意外に多い仏教系大学

 先日、高野山にお参りした際に泊まった宿坊「天徳院」の直ぐ近くに高野山大学があり、天徳院の若い住職さんも歩いて通ったらしく、大学と宗教の関係に興味を持ちました。

 高野山大学は、もちろん、空海が開いた真言密教を学ぶ大学で、835年(承和2年)に朝廷より真言宗後継者育成制度を認定されたことに始まりを持つと言われています。世界で最も古い総合大学は、イタリアのボローニャー大学(1088年)と聞いたことがありますから、凄いですね。

 空海は、828年(天長5年)に、貴族だけでなく、庶民にも開放して京都に綜藝種智院(廃校したものの、戦後に種智院大学として継承)を創設しており、日本で最も古い教育機関かなと思いましたが、 聖徳太子が 推古元年(593年)に 、仏教を学ぶ場として創建した四天王寺敬田院(きょうでんいん)があり、これが現在の四天王寺大学に発展したとも言われています。

 さて、空海の最大のライバル(?)といえば、最澄ですが、最澄が開いた天台宗比叡山延暦寺は宗教大学の総本山みたいなところで、ここで学んだ僧侶の中には、天台宗の基礎を築いた円仁をはじめ、融通念仏宗の良忍、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮ら多くの宗派の開祖を輩出していることからも分かります。

高野山 奥之院

 しかし、現在存在するその天台宗系の大学はほとんどなく、大正大学ぐらいなのです。大正大学は、私の出身大学のすぐ近くにあったので、よくキャンパスに入ったことがあります(教室はありませんが)。 落ち着いた雰囲気で、学生数も少なく、仏教系の大学だということは知っていましたが、宗派は知りませんでした。

大正大学は大正15年(1926年)、天台宗、真言宗豊山派、浄土宗の三宗の連合大学として創立します。 昭和18年(1943年)に智山専門学校も合併して、真言宗智山派も加わります。また、最近では、時宗も加わったようです。

 初代学長は、文部官僚で、東北帝大、京都帝大の総長も歴任した澤柳政太郎。「随時随所無不楽」(随時随所楽しまざる無し) が彼のモットーでしたね。大正大学出身者に、浄土宗宗務総長も務めた作家の寺内大吉がおります。

 仏教系大学はかなり多くありますが、一番有名なのは、親鸞の浄土真宗系大学でしょう。京都にある龍谷大学は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)、大谷大学は、真宗大谷派(東本願寺)で、全国に○○大谷大学も結構あります。

太田道灌像=芳林寺(さいたま市岩槻区)

 意外と知られていないのは、東京の駒澤大学が道元の曹洞宗系の大学だということです。起源は、天正20年(1592年)に駿河台の吉祥寺内に設けられた旃檀林学寮にまで遡ることができるといいます。この吉祥寺を創建したのが、かの太田道灌公で少し驚いてしまいました。江戸時代に入り、明暦の大火で今の駒込に移転しました。横浜の鶴見大学も、総持寺系の曹洞宗の大学です。

◇花園大学、妙心寺の算盤面

 京都の花園大学は、臨済宗の妙心寺派ですね。 明治5年(1872年)、境内に創設された旃檀林学寮にまで遡ると言われています。

 いつ誰が言ったのか定かではありませんが、京都の臨済宗の禅寺について、「妙心寺の算盤面、建仁寺の学問面、南禅寺の武家面、東福寺の伽藍面、相国寺の声明面、大徳寺の茶面」という格言(?)があります。

  妙心寺が何故「算盤面」と言われるのか、諸説あるようですが、国内にある臨済宗寺院約6000カ寺のうちの半数以上が妙心寺派の寺院で、財政的に厳しく、倹約と合理化に努めたから、らしいのです。

 日蓮宗系の大学には立正大学などがあります。

 天理大学や創価大学など、新興宗教系の大学もかなりありますが、小生の力及ばず、この辺でやめておきます。

川島昭隠の「書」

公開日時: 2008年5月21日 @ 10:14

調布先生が年甲斐もなく(笑)子供のようにはしゃいでいます。

何やら、最近、オークションにはまって、「激戦」の末、川島昭隠老師の「書」を競り落としたというのです。

http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n65427048

川島老師は、岐阜県生まれの禅僧で、妙心寺派管長などを務め、大正13年(1924)に60歳で入寂されたそうですが、正直、私はよく知りませんでした。

この「書」には、正眼寺住職を務めた谷耕月老師の箱書が付き、調布先生によると、その価値を飛躍的に高めているということです。

またまた、谷老師についても私はよく知らなかったのですが、谷老師には、二階俊博や田中六助といった政界の大物が師事したという話です。戦国時代の安国寺恵瓊http://blog.goo.ne.jp/keiryusai/e/52483bbd78e7a1c4ba49017bd6ec97d3をはじめ、政治家と老師とはいつの時代でも密接な関係があるものなんですね。

つまり、いつの時代でも、老師は、精神的なメンターから政治的仲介交渉人の役割を果たしてきたという意味です。欧米やイスラム世界でも同じでしょうね。

さて、川島老師の「書」の話です。調布先生は「やっぱり、すごい。本物の迫力は違う。いつか見に来てくださいね」とウキウキされております。

世の中、「四川大地震」や「米大統領候補選挙」など色々とあるのに、私も、どうやら「半径500メートル以内」の狭い世界で生きているようです。

でも、いつか、この「書」の写真をアップできたらいいなあ、と思っています。