フランス「地図」旅行を楽しみ、雑学王に(続編)

 今年1月9日付の渓流斎ブログ「フランス地図上旅行 マドレーヌとは?」でも書きましたが、「地球の歩き方」フランス版(ダイヤモンド社)を通勤電車の行き帰りに少しずつ読み、至福の時間を過ごしております。

同時に、かなりの「フランス通」と言いますか、雑学の泰斗にさえなりました(笑)。例えば、アルミニウムの原料となる鉱石ボーキサイト bauxite。これは、中世に南フランスのアルル郊外を支配したボー家 Les Bauxから名付けられたんですってね。御存知でしたか? ボー家は、全盛期には80の町を支配していましたが、15世紀にボー家の血筋が絶え、1631年にはルイ13世の宰相リシュリューによって町はことごとく破壊されます。現在、アルル北東のレ・ボー・ド・プロバンス村 Les Baux-de-Provence(人口470人)に廃墟の城が残っていますが、この辺りでも鉱物ボーキサイトが採取されていたようです。

バルセロナ・カタールニャ広場

 フランスには日本人の名前が付いた「通り」もありました。

パリに近いイル・ド・フランスIle-de-France地方グレ・シュル・ロワン村 Grez-sur-Loing (フォンテーヌブローの森の南外れ)にある「黒田清輝通り」です。日本の近代洋画を切り開いた黒田は、1890年から約2年半、この村に滞在しました。ここは他に浅井忠ら多くの日本人画家が滞在して写生作品も残しています。

フランスで最も有名な日本人は、エコール・ド・パリの藤田嗣治でしょう。(戦後、フランスに帰化)彼が、シャンパンで有名なマム社 G.H.Mummの資金援助を受けて手掛けたフジタ礼拝堂 Chapelle-Foujitaが 北東部シャンパーニュChampagne地方のランス Reinsにあります。ランスは、ノートルダム大聖堂 Cathédrale Notre-Dame (藤田はここで洗礼を受けます)があることで有名です。13世紀着工のゴシック様式。20世紀初頭の大修復の際にシャガールがステンドグラスを寄進します。フジタ礼拝堂には藤田と君代夫人が眠っているそうです。

もう一人、フランスで有名な日本人は高島北海(1850~1931)です。何?知らない? 日本画家ですが、絵は独学。もともとは明治新政府の技術官僚で、北東部ロレーヌLorraine地方のナンシーNancyにある森林高等学校に留学します。この街で、後にアール・ヌーヴォーの代表的な芸術家となるエミール・ガレらと知り合い、ガレは高島から日本の美意識を学び、そのジャポニスムの影響が強い工芸品を次々と生み出します(ナンシー派とも)。

バルセロナ・カタールニャ広場

美術の話になったので、その線で話を進めますと、フランスは「芸術大国」と言われますが、しっかりと、過去の芸術家の所縁の地を観光資源として残してます。美術館を建てたり、画家が写生した現場に看板を立てたりしています。計算高い国ですねえ、行きたくなるじゃありませんか(笑)。クロード・モネ(「睡蓮」連作で知られる北西ノルマンディーNormandie地方ジヴェルニーGiverny、「印象:日の出」を描いた同地方ル・アーヴル Le Havre)、ポール・セザンヌ(生まれ故郷の南仏プロヴァンスProvence地方エクス・アン・プロヴァンスAix-en-Provenceとサント・ヴィクトワール山)ら自国民は当然のことながら、オランダのフィンセント・ファン・ゴッホ(終焉の地であるパリ郊外イル・ド・フランスIle de France地方オヴェール・シュル・オワーズAuvers-sur-Oise、南仏プロヴァンスProvence地方アルルArles)、スペインのパブロ・ピカソ(65歳で陶芸を始めた南仏コートダジュールCôte d’Azur地方ヴァロリスVallauris、絵画製作のため滞在した同地方アンティーブAntibesのグリマルディ城Chateaux Grimaldi=現ピカソ美術館など)らは、各地に足跡を残しています。

 そう言えば、ルネサンスの巨匠レオナルド・ダヴィンチなんかイタリア出身ながら、フランソワ1世に招かれて豪邸(北中西部ロワールLoire地方アンボワーズAmboiseのクロ・リュセ城Châteaux du Clos Lucé )を与えられ、同地のフランスで生涯を終えてましたね(同地の聖ユベール礼拝堂Chapelle de St. Hubertにお墓があります)

バルセロナ

嗚呼、ワインやグルメの話、古城の話、ロマネスク様式、ゴシック様式建築、 歴史的に重要な宗教都市(法王庁があったアビニョンAvignon、アンリ4世によって勅令が発せられたナントNantesなど)と伝説都市(ルルドLourdesなど)聖堂、修道院、物語(「眠れる森の美女」「岩窟王」「星の王子さま」など)の聖地などについても、色々と書き残しておきたいのですが、長くなるので、これからまた分割して書いていきます。

【追記】

 地名や聖堂には聖人の名前が多く使われています。サンテティエンヌ(聖エティエンヌ)の語源が気になって調べたら、エティエンヌとは新約聖書の「使徒行伝」に出てくるステパノ(またはステファノ=ギリシャ語で冠の意味)のことで、キリスト教徒最初の殉教者でした。ステパノは英語でStephen、スティーヴン(女性名はstephanie、ステファニー)。スティーヴン・スピルバーグ(映画監督)、スティーヴン・ホーキング(物理学者)、スティーヴン・キング(作家)、フランス象徴派詩人ステファヌ・マラルメら多くいますね。