NHK「映像の世紀 バタフライエフェクト」の「独ソ戦 地獄の戦場」は必見です

 先日見たNHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」の「独ソ戦 地獄の戦場」は、かなり衝撃的な内容で、頭にこびりついてなかなか離れてくれません。(5月31日に再放送があるようですから、お見逃しの方はどうぞ)

 1941年6月から45年5月にかけて、ヒトラー率いるナチス・ドイツとスターリン率いる共産主義国ソ連との全面戦争で、両軍(民間人も含めて)合わせて3000万人以上の死者を出したという人類史上最悪・最大の戦争です。最初に仕掛けたのはドイツでしたが、復讐が復讐を呼ぶ殺戮・殲滅合戦となり、反転攻勢したソ連が、逆にドイツ軍の捕虜を虐殺したりして、想像もつかない程の犠牲者を生みました。(嗚呼、だからソ連軍はシベリア抑留した日本人捕虜を奴隷以下に扱っても平気だったんですね。日露戦争の復讐です!)

 「この世の地獄だった」という生存者の証言もありましたが、まさに、地獄はあの世にあるのではなく、この世にあると思わせました。

 諸説ありますが、第二次世界大戦では、ソ連(1939年の総人口1億8879万人)は、民間人も含めて2700万人が戦病死したと言われ、ドイツ(同6930万人)では800万人以上が犠牲となったと推計されています。日本(同約7138万人)は310万人の戦病死者が推計され、日本全国津々浦々、何処の家庭でも犠牲者を出していたので、あまりにも多過ぎると思っていましたが、独ソ戦を含め、戦場になった欧州での犠牲者の数は、日本人が想像も出来ないぐらい桁違いです。

牧野富太郎先生に何の花か聞きたい

 スターリンは、19世紀のナポレオン戦争の「祖国戦争」になぞらえて、特に独ソ戦を「大祖国戦争」と銘打ちました。勝利を収めたソ連ですが、その陰には2700万人の莫大な死者の犠牲があったということになります。そのソ連の血を引くロシアのプーチン大統領がウクライナ戦争を仕掛けたということは、この大祖国戦争の延長で思考しなければなりません。つまり、今のウクライナ戦争は、独ソ戦争に抜きにしては語れないということです。プーチンも演説の中で、ウクライナのことを「ネオナチ」と呼んだり、大祖国戦争のことを持ち出したりしていますから。

 ということは、ロシア人は2700万人だろうが、考えられないほどの大量の犠牲者を出しても戦争を完遂する民族であるということです。イデオロギーだろうが、領土的野心だろうが、正義だろうが、名目は何でも良いのです。「戦争犯罪」何のその。勝てば官軍、勝てば責任なんか問われない免罪符です。そして、この分だと、戦争は短期間で終わらず、あと数年は続きそうだということです。

 プーチン大統領をウクライナ侵略に駆り立てた独ソ戦から引き出せる教訓は、やはり、全人類がもう一度、学び直すべきです。その点、この番組は最適です。

「自己肯定感が上がる人と付き合う」べきです

「歴史道」(朝日新聞出版)の最新号、第22巻「第二次世界大戦の真実」特集を読んでいます。

 第二次世界大戦は、1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことで開始された、と歴史の教科書で習います。しかし、どうもそれだけでは「真実」は解明されないようです。

 同誌を読んでいると、この独軍がポーランド侵攻する1週間前の8月23日に締結された「独ソ不可侵条約」が戦争の元だということが分かってきます。これは、ドイツとソ連が結託して、ポーランドを分割しようという秘密条約だったからです。案の定、ソ連は、ドイツ侵攻の約2週間後の9月17日にポーランドに侵攻し、ドイツと協定した分割線までハゲタカのように獲物を食い尽くしています。(独ソ不可侵条約は1941年6月22日にドイツが一方的に破棄し、独ソ戦が開始されます。)

 ということは、第二次世界大戦を始めた張本人はドイツのヒトラー一人だけというのは、大間違いで、ソ連のスターリンも一枚絡んでいた、というのが史実になります。日本では戦後民主主義教育によって、ソ連や社会主義が美化されて理想の国家のような幻想を抱かされた時期がありましたが、シベリア抑留の例を見ても、ソ連・ロシアはとんでもない国だと認識するべきだというのが普通の日本人の感覚です。21世紀になって、ロシアはウクライナに侵攻し、相も変らぬ蛮行を行ったので、すっかり「理想国家」の化けの皮が剥げてしまいましたから、今やロシアを擁護・美化する日本人は少なくなったと言えます。

北海道十勝 Copyright par Tamano Y

 世界史上、最大最悪のヒールを一人挙げろ、と言われれば、恐らく多くの人はナチスのヒトラーを挙げることでしょう。この本でも多くのことがヒトラーのことでページが割かれています。でも、自分自身が年を取ってみると、意外にもヒトラーは随分若かったことに気付き、驚かされます。1945年5月のベルリン陥落でヒトラーが自決したのは56歳。まだ、56歳と言いたいぐらい若かったんですね。何しろ、1933年1月、ヒトラーが首相の指名を受けたのは43歳の時でした。日本の岸田文雄首相が総理大臣に指名されたのが64歳ですから、如何に若いか分かります。ヒトラー絶頂期のベルリン五輪が開催された1936年8月の時点で、まだ47歳だったんですか…。レニ・リーフェンシュタールが残した映像を見ても60歳ぐらいに見えます。

 そう言えば、第二次世界大戦の米国の英雄ルーズベルト大統領はかなり高齢に見えましたが、病死したのは63歳だったんですね。日本を見ると、自決した近衛文麿は54歳、処刑された山下奉文は60歳、東条英機さえ63歳の「若さ」でした。

 高齢者になって見ると、こんな若者が戦争を指導してきたのか、という驚きの感慨です。

北海道 白髪の滝 Copyright par Tamano Y

 何が言いたいのかと言いますと、善悪の話は置いといて、子どもの頃にお爺さんに見えた歴史上の人物の年齢を超えると、どうも無力感というか自己嫌悪と自己否定に襲われてしまうのです。中原中也のように「お前は一体何をしてきたのだ」という思いに駆られてしまうのです。

 そんな時、新聞(日経 8月23日付朝刊)を読んでいたら、加藤俊徳著「脳の名医が教えるすごい自己肯定感」(クロスメディア・パブリッシング、1628円)という本の広告が目に飛び込んで来ました。この広告を読むと、「自尊感情」を高める脳の習慣として、

・1日「ほめ言葉」でしめる

・「朝散歩」を毎日する

・自己肯定感が上がる人と付き合う

 …などということが書かれていました。

 あれっ?この広告を読んだだけで、この本全部を読んでしまった気になってしまいました(笑)。そう言えば、私は、ほんの1人か2人ですが、私のことを否定するような人でも付き合ってきました。いけない、いけない。駄目ですねえ。しっかり、そんな交友関係は清算して、これからは「自己肯定感が上がる人と付き合う」べきですね(笑)。

 これは私だけではなく、皆さんにも同じことが言えるんじゃないでしょうか?

スペイン堪能記ー余話

ピカソ「ゲルニカ」

まだスペインから帰って早々ですので、いまだに「スペイン病」を引きずっております(笑)。

今日なんかは、東京・銀座の有名スペイン料理店「エスペロ」にランチしに行ってしまいました。

ランチ1200円と、小生としては、ほんの少し割高でしたが(10ユーロと考えると断然安い!スペインでは、ランチでも17~30ユーロが相場で結構高い)、上写真右のガスパッチョ(冷製野菜スープ)なんかは美味で、本場とさほど変わらない味でした。

この店は、パエリアの国際大会で優勝したことがあるらしく、店頭に誇らしげに表彰状を飾っておりました。

店内を見渡すと、闘牛のポスターばかりでした。

今回のスペイン旅行で残念ながら、闘牛を見ることができませんでしたが、本場スペインではどうやら「下火」になっているようです。2日目のミハスでランチしたレストランは、元闘牛場で、食堂に改装したものでした。

バルセロナでは、ガイドさんが「ここの闘牛場は先週、閉鎖されました」と仰るではありませんか!

色々、聴いてみると、どうやら、入場料がかなり割高で、地元の人があまり行かなくなり、主に観光客相手になってしまったとのこと。「残虐」ということで、動物愛護団体などから闘牛を中止するよう様々な形で要望があったらしい、ということでした。

私自身は20代の若き頃、ヘミングウエイの「日はまた昇る」を読んで、感動して、「いつか、闘牛を見てみたい」と思っておりましたが、恐らく、もう見ることはできないでしょうね。

今回のスペイン旅行の一つが、ピカソの「ゲルニカ」を見ることでしたから、実現したときは、「かぶりつきの席」で、10分間ぐらいジーと見詰めていました。そして、見れば見るほど、よく分からなくなる不思議な絵でした。

私の記憶が確かなら、1937年のスペイン内戦の際、バスク地方ゲルニカが、ナチスドイツ軍による無差別都市爆撃を受けたことから、当時パリにいたピカソは、新聞報道や写真などを参考に一気に描き上げたものでした。ヒトラーは、フランコによる要請で他国のスペインを爆撃しましたが、その2年後に開始される第2次世界大戦を見据えて、空爆の演習を兼ねていたとも言われます。(フランコは、これを取引に、スペインは第2次大戦に参戦しないことをヒトラーに約束させたという説もあります)

「ゲルニカ」は、一気に描き上げたといっても、縦3.49メートル、横7.77メートルというかなりの大きさですから、ピカソはその前に45枚の習作デッサンを描きました。それら習作も会場の国立ソフィア王妃芸術センター(マドリード)で展示されておりました。

ピカソが何故、この絵を白と黒だけで描いたのか、色んな説がありますが、白黒でも凝視すると、真っ赤な太陽や血の色などの色彩が網膜に浮かぶようでした。ついでに阿鼻叫喚の悲鳴や泣き声まで聞こえるようでした。

天下の「ゲルニカ」ですから、写真撮影は禁止でした。左右に屈強のガードマン2人が配置されておりましたが、かなりの至近距離まで近づいて見ることができ、感激しました。

バルセロナ ガウディ作「グエル公園」

今回のスペイン旅行で、「スペイン語不足」を痛感しました。

トイレに行くと「caballero(カバジェーロ)」と書かれた入り口は、「紳士」用だということが後になってようやく分かりました(苦笑)。(senora=セニョーラ、淑女は、すぐ分かりました)

ビールは、Cerveza(セルベッサ)、赤ワインは Vino tinto(ビーノ・ティント)、グラスで注文するならCopa(コパ)、ボトルなら、Bottella(ボテージャ)。

うーん、フランス語とも単語がじぇんじぇん違いますね。ポルトガル語とはほとんど似ているでしょうが。。。

何しろ、taberna(タベルナ=居酒屋)は、「食べるな」と言われてるようで、吃驚しますよね。

昨日書いたスペイン語のバカ=牛は、正確にはVaca(バカ)=雌牛でしたね。アホ=ニンニクは、ajoで、アッホとも発音するらしいですね。

加藤画伯の御令室によると、首都マドリードの Madrid は、本当は「マドリー」と言うのが正確なんだそうですね。最後の「d」は発音しないとか。

あと、スペイン語の疑問文は、最初に「?」の真っ逆さまを書きますよね?書き言葉は、読者に最初から、次に書かれているのは疑問文ですよ、と注意喚起するためなんでしょうか?

スペイン語に詳しい方は、どうか、コメントで御教授願います。

飢饉、戦争、そして大量の難民。。。

お盆休みに入り、テレビは「戦争もの」番組を放送するようになりました。

昨晩は、続けて見てしまい、今朝はちょっとテレビの見過ぎで片頭痛です(苦笑)。

その中で、NHK-BSの「映像の世紀」の「難民」は衝撃的でした。

・1920年代初頭に起きたソ連の大飢饉で、疫病と飢えで実に900万人もの人が亡くなっていたんですね。不勉強で知りませんでした。「映像の世紀」ですから、やせ細った子どもたちや路上で亡くなった人たちが映っていました。

番組では、レーニン政権はほとんど無策で、黙って見過ごしていた感じでした。国際世論の高まりで、世界各国から援助物資が届きますが、後に米大統領になるフーバー商務長官は、国内の物価抑制のために余った飼料を送るなど、人道的ではなく、極めて「政治的」だったことも明らかにしてました。

ヒトラー政権によるユダヤ人のホロコーストが600万人と言われてますから、900万人というのはとてもつもない数字です。番組では紹介されていませんでしたが、ソ連は、1932~33年にウクライナで起きた大飢饉でも、ほぼ計画的にウクライナを見捨てたフシがあり、600万人とも、一千数百万人ともいう餓死者を出したと言われています。「ホロモドール」と言われ、2006年のウクライナ議会で「ウクライナ人に対するジェノサイド」と認定されました。規模があまりにも大き過ぎます。

◇◇◇

・1936~39年のスペイン内戦では、50万人の難民が出ています。国境近くのフランスでは難民キャンプがつくられましたが、多くの人が亡くなったようです。

・この番組で初めて知ったのですが、第2次大戦で敗戦国となったドイツは、占領していたポーランドやチェコスロヴァキアなどから追放され、実に200万人もの難民が死亡したということです。伝染病や飢餓によるものが多かったでしょうが、強制労働や暴行をはじめ、広場でリンチのように殺された人もいたようです。まさに憎しみの連鎖です。(約1500万人のドイツ人が半ば強制的に占領地に移住させられたようです)

日本の敗戦後のシベリア抑留は約60万人で、約6万人が亡くなったとされていますから、この200万人という数字には驚愕しました。

・シオニズムの高まりにより1948年5月14日、ユダヤ人によるイスラエルが建国されます(ダビド・ベングリオン初代首相)。しかし、土地を強制的に追われたアラブ人は難民化します。その数は現在、500万人と言われています。パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長(1929~2004)が「ヒトラーのツケを我々パレスチナ人が払わさせられている」といった趣旨の発言は実に印象的で、心に残りました。

◇◇◇

もう一つの番組は、NHKスペシャル「”祖父”が見た戦場」でした。小野文恵アナウンサーが77歳の母親と一緒に、戦死した祖父小野景一郎衛生一等兵(享年34)の足跡を求めてフィリピンに行く話でした。

米国の国立公文書館の記録で、米軍は日本兵の遺体を一人ずつ数えていた資料が見つかり、5万人以上の死亡場所が分かりましたが、名前や所属は分からず、結局、昭和20年6月か8月に戦死した小野アナの祖父の最期の場所は分かりませんでした。

ほとんど玉砕でルソン島だけでも20万人以上が戦死したと言われます。私の大叔父もレイテ島で戦死しているので、どうも個人的にフィリピンと聞いただけで気が重くなります。

小野アナは、奇跡的に生還した90歳を超える元日本兵を訪ねますが、その中のお一人が「兵隊は消耗品のようだった」と話していたことが印象的でした。番組では、司令官や指揮官が誰でその後どうなったのか、までは触れていませんでしたが、一兵卒は、食料がなくて餓死したり、自決したりした者が多かったということです。それでいて、東京の大本営は「永久抗戦」つまり、時間稼ぎのために、玉砕するまで戦え、と安全地帯にいて命令するのですから、あの時代とはいえ呆然としてしまいました。

※数字は、諸説あります。

「マネー戦争としての第二次世界大戦 なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」にもかなりの記述あり

◇戦争を始めるのは誰か

先日、「国際金融アナリスト」を自認している浜本君とランチをした時、読了したばかりの渡辺惣樹著「戦争を始めるのは誰か」(文春新書)の受けおりで、「君は知っているかい?今の国際情勢を知るには第一次世界大戦と戦後のヴェルサイユ体制を知らなければならない。あの時、ドイツが如何に天文学的賠償金を押し付けられたことか。あのケインズが卒倒して精神に異常をきたしたほどなんだよ。あのヴェルサイユ体制のお陰で、その後の世界金融恐慌も、第二次世界大戦も起きた遠因になったんだよ。ルーズベルト米大統領は、ニューディール政策を失敗したから、戦争したくてしょうがなかった。チャーチル英首相も戦争によって、大英帝国の権益を守りたかったんだよ。満洲事変だって、世界史的視野で見なければ、本質が分からないんだよ」などと、受けおりの「歴史修正」史観を開陳したのでした。

すると、彼は、国際金融アナリストらしく「そんなこと今頃知ったの?(笑)ヒトラーがズデーテンやポーランドに侵攻したのは、単なる侵略だけではなくて、第一次大戦前のドイツ民族が多く住む元領土の失地回復だったし、ドイツが第一次大戦後にハイパーインフレに襲われて、リヤカーいっぱいにマルク紙幣を積んで行っても、パン1斤しか買えなかった逸話があるくらい。そんな時に賢いユダヤ人だけは、先を見込んでマルク紙幣ではなく他の通貨に代えたり、ダイヤや金などに投資したりしていたので、大儲けした。これが、ドイツではユダヤ人が恨まれて、ヒトラーのホロコーストにも繋がった、という説もあるんだよ」など言うではありませんか。

「随分よく知っているなあ」と私も感心してしまったところ、翌日、彼はある本を貸してくれました。「なあんだ」。彼の説も受けおりでした。この本に全部書いてありました。

それは、武田知弘著「マネー戦争としての第二次世界大戦 なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社、2015年8月18日初版)という本です。

ヒトラーは「侵略者」であり、「大量虐殺者」だということで歴史的評価は既に決定していますが、今でも、ヒトラーについては振り返る事さえ忌み嫌われ、タブーになっており、ヒトラーに触れただけで「トンデモ本」の範疇に括られてしまいがちです。

◇英米戦勝国史観を否定

しかし、この本は違いますね。著者の武田氏は1967年生まれで、大蔵省に入省しながら退官して作家になった経歴の持ち主らしいですが、かなりの書籍を渉猟し、これまで書かれた英米戦勝国史観を徹底的に洗い流しております。

彼は、戦争について、政治やイデオロギーからではなく、もしくは侵略とか自衛とかいう範疇でもなく、行き着くところの原因は「経済だ」と、元大蔵官僚らしい冷静な目で分析しております。彼は、その辺りを色んな統計を引用して説得力を持たせようとしております。

例によって、換骨奪胎で引用させて頂くとー。

・第二次世界大戦の原因はさまざまあるが、もし最大の原因を一つ挙げろと言われれば、ドイツの経済問題にあると言える。…第一次大戦の敗戦国ドイツは、ヴェルサイユ体制で、植民地は全て取り上げられ、人口の10%を失い、領土の13.5%、農耕地の15%、鉄鉱石の鉱床の75%を失った。この結果、ドイツ鉄鋼生産量は戦前の37.5%まで落ち込んだ。

・英国の経済学者ケインズは、仏ヴェルサイユ講話条約交渉の英国代表として参加したが、あまりにもの理不尽さに精神を病み、帰国後、「平和の経済的帰結」を発表する。この中でケインズは「ドイツの賠償金は実行不可能な額で、…それはいずれ欧州の将来に必ずよくない結果をもたらす。ドイツは近いうちに深刻なインフレに陥るだろう」などと予測、もしくは警告していた。

・ドイツ賠償金については当初、「ドーズ案」により、マルクで支払うことができるように「トランスファー保護規定」が決められていた。それが1929年の「ヤング案」によりこの規定が廃止され、ドイツ経済が破綻する原因となった。これが結局、米国の株式市場暴落をもたらす。

・ナチスは合法的に台頭し、ドイツ国民は選挙でヒトラーを選んだ。ドイツ財界も、ロシア革命が起きて間もない時でもあり、共産党への恐怖と強い警戒感があったため、ナチスを容認した。

・ナチスは、1933年に政権についたが、600万人いた失業者をその3年後に100万人程度に減少させた。36年には、実質国民総生産を28年より15%も上昇させた。

・1930年代は、日米対立の前に日本は英国と熾烈な経済戦争を繰り広げていた。貿易戦争の要因は、これまでの日本の主力輸出品だった生糸や絹に陰りが見え、綿製品だった。世界大恐慌の前の1928年、日本の綿輸出は英国の37%だったのが、1932年には92%となり、33年にはついに英国を追い抜いた。これに対して、英国は輸入規制を行い、特に植民地だったインドへの綿製品への関税は法外になる。インド政庁に働きかけ、英国製品は25%に据え置くが、日本製品には75%もの高関税を課した。このほか、当時の日本の主力輸出製品だった自転車にも高関税を課して日本をいじめた。

・欧米の植民地市場から締め出された格好となった日本は、勢い満洲や中国大陸に向かうことになった。有り体に言えば、満洲国の建国も南満州鉄道の利権争いが発端になっている。

・格差社会が軍部の暴走を招いた。昭和6年の山形県最上郡西小国村の調査では、村内の15歳〜24歳の未婚女性467人のうち23%に当たる110人が家族によって身売りを強いられた。警視庁の調べでは、昭和4年の1年間だけで、東京に売られてきた少女は6130人だった。2.26事件などを起こした青年将校らは農村の荒廃を動機に挙げている。

・昭和2年度の長者番付では1位から8位まで三井、三菱の一族で占めた。三菱財閥三代目総帥の岩崎久彌の年収は430万円。大学出の初任給が50円前後、労働者の日給が1〜2円の頃なので、普通の人の1万倍近い。現在のサラリーマンの平均年収が500万円前後なので、1万倍となると、岩崎は500億円近い年収だったことになる。2004年度の長者番付1位は約30億円。戦前の財閥が如何に金持ちだったことが分かる。(昭和初期は血盟団事件など財閥人へのテロが相次ぐ)

・1923年末、世界の金の4割を米国が保有。その後、第二次大戦まで増え続け、最終的に世界の金の7割を保有するに至る。

・1929年の大恐慌により、米国は、米国への輸入品2万品目の関税を大幅に引き上げる「スムート・ホーリー法」を成立させる。これにより、各国も関税を引き上げ、世界貿易は大きく縮小し、世界経済は混乱、疲弊していく。英国はカナダ、豪州などイギリス連邦以外には高い関税をかける。こうしたブロック経済化により、新興国日本は、中国全土に兵を進め始め、ドイツではナチスが台頭することになる。

・第二次大戦前まで、日本の最大の輸出相手国は米国だった。しかし、1938年に日本が「東亜新秩序」を発表すると、米国は日本に対して強硬策を取ることになり、翌年、米国は日本との通商条約破棄を通告。1941年の日本の仏印侵攻後は、米国は日本に対して「在米資産の凍結」を実行し、横浜正金銀行ニューヨーク支店を破綻に追い込んだ。これは日本の国際貿易が終わることを意味し、この時、日本は「日米開戦」を決断する。


まあ、凄いお話でしたこと!

「帰ってきたヒトラー」は★★★☆ 第5刷

哈爾濱市場 野菜もありまーす Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
北海道の雪祭り先生と、名古屋の海老不羅江先生と、博多のどんたく先生から、「『帰ってきたヒトラー』はご覧になりましたか?まだでしたら、是非ご覧になった方がいいですよ。今年のベスト5に入る作品ですよ」とのお勧めが沢山あったものですから、やっと、今日急いで見てきました。

映画館はいつも混んであまり好きではない東京・日比谷シネマ・シャンテ。ここは、国内でも唯一と言って良いくらいの当たり外れのない素晴らしい佳作か、翌年のアカデミー賞の最優秀作品賞に輝くような良い作品をばかり公開してくれるのですが、何せ、会場は狭すぎて、いつも超満員。

そこで、3日前になって急きょ、特別価格でネットを通して初めてチケットを購入してみたのです。

それが、大正解でした。

映画館に着いたら、またまた長蛇の列。こちらは列に並ばず、大助かりでした。ネットでの事前購入は、皆さんにもお勧めします。祝日とはいえ、東京は暇人が、随分多いんですね(笑)。隣県の千葉や神奈川や埼玉はこんなに混むことはありませんから。
五穀豊穣です Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

で、肝心の映画ですが、最初から何の予備知識を持たないで観たもんですから、喜劇なのか、悲劇なのか、笑っていいのか、怒っていいのか、さっぱり分からなくて、すっかり面食らってしまいました。

ま、それが、この映画作家の狙いなんでしょう。監督・脚本は1977年生まれのデビッド・ヴィネンドというドイツ人でした。まだ39歳ですか。かなりの才能の持ち主です。

物語も、ハリウッド映画のように、薄っぺらで、単純ではなく、複雑に入り組んでいて、まるでマトルーシュカみたいです。

蒸かしたてのトウモロコシはいかが? Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

アドルフ・ヒトラー役のオリヴァー・マスッチという俳優が、何か本物そっくりに見えてしまいます。

出演する極右政党の人たちが本物かどうか分かりませんが、まるで、ドキュメンタリーを撮影しているかのように見えます。

ヒトラー扮するコメディアン(という設定)が、車に乗って、道行く人に挨拶をしますが、その「通りを歩く人たち」が字義通り、一般人なのか、エキストラなのか、さっぱり区別がつきません。

なぜなら、ある人には目に黒い太い線が挿入されたり、ある人には顔や身体全体にボカシが入れられたりして、その人物が誰なのか、特定できないようにしているからです。

堂々と顔を出して登場する人もおりますが、その人は、偶然通りかかったのか、エキストラなのかさえ、分かりません。同じ場面で、目に黒太線が入った人がいるということは、フィルムに写った何百人、何千人という人間にいちいち「肖像権」やら「著作権」とやらを確認したんでしょうね、きっと。でも、それは、目が回るほど厄介で細かい仕事です。本当にそんな気の遠くなるような作業をしたんでしょうかねえ?

よく分かりませんが、ヒトラー役のマスッチがあまりにも落ち着いて、堂々として、役に入り込んでいて、薄気味悪いほど善人のように描かれ、現代にマッチした形で演説したりします。

特に、くだらない低脳番組のオンパレードで、人類を思考停止の能力退化に落とし入れているテレビに対して、ヒトラーは痛烈に批判します。

舞台は2014年のドイツですが、移民流入問題、失業問題、原理主義者の台頭、貧富格差問題、原発・環境問題など極めて身近な政治問題が取り上げられ、皮肉にも、蘇ったヒトラーが解決策を開陳して、再び、大衆の心をつかんでいく道筋は、80年以上前の1930年代とまるっきり変わりません。

この映画では、かなり、際どいタブーも取り上げられます。何しろ、ドイツ国内では、「わが闘争」が発売禁止だけでなく、公でヒトラー式の挨拶も禁止され、民族差別発言も禁止されているはずです。確か、逮捕されれば、禁錮刑にもなったはずです。

それが、この映画では、「タブーを破るジョーク」として堂々と出てくるので、観てる方が心配になってしまいます。

ですから、この映画は、単なるエンターテインメントではなく、ハラハラドキドキするスリラーに近いのかもしれません(苦笑)。

「ヒトラー〜最期の12日間〜」★★★

最近、色んな方から「コメント」を頂くようになりました。

閲覧者があまりにも少ないので、ブログをやめようかと思ったら「やめないで」と「ジョン・レノン」さんからの熱烈なラブコール。

少し、勇気づけられました。

「迷い人」さんには、少し、言いたいことがあります。

今の自分がそういう心境だからです。

もし、今、苦しみや悲しみを抱えているようでしたら、ほんの少しの間でいいですから、ずっと握っていることはやめて、手離してみてください。

人から気休め、と言われようがいいではありませんか。

自分が掴んでいる限り、苦しみも悲しみも立ち去ってくされません。

どうせ、すぐ舞い戻ってくるのです。

手離してみてください。

さて、どうしても見たかった映画を今日、やっと見ることができました。

「ヒトラー~最期の12日間~」

人口17万人の帯広ではどうしても見ることができなかったのです。

1200万人都市で見ました。

土曜日だったので、とても座れないと覚悟していたのですが、案外空いていました。7月公開だったので、見たい人はあらかた見終わったのでしょう。それにしても、都会人のあきっぽさ、には呆れてしまいます。

映画については、あまり多くは語れません。とにかく、見るべきです。
私にとっては、特に「新事実」らしきものはなかったのですが、第三帝国の指導者たちの若さには唖然としてしまいました。

ヒトラーにしても、自殺する直前に56歳の誕生日を迎えたばかりです。国家元帥のヘルマン・ゲーリングは54歳。あの宣伝大臣、ヨゼフ・ゲッベルスでさえ48歳。ゲシュタポ長官のハインリヒ・ヒムラーにいたっては45歳。軍需大臣アルベルト・シュペーアは、まだまだ40歳ではないですか。オウム真理教も驚く若さです。

あんな「若者」たちによって、無辜の民の運命が左右されていたかと思うと、信じられません。-とは、今を生きる現代人が言えるだけでしょうが…。