最近、仏教づいておりまして、先日は、仏教用語を英語で何と言うか、通訳のための研修会に参加してきました。
講師は、浄土真宗本願寺派超勝寺の大來尚順さんという30歳代の若い御住職。米カリフォルニア州にある仏教大学院で修士号も修めた学者さんでもあり、翻訳家でもあり、既に「超カンタン英語で仏教がよくわかる」(扶桑社新書)など数冊、本も出版されてます。
仏教に関する知識は、当然のことながら、かなり豊富ですが、私自身は、ここ最近は特に仏教書に目を通しているので、それほど驚くほどではありませんでした。むしろ、私の方が雑学的知識というか、宗派の派閥とか、アングラ情報に関しては多く持っている気がしました。…偉そうですね(笑)。
仏教とは何かー? 会場から「哲学」だの「生きる指針」だのといった意見が出て、大來師は「危ないもの、と言われてなくてよかったです」と笑いを誘っておりましたが、大來師によれば、仏教とは、人が仏(覚者)になる教えだということでした。 日本ではもともと「仏道」と言われ、「仏教」となったのは、1893年(明治26年)のシカゴ万国宗教会議(鈴木大拙や釈宗演らも参加)の後からだといいます。 となると、仏教は、キリスト教と同じ宗教かと言えば、ちょっと違う感じがしました。
仏様(釈迦)というのは人であり、宇宙を創った創造神でもなく、人を裁く審判神でもなく、超能力を持った至上神でもないからです。
大來師の説明では、キリスト教が神と人との契約(contract)という二元性(Dualism)なら、仏教は一元性(Non-Dualism)である、といいます。そう説明すれば欧米人は分かるといいます。
仏教では、人が真理に目覚めるためには「悟り」を開かなければなりません。その悟りとは「四聖諦」(「四諦」)を認識することです。四諦とは、すなわち「苦諦」(世の中は苦に満ちている)「集諦」(その苦には原因がある)「滅諦」(苦しみを和らげ、止めることができる)「道諦」(その苦を止める方法がある)の四つのことで、ざっくばらんに言えば、「自分の思い通りにならないことが人生だ」ということをしっかり頭に叩き込むことなんですね。つまり、それが悟りです。人が怒りに駆られるということは、大抵、自分の思い通りにできなかったり、他者が言うことを聞かなかったり、他者から損害や迷惑をかけられたりすることですからね。
その四諦を認識した上で、それらの不満足を解決していく方法が「八正道」だといいます。
八正道とは、英語でEightfold Noble Path と訳され、その八つとは「正見」(Right View)「正思惟」(Right Thought)「正語」(Right Speech)「正業」(Right Conduct)「正命」(Right Livelihood)「正精進」(Right Effort)「正念」(Right Mindfulness)「正定」(Right Meditation/ Concentration)のことです。どうも、漢字の日本語よりも、英語の方が理解しやすいことが分かりますね。
同氏は、得意の仏教用語の英訳についても解説してくれ、例えば、「悟り」には、Enlightenment, Awakening, Realization といった3通りの翻訳ができ、それぞれ「ひらめき」「能動的」「受動的」と意味の違いがあることを教えてくれました。
「諸行無常」は、Every thing is changing で十分に通じるということでした。
このほか、「煩悩」は、昔はWorldly sins などと訳されたりしましたが、ニュアンスがきつくあまり通じないので、最近では、 仏教本来の意味に近いSelf-centered Calculation mind(どこまでも自己中心にして計算する心)や、単にDesire(欲望)、 Defilement(汚れ)などと訳されるようです。sin(罪)は、信心深い欧米人の感覚からすると、飛び上がるほど強烈な意味になるらしいですね。そこら辺は日本人には分かりません。
仏教の経典はもともとインド古語のパーリー語で書かれ、唐の玄奘三蔵法師らによって苦難の末、中国に持ち帰って漢訳され、日本に輸入されました。漢訳は、意味のない音訳が多く、例えば、「南無」はNamo の音訳で、本来は「帰依する」take refuge inという意味です。南無という言葉そのものに、帰依の意味はありません。
となると、お経は漢訳よりも、英語の翻訳の方が分かりやすかもしれません。いや、実際、英訳で読んだ方が意味はよく分かりますよ。英訳のお経は、市販されたり、国際ホテルに置いてあったりします。皆さんもチャレンジしてみては?