家を持たない生活

 私の世代は、子ども時代がちょうど高度経済成長期で、小学校1年生の時に初めてテレビが家庭に入り、父親は中古の「スバル360cc」を買い、電機洗濯機や電気冷蔵庫も買えるようになりました。貧しいながらも一生懸命に働けば、住む家も広くなり、明日はより良い生活ができるという夢と希望に溢れていました。

 父親は国家公務員でしたが、国が貸し与えてくれた借り上げ木造住宅の官舎は、玄関と台所が土間。つまり、土でした。トイレは汲み取り式で、ガスはなく、調理場と風呂は薪でした。しかも、風呂はお隣の高橋さんと共用でした。当然、電気炊飯器などなく、お米は釜で炊いてました。洗濯物は、今の若い人は知らないでしょうが、母親が洗濯板を使って、ゴシゴシ洗ってました。水道はなく、井戸水で、夏はスイカを冷やしたりしました。

 まるで縄文弥生時代人のような生活ですが、これは昭和35年前後の話です。

 その後、高度経済成長の波に乗り、バルブ絶頂と崩壊というジェットコースターのような体験もしました。

 それで、何が言いたいかといいますと、今の10代、20代の若い世代は、生まれたときから「失われた20年」の時代で、勿論、高度経済成長もバブルも知らない不況の世代ですから、モノに対する執着がほとんどのないというのです。

 私なんか、唯一の趣味といえば、音楽を聴いたりギターを弾いたりすることでしたから、生まれて初めて買ったレコードなんかも鮮明に覚えています。今の若い世代はそもそも、曲はダウンロードするものなので、CDなんかも買わない。

 昔の世代は、子どもの時に、切手や野球選手カード、はたまた、きん肉まん消しゴムなどを集めたりしましたが、今の世代は不況でモノを買ってもらえず、コレクションの習慣も持たずに成長してしまった。

 ですから、昔のステータスシンボルだったスイス製の高級腕時計など買わない。スマホで済んでしまいますからね。車だって、今や、オープンカーでさえ3時間で3000円で借りられる時代ですから、所有しようとも思わない。

 本や雑誌も買わず、キンドルやタブレットで済まします。新聞もスマホのニュースで読んで買わないでしょうなあ。

 何よりも驚いたのが、家を持たない落語家が出現していたことです。今年1月に「その落語家、住所不定。 タンスはアマゾン、家のない生き方」 (光文社新書) という本まで出版した立川こしら (43) という立川志らくの弟子の真打です。この本を読んでいないので、詳細は分かりませんが、恐らく独身の方なのでしょう。地方巡業といいますか、地方での落語が多く、ほとんどホテル住まいのようです。でも、住民票とか住民税とかどうなっているんでしょうかねえ。

 確か、コンビニを冷蔵庫代わりに使って、家に冷蔵庫を持たない元大手新聞社の記者もいたぐらいですから、モノ離れや執着しないことは今の流行かもしれません。

 私も少しずつ「断捨離」を始めていますが、まだまだ修行が足りませんねえ(笑)。

【追記】

この記事、意外にも各方面から反応が多くてビックリです。皆様、コメント有難う御座います。

「家を持たない人」たちを「アドレスホッパー」というんですか。アメリカ人なら分かりますが、日本人も増えているとは!そして、今や装飾品までレンタルがあるとは!

定住しない生活ですから、日本人も縄文人に逆戻りしたのかしら(笑)。人生ってその人の価値観が反映されますからね。

モノを捨てられない人でも、罪悪感を抱く必要はありません。大塚宣夫著「医者が教える非まじめ老後のすすめ」がお勧めです。

子どもにとってはガラクタなら、後に彼らが処分できるように手配しておけば迷惑になりませんよ。

もっと非まじめに好き勝手に生きればいいのです。

“家を持たない生活” への2件の返信

  1. こだわりとの決別も必要になってきたのでしょうが、それがつらい。
    黒檀や桐の箪笥やアンティークな足踏みミシン(現役w)と受け継いで大事にしてきたものをスッパリ捨ててしまうことが出来ないのです。
    好みでもない100均の食器やUNIQLOの洋服で過ごしていると、気が滅入ります。
    しかし、わたしにとっての宝物など、子供世代にとっては、全部不要でゴミでしかないのです。
    本に囲まれた居間空間で癒されるのは、自分だけで、「地震の時、どーすんの?凶器と化すヨ」と、冷やかな言葉を投げかけられます。
    毎日のように、本やLPレコードや大量の服や靴を捨てろ、捨てろと呪文のように言われ続けております。。

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