「日本の10大新宗教」

2008年5月26日

島田裕巳著「日本の10大新宗教」(幻冬舎新書)を読んでいます。

 

著者は、例のオウム事件でミソを付けて大学教授の職を失い、その後、紆余曲折があったようですが、最近、元の宗教学者として再び活躍されているようです。

 

まだ、途中なのですが、さすがにオウムは扱っていないようですね。天理教、大本教、生長の家、創価学会など、多くの資料・史料に当たって、わりと、公正中立に書かれていると思います。

 

著者は「はじめに」でこう言います。

「明治に入って、宗教という概念が欧米から導入され、神道と仏教とが二つの宗教に分離されたにもかかわらず、 日本人は、片方の宗教を選択できなかったため、自分たちを無宗教と考えるようになった。」

 

「そうだったなのかあー!」と思ってしまいました。そうでなければ、今の日本で、何千万人といる新宗教の信者を説明できませんからね。

もともと、日本人は、神仏習合で、神社にも仏閣にも区別なくお参りし、路傍のお地蔵さんにまで、手を合わせて「挨拶」する慈悲深い民族でした。それが、明治維新の革命政権が、「もう、おまえたちは、国家神道だけを信じろ」と言って、「廃仏毀釈」を断行しました。その一方で、庶民らは相変わらずお葬式だけは、仏式で挙行してきたわけで、感情的にどっちつかずになってしまったのは、致し方ないことかもしれません。

ただ、「無宗教」と考えながら、やはり、ご先祖さまの血から、神社に初詣に行ったり、葬式に参加したりするということは、現代人が思っているほど、日本人は無宗教ではないのかもしれません。

新宗教といえば、いつも、功罪の「罪」の方ばかり強調されてきましたが、ある程度の「功」がなければ、信者を獲得してこなかったでしょう。

 

私自身は、もう今さら特定の宗教団体に入るつもりはないのですが、安心立命を願う人々の気持ちはよく分かります。

でも、この本を読んで、失礼ながら、随分いい加減ないかがわしい宗教があるものだと分かりました。「鰯の頭も信心から」という諺があるくらいですから、他人がどうこう言う話ではないのですが、カラクリが分かってしまえば、団体に入会して「無我の境地」に達することは難しいということです。