志村五郎・米プリンストン大名誉教授が5月3日に亡くなっていたことをプリストン大学が、日本時間の6日に発表しました。享年89。「整数論」の世界的権威の数学者です。
とはいえ、門外漢の小生が志村氏のことを知ったのは、つい先日のことでした。「騎西城 散策」の際に、埼玉県加須市の観光案内所にあった「加須が生んだ郷土の偉人」というパンフレットの中に数学者の谷山豊(1927~58)が 掲載されていて、これを見た「城歩き同好会」のキャプテンが大声で「えっ?谷山豊は加須出身だったの!?」と叫んだたため、その業績に興味を持ったからでした。キャプテンは、帰り道のバス停の場所を間違えて、もう少しで、キャプテンの座から転落しそうになりましたが、子どもの頃から、フランス人のガロアら天才数学者については人一倍興味を持った人でした。
後で詳しく触れますが、埼玉県騎西町(現加須市)出身の谷山豊と静岡県浜松市出身の志村五郎(1930~2019)は東京大学理学部数学科の同窓で、この2人が発表した「谷山ー志村予想」は、難問中の難問「フェルマーの最終定理」解くための鍵となったのでした。
ちなみに、電脳空間で公開されている「加須インターネット博物館」には、谷山豊氏については以下のようなことが書かれています。
谷山氏の功績に、数学史上最大の難問であり、証明されるまで360年かかった「フェルマーの最終定理」を解くために重要な鍵を握った「谷山-志村予想」を提出したことが挙げられます。これは、昭和30年(1955)栃木県日光市で開かれた数学の国際会議で若手数学者が中心となって未解決の興味ある問題を提起した中に、「谷山予想」(「すべての楕円曲線はモジュラーである」)が含まれていました。
平成5年(1993)イギリス人数学者アンドリュー・ワイルズ氏により「フェルマーの最終定理」は証明されますが、のちに、ワイルズ氏は「フェルマーの最終定理」を証明するための核心は、「谷山-志村予想」を証明することにあったと語っています。
めでたし、めでたし、ですね。でも、谷山氏は31歳の若さで亡くなっています。ご病気だったのでしょうか。加須市の偉人パンフレットには何も書かれていませんでした。
ネットの「コトバンク」にも何も書かれていませんでしたが、ウィキペディアだけには詳しく書かれていました。1958年、東京・池袋の自宅アパートでガス自殺、とありました。 「自殺の原因について、明確なことは自分でもよくわからない 」といった遺書まで残して…。彼は、その年に東大助教授となり、その1カ月前に婚約者が決まり、プリンストン高等研究所からの招聘も決まっていたといいますから、何とも不可解、何とも不可思議、何とも不条理です。
しかも、その半月後に、谷山氏の婚約者までもが後追い自殺したというのです。
何と言う悲劇。一体、何があったのでしょうか…。思わず姿勢を正してしまいました。
賢明なる皆様なら御案内の通り、フェルマーの最終定理とは、「nが3以上の整数の時、X(n乗)+Y(n乗)=Z(n乗)を満たす自然数の組(x,y,z)は存在しない」というものでしたね。私にはさっぱり分かりませんけど…。