ゴヤの「サバサ・ガルシア夫人」がお気に入り=「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 三十六肖像」改訂普及版

 

 個人的にやっと自信を回復しつつあります。長いトンネルを抜けた感じです。

 この渓流斎ブログにまつわり、友人関係で悩んでいたのですが、些末な些細なことで、ブログも友人も私の人生のほんの一部だということを悟ることができ、スッと抜ける感じがしました。

このブログをたまに(笑)、読んでくださる都内にお住まいのNさんからは「もう一人の自分をつくられることが必要ではないですか」との助言も頂きました。

 そもそも、私自身、このブログで何か悪事を働いたとでも言うのでしょうか? カルト教団のように高額な寄付を強制したり、面会を強要したりしたわけでもない。自分の意見を述べただけで、言論の自由は憲法が保障してくれます。もっと自信を持っていい、と思い直したのです。

 とにかく落ち込んでいたのですが、その間、ジョン・レノンのアルバム「心の壁、愛の橋」(1974年発表)の中のNobody loves you という曲の歌詞を真面目に聴いて驚いてしまいました。

 Nobody loves you when you’re down and out

Nobody sees you when you’re on cloud nine

 Nobody loves you when you’re old and grey

Nobody needs you when you’re upside down

 と歌っているのです。意訳すれば、こんな感じでしょうか。

 人は、君が有頂天になっている時、関心すら示さないのに

 人は、君が落ち込んでいるのを見ると離れていくんだよ

 誰も、君が年を取って白髪になると露骨に嫌悪し

 君が動転していようものなら、なおさら必要とされないんだよ

 この時、ジョン・レノンは33歳という若造なのに、既に人生を達観しています。まるで、あと7年の生命しか残されていないことを予知しているみたいです。人は、自分の都合で、落ち込んでいる人間や弱者から離れていこうとする性(さが)があることをジョンは、自分の経験から見抜いたのです。

 私は、これまで真面目に、誠実に、律儀に友人たちと付き合ってきたのに、彼らが離れていったのは、彼らのせいであり、自分が誠実過ぎたからだと思うようになりました。

 逆に、これから、グレてやりますよ(笑)。鬼になりますよ。

 さて、この渓流斎ブログで度々、登場して頂いている松岡將氏が、またまた本を出版されました。「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 三十六肖像」改訂普及版(同時代社、2022年8月9日初版、1980円)です。

 6月30日に、「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景」(5280円)の「改訂普及版」(同時代社、2750円)を出されたばかりですので、かなりのハイスピードといいますか、底知れぬバイタリティーです。

 改訂普及版は、原本と中身はほとんど変わっていないので「書き下ろし」とまでは言えませんが、写真はほぼ全部入れ替わっています。これについては、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが方針を変更して、サイト内の作品がパブリック・ドメインと判断されたものは、その「デジタル・イメージ」をダウンロードしても良く、一般利用が可能になったからだというのです。

 ということで、原本では、著者が直々にワシントン・ギャラリーで撮影した額縁付きの写真でしたが、今回はその額縁がなくなったデジタル・イメージに置き換わっております。

 著者も「あとがき」で、「額縁から抜け出してその肖像画そのままになった方が、『人』としての親しみをより強く感じさせられるような気がしてきている」と書かれております。

 また、判型がA4判からA5判と小型化したので、携行しやすくなりました。

 この36人の肖像画のうち、個人的に、再読して、迷いながら、たった1点だけ選んでみましたら、54~55ページ、スペインのフランシスコ・デ・ゴヤ作「サバサ・ガルシア夫人」(1806~11年)に決定しました。

 そしたら、あら吃驚。この本の表紙絵になっておりました。この作品を表紙に選んだ著者と感性が少し似ていたのかもしれませんね(笑)。

「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景」の「改定普及版」が出ました

 スマホ中毒の私でしたが、FacebookなどのSNSを控えたお蔭で、中毒から立ち直りつつあります(笑)。

 要するに、ご贔屓筋からの「いいね!」などが気になり、電車の中でも、歩いていても、寝ても醒めてもスマホをいじっている悪循環が続いていたようです。いい年をして、「餓鬼かあ~?」と叫びたくなります。

 アプリの「サウンド」も「表示」もオフにしましたので、何の通知も来なくなり、気にならなくなりました。これが本来の姿だと思えば良いのです。

銀座・イタリアン「エッセンス」Aランチ(コーヒー)1100円

 思い返せば、私が初めてパソコンを買ってインターネットを始めたのは1995年のことでした。当時は、まだダイヤル式接続で、ブラウザはネットスケープナビゲーターを使い、動画は夢のまた夢で、画像が1分ぐらいかけて出て来ると大喜びでした。メールなんかも1週間に1回チェックする程度でした。牧歌的時代でしたねえ。

 今では車内を見回すと、90%の人がスマホと睨めっこしている時代になりました。スマホ中毒から解放されると、やはり、最先端の人類があんなものに振り回されて気の毒に見えるようになりました。

 さて、昨日、拙宅に版元から本が届きました。著者は、皆様御存知の松岡將氏でした。「えっ?また新刊出されたの?」と吃驚したら、表紙は見たことがありました。2年前に出された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景」(5280円)の「改定普及版」(同時代社、2022年6月30日初版、2750円)でした。

 2年で普及版を出されるとは、よっぽど評判で版を重ねていたのでしょう。確かに、「アングルのバイオリン」ながら、著者の写真撮影技術はプロ級でした。

 2年前の底本と今回の改定普及版と何処が違うのかと言いますと、まず大きさです。底本は大型のA4判のハードカバーでしたが、普及版は持ち運びも出来るソフトカバーのA5判です。

 中身のギャラリーの絵画の写真も、底本では額縁付きが多かったのですが、今回は額縁なしの画像です。これは、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの方針変更で、作品の中で、「パブリック・ドメイン」と明示されていたら、その作品の当該画像をダウンロードして一般利用が可能になったからだといいます。(著者の「あとがき」より)

 確かに、美術作品の場合、著作権はかなり厳しいです。個人が撮影した絵画の画像でも、新聞記事や出版物に掲載する際には著作権料が発生します。特に、MやPやFはうるさいことは、昔、美術記者だった私も経験上知っています(苦笑)。

 でも、ワシントン・ナショナル・ギャラリーがこうして「方針」を変更してくれたお蔭で、掲載写真がスッキリした感じになりました。

 恐らく、私自身はこの先、ギャラリーのある米ワシントンDCに行く機会が巡って来ないと思われますので、ワシントンに行ったつもりになって、この本を読みながら脳内で館内を散策しようと思っています。

 ついでに、スマホ中毒からも脱却するとしますか。

「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 三十六肖像」

 満洲研究家だと思っていた松岡將氏が、いつのまにか美術評論家になっていました。

 今年7月に「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景ー美の殿堂へのいざない」(同時代社)を発行したばかりの松岡氏が、今度は、その「参百景」の補遺版に当たる「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 三十六肖像ー美の殿堂へのいざない・補遺」(同)を10月20日に初版刊行されたのです。1年に2冊も出版されるとはそのバイタリティーには脱帽です。松岡氏の略歴は巻末に誕生日まで詳細されておりますが、昭和10年生まれということは、今年85歳。頭が下がるばかりです。解説がうまく的確にまとめられています。

 7月の前著「参百景」では、ワシントンの在米日本大使館勤務時代を中心に何年も何年もナショナル・ギャラリーに通い詰めて、同館の新米学芸員以上の作品に対する知識をご披露されておりましたが、新著の「三十六肖像」も大変読み応え十分で、鑑賞し甲斐があります。

 これでも、小生は大学の卒論にクロード・モネを中心にした「印象派」を選び、記者になってからは文化部の美術担当になったこともあり、全国、全世界の主要美術館も巡り歩き、美術の知識はかなりあると自負しておりましたが、「三十六肖像」の画家の半分近くも知らなくて、自分の不勉強を恥じるばかりです。思えば、自分が詳しかったのは、泰西美術の中でも、バルビゾン派以降の写実派や印象派やキュービズムやバウハウスなど近現代ばかり。それもフランス中心の知識でした。ドイツ・ルネサンスもロシア・アヴァンギャルドもあまり知らないし、英国系は、ターナーかミレイかウィリアム・モリスぐらいです。

 例えば、本書では、ギルバート・スチュアート(1755~1828)とトマス・サリー(1783~1872)という米国人なら誰もが知っている画家が登場しています。何で知られているかと言いますと、二人とも肖像画が得意でスチュアートの描いジョージ・ワシントン初代米大統領は1ドル紙幣に、サリーの描いたアンドリュー・ジャクソン第7代大統領は20ドル紙幣に採用されているからだといいます。正直、私は知りませんでした。

 本書前半にイタリア・ルネッサンスのエルコレ・デ・ロベルティ(1455/56~1496)の「ジネブラ・ベンティヴォーリョ」の肖像画(1474/77)も取り上げられています。

 私自身、この絵も画家も知りませんでしたが、解説を読むと、ロベルティは、40歳余で早逝したため、残された作品が少ないが、後の批評家からレオナルド(・ダビンチ)と比肩するほど高い評価を受けている、とまで書かれています。

 取り上げられた画家の中には、意外とペストや肺結核で亡くなっている方が多いのですが、作品はこうして残り、芸術は永遠だなあ、と感じます

 色々と勉強になりました。

 私自身は、フランスびいきのせいか、ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748~1825)の「フランス皇帝ナポレオン:テュイルリー宮殿の書斎にて」(1812)のあまりにも細密でその精巧さに、改めて驚かされました。ナポレオンが目の前に立って、まるで生きているような感じです。
 勿論、写真が綺麗なせいかもしれません。撮影した松岡氏の玄人はだしの腕前です。もしかして、ライティングにもしっかりと気を配り、カメラが当時の最高機種だったかもしれませんが(笑)。

 私も意地が悪いですが、本文中、ジャクソン大統領を第八代としたり(実際は第7代)、セザンヌのところで、1861年のところを1961年としたり、明らかな間違いを見つけてしまいました。恐らく、この本は売れると思いますので、第2刷の際に訂正されることでしょう。

【追記】

 FBからの読者であるK氏からのメッセージで、ワシントンの一連のスミソニアン博物館群の入場は無料だということを御教授頂きました。ワシントン・ナショナル・ギャラリーもその中に含まれるので無料です。K氏は、ワシントン出張の際、スミソニアン博物館に行けなくても、ワシントン・ナショナル・ギャラリーだけは行くようにしたそうです。

 また、私は知りませんでしたが、この一群の中にフリーア美術館があり、(ということは無料公開)、俵屋宗達の「松島図屏風」を所蔵しているそうです。明治に米実業家の手を経て海外に渡ったものですが、日本に残っていれば、勿論、国宝になった作品です。見たいなあ。

松岡將写真・文「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景ー美の殿堂へのいざない」(同時代社)

 「有言実行の人」です。

 まさかこんなに早く企画が実現するとは思ってもみませんでした。

 私のブログが本になりました。いや、間違いました。言葉足らずでした。屡々、私のブログに掲載させて頂いている写真(WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua)が本になりました、というのが正確です。

 7月7日に同時代社から刊行される「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景ー美の殿堂へのいざない」(4800円+税)という美術書のことです。

 写真と文は、近現代史・満洲研究家の松岡將氏です。1970年代初頭といいますから、もう今から半世紀近い昔。30歳代後半の農水省のエリート官僚だった松岡氏は在ワシントン日本国大使館勤務を命じられました。丸4年間の滞米生活を送った折、まさに公私ともに通い詰めた所がワシントン・ナショナル・ギャラリーでした。自宅から車でわずか20分という近距離だったこともあり、週末のプライベートの時だけでなく、日米農産物貿易交渉に関わる日本の国会議員や政府関係者、米国の上下両院議員、米農務省高官らとの接遇場所や空いた時間に案内するなど訪問回数は、幾何学級数的(多いという意味です)。ついでに撮った写真も何百枚、何千枚だったようです。詳しくは分かりませんが、そのカメラ装備も、ライカのようなプロ仕様だったと思われます。欧米の美術館のほとんどでは写真撮影は問題はないのですが、フラッシュ撮影は禁止でしょう。恐らくプロカメラマンのように照明まで配備できなかったかもしれませんが、驚くほど画像が鮮明で、画素数もかなり高感度です。

 実は、この有り余るほどのギャラリーの写真を松岡氏は最初、持て余していたようです。彼は、有難いことに、このブログの愛読者でして、私が適当に選んだ写真とブログの記事とのあまりにもの乖離(つまり合っていないこと)を嘆かわしく思われたらしく、ある日、「この写真をブログに御自由に使ってください」と、小生に添付メールで送ってくださったのです。

 そのうち、「ギャラリーの写真をまとめた本をいつか出したい」という話を伺ったのが、1年半ほど前でしたか。それが、「ある出版社に企画を持ちかけています」と聞いたのが、昨年の今ごろ。「著作権は大丈夫かなあ」と心配しつつ、その後、コロナ禍もあり、「企画の実現は随分先のこと」とこちらで勝手に思っていたところ、予告もなく、この本が「贈呈」として送られてきたのです。もう吃驚です。

 表紙の写真は、レオナルド・ダビンチ作「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」(1474~78)です。ダビンチの作品が欧州の美術館以外で所蔵されているのは、ここしかないそうです。この名作は、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの創設者アンドリュー・メロンの長女エルサ・メロン・ブルースAilsa Mellon Bruce (1901~1969)が1967年に購入したといいます。長い美術史から見れば、つい最近のことではありませんか。

 ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、世界の有名美術館の中でもごく新しい美術館で、実業家・銀行家で米財務長官などを歴任したアンドリュー・メロン(カーネギー・メロン大学に名を遺す)が1931年に個人でエルミタージュ美術館などから取得した収集品を米国民に寄贈する形で、当時のルーズベルト大統領と米議会の同意で1937年にワシントンDCの地で着工し、1941年に開館した美術館だったのです。近現代史、昭和史のど真ん中じゃありませんか。

 松岡氏はさすが近現代史研究家ですから、「あとがき」の中で、1931(昭和6)年は満洲事変が勃発した年、1937(昭和12)年は支那事変(日中戦争)が開始した年、ギャラリー開館2カ月前の1941(昭和16)年1月は、陸相東条英機大将が「生キテ虜囚ノ辱メヲ受クルナカレ」とする「戦陣訓」を全軍に示達した、などと書いておられます。

 そして、「ナショナル・ギャラリーは全長238メートル、戦艦大和は全長256メートルで、大きさはほぼ同じだった」などと過去の御自身の著作からも引用しています。日本が軍国主義に邁進している時に、米国は着々と文化を育成していたのです。

 本書では、肝心の美術作品については13世紀末の宗教画辺りから、ルネサンスを経て、近世、近代の写実主義、印象派辺りまで網羅しています。ダビンチ、ラファエロ、レンブラント、モネ、ゴッホら巨匠の名前は、表紙写真の帯に出ている通りです。

オランダの聖ルチア伝説のマスター「天上の聖母マリア」(1485/1500年)WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 私はかなりの面倒臭がり屋ですから、松岡氏からお借りした写真をブログに掲載する際、わざと(笑)キャプションを掲載しませんでしたが、この本ではしっかりと、作品名、年代、作者まで明記されていますので、長年、渓流斎ブログを見て「この写真の作品は何だっけ?」と悩んでおられた方々は、一気に解消されます。(松岡氏は、特別に思い入れのある作品については、個人的なコメントを添えています。例えば、上の写真の「天上の聖母マリア」については「ワシントン駐在となる数年前に母を失ったばかりの私の心を、仏画にも似て癒してくれるものだった」などと…)

 かつては王侯貴族ぐらいしかこのような美術作品に触れることができなかった時代と比べれば現代人は本当に恵まれています。しかも、ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、米国民のために設立された美術館なのに、「文化は人類共通の財産」として、異邦人(しかも設立当時は敵性国人!)にも自由に開放しているところが本当に素晴らしい。松岡氏もあとがきで、「(写真を)このまま自分一人のものとしておくのは、いかにも勿体ない。出来れば何とかこれを多くの人々と共有することができないか、と思うようになった」ことが、出版の動機だったことを明かしています。

 この「世界初」の書評(?)を読まれて御興味を持たれた方は、是非手に取って御覧になって頂ければ私も嬉しいです。