デンマーク製の腕時計、買っちゃいました

 ムフフフ…やはり、買ってしまいました。

 私の愛用のグランドセイコー高級腕時計が、目下、オーバーホール中であることは以前、この渓流斎ブログに書きました。そして、そのオーバーホールに1カ月半も掛かるということも書きました。その間、どうしようかと思いを巡らし、3~4年ごとのオーバーホールで毎回5万円も掛かるようでしたら、3~4年で壊れてしまっても、メンテナンスの掛からない格安腕時計を買い換えればいいのかもしれない、ということも書きました。

 具体的には、会社の同僚が買ったばかりのデンマーク製の格安腕時計です。ちょっと見ただけでは、そんな格安時計には見えず、デザインが良いので高級腕時計に見えるほど見映えが良いーといったことも書きました。

Bering fabrique en Danemark

 じゃーん、それが、この腕時計ベーリングでした。

どうっすか? そんなに安物には見えないでしょ? でも、グランドセイコーのオーバーホール代でこの腕時計が2個ぐらい買えちゃいます(笑)。

 これで、何と3年間の保証書が付いているのです。不可抗力でガラスが破損した場合、5年以内なら格安割引修理もしてくれるそうです。

 本当は、色はブルーを狙っていたのですが、店頭にはこのブラックしかありませんでした。でも、ソーラー電池ですから、電池交換は一切なし。太陽や蛍光灯にさらしておくだけで充電してくれるのです。これ以上のメンテナンスの経費が掛からないところがいいですよね。

 ありがたや、ありがたや。

銀座「ひょうたん屋」うな丼2000円

 今日から、わざとらしくこの腕時計を周囲に見せびらかして、歩くことにします。

 何か言われたら、「うーん、この時計、デンマーク製なんだけど、ソーラーなんで充電しなきゃなんないんすよお」と弁解することが出来ます(笑)。

 私は、実に単純な人間なので、この腕時計をはめると、何か、自分がデンマーク人になった気分になれます(笑)。

銀座・ドイツ料理「ローマイヤー」ポークソテー1100円

【追記】2022年7月5日

 通勤電車の中で監察したところ、腕時計をはめている人は、7人中3人と半数以下でした。若い人だけでなく、60歳代とみられる紳士までもが腕時計を付けていませんでした。夏は半袖なのですぐ分かります。恐らく、スマートフォンを腕時計代わりに使っていると思われます。

 「クールビズ」でネクタイが絶滅危惧種となったように、スマホのお蔭で、腕時計も絶滅危惧種になったということかもしれません。

 うーん、何処も同じく大変ですね。

 

 

今や北欧は時計のメッカ?

 しばらく、行っていなかった東京・銀座の並木通りに久しぶり行ったら、すっかり様変わりしていて驚いてしまいました。高級腕時計店街になっていたのです。

 明治に大阪朝日新聞が東京に進出して初めて銀座・並木通りに社屋を建て、今や東京朝日ビルになっているところの1階にはスイスの高級腕時計「ロレックス」が店を構えていますが、これに影響されたのか、どんどん、この近辺に高級腕時計店が進出していたのです。「オメガ」「ゼニス」「タグ・ホイヤー」、それに「IWCシャフハウゼン」(ここは以前、風月堂の喫茶店だったのに…)…等々です。

 意外と知られていませんが、銀座は「時計の街」でもあります。

銀座・並木通り

 何と言っても、銀座4丁目のセイコー「服部時計店」ビルは、銀座というか、東京の象徴になっています。

  高級腕時計に関して、名前を知っているだけで、私はそれほど、詳しくないのですが、「オーデマ・ピゲ」「ブレゲ」「ブライトリング」「ピアジェ」「ロンジン」、それに「ウブロ」(以前は並木通りにありましたが、銀座通りに栄転)…何でもあります。犬も歩けば棒に当たるほどあります(笑)。恐らく、世界の高級腕時計ブランドで銀座に進出していないものはないと思われます。

 この中で、最高峰は「パテック・フィリップ」でしょう。銀座には専門店がないようですが、5丁目の「アワーグラス」や7丁目の「日新堂」で販売されています。私にはウインドーショッピングしかできませんが、安くても400万円ぐらい。2000万円、3000万円の時計は当たり前といった感じです。時計1個で、マンションが買えるんでなえかえ!?(と、思わず北海道弁)

 パテック・フィリップといえば、あの文豪トルストイがこよなく愛した時計だったらしいですね。19世紀末当時も、換算すれば、2000万円ぐらいしたんでしょう、きっと。

◇腕時計、忘れた!

 何で本日、腕時計の話をしたのかといいますと、今朝、腕時計をはめて会社に行くのを忘れてしまったからでした。途中で気が付きましたが、最近、認知症が入って来たのかなあ…?

 腕時計を忘れた話を会社の同僚のO君に話すと、彼は凄いデザインが良い、薄くて格好良い腕時計を嵌めているではありませんか。

 「デンマーク製のベーリングって言うんですよ。去年、駅ビルの時計店で見て、あまりにも格好良いんで、衝動買いしちゃいました」

 ブルーを基調としたシンプルなデザインで、チタン製とかで結構軽量。しかもソーラー時計ということで、電池いらずだというのです。

 「えっ?凄いねえ。それ幾らしたの?」

 「3万いくらでしたね…」(調べたら3万6300円でした)

 「えっー?そんな安いのお?僕のは、高級腕時計グランドセイコーだから25万円ぐらいしたんだよ」と私。(単なる自慢話です=笑)

銀座・並木通り

 「それがですね、今、結構、北欧時計が静かなブームらしいんですよ。何と言ってもデザインが斬新。そりゃあ、スイスの高級腕時計と比べれば性能は落ちるでしょうけど、何と言っても値段が手頃なんですよ。3万円前後で買えるんですから。僕なんかこれで十分」

 ということで、調べてみたら、「ノードグリーン」(デンマーク)が2万円前後、「ヴェアホイ」(デンマーク)が2万~3万円、「ダニエルウエリントン」(スウェーデン)が2万円前後、「アルネヤコブセン」(デンマーク)が3万~4万円、「クヌート・ガット」(スウェーデン)が2万~3万円と、舶来品なのに恐ろしいほど廉価な時計があるのです。参照:「北欧おすすめ腕時計」

 北欧には、このほか「ライネ」(フィンランド)、「ヴァンドーレン」(ノルウェー)=5万円ぐらいから=などもあるようですが、北欧、特にデンマークにこんなに沢山の時計メーカーが勃興していたとは全く知りませんでした。恐らく、誰か、時計産業奨励の「仕掛け人」がいたんでしょうね。

 北欧といえば、家具が有名で、その斬新なデザインは日本でも通の人に好まれています。ということは、案外、北欧時計も日本でヒットするかもしれません。

 あ、勿論、この記事は広告ではありませんから、宣伝費はもらっていませんよ(笑)。どうせ、今の若い人たちは、スマホを時計代わりにしているから、今の御時世、腕時計はそれほど売れないことでしょう。

 私自身、これまで見たことも聞いたこともなかった北欧腕時計、頑張れ!

 

シュス・トムセンさんの死

アメリカに住む今村哲郎君が久しぶりに帰国し、渋谷で会いました。6年ほど前にキューバ旅行した際、テキサス州の彼の家に厄介になったことがあるので、彼に会うのはそれ以来です。

彼は結婚してもう16年も経つのに、日本の親戚に結婚の報告と挨拶をするのが、これが初めてで、ご先祖さまの墓参りと親戚の挨拶廻りの忙しい中、私のためにわざわざ時間を取ってくれました。

日本人の奥さんと15歳になる娘さんも一緒です。

彼は叔父さんに言われたそうです。

「不義理もここまでくると、時効だな」

ま、彼はそこまで達観しているいい奴です。

ところで、彼の口からシュス・トムセンさんの死を聞きました。もう6年前の2000年7月だったそうです。

彼女はデンマークの人ですが、コペンハーゲン建築大学を卒業後、ロータリークラブの支援で1970年代に日本に留学し、これが縁で、今村君の出身地である福岡県の星野村の「源太窯」で焼き物を修行するようになった陶芸家です。文部省の給費留学生としても滞在しています。星野村の農村風景を写真にとって解説した本を出版したりもしています。

つまり、日本とデンマークの架け橋となる仕事をたくさんした人です。

私も今村君と知り合って、デンマークの彼女の住む工房兼自宅を彼と一緒に訪れたことがあります。彼女はコペンハーゲンの南のムーン島というところに一人で住んでいました。コペンハーゲンから電車で2時間、その駅から歩いて2時間くらい掛かる所でした。途中でヒッチハイクした記憶があります。もう三十年近く昔の話なので、あまり詳しく覚えていないのですが、真夜中なのに白夜だったので、あたり一面が明るく広大な麦畑が広がっていました。

彼女の寝床は屋根裏部屋で、そこに辿り着くには梯子を登っていきますが、彼女が寝るときは、その梯子をはずして屋根裏部屋にしまってしまうので、誰もその屋根裏部屋に近づけない家の作りになっていました。僕たち二人は1階で寝ました。

翌朝、コーンフレークのようなものと、ヤギの乳を出してくれたことを思い出します。

日本語に堪能で、残された写真を見ると「広辞苑」なども机の上にのっていました。

彼女は本当に日本を愛した人でした。徳利なども製作し、デンマークに日本の文化を伝えました。

彼女の祖父はデンマークの駅舎を設計した建築家で、親兄弟も建築家や芸術家だったようです。

今村君から最初はシュスさんは病気で亡くなった、と聞きました。

しかし、九州の地域誌に載った彼女の追悼号を読むと「コペンハーゲンのアパートで自殺」と書いてあったのです。

これには非常に驚き、つい落涙してしまいました。

晩年の彼女はムーン島の田舎の自宅を引き払って、コペンハーゲンに出てきましたが、芸術的創作に行き詰ってしまったようです。

もっと複雑な原因があったでしょうが、想像を絶する理由だったのでしょう。しかし、彼女の死がとても残念でなりません。

シュス・トムセンさん(1939・4-2000・7)は、現在、コペンハーゲンの共同墓地で眠っているそうです。

シュスさんの魂よ、安らかに…