久しぶりに、築地・明石方面でランチしようと、ブラブラしていたら、築地の電通の旧本社ビルがあった一帯の4棟のビルが解体工事であることを知りました。
電通の旧本社ビルは、建築家の丹下健三(1913~2005年)が設計を手掛け、竣工は1967年。老朽化を理由に、電通本社は、汐留に移転しましたが、その汐留のビルも、電通は、不動産大手ヒューリックなどが出資する会社に売却することを昨年、発表しておりました。(売却額は3000億円規模で、約890億円の売却益を見込んだとか)知らなかった!
築地の旧本社ビルなど4棟のビルは、住友不動産が2014年に取得し、解体工事は大成建設によって昨春から始まっており、今夏には終了。住友不動産は計画をまだ明らかにしていませんが、大型オフィスや住居や商業施設など大規模な再開発地区になることでしょう。
丹下健三が設計したコンクリート剥き出しの旧電通本社ビルには思い出があります。1996年頃だったでしょうか。当時私は文芸担当記者でした。毎月1本は、有名作家さんにエッセイを書いてもらうことも仕事の一つでした。そのため、文芸出版のパーティーなどで作家さんを見つけると、名刺を渡して、「先生、何か書いてもらえませんでしょうか。ペラで5、6枚で構いませんから」などと立ち話をするのが常でした。
ペラとは業界用語で、200字詰め原稿用紙のことです。
「数打てば当たる」と名刺をばら撒いていたのですが、そのうち、電通社員ながら芥川賞を受賞したA氏から電話が掛かってきて、「電通本社に来ないか」と誘われたのです。「お、これは、エッセイでも書いてくれるんだな」と私は喜び勇んで、丹下健三設計ビルに足を運んだのでした。
そしたら、通されたのは応接室でも何でもなく、彼の職場のデスク。彼がどこの部署だったか忘れましたが、次長クラスで、「次長なんて、石を投げれば誰にでも当たる。そこら辺にうじょうじょいるよ」と自嘲気味に話し、「何でもいいからお好きなテーマでエッセイを書いて頂けませんか」と、こちらが御願いすると、「『何でもいい』というのは一番良くない。作品を全て読み込んで、この作家には、このテーマが一番相応しい、と最初から持って来なければ駄目なんだよ」と散々、このほか、あれやこれやと30分ぐらい説教されました。
説教するぐらいだから何か書いてくれるのだろう、と期待したのですが、答えは「今は忙しいから駄目だ」の一言でお終い。一体、何のために、人を呼びつけたのか、非常に腹が立って会社に戻りました。「書く気がないなら、お前なんかより遥かに忙しい、ライバル社の3倍は働かされる、貧乏会社の記者を呼びつけるんじゃないよ!」と怒りが再燃しました。
いや、実はその作家に対しては、長い間、腹の虫が収まりませんでした。その後、私は文芸担当を離れましたが、何年かして新しく文芸担当になった男は、文学の「ぶ」も知らないような、あまり本は読まない、世間知の低い人で、Aはその新人をうまくだまくらかして、自分が指名した銀座の高級フランス料理店での「取材の打ち合わせ」を条件に(しかも夫婦二人分)、短いエッセイを書いたのでした。
その新人だった文芸記者は、5年前に若くして亡くなりました。
著名な作家A氏も昨年、訃報に接しました。