「母国へのインテリジェンス協力の諸相」=第38回諜報研究会

10月9日(土)午後、誰でも自由に参加できるオンラインで開催された第38回諜報研究会(NPOインテリジェンス研究所主催、早稲田大学20世紀メディア研究所共催)に馳せ参じて来ました。

 先月参加した第37回研究会で、恫喝まがいの炎上事件がありましたから、今回もどうなることやら、とヤキモキしておりましたが、件の怖そうなインテリの方は、きこしめていなかったせいなのか、大人しくて、無事平和に終わり、良かったでした。

 特に、2人目の報告者、武田珂代子立教大学教授による「太平洋戦争:情報提供者としての離日宣教師」は、講義にこなれている大学教授だけあって、非常に分かりやすく、頭にスッと入りました。

 武田教授は、アジア太平洋戦争・日本占領期の翻訳通訳事象の研究がご専門のようですが、私自身も関心があるので非常に興味深かったでした。米スタンフォード大学フーバー研究所の資料を苦労して渉猟してでの研究発表でした。

 私が驚いたのは、米海軍は、対日戦争の準備のために、早くも1936年に日本語通訳・翻訳者候補のリストを作成していたことでした。1936年は「二・二六事件」があった年ではありますが、真珠湾攻撃の5年も前。しかも、大日本帝国は、真逆に英語は敵性語として禁止したほどではありませんか。まさに、インテリジェンスの情報戦という意味では、既に5年前に日本は敗北していたことになります。

◇ライシャワー、モーア、そしてモーラン

  太平洋戦争・日本占領期で活躍した米国人の通訳・翻訳者は、来日宣教師や日本生まれのその子息が多かったんですね。戦後、駐日大使になったエドウイン・ライシャワーもその一人で、最も有名ですが、東京裁判で言語裁定官を務めたラードナー・W・モーアも日本生まれの宣教師だったのです。モーアは、交換船で帰米後、陸軍情報機関の翻訳指導をし、戦後、再来日し、陸軍言語部長として占領活動。除隊後、宣教活動を再開し、四国基督教学園(現四国学院大学=香川県善通寺市)の初代学長になった人です。この人の実弟が、ウォーラス・H・モーアで、陸軍情報将校となり、当時敵視されていた日系二世の活用を主張し、戦後は、収容所から帰還した日系人を支援した人と知られています。

 もう一人だけ、重要人物は、シャーウッド・F・モーランで、1925年に日本で宣教活動を始め、41年に帰米。56歳で海兵隊に志願して言語官になった人です。日本人捕虜を「人間的アプローチ」で尋問したことから、アフガニスタン・イラク戦争で再注目されました。その日本生まれの息子が シャーウッド・R・モーランで、海軍の言語官となり、暗号解読などに従事し、戦後は原爆調査にも参加したといいます。海軍情報士官として日本人捕虜を尋問した経験のある世界的な日本文学者のドナルド・キーン氏の著作の中にも、このモーランがしばしば登場します。

英語翻訳は難しい=深い悩みに苛まれて生き抜くしかない

 昨日、携帯のiPhoneのソフトウェア・アップデートを行ったところ、普段なら30分ぐらいで終わるのに今回は、iOS14.01にバージョンアップしたせいか、1時間半も掛かってしまいました。

 バージョンアップしたら、最初の画面まで変わり、これまで見かけないアプリも勝手にインストールされていました。それは、「翻訳」アプリで、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語、韓国語など10カ国語の翻訳ができます。

 ちょっと、試してみたら、まあまあ、なかなかの出来でした。人工知能(AI)か、ビッグデータか知りませんが、昔と比べてかなり精度が上がっていました。でも、英語和訳は、私はかなり難しいと思っています。中学生でも分かる簡単な英語でも、真逆な意味になることがあるからです。

 例えば、No kidding.  普通なら、「まさか」とか「冗談でしょ?」という意味なのですが、最近では「全くその通りです」と肯定の意味で使われているのです。

 もう一つ、Tell me about it.  普通なら「それについて私に教えてください」という意味なのですが、「もう分かったからいい加減にしてくれ」という使い方もあるのです。真逆ですね。

 You’re so beautiful. も素直に取ってもいいのですが、会話の中で、発音や身振りを交えれば、かなりの正反対の真逆のニュアンスを皮肉を込めて意味することすらできます。これはAIではまだできないでしょうね。

 何と言っても、英語の難しさは、単語の少なさにあると思います。日本語の「私」は、僕、俺、乃公、吾人、あっし、てまえ、おいどん、わし、あたい、自分…まあ、いっぽいありますが、英語なら「I」だけです。ということは、Iには、僕から自分までさまざまな「私」を含んでいることになります。AI翻訳機はそのうち、そこまで微妙なニュアンスを翻訳できるようになるかもしれませんが、もう少し時間が掛かると思います。

 さて、話は変わりますが、最近、ボケーと生きていたら、このブログのサイトから広告が消えていたことに昨日、気が付きました。IT技師長のM氏に調べてもらったら、8月9日あたりに「テーマ」をアップデートした際、PHPが書き換えられて広告がなくなってしまったというのです。昨日すぐ復活してもらいましたが、1か月半無駄にしてしまいました。

 この渓流斎ブログは2017年9月15日、gooブログから独立して、新しく自分のサイトを開設して以来、皆さまにとって目障りな広告をリンクすることにしました。これは、サーバー代とドメイン代の足しにするもので、皆さまのご理解とご協力を賜りたいと存じます(笑)。宜しくお願い申し上げます(広告をクリックして頂くと0.1円から0.5円ぐらいの収入が入ってくるようです。自分でクリックしたら違反となり、チャラになってしまうようです)。

 また話が変わりますが、このブログに、個人的ながら「最近心配事が絶えない」と書いてしまいましたが、どなた様からも御下問がないので正直に打ち明けたいと思います。まず、先月から高齢の母親が入院したこと、その前に高校時代の旧い友人が軽微ではない病気で、週に3回通院するようになってしまったことでした。まだありまして、小学校時代の旧い旧い友人が脚を骨折し、3カ月の入院を余儀なくされており、大学時代の旧い友人もホームヘルパーなしでは普通の生活をするのに困難を来すようになっていることでした。周囲の親しい人たちが次々と不自由な生活を強いられているのに、私は、持病以外は至って健康で(変な表現)、いまだに田舎から都心まで電車通勤して仕事を続けることができ、たまーには夜の街でお酒を呑んだりして、少し後ろめたい気分にもなっているのです。

 さらに、最近、三浦春馬さん、竹内結子さんといった端から見れば売れっ子で経済的には何ら不自由のないと思われる私より若い有名俳優が自殺してしまうので、衝撃を受けてしまいます。コロナ禍で仕事がなくなって生活に困っている無名の舞台俳優がそれこそ何千、何万人もいるというのに、です。もしかして、売れているとか経済的に恵まれいるとはいっても、本人の悩みは深く、そんなものでは満たされないのかもしれませんが。

 「生老病死」というのは、仏教思想から人間の理(ことわり)だということは頭では分かってはいますが、どうも心配事は軽減することなくまとわりつき、思想も哲学も宗教も「救い」にはならないのではないか、と私は詰ったりしたくなります。「お前には修行が足りないからだ」と言われそうですが、勉強すればするほど悩みは深くなります。

 電車に乗れば、老若男女、スマホの画面に熱中していて、何をやっているかと思えば、ゲームをやっています。ゲームが悪いという意味ではないのですが、車内で私のように仏教書や哲学書を読んでいる人間はこの何十年もお目にかかったことがありません。

 私も書物を棄てて、ゲームに熱中すれば救われるのでしょうか?ーいや、そうは思いませんね。やはり、心配事や深い悩みに苛まれながら、重い十字架を背負うようにして、毎日、歩み続けていくしかないことでしょう。仏教的な諦念かもしれませんが、与えられた生命を全うして生き抜くしかないでしょう。やはり、自殺は御法度です。