24日(日)は、東京・大手町のサンケイプラザで開催された大学の同窓会「仏友会」総会での講師に呼ばれまして、90分間ほど講演をしてきました。
仏友会とは、仏教を愛する同好会ではなく、東京外国語大学でフランス語を専攻した卒業生・中退生の親睦団体で、昭和初期からある伝統のある団体です。同じ外語大でも他の言語にはないようですが、フランス語は結束が固く、立派なHPもあります。かつての出身者に無政府主義者の大杉栄、作家の石川淳、詩人の中原中也、菱山修三らがおります。
フランス語以外では、外語大出身者には、作家の二葉亭四迷(露語)や永井荷風(清語)、童話作家の新実南吉(英語)らもおりますが、おっと忘れるところでした、島田雅彦先生(ロシア語)もいらっしゃいますが、学生時代に、東京大学出身の某教授が「外語出身者にはロクな奴がいない。皆、二流ばっかじゃないか」と暴言を吐いておりました。余計なお世話ですよねえ(笑)。大杉栄、永井荷風、中原中也といえば、皆、反骨精神の持ち主で、超一流の歴史に残る人物です。体制べったりで、のうのうと暮らす輩とは違いますよ。
てなことで、そんな反骨精神が買われたのか、今回、私が講師に選ばれてしまいました。最初、「大変優秀な先輩諸氏がいらしゃるというのに、何であたしが?」と思いましたが、振り返ってみれば、マスコミの記者として、普通の人ではとても会えない有名人に数多お会いして、インタビューしております。松本清張、司馬遼太郎、東山魁夷といった大御所を始め、吉永小百合や三田佳子ら大女優にもお会いしています。それに、レコード大賞の審査員を経験したお蔭で、芸能界と裏社会との濃密な関係など大衆の夢を壊してしまうような話を沢山、見聞してきました。そこで、「仕方なく始まった僕のジャーナリスト生活=通信社記者42年」という演題で、講演を引き受けることにしたのです。
依頼があったのは昨年末か今年初めで、講演のレジュメ(要旨)をつくっていったら、次々と色んなことを思い出し、最初、A4判で1枚だったレジュメが10回ぐらい書き直したり捕捉したりして、7枚に膨れ上がってしまいました。
当然ながら、90分という時間制限の中、全部話し切れず、半分ぐらいで尻切れトンボになってしまったのは、返す返すも残念でした。
講演内容の詳細はここでは書けません。何しろ、レジュメの頭記に「※取扱注意! 無断転載禁、門外不出でお願いします」」と書いたぐらいですから、世界中に愛読者がいて衆人監視されている有名な?渓流斎ブログに書けるわけがありません(爆笑)。
しかし、「情報」というものについてはいつもいつも考えさせられます。ナチス・ドイツの宣伝相だった・ゲッベルスの有名な「嘘も百回言えば真実となる」という言葉がありますが、(ゲッベルスではなく、ヒトラー説など諸説有り)、フェイクニュースも真実になってしまうのが、今のウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領やラブロフ外相らの言説に、まさに現れています。言論統制、マスコミ統制が功を制して、あれだけウクライナ市民を大虐殺したというのに、プーチン大統領の支持率が83%という信じらない数字が出ています。
今の日本がロシアを批判するのは簡単ですが、日本も戦時中は、ロシアと同じように言論統制して、撃墜してもいない戦闘機や軍艦を撃墜したと主張する大本営発表を国民(当時は臣民)に信じ込ませていたではありませんか。
今の資本主義が蔓延る日本の場合は、広告主の天下です。歌手や俳優やお笑いのタレントをとにかくマスコミで露出させて、その露出によって有名にし、その有名タレントを使ってCMに出演させ、「人気こそが信頼だ」と大衆をだまくらかして、欲しくもない商品を売りまくって経済を回しているという構図をもっと喋りたかったのですが、時間切れでそこまで話せませんでした。
それより、講師をやったお蔭で、講演会が終わった懇親会で、色んな情報が入って来たことは役得でした。
例えば、同盟通信社の初代社長の岩永裕吉の父親が大村藩出身の衛生医師長与専斎で、岩永の次兄の長与又郎は、夏目漱石の解剖に従事し、東京帝大の総長まで務めた人、実弟の長与善郎は白樺派の作家…といった話をしたところ、懇親会で「実は、私、長与善郎の縁戚に当たる者です」と仰る方が現れたので驚いてしまいました。
悪口を言わなくてよかった…(笑)。講演会では「皆、良い人です」と言っておけば間違いありませんね。
もう一人おりました。講演で、朝日新聞の芸能担当記者が、あまりにも生意気だったので業界から総スカンを食らい、あの美空ひばり(1937~89年、行年52歳)の訃報を特オチした(各紙が一面で報道しているというのに、朝日新聞だけがニュースを知らされず落としてしまった)伝説の事件の話をしたところ、懇親会で、田中先輩が近寄って来て、「あの特オチ記者、篠崎だろ?俺の高校の同級生だよ」と仰るので魂げてしまいました。
「高校は県立千葉高校だけど、あいつはなあ、高校の時から、将来、東大に行って、朝日新聞に入る、と宣言していたんだよ」というのでこれまた吃驚です。講師をやらなければ、分からなかった情報でした。
「特オチ記者」の汚名を背負った篠崎弘氏とは、私自身面識はありませんが、「伝説の記者」として業界では超有名人でした。その後、朝日新聞を退社せざるを得なくなり、現在は音楽評論家をされています。
ただ、篠崎氏の肩を持つとしたら、恐らく、彼は「業界の掟」を破ったのではないかと思われます。業界の掟とは「ギブアンドテイク」の世界です。業界が売り出したい無名のタレントを取り上げて書いてもらう、その代わりに、大物俳優が結婚、離婚したり、亡くなったりしたら、その情報をいち早くお伝えします、という「暗黙の了解」事項です。(今はネット社会なので、過去の話ですが)
恐らく、篠崎氏は、つまらないタレントや興味のないアーチストらのインタビューを断り続けていたのでしょう。それが、「あいつは生意気だ」ということになり、業界が結束して干したというのが真相ではないかと思われます。勿論、彼も天下の朝日新聞という大看板で踏ん反りかえっていたかもしれませんが。
コロナ禍にも関わらず、今年米寿を迎えた最高齢の渡辺先輩をはじめ、会場にまでわざわざ足を運んでくださる奇特な方が沢山いらして、本当に有難い、と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
最後の写真ですが、仏友会の幹事を務める吉田さんが出版された句集「スカラ座」で、献本として頂いてしまいました。これも、今回講師を務めたからこそです。御一人お一人の名前は書けませんが、事前準備から当日、会場での椅子の移動まで手掛けて頂いた幹事の皆様方には御礼申し上げます。