藤井七冠が歴史的快挙達成、しかし…

 将棋の藤井聡太さん(20)が先日、渡辺明名人から名人を奪取し、竜王、王位、叡王、棋王、王将、棋聖と合わせて七冠を手にしました。1996年に羽生善治九段(52)が達成して以来、史上2人目の快挙です。同時に最も歴史のあるタイトルである名人位を20歳10カ月という最年少記録で獲得したことになり、谷川浩司十七世名人(61)の21歳2カ月を40年ぶりに塗り替えました。

 我々は同時代人として歴史的快挙を目撃する幸運に恵まれたわけです。あと残りの「王座」を獲得すれば、全タイトルの八冠となり、その偉業は年内に達成されそうですが、こういう天才はまず50年に一人か100年に1度現れるかどうかです。まさに、我々は歴史的瞬間に立ち合うことができたのです。

 …なぞと大袈裟に書きましたけど、将棋に詳しい会社の同僚から、「彼は六冠も獲ったというのに、昨年の年収は1億円ちょっとだったんですよ。あまりにも少ないと思いませんか?」と耳元で囁かれたのです。えっ? 本当? あれだけ苦労して獲得したのに、たったそれだけ? 報道の推定によれば、藤井六冠の昨年の年収は1億1000万円程度だったようです。今年の年収は七冠となり、広告出演も増えて収入も倍増することから、2億2000万円程度が予測されますが、それにしても少ない。

 1億円は確かに庶民にとっては「高嶺の花」ではありますが、先日、暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)容疑などでUAEから護送されたガーシーこと東谷義和容疑者(51)は、2022年4~8月のわずか5カ月間で、YouTubeなどの広告収入で、1億数千万円も荒稼ぎしたと報じられました。たった5カ月で1億数千万円も稼げるなんて、おかしいですね。そのシステムというか、スキャンダルに群がる大衆というか、そういう土壌をつくっている社会というか、やはり、おかしい。狂ってますよ。

 その点、藤井七冠は自分の努力で、衆人環視の下でプロとして、しかも、かなり超人的なハードスケジュールで堂々と仕事をしているわけですから、その見返りの報酬は、やはり、少ないと誰もが思うことでしょう。

 勿論、理由は色々と考えられます。将棋や囲碁などのタイトル戦は、主に新聞社が近年、部数拡販のために主催して始めたわけですが、最近の新聞販売の部数低迷で、どうしても賞金は少なく抑えざるを得ません。収益として観客を呼ぶとしても、多くても数百人程度でしょう。野球やサッカーのように、一度の試合で5万人も呼べるわけがありません。

 2023年の途中経過で、プロスポーツ選手で一番稼いでいるのは、やはりサッカー選手で、アルゼンチン代表のリオネル・メッシ選手。広告収入を含めて155億円と言われていますから、桁違いです。気になる「二刀流」の大谷翔平選手は、年俸39億円、広告収入は30億円以上が予想され、70億円以上になるのではないかと言われています(あくまでも推定)。

 他人様の懐具合をこれ以上探っても、何の足しにも教訓にもなりませんから、この辺でやめておきます。年収〇万円の私は仏教的諦念と六波羅蜜の忍辱で耐えるしかありませんよ。

羽生善治著「決断力」不利な状況を喜べる人間 

羽生善治の『決断力』。昨日の続きです。

第1章「勝機は誰にでもある」から…。

「私は人間には二通りあると思っている。不利な状況を喜べる人間と、喜べない人間だ」

「完璧な将棋を指さない限り、欠点がないことはない。私は神様ではなく人間なのだから、私の将棋にも、もちろん、欠点はある。もし、私が『ハブ・ヨシハル』と対戦したら、攻略する作戦はある。企業秘密なので言わないが、自分ではわかっている。自分ではわかっているのだから、その欠点を消すことができるかというと、それは難しい。例えば、今トップを争っている人たちは、欠点を裏返すと、それがその人の一番の長所であったりする。だから、それを消そうとすると、また別の欠点が出てくる」

こうして、彼の「文章」を写していて、これは、彼が書いたものではない、と私は確信しました。
読んでいるときには分からなかったのですが、これは書き言葉ではないからです。

おそらく、ゴーストライターが、「聞き書き」したのものでしょう。

矢沢永吉のベストセラーになった『成りあがり』のゴーストライターは、確か、糸井重里氏ではなかったかしら。

話がとんでもない所に飛んでしまったので、今日はこの辺で。

羽生善治の決断力 

久しぶりに、赤線を引きながら本を読んでいます。

羽生善治著『決断力』(角川)

言わずと知れた将棋界の天才「7冠王」です。

私自身、将棋は小学校の時に遊びでやっただけで、全くの素人です。負けるのが悔しくて、遊びで指すのさえもやめてしまいました(笑)。

勝負の世界の非情さについていけなかったというのが正直なところです。

ところが、人間生きていれば、勝負なんかしなくても、様々な困難が押し寄せてきて、岐路に立たされます。正直言って、生きているだけで本当にシンドイ毎日を送らざるを得ない時期もやってきます。

今がその時期のせいか、彼の書く文章が妙に心に残って感動するのです。私より一回り以上若い年少の方なのに、私より多くの人生経験を積んで達観されているようにさえ見えるのです。

例えば「はじめに」で羽生氏は「名人」という称号がいかにすごいか書いています。

日本の将棋界に初めて名人が誕生したのは、1612年(慶長12年)。以来400年近くで、この名人の地位を得た者は、僅かに25人しかいない。

羽生氏はその「名人」の座にわずか23歳で就く。

「将棋は自分との孤独な戦いである。追い込まれた状況からいかに抜け出すか。
追い込まれるということはどういうことか、でも、人間は本当に追い詰められた経験をしなければダメだということもわかった。逆にいうと、追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ」

私は、この本を将棋の本としてではなく、「人生訓」として読み始めました。(つづく)