足を踏まれた人の痛み

「二乃宮」

大島てるです。

バングラデシュで、日本のJICAから派遣された方々が、首都ダッカのレストランでテロ襲撃に遭って、命を落とされたということで、非常に胸が痛みました。

何も、遊びや旅行で行ったわけではなく、バングラデシュのため、お国のインフラ整備のために、仕事で出張されていた方々でしたので、お気の毒で、遺族の皆様には大変御愁傷様でした、と言う言葉以外見つかりません。

何よりも、実行犯の若者たちは、裕福な家庭に育ち、留学経験もあるインテリだったという事実には衝撃を受けました。開発途上の国を良くしようとはるばる遠方からやって来た外国人を、異教徒だからといって、殺害したりしますかねえ?日本人が何で十字軍なんですか?インテリは駄目ですね。

全く無関係なのですが、私にとって、バングラデシュと言えば、どうしても、ジョージ・ハリスンが主催した「バングラデシュ・チャリティーコンサート」を思い出してしまいます。

うろ覚えの記憶で、電車の中で書いているので間違っていると思いますが、確か、あのコンサートは、1971年8月に、ニューヨークのマジソン・スクウェア・ガーデンで開催された本格的な、世界初のチャリティーコンサートで、主宰者のジョージ・ハリスンは、長髪で胸まで垂れるほどの長い髭を伸ばして、目が覚めるほど真っ白の上下高級スーツを着こなし、クリーム色のフェンダーのストラトキャスターを弾きまくっていました。(日付等間違っていたらどんどん改訂します)

凄いお爺さんに見えましたが、当時、ジョージは28歳の若者でした。前年の1970年に、ビートルズが正式に解散し、ジョージ自身は3枚組LPのソロアルバム「オール・シングズ・マスト・パス(諸行無常という意味)」をリリースし、その中の「マイ・スウィート・ロード」が世界的に大ヒットして、ソロとして自信を深めていた頃でした。(盗作事件もありましたが)

私も、バングラデシュという国については、このコンサートで初めてその名前を知りました。コンサートの模様は、映画化され、私も何十回、映画館に足を運んだか覚えていないほど足繁く運びました。当時は、ビデオもネットもありませんからね(笑)。

映画では、独立運動で戦うバングラデシュの人々や、飢えで苦しむ子供たちが、沢山写っていました。

政治的な人物として前面に出していなかったジョージが、何故、バングラデシュ問題に関わったのかについて、映画の中での記者会見や、主題曲(?)のバングラデシュの歌詞にも出てきます。シタール奏者で、ジョージの友人のラヴィ・シャンカールから「助けてほしい」と支援を求められたからです。

シタールという楽器は、インドの古代から使われている楽器で、ビートルズのアルバム「ラバーソウル」(1965年)の中の「ノルウェー製家具」(以前のブログに書きましたが、「ノルウェーの森」はあまりにも酷過ぎる誤訳です!)で、初めて使われました。ローリング・ストーンズもすかさず真似して、「黒くぬれ!」で、ブライアン・ジョーンズが器用にシタールを弾きこなしています。

もう15年ほど前ですか、ノラ・ジョーンズという若い女性歌手が「ドント・ノウ・ホワイ」でグラミー賞を受賞して、大きな話題になった際、彼女があのラヴィ・シャンカールの娘だったということを知った時の驚きは今でも忘れません。

「バングラデシュ・コンサート」には、ボブ・ディランやエリック・クラプトン、レオン・ラッセル、ビリー・プレストン、バッド・フィンガーらが友情出演して大成功を収めました。

恐らく莫大なチャリティー金が出て、バングラデシュ政府に寄付されたことでしょう。昔なら、よかった、よかったで終わりますが、あれから、ひねくれ者として成長した私なんか、あの寄付金は、しっかり貧しい人たちの手に渡ったのか、不信感を抱いています。まさか、政府高官たちによって、公用車で別荘に行くお車代や、ホテル三日月への家族旅行に使われたんじゃないでしょうね?

いくら、数字や文章を見せつけられても、単なる統計に過ぎず、足を踏まれた人の痛みなんて、その人本人しか分からないものなんです。足を踏んだ本人が、とやかく、自分の功績として、数字を吹聴しているだけなのです。