戦中から戦後にかけての不可解な歴史的事件=加藤哲郎著「『飽食した悪魔』の戦後」

 加藤哲郎著「『飽食した悪魔』の戦後」(花伝社)を読了しました。既に、6月3日の渓流斎ブログでも「731部隊の切れ者二木秀雄という男」というタイトルでこの本について取り上げましたが、加藤先生の代表作ではないかと思えるほどの力作でした。

 いわゆる731石井細菌部隊の話ですから、プロローグ (歴史認識として甦る「悪魔の飽食」)と第一部( 七三一部隊の隠蔽工作と二木秀雄)では、おぞましい人体実験や生体解剖の話が出てきますが、第二部( 七三一部隊の免責と『政界ジープ』)以降は、主に、戦後になって731部隊がGHQとの「取引」によって免責され、戦犯にもならずに復権していく有り様を事細かく追跡しています。前半は、森村誠一、青木富貴子、近藤昭二、常石敬一各氏らの先行研究を踏まえているので、この本は、むしろ、タイトルにもなっているように、埋もれた史実を発掘した後半の「戦後」の方が主眼だと思われます。(この本の続編か関連本に当たる「731部隊と戦後日本――隠蔽と覚醒の情報戦」=2018年、花伝社=も刊行されています)

 加藤哲郎一橋大学名誉教授の御専門は比較政治学ではありますが、この本は、もう一つの御専門の「現代史」本と言えます。ゾルゲ事件、731部隊事件、シベリア抑留、帝銀事件、下山事件、三鷹事件、松川事件など戦中から戦後にかけての不可解な歴史的事件が登場し(まるで松本清張「日本の黒い霧」のよう…)、一つ一つが直接関係はなくても、何処かで何らかの関連性があったりします。その裏で、GHQのキャノン機関や、旧帝国陸軍の有末精三機関や服部卓四郎機関、陸軍中野学校の残党などが暗躍します。そして、その背後には、東京裁判や朝鮮戦争、熱狂的な反共マーカーシズム、米ソ冷戦などいった時代的背景もあります。

 特に、同書の主人公になっている二木秀雄(金沢医科大学出身の博士号を持つ技師で、731部隊では梅毒の人体実験や諜報活動を担当)という男が、戦後になって「政界ジープ」という(紆余曲折の末)「反ソ反共」の大衆右翼時局雑誌を創刊して復権するものの、企業のスキャンダルをネタに多額の金品を恐喝したことから実刑判決を受けて没落していくという、忘れられていた史実を掘り起こしたことは大いなる功績で、本書の白眉ともなっています。

 「政界ジープ」誌(1946~56年)は、廃刊されても、出身記者の中には、同じように企業を恐喝する手法を真似して「総会屋雑誌」を創刊したり、潜り込んだりします。また、同誌末期の編集長を務めた久保俊広(陸軍中野学校出身)は「政界ジープ」まがいの院内紙「国会ニュース」を創刊したりします。一方、「政界ジープ」のライバル誌だった左翼系時局誌「真相」(日本共産党員だった佐和慶太郎が創刊、1946~57年)は、後に岡留安則による「噂の真相」の創刊(1979~2004年)に影響を与えたということから、この本は「メディア史」ともなっています。

 私のような戦後世代で、「戦後民主主義教育」を受けた者にとっては、どうも、戦中と戦後の間に大きな段差があって、全く違う時代になって、戦争犯罪者は、ある程度、淘汰されたという認識がありましたが、731部隊に関しては、戦犯にもならず全くの「陸続き」で、彼らには軍人恩給まで出ていたとは驚きでした。その典型がこの本の主人公の二木秀雄で、大変機を見るに敏だった人で、マスコミ社長~日本ブラッドバンク社(後のミドリ十字、薬害エイズ事件後、田辺三菱製薬)重役~開業医、そして日本イスラム教団を設立した教祖、と目まぐるしく変転しながらも、社会的高い地位を維持したまま84歳で亡くなっています。

 1986年に、平和相互銀行による特別背任事件がありましたが、平和相銀会長の小宮山英蔵は二木秀雄の有力なパトロンだったらしく、小宮山の実弟である重四郎は、自民党の衆院議員を務め(郵政大臣)、保守系政治家と総会屋・右翼などと関係を持ち、「闇の紳士の貯金箱」とまで噂された人物だったということですから、この世界の闇はなかなか深い。戦後右翼の大物と言われた「室町将軍」こと三浦義一までこの本に登場します。

 と、ここまで書いて少し反省。戦後、何もなかったかのように京大や東大の大学教授に復帰したり、開業医になったりした731部隊員の悪行を断罪することは当然のことながらも、なぜ、彼らを無罪放免したGHQ=米軍を誰も強く非難しないのか、不可解な気がしてきました。「GHQ=非の打ち所がない正義」という歴史観は、検閲による弾圧と、戦後民主主義教育によって植え付けられたもののような気がしてきました。 不一

 

731部隊の切れ者二木秀雄という男=加藤哲郎著「『飽食した悪魔』の戦後」

 コロナ禍で、ただでさえ気分が落ち込んでいるというのに、さらに輪を掛けて気分が落ち込む?本を読んでいます。とはいえ、推理小説を読むような感じで、結果が分かっていても、「次はどうなってしまうのか」とページが進みます。

 私淑する加藤哲郎一橋大学名誉教授が書かれた「『飽食した悪魔』の戦後 七三一部隊と二木秀雄『政界ジープ』」(花伝社)という本です。2017年5月25日に初版が出たので、もう4年前の本です。

 3850円というちょっと高価な本でしたし、内容に関しては既に加藤先生の講演会やセミナーなどで聴いていたので、「いつか買おう」と思っていたら、今になってしまいました(スミマセン)。私が購入した本は、2018年3月20日発行の第2刷で、少しは売れているというということなので大変嬉しくなりました。図書館で借りるにせよ、どんな形でも良いですから、多くの人に読んでもらいたいと思ったからです。

 実は、この本の258ページに、何と私の名前が出てきます!(笑)。私が「ゾルゲ事件関係外国語文献翻訳集」35号(2012年12月)に寄稿した「70年間誰も知らなかった謎の人物ー石島栄」という論文を引用してくださったのです。加藤先生の御自宅は「汗牛充棟」の比喩がピッタリで、市販本からこのような研究会の論文集までありとあらゆる文献を所有されて目を通しておられます。まさに博覧強記です。

銀座「山笑ふ」ランチA 1650円

 今ではよく知られるようになりましたが、731部隊とは、旧満洲(現中国東北部)ハルビン郊外に設置された関東軍防疫給水部本部が正式名称で、最高責任者の部隊長が、京都帝大医学部出身の石井四郎陸軍軍医中将だったことから石井(細菌)部隊などとも言われます。中国人の捕虜らを「マルタ」と呼んでおぞましい人体実験や生体解剖を行っていたと言われますが、資料や実験データを米軍に引き渡す条件で免責されて戦犯にもなりませんでした。しかも、戦後も731の残存部隊は鉄の結束で秘密を守り通したため、真相はヴェールに包まれていました。

 しかし、著名な推理作家森村誠一が1981年に出版した「悪魔の飽食 『関東軍細菌戦部隊』恐怖の全貌! 長編ドキュメント」(光文社)がベストセラーになり、多くの研究者、ジャーナリスト(常石敬一、近藤昭二、青木冨貴子各氏ら)によって関連本が(先行して)出版されるようになり、賛否両論も含め多くの人に認知されるようになりました。

 加藤氏の本は、これら先行研究書の成果を踏まえた上で、新たに、二木秀雄という731部隊第1部第11課(結核班長)の技師(高等文官の最高位で、武官の将校に相当)だった人物を主人公(とはいってもダーティーヒーローですが)にしています。

 この人は複雑怪奇な人で、金沢医科大学(現金沢大学医学部)で博士号を取得して731部隊に所属したエリート高官でした。この人、部隊では、結核菌だけでなく、捕虜に強制的に性行為をさせて梅毒に感染させる(抵抗した男女は射殺)など、この本ではちょっと読むに堪えない場面が出てきます。戦後は、郷里の金沢に戻り、優先的に早々と帰国して生き残り、後に大学教授や研究所所長や開業医などになった731の残存部隊の仮本部設立を任され、東京に出てからは右派大衆時局雑誌「政界ジープ」を発行したりします。(どういうわけか、この雑誌の第2号に「尾崎ゾルゲ赤色スパイ事件の真相」なる記事が掲載されます)1950年には、輸血用の血を確保する日本ブラッドバンク設立発起人となり重役に就任。当時の朝鮮戦争での需要で急成長し、1964年には商号をミドリ十字に変更しますが、同社は薬害エイズ事件で業績が悪化し、今の田辺三菱製薬に吸収合併されたことは皆さんも御存知の通りです。

江戸城 桜田門 (本文とは関係ありません)

 確かに凄惨な場面は、読むと気分が落ち込みますが、皆さんも勇気を出して目を塞がず、読んでほしいと思います。編注が巻末にではなく、同じページに出てくるので大変読みやすい本です。

 731部隊は、終わった過去の出来事で現代人には何ら関係ないという考え方は間違っています。コロナ禍で、ウイルスや感染症については、今は一番関心がもたれていることではありませんか。皮肉にも彼らは、最先端の病毒や感染症を人体実験した部隊だったのですから…。例えば、76ページにはこんな記述が引用されています。

 七三一部隊へは当時大正製薬より莫大な寄附金が投じられており、その見返りとして、サルバルサン六〇六号という梅毒治療薬の製造権が同製薬に与えられた。同製薬は戦後もサルバルサンを製造し続け、主要医薬品メーカーへと成長した。(山口研一郎「医学の歴史的犯罪」)

 大正製薬といえば、リポビタンDとかパブロンの風邪薬を出している会社でクリーンなイメージがありましたから、731部隊に関わっていた過去があったとは全く知りませんでした。

感染検査の遅れで甦る731石井細菌部隊

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 新型コロナウイルスの感染は今や欧州が最も拡大した地域になり、EUの取り決めもほとんど無効となり、国境封鎖や外出禁止令まで出るようになりました。

 AFP通信の調べでは、新型コロナウイルスは3月18日午前2時時点で 、中国本国の感染者が8万881人で死亡者は3226人。中国以外の感染者は10万8805人と発生源を超えてしまいました。特に酷いのは欧州で、感染者で多い国から順に、イタリア(死亡2503人、感染3万1506人)、イラン(死亡988人、感染1万6169人)、スペイン(死亡491人、感染1万1178人)、フランス(死亡148人、感染6633人)と続いています。(日本は、16日18時の時点で死亡35人、感染者1496人)

 先々週まで、それほど警戒していなかったフランスのマクロン大統領は昨日(現地16日)になって急にテレビで国民向けに演説し、感染拡大を阻止するため、必需品の買い出しや病院受診などを除いた外出禁止令を布告しました。カフェもレストランも営業が停止され、公園にも散歩しちゃダメ、なんて言うんですからね。

 マクロン大統領は、ウイルスとの闘いを「戦争」とまで表現していました。こんな事態、これから100年間、語り継がれることでしょう。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

ところで、日本では新型コロナウイルス感染の判別に役立つPCR(ポリメラーゼ連鎖反応) 検査が進んでいません。何故なのか?ー これについて、上(かみ)昌広・医療ガバナンス研究所理事長が 「サンデー毎日」に「731部隊の亡霊『専門家会議』の大罪」という記事で勇気ある告発をしています。

 どうやら、政府が2月14日に発足した専門家会議が怪しい、ということで、そのルーツを明かして糾弾しています。メンバーの12人のうち8人が、4組織の関係者で人事と予算とデータまで独占しているというのです。
 その4組織とは、国立感染症研究所(感染研)、東京大医科学研究所(医科研)、国立国際医療研究センター(医療センター)、東京慈恵会医科大学(慈恵医大)です。
 感染研と医科研は戦前の伝染病研究所(伝研)が母体で、戦後、伝研が分離独立した際に、幹部に帝国陸軍の細菌戦研究機関「731部隊」関係者が名を連ねたといいます。また、医療センターは、陸軍の中核病院で、慈恵医大は、海軍軍医学校創設者の一人である高木兼寛が中心になって設立した医師受験予備校だったそうで、まるで戦前の亡霊が復活したかのように見えます。
 上氏は、帝国陸海軍の流れを汲んでいる組織ゆえに、関係者には秘匿主義があるのではと告発しているわけです。

 以上は、731石井細菌部隊に詳しい加藤哲郎・一橋大名誉教授のサイト「ネチズン・カレッジ」で知りました。

 そう言えば、私も、その注目の感染研には行ったことがあります。諜報研究会の第一回見学ツアーに参加した際、お導き頂きました。2017年11月25日のことです。この日は、石井細菌部隊関連の歴史的舞台を色々と連れて行って頂きました。ご興味のある方はリンク先をご参照ください。