「政友会の三井、民政党の三菱」-財閥の政党支配

やっと、筒井清忠著「戦前日本のポピュリズム」(中公新書、2018年3月10日再版)を読了しました。

 先日、「昭和恐慌と経済政策」(中村隆英著)などに出てきた「帝人事件」などを話を友人の木本君に話したら、「この本にも『帝人事件』のことが出てきたよ。読んでみたら」と、貸してくれたのでした。

 中村教授の本が経済の側面から昭和初期をアプローチしているのに対して、筒井教授の本は、日露戦争終結直後の「日比谷焼き打ち事件」に始まり、昭和初期の「統帥権干犯問題」「天皇機関説事件」など、政治的、社会的事件を扱ったものです。

 筒井教授の著書は、タイトルの「ポピュリズム」にある通り、大衆の群集心理とそれを煽るマスメディアとの関係を描いていますが、ちょっと大衆デモと新聞報道との因果関係を強調し過ぎている嫌いがあります。

 大衆は、インテリ階級が考えているほど無知蒙昧でもなく、案外したたかに計算しており、新聞は、学者が思っているほど堅忍不抜ではなく、また、確固とした主張もなく時流に流され、自分たちの影響力を認識していないケースが多いからです。

 前半では、1905年の日比谷焼き打ち事件、1914年のシーメンス事件にからむ山本内閣倒閣運動、1918年の普選要求と米騒動など、今から100年ぐらい前の事件が登場しますが、100年経っても、世相はあまり変わらないなあと思ってしまいました。

 米国ではトランプ大統領が当選して、移民国家なのに、早速、本人は移民排撃政策を掲げましたが、移民排斥は今に始まったわけではなく、1924年5月15日には、「排日移民法案」が上下両院で可決されています。よく働く日系人たちは、「移民先では脅威と感じられた」からだそうです。この歴史的事実は、今の現代日本人はほとんど知りませんが、当時の反日運動の中で、プールでは「日本人泳ぐべからず」との看板が掛けられたのでした。(日本はその後、1930年代の上海租界で、同じような看板を立てました)

 カリフォルニア州の日系移民排斥の立て看板には「JAPS DONT LEAVE THE SUN SHINE ON YOU HERE   KEEP MOVING」と書かれました。「鬼畜日本人よ ここではお前たちに太陽の恵みを与えてやるものか とっとと出ていけ」とでも訳されることでしょう。つい最近、わずか95年前の出来事です。

 これに対して、日本では同年5月に米大使館前で抗議の切腹自殺が行われたり、東京と大阪の主要新聞社19社が米国に反省を求める共同宣言を発表したり、翌6月には帝国ホテルに60人が乱入して、「米国製品のボイコット」「米人入国の禁止」などを要求したビラを散布したりしました。これも、そのわずか95年後の現在、どこかの国で日本製品のボイコットが叫ばれたりして、何となく、既視感を味わってしまいました。

 さて、1931年9月18日、柳条湖事件をきっかけに満洲事変が勃発します。それまで、一貫して「反軍部」と「軍縮」を主張していた朝日新聞が、大旋回して社論を180度変更します。これまで陸軍批判の急先鋒だった(大阪朝日新聞主筆の)高原操は、10月1日の大阪朝日新聞紙上で「満洲に独立国の生まれ出ることについては歓迎こそすれ、反対すべき理由はない」とすっかり「転向」します。

 この背景には、著者は、朝日の不買運動があったことを挙げています。「満洲事変後、『朝日』に対する不買運動は奈良、神奈川県、香川県善通寺などで拡大、『3万、5万と減っていった』という。これに対して、『大阪毎日』は拡張していった。朝日の下村海南副社長は『新聞経営の立場を考えてほしい』と発言し、10月中旬の重役会で『満洲事変支持』が決定した」といいます。会社ですから、ビジネスを重視したわけです。

 こうして、大新聞は「軍神物語」を書きたてて、1945年8月15日の終戦まで、イケイケドンドンと大衆を煽り立てたわけですね。

◇反対党の家の消火はしません

 この本では、昭和初期の二大政党だった政友会のバックには三井が、民政党のバックには三菱がついており、財閥が政党を支配していたことが書かれています。こんな調子です。

 大分県では、警察の駐在所が政友会系と民政党系の二つがあり、政権が変わるたびに片方を閉じ、もう片方を開けて使用するという。結婚、医者、旅館、料亭なども政友会系と民政党系と二つに分かれていた。例えば、遠くても自党に近い医者に行くのである。…土木工事、道路などの公共事業も知事が変わるたびにそれぞれ二つに分かれていた。消防も系列化されていた。反対党の家の消火活動はしないというのである。(176ページ)

 なるほど、こんな極端のことが起きていたんですね。これを読んで、クーデターを起こした青年将校や右翼団体員たちが、財閥とともに、政党政治を批判していたことがやっと分かりました。

あと、細かいことですが、この本では、満洲事変の前に起きた1931年8月に公表された有名な中村大尉事件のことにも触れていますが、最後まで中村大尉で押し通して、名前が書かれていません。(実際は、中村震太郎大尉)この他にも、何カ所か、名前の姓だけしか表記されていないところがありました。

また、高原操のように、氏名だけしか書かれておらず、相当の知識人や研究者ならすぐ大阪朝日新聞社の主筆と分かるかもしれませんが、大抵の読者はピンと来ません。せっかく一般向けの教養書として書かれたのなら、もう少し簡単な説明や一言が欲しい気がしました。

茶屋四郎次郎は今でも続く大財閥だったとは!

 2019年、今年は個人的にも色々とありそうです。

 その一つが、旧友との交際がわずかながら復活したことです。その中の一人、根岸君とは3年、いや5年、いやいや10年以上は会っておりませんでした。行方不明といいますか、蒸発してしまったからです。

 その理由や経緯については、複雑な事情があって、さすがに茲では詳細に書けませんが、彼は一時期、ホームレス状態となり、生き倒れとなっているところを篤志家に助けられ、これまた一時期、社会福祉でお世話になっていたという噂を聞いたことがありました。

もちろん、彼の携帯電話もメールアドレスも通じません。恐らく解約したのでしょうが、親友だったら、変更したら連絡ぐらいするはずです。恐らく、過去を清算するために、かつて親しくしていた友人・知人とは絶縁したいのだろうと察し、しばらくそっとしておきました。何しろ、もうこちらから連絡を取る術がないのでどうしようもなくなくってしまったのです。

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でも、3年ほど前、ずっと気になっていたので、恐らく、この世で唯一繋がっていると思われる彼の御令弟(警察に捜索願を届けたのが彼でした)に連絡を取ることを思いつきました。連絡を取るといっても、御令弟の電話番号もメルアドも知りません。そこで、どういう手段を取ったかといいますと、御令弟が勤務する県と市と業種と名前を入力して検索したところ、顔写真付きで御令弟の連絡先が出てきたのです。彼はすっかり社会的責任のある偉い地位についておりました。

 早速、連絡したところ、御令弟は兄に伝えて小生に連絡することを約束してくれました。でも、それっきりで、余程の事情があるのか、彼の方からこちらに連絡してくれることはありませんでした。そこで、昨年、もう一度、御令弟と連絡を取って、根岸君とコンタクトできないか聞いてみました。同窓会に参加できるかどうかといった用件があったからです。

 そうしたら、やっと、彼から返事が来ました。でも、「身動きが取れないほど忙しいので同窓会には出席できない」という返事でした。その後、電話をしても忙しそうで出ることはなく、メールをしても3回に1度程度しか返事が来ないので、さすがに頭に来て、そのままにしておりました。

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そしたら、今年の元旦に彼からやっとメールが来たので、夜に電話したら通じたのです。さすがに、日本電産の永守重信会長じゃああるまいし、どんなに忙しくても正月ぐらい休んで仕事はしていないだろうと思ったからです。

 30分ほど話しているうちに、今、彼が何をやっているのかようやく分かりました。もともと、彼は教育関係の仕事をしてましたが、今は某大学の日本語講師と塾の英語講師と試験問題作成など複数掛け持ちしていて、首が回らないほどの忙しさだというのです。

よく、大学の講師の職が見つかったものだと思い、聞いたところ、あまりにも今の時代を象徴しているので、半分、微苦笑してしまいました。今、安倍政権は「人手不足」を理由に外国人労働者への門戸開放政策に踏み切りました。その前に、日本では「就労ビザ」が降りにくく、「学業ビザ」は簡単に降りやすいことから、色んな業者が結託して、「留学生」の名目で来日させて、仕事を斡旋するようになったのです。ここ15年前ぐらいからの出来事でしょうか。ここに、斡旋業者と財界と教育界との黄金のトライアングルができたわけです。つまり、新規に許認可される大学は、「時代を映す鏡」ですから、留学生のための「日本語学科」が増えたというのです。勿論、文部官僚も一枚からんでますねえ。

 でも、実態は、留学生とはいっても、金を稼ぐために日本に来ただけなので、真面目に日本語を勉強しない輩も少なからずいるそうです。出席日数が欲しいだけで、学業は二の次というわけです。

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ところで、「日本語教師」になるには、専門学校に行って、420時間の授業を受けて、単位を取って国家資格を取らなければならず、学費も100万円ぐらいは掛かると聞いたことがあります。でも、根岸君の場合は、一瞬、ホームレスをやっていたぐらいですから、そんな大金がないため、論文等による書類審査と面接だけで、つまり、資格なしで合格したというのです。凄い男ですが、「絶対に受かる自信があった」というかなりの自信家でもあります。いやいや、彼は秀才です。かなりの努力家というより桁違いの勉強家で、頭の切れるとても優秀な人物であることは確かです。

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 さて、彼を受け入れてくれた某大学は、2000年に創立された新興大学で、関東だけでなく中部地方にまで複数のキャンパスを持っています。そして、驚くべきことに、創立した母体が、日本史に名前を刻む有名な豪商・茶屋四郎次郎にまで遡るというのです。

 え?知らないですか?茶屋四郎次郎とは、安土桃山から江戸時代にかけて活躍した京都の豪商で、特に徳川家康の懐刀となり、武器兵器の調達から、諜報活動まで行い、巨万の富を築いた人で、代々、茶屋四郎次郎の名前を継いでいったと言われています。

 根岸君は「茶屋四郎次郎は財閥だよ、財閥。それもとてつもない大財閥だよ」と言うのです。財閥といえば、三井、三菱、住友、安田、そして大倉、浅野、鴻池…と私もかなり詳しい方だと思っておりましたが、まさか、歴史の教科書でしか知らない茶屋四郎次郎が健在で、今でも続く大財閥で、大学までつくってしまっていたとは全く知りませんでしたね。

 いやあ、驚きました。今の教育界はどうなっているのか、あくまでも個人的感想ですが、何か、魑魅魍魎とした感じです(失礼!)

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 そう言えば、以前(2017年2月23日)、この《渓流斎日乗》で、「凄過ぎる滋慶学園」を書いたことがあります。

 滋賀県出身の浮舟邦彦理事長が、この滋慶学園グループの創業者らしく、歯科衛生士、福祉士、整体師、そして、一気に飛んで、製菓調理師、ファッションデザイナー、挙句の果てには俳優、声優、ダンサー、歌手、アニメーター、おまけに美容師まで養成する専門学校から大学院レベルまで開校している、といったようなことを書いてます。

2年前のことなので、書いた本人は全く内容を忘れておりましたが、読み返してみたら、皆様ご存知のあの京洛先生がかつて、この滋慶学園グループのどこかの学校で教鞭を執っていたらしいことも書いておりました。

えっ?そうだったの!?