クロード・ハウザー、ピエール=イヴ・ドンゼ編「駐日スイス公使が見た第二次世界大戦―カミーユ・ゴルジェの日記」を翻訳した鈴木光子氏=大学同窓会で講演

 11月19日(日)は、東京・大手町で開催された大学の同窓会「第28回サロン仏友会」にオンラインで参加しました。毎年、この時期に開催されるのは、ボージョレ・ヌーヴォーが解禁される「飲み頃」を狙ったものですが、会場参加出来なかったので、恩恵に預かれませんでした(苦笑)。

 今回のゲスト講師は、元スイス政府観光局次長で旅行作家、翻訳家の鈴木光子氏でした。御高齢ということで、彼女もオンライン参加でした。お話は、今年3月に、足かけ5年の歳月をかけて翻訳出版したクロード・ハウザー、ピエール=イヴ・ドンゼ編「駐日スイス公使が見た第二次世界大戦―カミーユ・ゴルジェの日記」(大阪大学出版会)の完訳までの苦労話が中心でした。

 日記を書いたカミーユ・ゴルジェ(1893~1978年)は、スイス・ジュラ州(フランス語圏)出身の外交官で、日本には1924年から26年にかけて、当時、国際連盟事務局次長だった新渡戸稲造の推薦を得て外務省法律顧問として初来日し、40年から45年にかけて駐日スイス公使を務めた人です(その後、ソ連やデンマークなどの公使も歴任)。最初の来日は、大正デモクラシーの自由な世界で、公使を務めた時は、軍国主義の戦時体制でしたから、あまりにもの違いに驚くことが日記に書かれています。(未読なので、そのようです)

 日記は戦後10年経って公表されましたが、今回は、スイス・フリブール大学のハウザー教授が、カミーユ・ゴルジェの子息に連絡を取って、出版の許可を得て、大阪大学のドンゼ教授と連携して編纂し、前書きと後書きを執筆したというものです。1938年生まれの鈴木光子氏は、先の大戦で空襲の体験があることから、「歴史と記憶」を大命題とし、「太平洋戦争の記憶が薄れていく現代で、何が歴史として残るかを問う著作」として綿密に翻訳作業に取り組んだといいます。

 鈴木氏によると、日記には、皇室への憧憬、大国と小国の席の序列など外交界での身分格差、戦時下の一般庶民の投げやりな日常、スイス外交団の軽井沢への疎開など、貴重な歴史的証言が描かれているといいます。邦訳は583ページにも及ぶ大作で、「持つと重さ1キロもありますが、多くの人に読んで頂きたい」と鈴木氏は話しておりました。

 ついでながら、鈴木氏はスイスの専門家なので、日本人が意外と知らない「スイス人」の著名人として、思想家のジャン・ジャック・ルソー(1712~78年、父親はジュネーブ共和国の時計職人)、建築家のル・コルビュジエ(1887~1965年、本名Charles-Édouard Jeanneret-Gris、タグ・ホイヤーなど世界的時計メーカーが本拠地を置くラショー・ド・フォン出身)、フランス6人組の一人である作曲家アルトゥール・オネゲル(1892~1955年、仏とスイスの二重国籍)らを挙げておりました。

「歴史人」読者プレゼントにまたまた当選=人生、最も歩きやすい靴にめぐり逢い

 またまた、「歴史人」(ABCアーク)の読者プレゼントに当選してしまいました。これで何回目なのか、もう覚えていませんが(笑)、5回以上10回未満だと思います。運が良かった、としか言いようがありません。

 当選した12月号のプレゼントは、上の写真の通り、東京・サントリー美術館で開催中の「京都・智積院の名宝」展のチケット2枚です。わずか5組にしか当選しないのに、何でえ?と我ながら不思議に思います。そこで、仏教の「無財の七施」の精神を発揮して、会社の同僚に1枚あげることにしました。希望者が複数いたので、あみだくじで決めました(笑)。

 真言宗智山派の総本山である「京都・智積院の名宝」展の目玉は、私も大好きな長谷川等伯です。今回は、等伯一門による障壁画「桜図」「楓図」などが、寺外で初めて揃って展示されるというので、大いに楽しみです。

 版元のABCアークの後藤隆之編集長を始め、スタッフの皆様方には本当に感謝申し上げます。「歴史人」は毎号、毎号、本当に勉強になるのですが、実は、私は、応募はがきの中で、偉そうに、誤字脱字や誤植などを指摘したりします。少しでも「永久保存版」として、より良い「製品」になってほしいからです。私がこうして当選を重ねることが出来るのは、毎号、人一倍熟読として誤植を指摘するからではないか、と思っているほどです。

 今後も、スタッフの皆様には頑張ってほしいと思っております。

 これで終わってしまっては物足りないので、もう一つ、話題をご提供します。先日、通販で靴を注文したら、ちょっとキツくて、送り返しの宅急便代として1050円を払って、サイズ交換してもらったことを書きました。

 その靴が、昨日、自宅に届きました。

 今朝、通勤で履いてみたら、とっても歩きやすいので吃驚です。靴底の厚いゴムがバネのように跳ね上がり、歩いていても跳躍しているような感じです。歩くことが嬉しく楽しくなります。

 宣伝ではないので、あまり商品名は言いたくないのですが、スイス製の「オン」というスニーカーです。スイス製と言っても、作られたのはベトナムの工場です。私は、普段26センチの靴を履いているのですが、このスニーカーの場合、26センチではキツくて、26.5センチに交換してもらいましたが、この靴の表面がゴアテックスで防水性になっていて、普通のスニーカーより、やや硬めだったのです。もし、私の真似をしてこの靴をお求めになる方がいらっしゃるとしたら、サイズは少し大きめをお勧めします。

 恐らく、私が生きたこれまでの人生で色んな靴を履きましたが、これは一番、歩きやすい靴だと思います。

 あれっ? 宣伝ではありませんよ。この会社から1銭ももらっていませんからねえ(笑)。それに、本日は電車や街中でこの同じ靴を履いている人は見かけませんでした。履き易さ、というか、歩き易さは、あくまでも個人的な見解です。個人差があるでしょうから、責任は持ちませんので、そこんとこ宜しく御願い申し上げます。

銀座「スイス」のカツカレー

日本のカツカレーの発祥地と言われる銀座のグリル「スイス」(3丁目)に行ってきました。

昭和23年、プロ野球巨人の名二塁手、千葉茂さんが、「カレーの上にとんかつを乗せてくれ」と注文するようになって、できたというのが真相らしいです。「スイス」は当時6丁目にあり、千葉さんが贔屓にしていた洋品店が側にあったそうです。今でも「千葉さんのカレー」というのがメニューにあります。

千葉さんは知る人ぞ知る存在で、ひと言で言うと、あの長嶋茂雄さんの前に巨人で背番号「3」を着けていた人です。1956年に引退しているので、現在55歳以上の人でないと、現役時代の千葉さんを知らないでしょう。

色々、調べているうちに、千葉さんの愛称は「猛牛」で、巨人の監督を友人の川上哲治に譲り、近鉄の監督として迎え入れられた時、わざわざ、近鉄パールズから近鉄バッファローズ(猛牛)に名前を変えたということを知りました。その際、球団旗のマークを千葉さんの友人の芸術家、岡本太郎さんにデザインしてもらったのです。そういう経緯があったとは知りませんでしたね。もう、近鉄球団は消滅しましたしね。

ところで、カツカレーは、普段1050円ですが、何かのキャンペーン中で、950円でした。

4年ぶりくらいに食べましたかね。懐かしい味でした。★

「千葉さんのカレー」は1350円で、ちょっと量が多く、サラダも付いています。お奨めは、こちらの方です。