昨晩、村上純一氏というどこかで聞いたことがあるような耳慣れぬ方から、このブログのお問い合わせメールが届きました。
読んでみて吃驚仰天。作家村上春樹氏の従弟の方だったのです。村上春樹氏による月刊文藝春秋の今月号の「手記」で登場されていたので、お名前は頭の片隅に残っていたのですが、まさか、御本人から小生に直接メールが送られるとは想像だにできず、思わず、椅子から転げ落ちそうになりました。
用件は、小生が今年5月10日に書いた「村上春樹が初めて語る自身の父親」という記事についての間違いの指摘でした。私は、村上春樹氏と純一氏の祖父に当たる村上弁識氏が預かっていた寺院である「安養寺」のことを、大いなる思い違いで、「慈円山安養寺」(京都市東山区)のこととばかり思い込んでそう書いてしまったところ、それは間違いで、京都市左京区にある「青龍山安養寺」のことです、と、現住職を務められておられる村上純一氏から御指摘があったのでした。
全く面目もないお話で、「思い込み」は怖ろしいもので、てっきり、法然ゆかり吉水草庵の旧跡だったと言われる慈円山安養寺のことだと思い込んでおりました。寺内大吉著「念仏ひじり三国志」の舞台にもなった所で、この本を読んで大いに感動して頭に残っていたので勘違いしてしまいました。
とはいえ、勿論、青龍山安養寺の方も名刹です。慈覚大師円仁(794~864)が延暦寺の別所に当たる天台宗の寺として開いたと言われる古刹だったのです。
現在、かつては浄土宗の総本山のような形だった東山区の慈円山安養寺の方は時宗に、天台宗だった左京区の青龍山安養寺は、浄土宗西山派になっていますから、素人はその辺りの変遷や経緯についてはよく分かりません。
ところで、村上純一氏は、私の間違いについて、糾弾されるどころか、「(両寺とも安養寺と)寺号が同じですし距離もそう離れていませんので、しばしばお間違えになってご来寺になる方もございます。春樹に心を寄せてくださる方々が折々来てくださいます。
ということは、渓流斎様の文章をお読みになった方が東山区の安養寺様にいらっしゃることも考えられます。ご点検の上、可能ならば訂正をお願い申し上げたく存じます。」などと、勿体無いお言葉をお掛けしてくれました。身が細る思いで御座いまする。
先ほどの村上春樹氏の記事の中で、私は「(村上春樹氏は )ヨレヨレのジャケットを着て風采が上がらない感じでした。 」と書いてしまいました。当然、怒られるかと思いましたら、これについて村上純一氏は「 内容について、小生が申し上げることは無いのですが…」と優しい心遣いまでされてました。ますます、面目ないことです。
いずれにせよ、村上純一 中僧正様をはじめ、関係者の皆様には大変な御迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。
思えば、どういうわけか、この《渓流斎日乗》は意外と色んな方が目を通されておられるようで、私が書いた記事について、直接御本人様から御連絡のあったのは、 岩波茂雄の別荘「惜櫟荘」を私財を投じて購入された作家の佐伯泰英氏の関係者(その記事は消滅しました)、「日本のスパイ王 陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実」を書かれた作家の斎藤充功氏らがいらっしゃいます。