京都にお住まいの京洛先生は神出鬼没で、月曜日に東京に出て来られ私を含め何人かの親しい方々と懇談行脚されたかと思ったら、いつの間にか盛岡にまで足を伸ばし、盛岡市内の「聖寿寺(しょうじゅじ)」にまで行かれたようでした。
この聖寿寺は、盛岡藩主(南部氏)の菩提寺なのですが、諸般の事情で無住となり、京都は建仁寺僧堂で 修行されていた禅僧が住職になって赴任されたので、顔の広い京洛先生のことですから、そのご住職を訪ねに行かれたのでした。
何しろ、南部藩の菩提寺ですよ。「盛岡五山」の筆頭格に当たる由緒ある古刹なのに、無住になってしまうのですから、他の名の知られていない地方の寂れた寺は、況やをやです。
こういう話は何処の大手マスコミもネットも取り上げないので、ここまで地方(いや都心もそうでしょうが)の有名無名の神社仏閣が荒廃してしまったことを知る人は少ないことでしょう。
京洛先生曰くー。
…聖寿寺は「妙心寺派」のお寺ですが、お坊さんがいないので、本山の妙心寺から、同じ「臨済宗」の別派ですが、建仁寺の本山に「誰か適当な人材がいないか」との懇請があり、「それなら私が行きましょう」と高橋英玄住職が引き受けられたわけです。
同老師は貴人よりも若いですが、お釈迦様の戒律を守って妻帯していません、明治の廃仏毀釈、神仏分離令などによって、仏教界が如何にそれまでに比べて俗化してしまったのか、具体的な話を伺いました。
この背景には、明治維新後、神道を「国教」にしようという事もあり、アウトロー的な僧侶を管理する流れも生まれ、それまで「妻帯、肉食禁止」とともに、お寺の「世襲」は否定されていたのが、事実上容認されてしまった、という事ですね。「世襲」によって、お寺の私有財産化に拍車がかかり、「独身で一代限り」だったのが、妻帯、子供への継承になるわけです。
折口信夫が神道、神職の事務化を批判していますが、仏教界もそれと同じです。むしろ、英玄老師によると、かつての仏教界はむしろそういう事には神道以上に厳しかったそうなのですが…
なるほど。現代宗教の在り方、日本人の死生観は、他人事ではなく誰も逃れることはできません。
この話を聞いて私も考えさせられました。