存在が意識を規定する

 Whachoduaete

昨晩、食事していたら、何か硬いものが当たり、「何かな?」と思ったら、右下の奥歯の銀(恐らくまがい物=笑)のかぶせ物が取れてしまったのです。

治療したのは、5年前か10年前か、すっかり忘れてしまいましたが(笑)、「あー、厄介だなあ」と嘆き悲しんだものでした。

幸運にも、翌朝に歯医者さんの予約ができ、覚悟して出かけていきました。「恐らく、本物の銀ならお金も掛かるし、何度も通院しなければならないだろうなあ」と暗澹たる思いで、臨んだところ、何と、歯のお掃除をして、取れたかぶせ物をまた接着剤か何かで付けてこれでおしまい。わずか、20分足らずで終わってしまいました。

意識が存在を規定するのではなくて、存在が意識を規定するものですね(笑)。

私は、特定の教団に入信しているわけではありませんが、これでも毎日、暇さえあれば、お天道様に感謝の祈りを捧げながら生きています。

そもそも、存在するだけで、有難いのです。しかも、私は今、取り敢えず、一日3食も食べて、十分睡眠も取ることができる境遇にも恵まれています。国際NGO「オックスファム」の調査では、世界で最も裕福な62人の資産が、経済的に恵まれない約36億人分に当たると発表しました。それだけ、格差が拡大しているということです。私は裕福ではありませんが、1日3食も食べていれば、恵まれない人の範疇には入らないでしょう。

さて、「電力の鬼」と言われた松永安左衛門の言葉に諸説ありますが、こんな名言があります。

「人間、大病するか、投獄されるか、会社が倒産するなど浪人になるか、そのどれかを体験しない限り、一人前にならない」

この言葉は、人間、艱難辛苦を自分の力で乗り越えなければ、何事も成就できないという意味だと私は、解釈しています。

個人的ながら、私も昨年は大きなピンチに見舞われましたので、半人前からやっと一人前になったような錯覚をしています(笑)。

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