年を経て趣味趣向も変わる

新橋演舞場

  「ブログは毎日書き続けなければ駄目ですよ」との先哲の教えに従って、話題がなくても、できるだけ書き続けるようにしています。

 苦痛と言えば苦痛なのですが、もう40年以上もジャーナリズムの世界にいて、毎日のように記事を書き続けて来たので、普通の人より書き慣れているといいますか、いわば「職業病」とも言えるでしょう。職業の延長線でブログを書いているようなものですから、刀根先生をはじめ、何で他の人は毎日続かないんだろうとさせ思ってしまいます(笑)。

 ところで、最近、ものの見方といいますか、自分の考え方が年を経るうちに変わってきていることに気が付いております。

 一番変わったと思うのは「転向者」に対する見方、考え方でしょう。昔なら、そんな節操のない裏切者は許しがたかったのに、今では全く逆に、転向せずに自己の思想を守旧した人の方が、どこか空恐ろしさを感じてしまいます。だって、人間は趣味趣向も考え方も日々変化するものでしょう。生物学的に言っても、細胞だって毎日のように入れ替わっているし、歯だって悪くなるし、髪の毛も抜けたりします。自分の考えを絶対曲げない人は、確かに格好良いかもしれませんが、そこは大人の力学で妥協しなければならない時もあるし、その方が万事うまくいくこともあります。

 戦前は、「国賊」扱いだった足利尊氏や「謀反人」の典型だった明智光秀も、戦後は随分歴史的解釈も変わり、名誉も回復されたではありませんか。

銀座 木挽町で …うーん、分かりやすい。アナログ万歳!

 趣味趣向といえば、私自身は音楽が大好きで、学生の頃は毎日、16時間も聴いていたものですが、今ではほとんど聴かなくなりました。今は1日30分も聴いているかどうか…。

 若い頃は「音楽こそがすべて」でした。ちょうどソニーのウォークマンが新発売され、電車の中でも歩きながらでも、本当に一日中、音楽を聴いていた感じでした。

  それが年を取ったせいなのか、ゆっくり腰を落ち着けて音楽が聴けなくなってしまったのです。というか、勉強しながら、本を読みながら、家事をしながら、といった「ながら」で音楽が聴けなくなったのが一番大きいのです。勉強しながら、では、その勉強のことだけで頭がいっぱいで、音楽が少しも脳に染み込んでくれないのです。つまり、昔だったら、人とおしゃべりしながら、本を読みながら、音楽を聴いてもしっかり把握できたのに、年を取ってからは、一つのことしか頭に入らなくなってしまったのです。音楽を聴くなら、そのことだけ集中して一心不乱に聴けば、脳みそに入ってくれるのですが、他のことをしていると他の方に気を取られて音楽が入ってこなくなってしまったのです。

 いまはまだ、読みたい本も、読まなければならないと思っている本もたくさんあるので、音楽を聴くだけに時間を割くのが惜しい気がしているのです。つまり、あんなに好きだった音楽が自分の人生の優先事項 priority ではランクが落ちたということになります。

 そして、唐突ながら、最近、酒量がめっきり減りました。昔は大酒飲みだったんですが、別に飲まなくても平気な顔をすることができるようになりました。自分自身の健康に気を遣っているかもしれませんが、どうしても呑みたいという気もあまり起きなくなりました。単に年を取ったせいなのかもしれませんが…(笑)。

 まだあります。美術の趣味が全く変わってしまったことです。若い頃は、泰西名画一辺倒で、ゴッホの「ひまわり」とか、とにかく脂ぎった油絵が大好きだったのに、今では、わびさび、枯淡な水墨画、もしくは長谷川等伯、狩野派、琳派などの日本美術の方が遥かに好きになりました。展覧会に行くとしたら、西洋美術よりも日本美術や仏像展を優先したくなります。

 なあんだ、やはり、単に、抹香臭くなって、年を取っただけかもしれませんね(笑)。

 

「名作誕生」観賞記

世の中、平気で嘘をつく人たちが支配する殺伐とした雰囲気になりましたので、気分を洗いたくなり、東京・上野の国立博物館で開催し始めた「名作誕生」に足を運びました。

週末だというのに、始まったばかりなのか、それとも、民度が到達していないのか(笑)、意外と空いていてゆっくりと観賞できました。

ラッキーでした。

これでも渓流斎翁は、御幼少の砌から、東博には足を運んで、芸術作品を鑑賞したものです。

当時は、専ら「泰西名画」です。泰西名画といっても、今の若い人は分からないかもしれませんが、とにかく、泰西名画展のタイトルで盛んに展覧会が開催されていて、ルーベンスからゴッホ、モジリアニに至るまで、欧米から高い借り賃を払って運ばれた西洋の生の絵画を堪能してきたものです。

しかし、歳をとると、DNAのせいか、脂ぎった洋画はどうも胃にもたれるようになってしまいました。

たまには、お新香とお茶漬けを食べたいという感じです。

ということで、最近は専ら、日本美術の観賞に勤しんでおります。

本展でも、雪舟から、琳派、若冲、狩野派、等伯まで、しっかり神髄を抑えており、確かな手応えと見応えを感じました。

今まで、雪舟という名前だけしか掲示されませんでしたが、最新の研究成果からか、最近は「雪舟等楊」と掲示されるようになりましたね。

「名作誕生」ですから、影響を受けた中国の宋や明などの画壇の長老を模写した日本人絵師の作品が展示されてましたが、伊藤若冲ともなると、完璧にオリジナルを超えてました。

国際主義者と言われるかもしれませんが、若冲は、技量の面で、西洋絵画も超えてます。

それなのに、明治革命政権は廃仏毀釈をしたり、「平治物語絵巻」など国宝級作品の海外流出を黙認したりしていることから、若冲の偉大さに気づいていなかったのでしょうね。

米国人収集家によって、再発見、再評価されるのですから、何をか言わんですよ。

東博

本展で、最も感動した作品を一点挙げよと言われれば、迷うことなく長谷川等伯の「松林図屏風」です。

霧の中に浮かぶ松林が、黒白の墨絵で描かれ、近くで見ると分かりませんが、遠くで見ると見事に焦点が結ぶという、これ以上単純化できない、全ての装飾を剥ぎ取った究極の美を感じます。

東博所蔵で、もちろん「国宝」です。

何度目かの「再会」ですが、この作品を見られるだけでも足を運んだ甲斐がありました。