ジョン・レノンの靴が有名なテニス・シューズだったとは!

 皆様、御案内の通り、小生はビートルズ・フリーク、特にジョン・レノンのファンなのですが、先日の読売新聞夕刊に出ていたジョン・レノンの靴の話は、知らなかったので、とても興奮して読んでしまいました。

 ビートルズ最後の録音アルバム「アビイ・ロード」は、世界で最も有名なジャケットの一つです。英ロンドンのアビイ・ロード・EMIスタジオの前の横断歩道をビートルズの4人が歩いているカットです。あたしも若い頃、わざわざ現場に行って横断歩道を歩きました(笑)。先頭のジョンは、純白の上下スーツに白いスニーカー(運動靴)。2番目のリンゴは、黒いスーツに黒い革靴。3番目のポールは、濃紺の上下スーツに裸足。4番目のジョージは、上下紺のデニムにクリーム色の靴というイデタチです。

 「アビイ・ロード」は、日本では1969年10月21日に発売されました。確か2500円。父親に買ってもらいました。あれから50年ですか…。もう半世紀も大昔になるとは!レコードですから、針で擦り切れるほど、ソニーのインテグラという当時発売されたばかりのコンポーネント・ステレオで何度も何度も飽きずに聴いたものです。

当時、「ポール死亡説」が流れ、このアルバムのジャケットでポールが裸足で、後ろに写っている車(VWビートル)のナンバーに「26IF」とあったことから、「もしポールが生きていたら26歳だった」とこじつけられたり、先頭のジョンは牧師、リンゴは会葬者、ジョージは墓堀人の象徴と言われたりしました。

今回は、その話ではなく、ジョンの白いスニーカーの話でした。この運動靴、ただの運動靴ではなく、フランス・パリで1936年に創業されたスプリング・コートというブランドの「G2クラシック・キャンバス」というテニス・シューズだったのです。宣伝文句によると、「シンプルなデザインで、バネのように跳ねる履き心地と機能」を持つそうな。

 テニスの四大トーナメントの一つ、全仏オープン(1891年スタート)はクレイコート(赤土)ですから、そのコートに合うように開発された靴でした。

 もちろん、ジョンはその履き心地の良さと機能性を知って買ったことでしょう。何となく嬉しくなってしまいました。

 インナーに特殊クッションがあり、靴底はラバー(ゴム)。1965年に発売されたビートルズの6枚目のアルバム「ラバー・ソウル」(「ミッシェル」「ガール」など収録)は、「ゴムのようなソウル・ミュージック」rubber soulと、「ゴム底靴」rubber soleを掛けたタイトルでしたから、ジョンはもうその頃からこの靴を愛用していたかもしれない、というのは考え過ぎなんでしょうね(笑)。

 1969年1月30日のいわゆる「ルーフ・バルコニー・セッション」(映画「レット・イット・ビー」で公開)でも、ジョンは白っぽいスニーカーを履いておりますが、これもスプリング・コートだったのかどうかは不明です。

ちなみに、日本では2015年からカメイ・プロアクトが総代理店契約を結んでいるそうで、価格は1万800円ぐらいで販売されているようです。いや、別に宣伝するために書いたわけではなく、この会社をよく知っていたので驚いてしまったからです。私の親族が一昨年、この会社に入社しましたが、理由があって、1年も経たないうちに辞めてしまったのです。銀座にも直営店舗があるので見に行ったりしました。どんな会社なのか調べたりもしました。

 何か、色んな繋がりがあったので、ついつい興奮して書いてしまいました。

これからは大坂なおみちゃんの時代?

昨日のテニスの全豪オープン。恐らく、信じらないほど多くの日本人がテレビの生中継に釘付けになって見たことでしょう。

私もその一人でしたが(笑)、テニスという競技が観戦するだけで、こんなに面白いものだということを久しぶりに思い出しました。

バルセロナ・グエル邸

もう40年近い大昔。これでも私はテニス担当記者でした。当時は、男子がビョルン・ボルグとジョン・マッケンローの時代。他に、プレイメイトと結婚したジミー・コナーズやギレルモ・ビラスなんていう渋い選手もいました。1980年、ボルグとマッケンローのウインブルドンでの4時間に及ぶ死闘は伝説となり、映画化されたほどです。

女子は、ビリー・ジーン・キング、クリス・エバート・ロイド、それにマルチナ・ナブラチロワらが覇を競ってました。これらの名前は今でもスラスラ出てきます。そういえば、私自身はテニスをしないのに、ボルグが着ていたフィラや、マッケンローが着ていたセルジオ・タッキーニなんかのテニス・ウェアを真似して着ていたものでした。(笑)

テニスは仕事で観ていたので、半分冷めて、つまらない試合は半分不貞腐れて(笑)観ていたのですが、昨日の大坂選手の試合は、単なるおっさんとして、応援しながら観てました。

バルセロナ・グエル邸

40年前と比べて、ラケットやボールの性能が飛躍的に進歩したせいなのか、昔と比べてスタイルが変わった気がしました。昔は、選手はもっと前に出てスマッシュやボレーを決めていましたが、最近の試合は、あまりそんな場面はありません。

ベースラインぎりぎりにまでリターンする戦法に変わっていました。それに、サーブでは男子は200キロ、大坂選手も175キロの超スピード・サーブを決めていたのですから、そんな速い球を前進してボレーするなんて出来ないんでしょうね。

そして、「チャレンジ」といって選手が1ゲーム3回まで、主審に抗議して「ビデオ判定」することができることを初めて知りました。今回、大坂選手のリターンを、主審が「アウト」とジャッジした場面が、ビデオ判定で覆り、スッキリしたりしました。審判も間違えるんですね。

そういえば、また大昔の話ですが、マッケンローはよく審判の判定に駄々をこねて、試合を遅延させたりして警告を受け、「悪童」と呼ばれましたが、今のような「ビデオ判定」があれば、もっと冷静にプレーし、案外、マッケンローの主張が正しかったかもしれません。

バルセロナ・グエル邸

気の早いマスコミは、世界ランク1位になった大坂選手について、もう「グランドスラム達成か」「大坂の時代」なぞと騒ぎ立ててますが、勝負の世界は、そんな甘くないでしょう。でも、これからの彼女の試合は気になってしまいました。

恐らく、世界的なスポンサーがこれから陸続と彼女に群がることでしょうね。

▷全豪オープン(1月26日、メルボルン)女子シングルス決勝=第4シード、世界ランク4位大坂なおみ(日清食品)7-6、5-7、6-4 第8シード、同6位ペトラ・クビトバ(チェコ)。大坂は日本人初となる全豪オープン制覇。