?「ジョアン・ジルベルトを探して」は★★★

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 ここ何年も、何十年も好んで聴いているのは、ボサノヴァです。20世紀が生んだ偉大な作曲家として当然、レノン=マッカートニーが選ばれることでしょうが、私は迷わず、アントニオ・カルロス・ジョビンを押します。

 そのボサノヴァをつくった代表人物のもう一人が、歌手兼ギタリストのジョアン・ジルベルトです。彼が先月7月6日に、リオデジャネイロの自宅で88歳で死去したというニュースが流れた時は本当にショックで、ちょっと何も手に付かないほどでした。

 そんな人間は私だけでなく、世界中いたことでしょう。そんなわけで、先週封切された映画「ジョアン・ジルベルトを探して」(ジョルジュ・ガショ監督作品)を新宿シネマカリテまで観に行って来ました。

 ドイツ人の作家マーク・フィッシャーが、日本人の友人から東京で聴かされたジョアン・ジルベルトの音楽に魅せられて、本人に会いたいという一心で、彼を求めてブラジルのリオデジャネイロなどを探し回り、結局会えずに空しく帰国したという本を出版。残念ながら、フィッシャー自身は、本が出版される1週間前に自ら命を絶ったといいます。

 この本をドイツ語の原文で読んで感銘を受けたフランス人のガショ監督が、フィッシャーが辿ったリオデジャネイロなど同じ道を辿りながら、ジョアン・ジルベルトを探し求めるという様子をドキュメンタリータッチで描いたのがこの作品です。

 映画では、フィッシャーが通訳兼アシスタントとして雇った、本の中で「ワトソン」と呼ばれた同じ女性を採用して、彼女のコーディネートで、ジョアン・ジルベルトと関係があった友人、知人らとインタビューしていくといった展開です。

 この中の最重要人物だったのが、ジルベルトの元妻で歌手のミウシャでしたが、彼女も昨年2018年12月27日に亡くなっていたんですね。(ミウシャはポルトガル語ではなくフランス語を普段使っていました!)

 ガショ監督がフィッシャーの足跡を辿るドキュメンタリーとはいっても、映画ですから、何らかの作為というか演出がありますから、ちょっとカメラワークも気になりました。

  ジョアン・ジルベルト自身は、2008年9月、生まれ故郷のバイーヤで開催されたボサノヴァ誕生50周年記念コンサートへの出演を最後に、10年以上も人前から姿を消し、ほとんど行方不明状態でした。映画で登場した、大親友だった音楽仲間のジョアン・ドナートは「45年も彼には会っていない」、ホベルト・メネスカルも「15年も会っていない」という始末でした。

 ジョアン・ジルベルトの奇人変人ぶりは徹底していて、ホテルの料理人とは何年も、1時間ぐらい電話で話をする仲なのに一度も会ったことがなく、料理を部屋まで運ぶボーイにも会おうとせず、ドアの前に食事を置いてもらうといいますし、コンサートでも「マイクの高さが気に入らない」「空調のせいで声が出ない」などという理由でキャンセルになったりする嘘か本当か分からない噂が飛び交うほどです。私は、幸運にも2003年の初来日の彼の公演(東京・国際フォーラム)を特権から(笑)、前から7番目の席で観ることができましたが、確か、その当日も、ホテルの空気清浄機の調子が悪かったとかいう理由で、公演時間が30分以上遅れたと記憶しています。でも、当時72歳とは思えない声量と、ギター1本による1時間半ぐらいのパフォーマンスはさすがプロ、圧倒されました。

新宿シネマカリテ

 さて、結局、ガショ監督は「ボサノヴァの神」ジルベルトに会えたのか?

これは映画を観てのお楽しみということで、私自身は観ていてイライラしてしまいました。元妻のミウシャとインタビューしている最中に、ジルベルト自身からミウシャに電話がかかってきたり、たまたま、ジルベルトとミウシャの間の娘であるミュージシャンのベベウがワールドツアーから1週間ほど帰国していたのに、なぜ、彼女に救いを求めなかったのか不思議でした。

また、ジルベルトのマネジャーと称する70歳代の長髪の男が、どうも詐欺師に見えてしょうがなく、それもイライラする遠因でした。

 映画を観ると、ジルベルトは長らくホテルで一人住まいが続いていたような感じでしたが、一部の訃報では、リオの自宅で家族に看取られて亡くなったという報道もありました。当然、ベベウも駆け付けたのかもしれません。

 今晩は、ジョアン・ジルベルトを聴いて過ごします。

 

 

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