高野山奥の院と青龍山安養寺とトランプ大統領来日の真の目的

 早いもので、もう6月ですか。。。うーん、ネガティブなことを書くのはやめておきましょう。泣こうが、喚こうが、時間は経ち、人生は過ぎていきます。泰然自若の境地でいるしかありません。

 そこで、明るい気持ちになろうと、早くも夏休みの計画を立ててみました。一応、いまだに会社組織にしがみついている身なので、自由はききませんけど、休みが取れればということで、二つの大きな計画を立ててみました。本当は昨年のスペイン旅行に続いて、ポーンと、また海外旅行に行きたかったのですが、お代官様の目が厳しくて今年は無理そうです(苦笑)。

 ということで、国内に絞りました。一つは、7月に弘法大師空海の高野山に行くことです。一生に一度は行きたいと思っていたからです。NHKの「ブラタモリ」の影響もあるかもしれませんが、是非とも「奥の院」に行って、織田信長や明智光秀ら戦国武将のお墓(供養塔?)をお参りしたいと思います。

 もう一つは、京都です。皆様ご案内の通り、このブログのおかげで、作家村上春樹氏の従弟である村上純一御住職と不思議なご縁ができましたが、その村上住職が預かる左京区の青龍山安養寺にお詫び行脚に行こうかと思っているのです。村上おっさん(和尚様のことを京都ではそう呼びます。「お」にアクセント)は、とても怖そうなお方で、お会いするなり、「喝!」を入れられそうですが、お許しを戴ければ、8月の「送り火」辺りにお伺いしようかと思っています。ただ、8月はお盆ですから、1年で一番忙しい月ですからね。一番混む時期なので、また、京洛先生に御厄介をお掛けしてしまうと思います。

◇F35が1兆2000億円

今日書くことはこの辺にしておこうかと思いましたが、先日、国賓として来日したトランプ米大統領のことを書いておこうと思います。

 トランプさんは一体、日本に何しに来たのでしょうか?「新天皇陛下に面会することはスーパーボール観戦の100倍も凄いこと」と安倍首相に説き伏せられたから?それとも、ゴルフをして相撲を観戦して、優勝力士に米大統領杯を授与するために?

 ほとんどのマスコミはそんなお祭りムードめいた報道一色だったので、多くの日本国民もそう思い込んだことでしょう。

 でも、実際は、「ディール(取引)」に来たのでしょう。その辺りの事情をうまくまとめていたのが、5月28日付東京新聞の「こちら特報部」だけでした。見出しだけ見ても、血の気を引いてしまいそうです。「安倍爆買い外交の数々」「農産品関税削減 参院選後の譲歩を確約?」「米の顔色うかがい、国益にならず」…。これでは、ゴルフをしながら、トランプさんが「ちゃんと約束を果たしてくれるかどうか確かめに来たんだよ」と言えば、安倍首相も「おっしゃる通りです」「はい、その通りに致します」と、まるで植民地か属国のように、宗主国に対してペコペコしている感じに見えてしまいます。

 その取引の金額が半端じゃないのです。米国製最新鋭ステルス戦闘機F35、105機の追加費用が何と1兆2000億円。地上配備型迎撃システム「イージス・ショア」2基の取得関連費2404億円、維持運用費を含めて計4389億円。垂直離着陸輸送機オスプレイ1機100億円、17機導入で1700億円。これらは全て、国民の税金ですからね。でも、この桁違いの金額については、国民のほとんどは知らないでしょう。

 極め付きが、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)。カジノ運営のノウハウは日本にはないので、米国の業者が中心に請け負い、その額はプライスレスだとか。つまり、天井知らずの日本人のお金が、米国に吸い取られることになります。

 東京新聞は「金で米国の歓心を買う安倍政権。『貢ぎ物』は軍事に限らない」と、大丈夫かなと思うくらい、露骨にあからさまに書いてますから、これでは、安倍政権に嫌われるはずです。菅官房長官が東京新聞女性記者の質問を受け付けない理由が分かりました。

【お詫びと訂正】村上春樹氏御令従弟氏からの御指摘=渓流斎大失態

 昨晩、村上純一氏というどこかで聞いたことがあるような耳慣れぬ方から、このブログのお問い合わせメールが届きました。

 読んでみて吃驚仰天。作家村上春樹氏の従弟の方だったのです。村上春樹氏による月刊文藝春秋の今月号の「手記」で登場されていたので、お名前は頭の片隅に残っていたのですが、まさか、御本人から小生に直接メールが送られるとは想像だにできず、思わず、椅子から転げ落ちそうになりました。

 用件は、小生が今年5月10日に書いた「村上春樹が初めて語る自身の父親」という記事についての間違いの指摘でした。私は、村上春樹氏と純一氏の祖父に当たる村上弁識氏が預かっていた寺院である「安養寺」のことを、大いなる思い違いで、「慈円山安養寺」(京都市東山区)のこととばかり思い込んでそう書いてしまったところ、それは間違いで、京都市左京区にある「青龍山安養寺」のことです、と、現住職を務められておられる村上純一氏から御指摘があったのでした。

 全く面目もないお話で、「思い込み」は怖ろしいもので、てっきり、法然ゆかり吉水草庵の旧跡だったと言われる慈円山安養寺のことだと思い込んでおりました。寺内大吉著「念仏ひじり三国志」の舞台にもなった所で、この本を読んで大いに感動して頭に残っていたので勘違いしてしまいました。

 とはいえ、勿論、青龍山安養寺の方も名刹です。慈覚大師円仁(794~864)が延暦寺の別所に当たる天台宗の寺として開いたと言われる古刹だったのです。

 現在、かつては浄土宗の総本山のような形だった東山区の慈円山安養寺の方は時宗に、天台宗だった左京区の青龍山安養寺は、浄土宗西山派になっていますから、素人はその辺りの変遷や経緯についてはよく分かりません。

 ところで、村上純一氏は、私の間違いについて、糾弾されるどころか、「(両寺とも安養寺と)寺号が同じですし距離もそう離れていませんので、しばしばお間違えになってご来寺になる方もございます。春樹に心を寄せてくださる方々が折々来てくださいます。
 ということは、渓流斎様の文章をお読みになった方が東山区の安養寺様にいらっしゃることも考えられます。ご点検の上、可能ならば訂正をお願い申し上げたく存じます。」などと、勿体無いお言葉をお掛けしてくれました。身が細る思いで御座いまする。

先ほどの村上春樹氏の記事の中で、私は「(村上春樹氏は )ヨレヨレのジャケットを着て風采が上がらない感じでした。 」と書いてしまいました。当然、怒られるかと思いましたら、これについて村上純一氏は「 内容について、小生が申し上げることは無いのですが…」と優しい心遣いまでされてました。ますます、面目ないことです。

 いずれにせよ、村上純一 中僧正様をはじめ、関係者の皆様には大変な御迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。

 思えば、どういうわけか、この《渓流斎日乗》は意外と色んな方が目を通されておられるようで、私が書いた記事について、直接御本人様から御連絡のあったのは、 岩波茂雄の別荘「惜櫟荘」を私財を投じて購入された作家の佐伯泰英氏の関係者(その記事は消滅しました)、「日本のスパイ王 陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実」を書かれた作家の斎藤充功氏らがいらっしゃいます。

 

村上春樹が初めて語る自身の父親

 正直言いますと、私自身、数年前から「ノーベル賞に一番近い作家」と言われている村上春樹氏の熱心な読者ではありません。

 ひねくれ者ですから(笑)、彼の名声が高まれば高まるほど、離れてしまいました。(読書は、小説よりも専らノンフィクションに転向したせいもあります)

 とはいえ、「ねじまき鳥クロニクル」の頃まで、新刊が出るのが楽しみで、初期から中期までの彼の作品はほとんど読んでいました。(この作品の「第3部 鳥刺し男編 」は1995年8月初版ですから、もう20年以上昔ですか!)

バルセロナ

実は、村上春樹氏とは一度だけ会ったことがあります。いや、「会った」というのは大袈裟で、文芸担当記者だった頃に、都内のホテルで開催されたある文学賞のパーティーでお目にかかって、名刺を出して自己紹介して、エッセイの執筆を御願いして、当然ながら多忙を理由に断られた、といった程度でした。

恐らく1996年の秋ぐらいだったと思います。文学賞のパーティーは講談社か新潮社だったと思いますが、忘れました。いい加減ですね(笑)。

身長は170センチあるかないかの小柄で、筋肉質かもしれませんが痩せ型。マラソンのせいか、日に焼けた顔色でした。こんなことを書くと熱烈なファンに怒られるかもしれませんが、ヨレヨレのジャケットを着て風采が上がらない感じでした。ベストセラー作家として飛ぶ鳥を落とす勢いで、裕福で、既に名声が高く、もっとオーラを感じる人かと思っていたので、意外だった印象が強く残ってます。

 当時から、村上春樹氏はマスコミ嫌いとして有名で、メディアにも住所は公表せず、新聞のインタビューにもあまり応じないことで知られていたので、エッセイの依頼を断られても、予想通りだったことを覚えています。

バルセロナ

  さて、その村上春樹氏が「初めて父親について語った」という随筆を今日発売の月刊文藝春秋の6月号に発表した、という記事を読み、早速購入して読んでみました。

 彼の父は、西宮市にある中高一貫校、甲陽学院の国語の教師でしたが、彼の祖父村上弁識(べんしき) は京都の安養寺の住職だったというのです。これには吃驚しましたねえ。安養寺は、この渓流斎ブログでも、京洛先生のお導きで何回か取り上げていたからです。

●2018年8月29日「桁違いの関西、桁違いの京都人

●2019年1月6日 「京都『左阿弥』は意外と知られていない由緒ある料亭です

 (京都の円山公園の円山とは、慈円山安養寺から取られたもので、安養寺は吉水坊とも称します。天台宗の開祖最澄が創建。浄土宗の開祖法然がここを本拠に30数年間も称名念仏を宣揚した寺としても知られています。)

 村上春樹氏は、安養寺のことを「京都としてはかなり大きなお寺」としながらも、「浄土宗西山派」などと淡々と書いていましたが、とんでもないほど格式の高い名刹なのです。現在、安養寺は彼の従弟の方が住職に就いているそうです。

 と、2019年5月10日に書いたところ、私の大変な思い違いで、村上春樹氏の従弟の方が住職として務められているのは、慈円山安養寺ではなく、青龍山安養寺だということで、大変な大きな間違いだということが分かりました。同年5月28日に、その間違いを御指摘頂いたのは、な、何と、村上春樹氏の従弟の御住職の村上純一氏、御本人です。たまたま、この《渓流斎日乗》をお読みになって、間違いに気がついたということで、「寺号が同じですし距離もそう離れていませんので、しばしばお間違えになってご来寺になる方もございます。春樹に心を寄せてくださる方々が折々来てくださいます。ということは、渓流斎様の文章をお読みになった方が東山区の安養寺様にいらっしゃることも考えられます。ご点検の上、可能ならば訂正をお願い申し上げたく存じます。」との誠にこの上もなく、ご丁寧な文面で御座いました。

 単なる無知な坂東の蛮人が、よく調べもしないのに勝手に書いてしまっただけなのに、穴があったら入りたいくらいです。村上純一様を始め、関係者の皆様方にはお詫び申し上げるとともに、訂正させて頂きます。申し訳御座いませんでした。

 青龍山安養寺の公式ホームページではないかもしれませんが、それに最も近いサイトをリンクさせて頂きました。住所は、 京都市左京区粟田口山下町8で、京都市営地下鉄東西線「蹴上」駅から徒歩3分と書かれております。

 自分の間違いを棚に上げて、何なんですが、村上春樹ファンの皆様におかれましては、ゆめゆめ、お間違いのないように。京都市左京区の青龍山安養寺は西山浄土宗で、京都市東山区の慈円山安養寺は時宗、という宗派の違う全く大きな違いもありました。本当に申し訳ありませんでした。機会があれば、お詫び行脚させて頂きたく存じます。

◇父親の悲惨な戦争体験

 もう一つ。安養寺住職の次男として生まれた父親は、住職養成学校である西山専門学校(現京都西山短大)に入学しますが、事務手続きのミスで1938年に学生の身ながら中国大陸の戦線に召集されます。(本格的な学徒動員は1943年から)。村上氏は作家らしく調査して、父親の所属は第16師団師輜重(しちょう)兵第16連隊(京都・深草・伏見)だったことを突き止めます。この時に、父親から自分の属した部隊が中国人の俘虜を処刑した話を聞かされます。(「その父親の回想は、軍刀で人の首がはねられる残忍な光景は、言うまでもなく幼い僕の心に強烈に焼き付けられることになった」)

 村上氏の小説の中には、急に戦争の話( 「ねじまき鳥クロニクル」の中のノモンハン事件など )が出てきますが、小さい頃に父親から聞いた戦争体験の話の影響が作品に如実に表れているのでしょう。

 その父親は復員し、謎の空白期間があった後、学業優秀のため京都帝国大学文学部に進学し、3度目の軍務に就いた後に奇跡的に生還し、大学院を中退した後、国語の教師になります。途中は省略して、父親は90歳で亡くなりますが、村上氏は父親との確執から、関係は絶縁に近い状態となって20年以上も顔を合わせなかったといいます。しかし、亡くなる直前になって再会して和解のようなことを行った、と記しています。

 この村上氏の「個人的な文章」では、祖父や伯父らの名前は実名で出てくるのに、不思議なことに、自分の父親の名前は書かれていませんでした。

 月刊文藝春秋は、1000円にもなっていました。でも、この村上春樹氏の一編を読んだだけでも、その価値はありました、と書いておきます。

頑張れ、毎日新聞!

 

 

 

現在、ノーベル文学賞に一番近いと言われる作家の村上春樹氏が、毎日新聞の単独インタビューに応じていました。(5月12日付朝刊)

 

村上氏はマスコミ嫌いで知られ、テレビはおろか、滅多に新聞や雑誌などマスコミのインタビューには応じません。たとえ応じたとしても、「メールの質問に答える程度」と聞いたことがあります。

内容は、主に最近、彼が翻訳したサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」やカポーティの「ティファニーで朝食を」など「世界文学」についてで、「日本語の文体は変化するので翻訳の賞味期限は50年。だから新訳を出した」などと明解に答えています。

村上氏といえば、ほかにスコット・フィッツジェラルドやレイモンド・チャンドラーなどの翻訳があり、アメリカ文学にしか興味がない人だと思ったのですが、「個人的に偉大と考える作家を一人だけ選べと言われたら、ドストエフスキー」と断言していました。作品として特に「カラマーゾフの兄弟」を挙げています。

これは、意外でしたが、私としては嬉しくなってしまいました。サリンジャーも、チャンドラーも作家として尊敬していますが、やはり、私も一人だけ選べと言われれば、ドストエフスキーと答えるでしょうから。

ただ、彼がタイトルをそのままカタカナにするのは、残念ですね。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は、野崎孝氏には「ライ麦畑でつかまえて」という名訳があります。

最近、洋画の邦題もそのまま意味もなくカタカナにしてしまう風潮がありますが、村上氏はその時流に乗ったのでしょうか? それにしても村上氏はなぜ、世界一の発行部数を誇る読売でも、インテリさんの好きな朝日でも、財界人御用達の日経でも、「物を言う新聞」産経でも、バランス感覚の取れた熱烈な読者がいる東京新聞ではなく、毎日新聞の単独インタビューに応じたのでしょうか?

恐らく、彼が毎日新聞の愛読者なのだからでしょうね。

その毎日に残念なニュースがありました。北海道での夕刊発行を8月末で廃止するというのです。日本ABC協会の調査では、同紙の北海道での発行部数は、朝刊6万8千部、夕刊1万4千部で、夕刊はこの一年で実に4千部も減少しているそうです。

私も北海道の帯広に住んでいましたから分かりますが、周囲に全国紙を取っている人はほとんどいませんでした。地元の十勝毎日新聞と北海道新聞でシェア90%という感じでした。全国ニュースはテレビやネットで済んでしまうのです。

なぜ、地元紙を購読するのかー。最大の理由は、地元の人たちの「訃報」が詳細に載っているからだそうです。「訃報」は直接聞きづらいし、かといって知らないと困るわけです。やはり、皆さん「世間体」を気にしながら生きているということなのですね。

あ、毎日新聞の話でした。日本は独裁国家ではないので、私は、「メディアというものは多ければ多いほどいい」というスタンスです。しかし、新聞ほど生産性が低く、金食い虫で、経営を軌道に乗せることに矛盾と戦い続けなければならない企業はありません。しっかり、淘汰されます。

ですから、毎日新聞には頑張ってほしいですね。特に日曜日の書評(日本のメディアでナンバーワンだと思います)と夕刊の文化欄の愛読者なので、宜しく御願いします。