インド、そのあまりにも複雑な歴史、民族、言語、宗教

 進境著しいインドは、2027年にはGDP(国内総生産)でドイツ、日本を追い抜いて、米国、中国に続く世界第3位になると予想されています。

 人口は昨年、14億2860万人と推計され、中国(14億2570万人)を抜いて世界一になったというニュースは記憶に新しいです(国連人口基金)。

 まさに、飛ぶ鳥を落とす勢いですが、考えてみれば、インドの発展は今に始まったわけではありません。19世紀から20世紀にかけて、100年近くも英国の植民地になったため、「遅れた地域」の印象が焼き付けられましたが、もともと人類の世界4大文明の一つ、インダス文明(紀元前2600年頃)の発祥地だったんですからね。建国250年そこそこの米国など当時は影も形もありません。何しろ、「零」を発見した民族で、特別に数学に強く、世界中の大手IT会社から引っ張りだこで、グーグルやマイクロソフトなどでインド系の人がCEOも務めていたりしています。

 インドの歴史を一言で語ることは私には出来ません。アショカ王のマウリヤ朝、カニシカ王のクシャン朝など学生時代に一生懸命に覚えましたけど、大方忘れてしまいました(苦笑)。

 それより、インドといえば、何よりも宗教と哲学(ウパニシャッド)の国だという印象が私には強いです。宗教に関しては、日本の外務省の基礎データによると、インドでは「ヒンドゥー教徒79.8%、イスラム教徒14.2%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.7%、仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.4%(2011年国勢調査)」になっています。

 日本を始め、チベットや中国、朝鮮、東南アジアに普及して多大な影響を与えている仏教徒が、本国インドではわずか0.7%しかいないとは意外でした。イスラム教は、パキスタンやバングラデシュがインドから独立してイスラム国家をつくったのですが、インド本国にもイスラム教徒が14.2%占めていたんですね。でも、ほとんどのインド人は約8割を占めるヒンドゥー教徒だということが分かります。

 ですから、インドではヒンディー語が使われているものと思っていたのですが、多言語国家だと知って吃驚しました。ヒンディー語は「公用語」ではありますが、他に州単位で21の言語が公認されているというのです。知りませんでした。本日、この記事を書くきっかけとなりました。

 例えば、インド北東部では「ボージュプリ語」、南インドでは「タミル語」、インド西部では「マラーティー語」、北インドとパキスタンでは「ウルドゥー語」、インド南東部では「テルグ語」、インド東部では「オリャー語」が話されているというのです。タミル語とウルドゥー語はかろうじて知っていましたが、その他は初めて聞く言語ばかりです。

 インドの歴史を一言で語れないのもそのせいかもしれません。あまりにも複雑で、色んな民族が入り乱れているからです。今のアフガニスタン系の人が一時ですが、インドの一部に王朝を築いたこともあります。

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 インド文明の転換点は、紀元前1500年頃のアーリア人の侵入だと言えます。これまで、印欧語族のアーリア人は、インド北西部から今のイラン、アフガニスタンを経てインド大陸に侵攻し、ついに南部のドラヴィダ人のインダス文明を滅ぼしたという説が有力でしたが、最近では、インダス文明の滅亡は、インダス川の氾濫などが要因で、アーリア人侵攻とは無関係という説が有力になっているようです。

 それでも、アーリア人がインドを征服したことには変わりはありません。彼らが信仰していたバラモン教は、現在のヒンドゥー教に発展し、バラモンを頂点とするカースト制度がこの時に社会形成されたと言われています。征服者のアーリア人が被征服者のドラヴィダ人などの上に君臨するといった構図です。

 そうです。やはり、インドといえば、カースト制度の国で、「バラモン」(司祭)、「クシャトリア」(王侯・士族)、「ヴァイシャ」(庶民)、「シュードラ」(隷属民)の四つの身分制度があり、その制度の最下層に「ダリット」と呼ばれる不可蝕民がいます。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(釈迦)は出家する前は王子でクシャトリア階級でしたから、お釈迦さまでさえバラモン階級から差別されました。そこで、身分の隔たりなく、煩悩凡夫でも誰でも覚りを開くことを導く宗教を打ち立てのでした。その関係なのか、現在のインド仏教は、最下層のダリット階級の人々に多く信仰されていると聞いたことがあります。

 この身分制度は、3500年間、ガチガチで揺るぎないものだと私は思っておりましたが、最近では、「反バラモン運動」なるものが盛んで、これまで高額所得が得られる公務員や大企業の社員などになれるのはバラモン階級ぐらいだったのが、だんだん、その他の階級にも門戸が開かれるようになったといいます。現代インドは共和政であり、為政者も国民による選挙で選ばれるようになっていますからね。

 いずれにせよ、インドの歴史、文明、宗教、哲学はあまりにも複雑過ぎて、とても一言では表現できません。というのも、現在、日本で報道されるインド関係のニュースといえば、モディ首相の動向ぐらいです。あとは、世界最大と言われるインド映画の話題ぐらいですか。「反バラモン運動」が盛んになっていることなど、私は全く知りませんでした。

 今、聴き逃しサービスで聴いている水島司東大名誉教授によるNHKカルチャーラジオ「歴史再発見 走り出すインド」(全13回)で色々と教えてもらっています。

ホッブスの「リヴァイアサン」に学べ

 今朝も、新橋での人身事故で、通勤電車が遅れました。正直、もう勘弁してほしいですね。2月27日付の小生のブログ「人身事故は5000万円?」をお読みにならなかったのでしょうか。

 さて、久留米にお住まいの有馬先生からメールが届きました。

Espagnole

 《渓流斎日乗》を拝読させていただいておりますが、最近は、個人的な身辺雑記の話題が多いですね。もっと、天下国家や国際問題を語ってください(笑)。とはいえ、私はそれが正しいとは微塵にも思っておりません。身辺雑記の小宇宙(ミクロコスモス)の方が、世界観を反映していることがあるからです。

 正しさや正義を振りかざす人間ほど、扱いにくいものはないのです。

 ですから、これから述べる私見は、自分自身も正論だなどとは更々思っておりません。単なる持論であり、単なる個人的意見です。ということをまず断っておきます。

 何よりも、私自身が疑ってかかっている人間とは、自己主張が強く、自分の意見に凝り固まって、獄中に繋がれようと決して持論を曲げない人間なのです。戦前なら、獄中から出れば、英雄として迎えられ、組織の長ともなれたでしょうが、そもそも転向が悪の権化の如く、寄って集って指弾されるべきものなのかについては甚だ疑問です。

 人間は弱いものですから、拷問されたり、生命の危険に晒されれば、思想信条も二の次になります。人は裏切り、背信行為もします。人間は、か弱いものです。女に石を投げることができる、罪を犯したことがない人間は、そういないのです。

Alhambra

 ところで、「右翼」や「左翼」といった政治的に使われる言葉も境目が曖昧になりました。例えば、右翼=保守的=超国家主義。左翼=進歩的=自由主義といった単純な図式は当てはまらなくなりました。

 レーダー照射問題や徴用工問題で日本との関係が悪化しているお隣の韓国では、左翼と呼ばれる人権派弁護士出身の大統領を擁いておりますが、極めてドメスティックで、それどころか、司法も行政も国際条約を疎かにするような排外主義というか国家主義的になっています。(善し悪しは別として)

  また、文革時代にあれほど「走資派」を批判し、つるし上げていた中国は、今や資本主義の権化のような経済大国です。それでいて貧富の格差が拡大して、共産主義、社会主義が理想とする平等主義から程遠くなり、矛盾しています。

 それだけ、21世紀になって、イデオロギーや概念が大変革したわけです。かつての左翼が右翼的になり、かつての右翼が左翼的になったというか、そもそも最初から左翼も右翼も幻想で、なかったのかもしれません

Alhambra

 左翼思想も右翼思想もなかった時代。17世紀の英国の哲学者ホッブスは、その著「リヴァイアサン」の中で、「万人の万人に対する闘争」を説きました。これは、「弱肉強食」の自然状態 から脱するため、社会契約により、絶対的権力をもつ国家(リヴァイアサン)を設定すべきだと説いております。この契約によって、人間は、平和と相互援助を約束し合います。

 ということは、ホッブスは弱肉強食の世界を肯定しているわけではなく、むしろ、強者を諌めているのです。「万人の万人に対する闘争」である自然状態では、強者が常に勝つとは限らず、強者の支配が覆され、強者は天寿を全うすることができなくなる場合もあります。本来、人間は平等で、人間同士の欲求は競合しますから 「万人の万人に対する闘争」 が起こります。平等だから決着はつかず、「闘争」は永遠に続きます。だからこそ、強者は社会契約を受け入れて、弱者を蔑むこともやめるべきだというのです。

 よく考えてみれば、強者だって、病気や怪我をすればたちまち弱者です。強い若者も、老人ともなれば弱者になります。富裕層も没落すれば、あっという間にに弱者です。つまり、強者と弱者は紙一重なのです。

 今の時代、ホッブスの哲学がもう一度、見直されるべきではないでしょうか。

 有馬先生、どうも有難う御座いました。

 (ホッブスの項は、早稲田大学の豊永郁子教授の論考を一部引用させて頂きました)

「近代文学の終り」

柄谷行人著「近代文学の終り」(インスクリプト)を読みました。

深い溜息が出ました。柄谷氏は、いわば、文学を主体フィールドとして活躍されてきた評論家ですが、その氏が、いわゆる職場であり、食い扶持でもある文学が「もう終わった」と宣言しているからです。

氏によると、近代文学とは、概ね小説の形式を指し、その小説は、最近まで、政治よりも政治的影響があり(例えばサルトルのアンガージュマンなど)、宗教より宗教的(例えば、司馬遼太郎の「空海の風景」など一連の小説等もそうかもしれません)で、哲学より哲学的であった(思い当たるのは「ソフィーの選択」ですかね)時代があったが、最早、その役目は終わったというのです。

それは、1980年代で、いわゆるポストモダンと言われた時期で、若者は小説よりも「現代思想」を読み、文学の地位や影響力が著しく低下していったというのです。柄谷氏の友人でもあった中上健次が亡くなって、「文学が死んだ」と、氏は痛感したようです。

こういった現象は、日本だけが特異ではなく、欧米先進国では、もう少し早くから始まったというのです。韓国でも、氏が1990年代に知り合った韓国人の文藝評論家が、今世紀に入って、皆、文学から手を引いてしまったというのです。それでは、彼らが何をしているかというと、エコロジーや環境問題の運動に携わっていったのです。それは、かつては「文学」が担っていたことです。(例えば、労働運動や社会運動などもプロレタリア文学をはじめ、担っていました)

広い意味でかつて文学が担っていた役目が終わり、新しい傾向や潮流にはもう文学・小説の枠では収まりきれないか、対処できなくなり、新しい形式、スタイルが生まれざるを得なくなったという時代的背景を、氏は説明したかったと思います。ですから、読んで頂ければ分かるのですが、非常に刺激的な論考で説得力があります。

この論考の中で、面白い言葉が出てきました。「他人指向」です。ヘーゲルの言葉らしいのですが、「他人に承認されたいという欲望によって動くこと」なのだそうです。全く個人の主体性がなく、他人のことばかり気にしながら、あちらこちらに浮動する大衆がその典型です。それは、アメリカの自由主義経済と消費社会が頂点を極めて、テレビが中心だった1990年代までのエートスらしいのですが、今の21世紀の時代になっても、かなり続いている面があると思います。

今は、マルチメディアの時代に入り、このように、個人が情報を発することができる高度情報化時代になりました。柄谷氏は、今の時代のエートスまで、分析してはいませんが、またまた、新たな「新人類」が発生し、文学とは違った何かが幅を利かせるようになる、ことでしょう。

ただ、柄谷氏の締めの言葉は悲観的です。「私はもう文学には何も期待していません」と結ぶのです。

壮絶です。