ジョン・レノン・ミュージアム

公開日時: 2007年11月5日

一昨日、さいたま新都心にある「ジョン・レノン・ミュージアム」に大野さんと行ってきました。
5年ぶり3回目ぐらいです。

若い大野さんは、ビートルズを知らないどころか、ジョン・レノンがニューヨークのダゴダ・ハウス前でマーク・チャップマンによって暗殺された日より、後に生まれているので、あまり、ジョンについてはよく知らないはずです。私が無理やりに連れて行ってしまったのですが、それでも、館内でかかっていたビートルズやジョンの曲は聴いたことがあるらしく、「今でも、彼らの音楽は、世界中の若者を引き付けているんだなあ」と思うと感慨深いものがありました。

レプリカではなく、ジョンが実際に弾いていたギター(リッケンバッカーやエピフォン・カジノ、ギブソン160E、ギブソンSG等)などが展示されているので、何で、こんな埼玉県にジョンの遺品があるのか不思議でしょうがありませんでした。

何でなんでしょうか?

ビートルズが全盛期だった1965年ごろまで、ジョンはリッケンバッカーを使っていましたが、このギターの胴部に演奏曲目リストが貼っていて、そのまま、展示されています。何度見ても、感動してしまいます。

面白かったのは、ジョンは、ちょくちょく日本を訪れていましたが、日本のJCBカードも契約していて、その展示されていたカードには「ジョン・レノン」と日本語のカタカナで印字されていたのです。有効期限は、昭和56年で、暗殺される1年後でした。

それと、ジョンは手相占いをしたらしく、彼の手形も展示されていました。その手形を合わせてみたら、本当に不思議なことに、私とまったく同じサイズでした。これには驚きです。

確か、身長も私は彼と同じくらいです。展示されているステージ衣装などをみると、随分、小さく、痩せてみえましたが、手形と身長が私と同じだと、何か、彼に非常に近しい親しみを感じてしまいました。

しかも、ジョンは、ヨーコの影響で歌舞伎など日本文化にも興味があったらしく、彼が特別に誂えてた煙管も展示されていたので、本当に不思議な縁を感じてしまいました。

ジョン・レノンの命日

ヴェニス

公開日時: 2006年12月8日

今日は、どうも気持ちが不安定だなあと思ったら、ジョン・レノンの命日でした。彼が狂信的なファンにNYの自宅マンションの前で射殺されてもう26年の歳月が経ちました。早いものです。と、月並みな感想しか出てきません。

NYのセントラルパークの一角にある「ストロベリー・フィールズ」でファンによる追悼が行われるようですが、公園内なので、条例により、騒音を出すことが禁止されています。「でも、この日は特別な日なので、少しは緩和してほしい」というファンが当局に要望したという記事を数日前に見かけました。

ジョンは、奥さんが日本人だったせいか、日本にはかなり関心を持っていたようですね。歌舞伎や能や禅や書など、短期間で日本の文化をかなり吸収していたようです。「晩年」は毎夏のように軽井沢の万平ホテルを定宿にして訪れていました。私の大学時代の先輩の友人が当時、このホテル http://mampei.co.jp/で、ボーイのアルバイトをしていて、目の前を、ジョン・レノンが通り過ぎた時、思わず、直立不動して何も声が掛けられなかったという話を聞いたことがあります。

私もそんな感じになるでしょうね。

ビートルズ・フリークの私なので、幸運にもポールとジョージとリンゴの3人は来日公演で、彼らの勇姿を見ることができましたが、ジョンだけは、会うことができませんでした。それだけが心残りです。

今日は部屋でジョンのCDをかけまくることにします。