本日8月15日は、78回目の終戦記念日です。昭和20年8月15日は、明治維新から77年目のことでしたから、それを越えてしまったわけです。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」と中村草田男が詠んだのは昭和6年(1931年)でしたから、昭和20年(1945年)当時の人々から振り返っても、明治維新(1868年)は遥か昔に思えたことでしょう。(江戸時代生まれの日本人も健在だったことでしょうが)
同じように令和の現代人が、昭和の敗戦時を振り返れば、同じように遥か遠い彼方の出来事だと思うのは当然です。戦後生まれは、既に、日本の人口の8割以上占めていますから、戦争体験者も減りましたし。
本日、日本武道館で開催された全国戦没者追悼式(台風7号の影響で、9府県の代表者が参加出来ず)では、天皇陛下から「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。…ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」とのお言葉がありました。
その半面、岸田首相の式辞は、昨年とほとんど同じのコピペ原稿を感情も入れずに棒読みしていただけでしたから実に情けない。東京新聞の調べでは、660字の9割が「一言一句同じ」だったといいます。岸田さんにして1957年の戦後生まれですが、さらに自分より若いスピーチライターに丸投げして、戦禍の悲惨さの想像力の欠如がおぞましい。
世界史上初めて、日本は原爆の被爆国であり、先の大戦では、民間人、軍人、軍属ら310万人という尊い生命が奪われました。戦争で最初の犠牲になるのは無辜の市民であることは、ロシアによるウクライナ侵攻でも見せつけられました(ブチャ虐殺の悲劇)。同時に日本はアジア諸国等に対する加害者でもありました。
私も、二度と戦争を繰り返してはいけないという強い信念がありますが、今の「戦争を知らない」為政者たち、特に、自民、公明、日本維新の会の皆様は、一刻も早く平和憲法を改正して、軍備増強に躍起になっておられます。本人や家族は絶対に戦場に行かないと思っているからでしょう。
また、戦前と全く同じように、強大な財閥、中でも、軍需産業企業がこれらの政党を後押ししているような言動が最近、見受けられます。
先の大戦は、政界、財界、官界のエスタブリッシュメントが立案、計画、プロデュースして、新聞と臣民が追従、追認、挙句の果てには率先して遂行したものでした。
もし仮にまた戦争が起きるとしたら、全く同じ轍を踏むことでしょう。何を差し置いてでも情報戦から始まります。好戦的なメディアが周囲の危機感を煽り、SNSでは流言蜚語が飛び交い、逆に世論が政府を突き動かすことでしょう。「何で、早く始めないのか」と。
政府による思想統制を端緒に隣組も復活して、裏切り、寝返り、告げ口、陥れ、濡れ衣が横行することでしょう。日本人は集団ヒステリーを起こす傾向が強いので、非国民をあぶり出し、不逞外国人を排斥し、膺懲(ようちょう)といって、集団暴行をすることでしょう。
嗚呼、こんな悪夢が正夢にならないことを祈るばかりです。が、やはり、教育が重要です。戦争の悲惨さは何世代にも渡って伝えていかなければなりません。だからこそ、こうして終戦記念日があり、全国戦没者追悼式が挙行されるわけですから。