何か予定調和のように、ゴールデンウイークのどこかいつかに観に行きたいと、このブログで予告していた映画「幸福なラザロ」を渋谷の文化村ル・シネマにまで観に行って参りました。渋谷の人混みが大嫌いなので、朝一番の回を観て来ました。
物語の終わり方がちょっと腑に落ちなくて、しばらく、「どゆこと…?」と目が宙に浮いてしまいましたが(笑)、「この物語は、ファンタジーか寓話なのかな?」と考えているうちに、段々、感動が胃の腑の下にまでゆっくりと降りてきました。
新鋭のイタリア人女性監督アリーチェ・ロルヴァケルは、実際にあった詐欺事件と、聖書の「ルカによる福音書」などに出てくる死者から復活したラザロの逸話などから着想して脚色したようです。
【注】以下に書くことは少し内容に触れますので、これから御覧になる方はお読みにならないでください。絶対に!
映画ポスターに「その人は疑わない、怒らない、欲しがらない」と書かれているように、正直者のラザロの物語です。舞台は、急な渓谷によって外の文明世界から遮断されたイタリアの片田舎の村。今から20年ほど前の話です。54人もの小作人たちが、領主であるデ・ルーナ侯爵夫人によって賃金も支払われずにタバコ農園で働かされ、搾取されいます。
その中でも青年ラザロは、人一倍の働き者で、人に指図されても怒らないし、何でも人の言うことを聞き、食べ物も飲み物も欲しがらない。そもそも搾取されていることについてすら何ら疑いもしない。純真無垢なラザロには、血筋が通っているのかどうかもよく分からない祖母らしき老婆がいるだけで、天涯孤独です。
そんな中、侯爵夫人の我儘息子タンクレディが起こした誘拐騒ぎがきっかけで、警察の捜査が入り、村人たちは都会へ「解放」されます。しかし、ラザロだけは、タンクレディを探し求めている時に足を滑らして崖から転落して気を失ってしまいます。
正気を戻して村の中心に戻ると、他の村人たちはもう何処にもいません。ラザロは、再びタンクレディを探し求めて、雪が降る中、夏服のまま歩いて都会に行くことにします。
すると、いつの間にか、とんでもない年月が経っていて、かつての村人だったアントニアと偶然再会します。ラザロの姿を見たアントニアは、彼が聖人だったことが分かり、彼の前で跪(ひざまず)きます。
ここが最大のポイントで、私も、あっと驚く為五郎で、思わず感涙してしまいました。(何故か、については映画をご覧になれば分かります)
あ、かなりのことを書いてしまいましたね(笑)。これから御覧になるつもりの方は読んでいないと思われますので、このまま続けますが、アントニアがラザロの前で跪いた時がハイライトで、この後の物語展開がちょっと不満でした。ラザロは奇跡を起こすわけでもなく、最後の最後まで、純真無垢の普通の青年で、他人のためになることしか考えず、あっけないエンディングを迎えてしまいます。
ファンタジーや寓話なら、もう少し、どうにかならないものかと思い、不可思議感が尾を引きました。でも、この映画は不可解だっただけに、今年私が見た映画のベスト5、いやベスト3に入るかもしれません。