失望しても絶望はしない!=86年ぶりに新関脇優勝した若隆景と毛利元就3兄弟

 3月末は毎年忙しいです。

 3月末といえば年度末です。そう、大量の人事異動の季節でもあります。となると、私は、これでも、まだ仕事をしているので、霞ヶ関の人事異動情報が殺到して、とても忙しくなり、ブログなんか書いている暇がありません(笑)。

 おまけにお花見の季節です。ウイル・スミスに平手打ちされても、桜見だけは欠かせません。

 とはいえ、このブログは私の「安否確認」サイトにもなっているので、暫く間が空くと皆様に御心配をお掛けすることになりますので、本日はお茶を濁すことに致します。

 何と言っても、2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻で、すっかり人生観、世界観が変わってしまいました。皆さんも同じでしょう。プーチンの戦争は、19世紀的、帝国主義的、領土拡大主義です。人間なんて、誇大妄想だらけで、これっぽちも進歩していません。

 並行してユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」の両書を読んでいましたから、余計にその思いを強くしました。自由も平等も人権も平和も神も宗教も、現生人類が考えた妄想か虚構、もしくは共同主観的ということになります。(ハラリ氏は「ホモ・デウス」の中で、「聖書」でさえ、「多くの虚構と神話と誤りに満ちた書物」=上巻215ページ=とまで言って糾弾しています。)

MInuma-tanbo 2022

 ところで、日曜日、大相撲の千秋楽で三つ巴になった優勝争いは、新関脇の若隆景が、大激戦を制して初優勝を遂げました。新関脇の優勝は、1場所11日制だった1936年5月場所のあの双葉山以来86年ぶりだということで、歴史的瞬間に立ち合ったような気分になりました。大袈裟ですけど、1936年といえば、「2.26事件」があった年ですからね。

 福島県出身の若隆景(27)は、祖父が元小結・若葉山。双葉山に弟子入り入門を許されて角界入りした力士でしたから何か縁を感じます。父が元幕下の若信夫。その息子たち、兄弟3人が、そろって角界入りを果たしました。長兄は幕下の若隆元(30)、次兄は前頭9枚目の若元春(28)、若隆景は三男になります。三世代かけて、そのDNAが受け継がれて、やっと幕内優勝を遂げたということになります。

 この3兄弟の四股名は、毛利元就の3兄弟から取ったといいます。つまり、あの「三本の矢」で有名な毛利隆元、吉川元春、小早川隆景です。戦国時代ファンとしてはたまらない、と言いますか、覚えやすいですね(笑)。

 ただ、小早川隆景の養子になった小早川秀秋(豊臣秀吉の正室ねねの甥)は、1600年の関ヶ原の戦いで、東軍の徳川家康方に寝返って、「裏切者」の汚名を歴史に残してしまいました。でも、大相撲とは全く関係ない話ですから、せめて若隆景はこれから大関、横綱と昇進して大活躍してもらいたいものです。

MInuma-tanbo 2022

 以上のことは相撲ファンにとっては常識の話でしたが、敢えて書くことにしました。知らない人は知らないでしょうから(笑)。

MInuma-tanbo2022

◇ブログを書くという恥ずべき行為

 実は、私は、ここ数日、ブログを書いて、世間の皆様に公にするような行為が浅ましいと、思うようになっておりました。

 しかし、侵略主義というパンドラの箱を開けてしまったプーチンの蛮行のおかげで、北の若大将がミサイルを狂ったように撃ち始め、大陸の皇帝は、数年以内に南の小さな島を侵略しようと目論んでいるようです。いずれも、「ロシアがやったんだから、我々がやってもいいじゃないか」といった論理で。

 そんな「プーチン後の世界」となり、刹那的でも人生を謳歌するしかない、と思い直しするようになりました。いつ何時、何が起きるか、これから先、分かったためしがありません。相撲でも観戦して、沢山の本を読んで、ブログでも書いて、ピアノでも弾いて、大いに人生を楽しむしかないじゃありませんか。

 人間に対して失望しても、絶望してはいけないというのが私のスタンスです。たとえ、人間は妄想の中で生きている動物だとしても、生きている限り、希望はあるはずですから。

我々は飢餓と疫病と戦争を首尾よく抑え込めなかった=ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」

 ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」上下巻(河出書房新社)をやっと読了しましたが、すぐさま、同じ著者の「ホモ・デウス」上巻(河出書房新社)を読み始めています。この本は未読でしたので、あまりにも「サピエンス全史」が面白かったので、途中で、本屋さんに駆け足で買いに行ったのでした。

 何しろ、ハラリ氏は若くして、歴史書から哲学書、経済学書、宗教書、最新科学書に至るまで浩瀚の古今東西の書籍を読破し、それら全てが頭にインプットされていますから、歴史的法則まで導き出し、予知能力まであるのではないかと思わされたのです。となると、彼の著作は全て読まなければいけないじゃないですか…。

 しかし、慌ててこの「ホモ・デウス」を読み始めると、「あれっ?」と思ってしまいました。この本の初版は2018年9月30日です。(そして、私が先日買った本は2018年10月10日発行での第10刷でした。)となると、著者が執筆した時点で、まだ全世界で新型コロナ(COVID‑19)のパンデミックが始まっていませんし、ロシア・プーチン大統領によるウクライナ戦争(2022年2月24日)も開始されていません。

 それらを割り引いて考えなければならないのですが、(そして、何よりも「事後法」で裁いた東京裁判の判事のような真似はしたくないのですが)、この本の数ページ読むと、こんな文章が出てきます。

 この数十年というもの、私たちは飢餓と疫病と戦争を首尾よく抑え込んできた。もちろん、この三つの問題がすっかり解決されたわけではないものの、理解も制御も不可能な自然な脅威ではなくなり、対処可能な課題に変わった。私たちはもう、これら三つから救ってくるように神や聖人に祈る必要はなくなった。飢饉や疫病や戦争を防ぐにはどうするべきかを、私たちは十分承知しており、たいていうまく防ぐことができる。(10ページ)

 あららら、これでは駄目ですね。著者に予知能力はなかった、と言わざるを得なくなります。まさに、今、ウクライナ南東部のマリウポリでは既に3000人以上が亡くなり、30万人以上といわれる避難市民が、食物も水もない薄暗い地下で飢餓に苦しみ、しかも、いまだにオミクロンのコロナは猛威を振るっています。早く戦争が終わるように、神に祈るしかありません。

 つまり、飢餓と疫病と戦争がハラリ氏が主張するほど、「理解も制御も不可能な自然な脅威ではない」ということを、もはや言えなくなってしまったのです。プーチン大統領の個人的な誇大妄想によるものだ、と説明してくれない限り、まずこの戦争は理解不可能です。21世紀になっても人類は相も変わらず同じ過ちを繰り返すとしか言うしかありません。

 とはいえ、私は、この本を閉じて読むのをやめたわけではありません。本文中で列挙されている「歴史的事実」が現代を生きる我々の教訓になるからです。著者のハラリ氏はこんな数字を列挙します。

・フランスでは、1692年から94年にかけて、全人口の15%に当たる約280万人が餓死した。それを尻目に、太陽王ルイ14世はベルサイユ宮殿で愛妾たちと戯れていた。

・1918年のスペイン風邪の世界的大流行で5000万人から1億人が亡くなったが、14~18年の第一次世界大戦での死者、負傷者、行方不明者の合計は4000万人だった。

・1967年にはまだ天然痘に1500万人が感染し、200万人が亡くなっていたが、2014年には、天然痘に感染した人も亡くなった人も皆無になった。

・2010年に肥満とその関連病で約300万人が亡くなったのに対して、テロリストによって殺害された人は世界で7697人で、そのほとんどが開発途上国の人だった。欧米人にとってアルカイダより、コカ・コーラの方がはるかに深刻な脅威なのだ。

・2012年、世界で約5600万人が亡くなり、そのうち人間の暴力が原因の死者は62万人だった(戦争による死者が12万人、犯罪の犠牲者が50万人)。一方、自殺者は80万人、糖尿病で亡くなった人は150万を数えた。今や砂糖の方が火薬より危険というわけだ。

 この最後の「今や」とは、著者のハラリ氏がこの本を執筆していた2017年か18年現在ということです。ウクライナ戦争を目撃している2022年3月の我々現代人は、いくら数字や統計を見せつけられても、「砂糖の方が火薬より危険だ」と言われてもピンとこないでしょう。

 「ホモ・デウス」の話はこれぐらいにして、最後に「サピエンス全史」を読了した感想文を追加しておきます。この本では、「いやに日本のことが出てくるなあ」と思ったら、「訳者あとがき」を読むと、訳者の柴田裕之氏がわざわざ、著者のハラリ氏に問い合わせて、日本関連のことを付け足してもらっていたんですね。

 だから、今から7万年前にアフリカ大陸を旅立った現生人類(ホモ・サピエンス)が日本列島に到達したのは、今から(わずか!)3万5000年前だったとか、インドや中国などアジアの大半は欧米の植民地になったというのに、日本がそうならなかったのは、日本が欧米列強のテクノロジーを積極的に取り入れて、産業革命を成し遂げたことを特記したりしていたんですね。

 この本は非常に面白い本でしたが、最後は結局、哲学的な幸福論になっている感じでした。

 ハラリ氏は「純粋に科学的視点から言えば、人生にはまったく何の意味がない。…現代人が人生に見出す人間至上主義的意義や国民主義的意義、資本主義的意義も、それに人権も自由も平等思想もまた妄想だ」と身も蓋もない絶望的な事実を突きつけておきながら、「苦しみの真の根源は、束の間の感情を果てしなく、空しく求め続けることだ。…真の幸福とは私たちの内なる感情とは無関係なので、内なる感情の追求をやめることだ」とブッダの教えまで引用して、読者を解脱の方向に導いてくれているかのようにも読めます。

 再読したくなる本でした。

 

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の答え=ハラリ著「サピエンス全史」

 高齢者になったというのに、浅学菲才なため、今でも勉強に追われています。

 私は、学者でもないのに、今、並行して10冊以上も本を読んでいるのです。こんなに勉強している凡夫は、世間広しと言えども、他にいないのではないかと思うほどです(笑)。別に自慢したいから、とか、認めてもらいたいから、こんなことを書くのではありません。電車に乗ると、スマホでゲームをしている人が多く、何か勿体なあと思うだけです。

 動機は単純です。「もっと知りたい」という欲求です。一番知りたいことは、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という命題です。そうです、まさにフランスの後期印象派の画家ゴーギャンがこの命題をテーマにした作品を描きました。

 私もこの命題を知りたいがために、宗教書を読んだり、歴史や哲学書等を読んだりしているのです。

 そしたら、あっさりと答えが見つかってしまったのです。ちょっと古い本ですが、1976年生まれのユヴァル・ノア・ハラリ氏の世界的ベストセラー「サピエンス全史」上下巻(河出書房新社、計4180円)です。「えっ?まだ読んでいなかったの?」と詰問されそうですが、初版が6年前の2016年9月30日です。当時、私は病院から退院して療養生活を送っていた頃で、読書しても頭に入らない時期でした。それ以降に読んでも良かったのですが、何やらかんやら他に優先的に読む本が次々に現れて(今でも)なかなか触手が伸びませんでした。

  今回、天から「Yさんもお読みになったことだし、『サピエンス全史』は必読書ですよ」との声が聞こえてきたのです(笑)。私は本によく書き込みをするので、購入することにしたのですが、今でも書店に売っていて、奥付を見たら、2021年12月30日発行で、何と93刷でした!この本は「全世界で1600万部の売り上げ突破」と帯の宣伝文句にありましたが、この数字を信じれば、ハラリ氏は超が付く大金持ちになったわけですね。どうでも良い話ですが、俗人にとっては受ける話です(笑)。

東京・両国「大江戸博物館」内カフェ「パニーニ・セット」800円

 いつもながら、前置きが長くなりましたが、「我々はどこから来たのか 我々は何者か」でした。答えは、我々はホモ(ヒト)属サピエンス(賢い)という生物で、現代まで唯一生き延びたヒト=人類種だということです。今から135億年前にビッグバンにより宇宙が生成し、45億年前に地球が形成されます。=物理学。38億年前に有機体が出現し、生物が生まれます。=生物学。600万年前までは、ヒトとチンパンジーは同じ祖先で、ここから初めて分化します。

 アフリカでホモ(ヒト)属が進化したのは250万年前。中東と欧州でネアンデルタール人が進化したのが50万年前。我々の祖先であるホモ・サピエンスが東アフリカで進化したのが20万年前で、他のホモ属が滅亡してサピエンスだけが唯一残ったのが、1万3000年前(それまで、共存していたか、襲撃して絶滅に追い込んだかのどちらか)でした。1万2000年前に農業革命が起き、5000年前にエジプトで最初の王国が生まれ、ここから歴史学が始まるわけです。

 ハラリ氏は、はっきりとは書いてはいませんが、これらの事実から読み解くと、我々とは猿から進化したものに過ぎず、しかも、我々の直接の祖先が誕生したのは、地球45億歳から見れば、20万年前というつい最近です。しかも、文明らしい農業が生まれたのが1万2000年前で、人類の歴史なんぞたったの5000年しか過ぎない。

 それなのに、ハラリ氏は「ホモ・サピエンスがこれから1000年後に生き残っているかどうか怪しい」と記述しているのです。これが「我々はどこへ行くのか」の回答になるでしょう。人類も1000年以内に地球上の他の生物(恐竜やニホンオオカミなど)と同様に絶滅する可能性があるというわけです。

 ロシアによるウクライナ侵略と、核兵器使用の威嚇という現在の状況から見ても、「1000年以内に絶滅」というのも、全く絵空事の数字ではないことが分かります。何しろ、ハラリ氏は「私たちは子供を、戦争を好むようにも平和を愛するようにも育てられる」(23ページ)と書いているのです。この本が出版された6年後に起きる「プーチンの戦争」を予言しているかのように読んでしまいました。

東京・銀座のロシア料理「マトリキッチン」 おすすめランチ1100円 店主曰く「嫌がらせはなく、むしろ同情してお客さんが増えた」とか。

 仏教思想に弥勒菩薩信仰があります。釈迦入滅後、56億7000万年後に、弥勒菩薩が兜率天(とそつてん)から下界に降りてきて如来となり、衆生を救済するという思想です。(その間は、地蔵菩薩が衆生を救済、地獄に堕ちた人までも救う)

 逆に、56億7000万年前ともなると、まだ地球さえ誕生していません。地球が出来たのは45億年前、生物が誕生したのでさえ38億年前ですから。となると、この56億7000万年後という仏教思想は実に壮大で深遠ではありませんか。

 ただし、これはあくまでもホモ・サピエンスが考え出した思想です。フィクションかもしれません。人類滅亡を少しでも先延ばしするためにも、まずは手始めに、今、最も身近なロシアによる戦争を止めなければなりません。

知能と意識は全くの別物=ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」を読みながら

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 12月某日、木曜日。日本を代表する週刊誌「週刊文春」と「週刊新潮」の発売日。朝の通勤電車内。7人掛けの椅子に座っている7人のうち5人、その前に立っている9人全員がスマホの画面とにらめっこしていました。週刊誌を読んでいる人、ゼロ、新聞を読んでいる人、ゼロ。本を読んでいる人、1人。それは私でした。

「サピエンス全史」が世界的なベストセラーとなり、現在、世界的に最も著名になった歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」(河出書房新社、2019年11月30日初版発行)を今、読んでいます。

 まだ、半分しか読んでいませんが、私的には、ブログを書くことが「主」で、本を読むことは「従」なので、まだ途中なのにこの本のことを語ろうとしています(笑)。実は、私はハラリ氏の前作「サピエンス全史」も「ホモ・デウス」も読んでいません。が、梗概だけは何となく知っています。そして、ハラリ氏がインタビューされている番組をテレビで見たことがあり、大変頭脳明晰ながら、かなり、かなりの饒舌家で、しゃべる速度と内容が思考の回転について行っていない様子で、ところどころで矛盾するように思われる箇所もあり、「内容明晰・意味不明」に陥っている感じでした。

 この本を読んでも同じ印象を受けました。論理展開が早すぎるのです。現代の話かと思ったら、1714年のバルセロナの大虐殺が出てきたりします。本人は納得していても、読者はついていけない面がありました。それでも、不思議にも4分の1ほど読み進めていくと、彼の策略に嵌ったかのように、分かってきます。なぜなら、環境問題にせよ、雇用問題にせよ、第1次資料は、市販かネット上から拝借された新聞や雑誌の記事や、テレビからの情報が多いからです。毎日、新聞を読んでいる人なら、そして世界史の知識があれば、目新しい話はなく、ついていけないことはありません。

 それよりも、ハラリ氏を有名にした言説の一つは、前作「ホモ・デウス」で明らかにした「人工知能(AI)とバイオテクノロジーの力でごく一握りのエリート層が、大半の人類を『ユースレスクラス(無用者階級)』として支配するかもしれない 」といった推測でしょう。彼は歴史学者であり、未来の予言者ではないので、必ずしも将来、彼の推測した通りにはならない、とひねくれ者の私なんか思っているのですが、耳を傾ける価値はあると確信しています。(私なんか、若いハラリ氏の容貌と体形がどうも未来の人類か宇宙人に見えてきます)

本書ではこんなことを書いています。

 吉報が一つある。今後少なくとも数十年間は、人工知能(AI)が意識を獲得して人類を奴隷にしたり、一掃したりすることを決めるというSFのような本格的な悪夢に対処しなくて済みそうだ。私たちは次第にAIに頼り、自分のために決定を下してもらうようになるだろうが、アルゴリズムが意識的に私たちを操作し始めることはありそうにない。アルゴリズムが意識を持つことはない。

 …現実に、AIが意識を獲得すると考える理由はない。なぜなら、知能と意識は全く別物だからだ。…(ただし、)AIが独自の感情を発達させるのが絶対に不可能ではないことは言うまでもない。不可能だと言い切るほど、私たちは、意識についてよく分かっていない。(99~100ページ、一部漢字改めなど)

 これは非常に分かりやすい論法であり、大いに納得します。

 人類のほんの数%の人間だけが、富と権力を独占し、残りの多くの人間がAIによって仕事を奪われて、不要階級に没落するというおっとろしい御託宣よりも…。(つづく)