感染検査の遅れで甦る731石井細菌部隊

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 新型コロナウイルスの感染は今や欧州が最も拡大した地域になり、EUの取り決めもほとんど無効となり、国境封鎖や外出禁止令まで出るようになりました。

 AFP通信の調べでは、新型コロナウイルスは3月18日午前2時時点で 、中国本国の感染者が8万881人で死亡者は3226人。中国以外の感染者は10万8805人と発生源を超えてしまいました。特に酷いのは欧州で、感染者で多い国から順に、イタリア(死亡2503人、感染3万1506人)、イラン(死亡988人、感染1万6169人)、スペイン(死亡491人、感染1万1178人)、フランス(死亡148人、感染6633人)と続いています。(日本は、16日18時の時点で死亡35人、感染者1496人)

 先々週まで、それほど警戒していなかったフランスのマクロン大統領は昨日(現地16日)になって急にテレビで国民向けに演説し、感染拡大を阻止するため、必需品の買い出しや病院受診などを除いた外出禁止令を布告しました。カフェもレストランも営業が停止され、公園にも散歩しちゃダメ、なんて言うんですからね。

 マクロン大統領は、ウイルスとの闘いを「戦争」とまで表現していました。こんな事態、これから100年間、語り継がれることでしょう。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

ところで、日本では新型コロナウイルス感染の判別に役立つPCR(ポリメラーゼ連鎖反応) 検査が進んでいません。何故なのか?ー これについて、上(かみ)昌広・医療ガバナンス研究所理事長が 「サンデー毎日」に「731部隊の亡霊『専門家会議』の大罪」という記事で勇気ある告発をしています。

 どうやら、政府が2月14日に発足した専門家会議が怪しい、ということで、そのルーツを明かして糾弾しています。メンバーの12人のうち8人が、4組織の関係者で人事と予算とデータまで独占しているというのです。
 その4組織とは、国立感染症研究所(感染研)、東京大医科学研究所(医科研)、国立国際医療研究センター(医療センター)、東京慈恵会医科大学(慈恵医大)です。
 感染研と医科研は戦前の伝染病研究所(伝研)が母体で、戦後、伝研が分離独立した際に、幹部に帝国陸軍の細菌戦研究機関「731部隊」関係者が名を連ねたといいます。また、医療センターは、陸軍の中核病院で、慈恵医大は、海軍軍医学校創設者の一人である高木兼寛が中心になって設立した医師受験予備校だったそうで、まるで戦前の亡霊が復活したかのように見えます。
 上氏は、帝国陸海軍の流れを汲んでいる組織ゆえに、関係者には秘匿主義があるのではと告発しているわけです。

 以上は、731石井細菌部隊に詳しい加藤哲郎・一橋大名誉教授のサイト「ネチズン・カレッジ」で知りました。

 そう言えば、私も、その注目の感染研には行ったことがあります。諜報研究会の第一回見学ツアーに参加した際、お導き頂きました。2017年11月25日のことです。この日は、石井細菌部隊関連の歴史的舞台を色々と連れて行って頂きました。ご興味のある方はリンク先をご参照ください。

関東軍情報本部ハルビン陸軍特務機関

哈爾濱学院

二年前に大病したため、ご無沙汰してしまった近現代史研究会のセミナーにやっと復活参加することができるようになりました。かつては色んなセミナーに毎週のように参加していたのですが、これからは月に1回は何処かに顔を出していこうかと思っています。

昨日参加したのは、東京・高田馬場の早稲田大学で開催されたNPO法人インテリジェンス研究所主催の第20回諜報研究会。この会は、3年ほど前の第1回に参加しましたから本当に久し振りです。今回の特集は「満洲のインテリジェンス研究」。インテリジェンスなんて気取った言い方をしてますけど、要するにスパイ活動、諜報活動、宣撫活動と言った方が早いですね(笑)。

最初の立教大学の川崎賢子特任教授の「李香蘭をめぐるインテリジェンス人脈」は、李香蘭=山口淑子(1920〜2014)が、主体的に諜報活動に携わっていたのではないか、という疑惑を報告していました。

李香蘭の実父山口文雄は佐賀県出身で、満鉄で中国語を教えていたらしいですが、この人物についてはあまりよく分かっていない。軍閥で銀行家で回族の李際春と出会って、娘の淑子を李の義理の娘分とし、李香蘭の名前を得るらしいのですが、李際春と山口文雄がどうして知り合ったのかもよく分かっていないらしいですね。

今の哈爾濱学院⇨藍天幼稚園 Copyright par Duc de Matsuoka Sousoumu

ところで、今、「満洲今昔物語」の製作に日々情熱を傾けている作家の松岡將氏から、旧満洲のハルビン市に国家戦略としてロシア語に精通した人材を輩出するためにつくられた哈爾濱学院の今と昔の写真をちょうど昨日、送って頂きました。

昨日の川崎教授の話の中で、李香蘭が主演した、甘粕正彦の満洲映画作品「私の鶯」(大佛次郎原作、岩崎昶製作、島津保次郎監督・脚本、服部良一音楽、ハルビン・サヤービン歌劇団、ハルビン・トムスキー劇団などが参加)を1943年にハルビンでロケをしている際に、竹中重寿という男が、トムスキー劇団員になりすましたスパイと一緒に、主役のバリトン歌手サヤービンと李香蘭の尾行を担当していたことを、何かの本(出典不明)を引用して明らかにしていました。

この竹中重寿は、この哈爾濱学院出身で、ロシア語の才能を見込まれて関東軍情報本部ハルビン陸軍特務機関に徴用され、「謀略班」に配属され、上司山下高級参謀(中佐)の命令で李香蘭担当になったらしいですね。

このことを哈爾濱学院同窓会の事務局を担当している宮さんにお伝えすると、名簿の中で「 【竹中重寿】  哈爾濱特務機関(関特演時)(終戦時) 20期 平成4年4月9日死亡(73歳)  昭和31年まで中国に抑留 元岐阜大学教授」とまでは確認できましたが、李香蘭との関係まで把握されていなかったそうです。

宮さんからは 「貴重な情報」と喜ばれましたが、昨日は「諜報研究会⇨松岡さん⇨宮さん」と不思議な縁で繋がっていましたね(笑)。

藍天幼稚園(戦前戦中の日本の国家がロシア語の最高権威を輩出するためにつくった最高学府を、選りに選って、中国共産党は、幼稚園に使っているとは…)Copyright par Duc de Matsuoka Sousoumu

昨日の諜報研究会では、東大大学院の留学生王楽さんの「満洲国農村部における宣撫宣伝活動ーメディア利用実践を中心に」という報告がありましたが、長くなるので残念ながら省略します。

最後は、大御所の山本武利・インテリジェンス研究所理事長の「関東軍情報部と陸軍中野学校」では、国立公文書館つくば分館が所蔵する引揚援護局作成の「関東軍情報部50音人名簿」3113人を分析し、伍長から少将まで110人の人物を特定し、戦争末期に関東軍に所属した中野学校出身者は120人だったことから、中野学校出身者の90%が情報部に所属していたことを突き止めておりました。

何しろ話はハイブロー過ぎて、恐らく、かなりの予備知識がない人でないと、セミナーにはついていけなかったと思います。

私は一人、秋草俊の話に注目しました。この日乗でも2017年2月6日に「日本のスパイ王 陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実」のタイトルで、この秋草については、少し書いておりますから、ご参照ください。(下欄の「関連」に出てきます)

この本では、秋草は、731部隊の石井四郎から「一緒に帰国しましょう」との誘いを「自分には責任がある」と言って断って残り、シベリアに流刑され、1949年3月に「獄死」したことになっていましたが、山本理事長が発掘した名簿の中には、秋草俊の欄に「50・4・8 16地区受刑」とあり、山本理事長の解説では「これは、1950年4月8日に16地区で処刑されたことを意味するのではないか」と推測しておりました。やはり、ソ連軍の手により殺害された可能性があるんですね。

さて、これらの名簿は一体何なのか、疑問に思っていたところ、会場にいた加藤哲郎一橋大学名誉教授が「名簿は、陸軍留守業務部が1945年8月につくったもので、給与支払い、もしくは軍人恩給支払いのためではないか。恩給なら、最終階級などが必要ですからね」と解説してくれて納得しました。

加藤名誉教授は最近、「『飽食した悪魔』の戦後  七三一部隊と二木秀雄『政界ジープ』」(花伝社)を上梓しましたが、石井細菌部隊の名簿に関しては、厚生労働省に対して情報公開を散々請求して昨年の夏にやっと公開されたそうです。これまで、石井細菌部隊の関係者は300人しか分かっていなかったのに、この名簿公開で3500人も出てきたそうです。以前は関係者に女性はいないと思われていたのに、「通訳や看護師などで400人もの女性が出てきたことには驚いた」と加藤名誉教授は話していました。

私自身は、大変興味深く、面白かったのですが、ちょっと、マニアック過ぎる話だったかもしれませんね(笑)。

「日本のスパイ王 陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実」

哈爾賓 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

京都にお住まいの京洛先生が、ニヤニヤと涎を垂らしながら、「渓流斎さんに、ピッタリの本がありますよ」と、ある本を推薦してくれました。

斎藤充功著「日本のスパイ王 陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実」(学研)でした。

この方は、陸士26期。戦時中に、あの秘密諜報防諜機関、陸軍中野学校の創設者の一人(この他は、兵務局付岩畔豪雄中佐と兵務局兵務課福本亀治憲兵中佐)で、初代校長を務め、最後は満洲ハルビン特務機関長(実際は関東軍情報部長)となり、ソ連軍侵攻により逮捕され、ウラジーミル監獄で獄死した人でした。

先の大戦の特務機関といえば、軍人なら、影佐禎昭(陸士26期=谷垣禎一元自民党幹事長の祖父)、岩畔豪雄(いわくろ・ひでお)、田中隆吉、土肥原賢二、それに民間人なら里見甫、児玉誉士夫、許斐氏利辺りが皆様もすぐ頭に思い浮かぶことでしょうが、もし、この秋草俊を御存知の方は余程の通か物知りです。

 旧哈爾賓学院 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

何しろ、諜報専門の特務機関に携わるぐらいですから、超極秘の機密情報です。世間に存在を知られること自体が憚られます。

ですから、本来なら誰にも知られることなく、謎のままに終わっているはずでした。

この本では、秋草俊の亡くなった年齢が満54歳なのに、55歳と明記したり、1926年4月を昭和元年と書いたり(実際は大正15年)、ポーランドをホーランドと誤記したりして、基本的な誤記や平仄が合わない事実関係などが目立ち、本書全体の信頼性を欠くことになりかねないのですが、よくぞここまで調べ尽くしたものだと感心します。

平仄が合わないのは、編集者と校正担当のせいでもあるので、最近の出版社の編集者の能力が劣化しているせいかもしれませんが。

 哈爾濱・松花江 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

いやはや、それにしても内容は実に面白いですよ。

秋草俊の親戚や縁戚には、日本電電公社総裁や富士通社長、日興証券社長までいる華麗なる一族でした。

昭和20年8月9日に、ヤルタ会談の密約からソ連軍が日ソ中立条約を一方的に破棄して、満洲に攻め込みます。

この時、本来なら丸裸の満蒙開拓団の残された老人や婦女子の防波堤となって、最期まで守り抜くことが関東軍のお役目だったはずなのに、機密情報を逸早く聞きつけた関東軍は、自らと軍人軍属の家族を、高級将校は飛行機で、それ以外は列車で南下して逃亡させる様も描かれています。

ハルビンといえば、市郊外に悪名高き731石井細菌部隊があった所でした。

同書の中で、この石井四郎中将が、ソ連軍侵攻が間近に迫り、秋草俊特務機関長のもとを訪れて、一緒に帰国しましょうと説得する場面が出てきます。

それが、秋草俊は、自分には責任があるから居残りますと言って、断るんですね。

結果的にこれで、ソ連軍によって逮捕され、「スパイ王」として、夜も眠らせない厳しい取り調べを受け、病気のため、ウラジーミル監獄で獄中死することに繋がります。

秋草俊は、陸軍士官学校を出ただけで、陸軍大学校にまで進学していないのに、将官まで昇進しました。余程、優秀だったのでしょう。対ソ連の諜報防諜が専門で、東京外語大(当時は東京外国語学校)露語学科と、あのハルビン学院(当時はハルビン日露協会学校)でもロシア語を学んでいたので、相当、ロシア語には精通していたことでしょう。

近現代史にご興味のある方にはお勧めです。

【追記】

●2014年7月に、ハルビンに旅行に行った際、初めてだったのでウロウロしていたところ、「僕は2回目だから、ご一緒しましょう」と声を掛けてくれたのが、同じツアーのK氏でした。彼は、かつて日本人が経営していた百貨店「松浦洋行」に連れて行ってくれました。この本によると、この松浦洋行の近くに秋草俊がつくった対ソ謀略工作組織「白系露人事務局」があったというので、驚いてしまいました。

●秋草俊は、第4国境守備隊隊長(大佐)時代、首相を務めた近衛文麿の長男文隆の挙式に参加しています。1944年10月12日、哈爾濱神社でのこと。新婦は、浄土真宗本願寺派の執行長大谷光明の二女正子。
近衛文隆は、関東軍大尉で捕虜となり、ルビアンカ、レフォルドヴォ、ウラジーミル監獄など10年余りもたらい回しにされ、1956年10月29日、チェルンツィ村の収容所で、病死。享年41。

●宮川船夫ハルビン総領事(1890~1950)1911年、東京外国語学校露語科卒後、外務省入省。駐モスクワ大使館一等書記官などを経て、44年5月、ハルビン総領事。45年9月24日、NKVD(内務人民委員部)防諜機関スメルシュに逮捕され、ウオロシーロフ将官収容所に収容。50年3月29日、モスクワ市内のレフォルドヴォ監獄で心臓麻痺で死去、享年59。対ソ諜報活動に従事していた。