリュレ

 要するに、今回の問題は、人口約4500万人のウクライナが、天然ガスなどの資源も含めた経済的基盤と軍事的支援を欧米にするか、ロシアにするか、選択の問題だと言えるでしょう。覇権主義の問題です。でも、ウクライナはどちらかを選ぶことなく、曖昧な玉蟲色的な選択にすることはできないでしょうか。

 戦争はいつの時代も「正義のため」「自衛のため」「自存のため」為政者によって始まります。ロシア人も米国人も「戦争はしたくない」というのが庶民感覚なら、為政者は平和的な外交で決着を付けるべきです。

 戦争になれば多くの人が犠牲になります。いくらロシア嫌いの日本人でも、ドストエフスキーやトルストイ、それにチャイコフスキーを愛してやみません。それは、世界でも類を見ないほどです。将来のドストエフスキーにでもなれたかもしれないロシアやウクライナの若者が戦争によって犠牲になってしまっては居たたまれません。

 為政者の皆さんには、戦争だけは回避してもらいたい。